波が「来た」のか「終った」のか

昨晩のジョン・ケージの記事で、幻の鮭とも呼ばれる鮭児について書くのを忘れてしまった。昔は寿司好きで、寿司となるとパクパク食べるので、寿司ザウルスの異名をとるほどだった。

3.11以降、自分の寿司好きは閉店してしまった感じだが、鮭児はまだ一度もいただいたことがないので、口に運んだときには、飛び上がるような鮭児事件になるにちがいない。

という言い忘れた駄洒落を、ふとハイヤーセルフが思い出させてくれることがあるのは、大変ありがたい。けれど、駄洒落を思い出させて、私に何をさせたいのだろうか。いくら考えてもさっぱりわからない私は、今日も彷徨える駄洒落人 Stray Dazyarer なのだ。

けれど、海の日も近いことだ。いつものジャジーでブルーな大人のバラードより、真っ青な海と空に彩られたロックを聴いてみたい。そう思っていたら、シャケ up baby な感じの、爽やかなロックンロールが蘇ってきた。

「サーフィンUSA」を懐かしい思いで聞きながら、最近ショックを受けたことを思い出していた。私が心の中で秘かにインテリ美人ショッカーと読んでいるジャーナリストが、意外な企業を推薦しているのを目にしたからだ。ショッカーといっても、悪者というわけではない。 

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 
ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 

3.11東日本大震災に関連して、ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を呼び込んで、恐ろしい謀略の可能性について書いたことがあった。ピンと来た人は、下の記事を最後まで読んでほしい。

そんなインテリ美人ショッカーが、世界一サーフィン好きの会社の経営者へ向けて、序文を贈っているのには、どこかショッキングな感触があった。けれど、読み進めてみると、とても良い序文だ。

 ジャーナリストとして、私は、多国籍企業に与しない。パタゴニアなど「グリーンな」企業であっても、である。グローバルサプライチェーンについていろいろと調べてきた結果、社会的意識がどれほど高い企業にも、表に出てこないだけで汚れた部分がある。本社さえ知らない秘密があったりすることを私は知っているからだ。アウトソーシングが増えると、どうしてもそうなってしまう。そもそも問題の根幹には我々の経済体制があるわけで、一企業が高潔でもさしたる違いなど生まれるはずがない。

 

 けれど、この良書を推薦することに私はなんの懸念も感じない。なぜなら、本書は、一企業を変えようというだけの試みではなく、地球規模で生態系が直面している危機の根源にある消費文化そのものを変えようとしているからだ。こういう試みは大変に珍しい――『ブランドなんか、いらない』を世に問うて以来、20年間も企業のグリーンウォッシングを調べてきた私が言うのだからまちがいない。  

新版 社員をサーフィンに行かせよう―――パタゴニア経営のすべて

新版 社員をサーフィンに行かせよう―――パタゴニア経営のすべて

 

自分の会社を「アクティビスト企業」と自称するだけあって、 環境保護活動にはとびっきり熱心なパタゴニア。 

 ただし、ここまで注目を集めているのは、書名通り「社員をサーフィンに行かせよう」が会社の方針だからだ。

社員を好きに遊ばせておいて、経営が成り立つのだろうか? 誰もが書名を見ると、第一感、そう思うことだろう。

実際に、パタゴニアの経営の実態を見ると、それほど突飛なことが行われているわけではない。

人材登用の基準は、①協働しやすい人、②アウトドアが好きな人なのだという。登山用品を売っているのに、自己顕示欲が強くてマウントしたがる種族はNGなのだそうだ。会社なのに、なるべく山や自然に浸っていたい人を集め、その友人知人を集めるのも、特徴的だ。

実際、トップのイヴォン自身も、一年のうち半年は、世界中の自然を歩き回って過ごすのだという。もちろん、そのような根っからの自然愛好家たちが、自社製品の最も優秀なモニターであることは言うまでもない。

だから、大きな波が立ちあがる日、綺麗なパウダースノーが降る日、社員たちはフレックスタイム制度を最大限に活用して、自分の好きな野外活動に打ち込むことが許されるのだ。

趣味に打ち込める労働環境を提供することは、さらに兼業のプロ・スポーツ選手たちが、どんどん社員になってくるというメリットまでも生み出す。その社内アスリートたちが、自社製品の企画開発で圧倒的な「現場力」を発揮するという仕組みなのだ。

通読して感じたのは、フレックスタイム制度や社内託児所の充実など、やっていることは決して新しくはない。しかし、(厳格な環境理念とともに)パタゴニアを輝かせているのは、アウトドア好きの社員たちが、趣味で自社のアウトドア製品をどんどん使って、イノベーションを巻き起こしていく好循環だ。

見ようによっては、これは古いようでいて、きわめて新しい。その分野が大好きな消費者、その分野に精通した消費者を取り込んで、製品の開発を加速させるやり方は、昨今花ひらきつつあるオープン・イノベーション・システムとまったく同じなのだ。

まずは、「世界で起きている変化」。

  1. 製造やビジネスのプロセスに関する知識や知見が普及した
  2. 製造が低賃金の地域に移っている
  3. 商品のライフサイクルが極端に短くなっている

この中では特に1.が大きい。TQM(総合的品質管理)やSCM(供給連鎖管理)やCRM(顧客関係管理)などが、高度情報化によって、世界の誰でも簡単に行えるようになった。これは先行者より追随者を円パワーする結果になった。つまり、生産の現場でも消費の現場でも、先進国側の技術優位性より発展途上国側のコスト優位性が勝りはじめた。

 

チェスブロウの提示する「解決策」はこの4つ。

 

これもこの10年くらいあちこちで見かけた要素だ。ということは、彼の主張が、現在の世界の変化を上手く捕捉しているということでもある。

  1. ビジネスをサーヴィスとしてとらえ直す
  2. 顧客との共創関係を構築する
  3. オープンイノベーションを加速する
  4. ビジネスモデルを変換する 
オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

 

 しばしば、不要な消費物は「売らない買わない」の反消費主義とされるパタゴニアは、アウトドア用品産業の特殊性を生かして、このオープン・イノベーションの前段階をクリアしたことでも、重要な歴史的事例だと言えるだろう。ここも大事。

ここも… と書いた瞬間、まだビーチボーイズの「Kokomo」が流れていることに気付いた。音楽評論家の中山康樹らの選ぶベスト10には入っていなかったものの、これも個人的に好きな曲だ。

どうも、自分は Bon Jovi 好きだと思われているフシがある。「17才のときに聴いた音楽は生涯愛聴することになる」なんていうジンクスを教えてもらったりもした。ところが自分の場合は、16歳のときに好きだった女の子が John を好きだったので、熱心に聞くようになったというのが、思春期らしい実情なのだ。(よ、他人軸!)

別れてからもどういうわけかそのロックバンドが気になって、英詞を研究していると、「俺が死んだあと、本当の俺なんかすっ飛ばして、奴らが作るだろう映画のことを考えている」なんていう自己愛あふれる歌詞に出逢ってしまった。

自分の映画が作られると想像するなんて、とんだナルシストだな。しかも薔薇づくしかよ。

と、思春期の自分は肩をすくめてしまった。その30年後に自分が似たような映画と薔薇の文脈を紡ぐとも知らないまま。

いやはや、人生は何が起こるかわからない。

何が起こるかわからないと言えば、ドラマ「ビーチボーイズ」の主題歌にその Bon Jovi のギタリストが参加して、声量豊かな熱唱を聞かせてくれたときも驚いた。

このドラマには、妹分役で「四国の奇跡」と友人が呼んだ女優が出演していたのではなかっただろうか。人口約70万人の高知県出身だったので、一部には彼女は「高知の奇跡」との呼び声もあったはず。

彼女がにきびにクレアラシルを塗っている頃からファンだった友人は、自分の住む愛媛県と一体化させるために「四国の奇跡」と呼びたがった。

だって、四国は一つの島なんだぜ!

確かに、そうではあるが。

その高知の林業に関係する記事も書いた。

香川に関係する記事も書いた。

ところが、四国はひとつの島なのに、徳島についてだけ、語るのが遅くなってしまった。

というわけで、先日知人宅近くで見かけた「とくし丸」について、まとめてみようと思う。

さっそく駄洒落を思いついたのでニコニコしながら書こうとしたら、すでに本家に先を越されていた! 2秒で反射的に思いついたのに、駄洒落競争で負けてしまうと、ビーチ・フラッグで負けたときのように悔しい。次は1秒を目指したい。

 

 この度、セブンスター石井店・石手店を拠点に移動スーパーをスタート致します。(5月1日スタート予定)現物を「見て・触って・感じて・選んで」お買い物が出来る移動スーパーです。

 

 とくし丸=篤志丸。篤志(とくし)=志の熱いこと。社会貢献事業や、公共の福祉に熱心なこと。分かりやすく、親しみやすく、覚えやすく。そんな願いを込めて、このネーミングにしました。

 

 かわいいデザインと楽しい音楽の車が皆さんの街に走ります。只今、訪問先を募集致しております。同時に移動スーパー「とくし丸」を、個人事業主として取り組む販売パートナーも募集致しております。(2015.03.20)

 

新着情報|株式会社セブンスター

移動スーパー「とくし丸」を創業したのは、リクルート勤務を経て、徳島市議会議員を三期つとめた村上稔。議員時代には、国の大型公共事業を問う住民投票条例の制定に尽力し、吉野川可動堰工事を中止に追い込んだ実績がある。

上の記事で、日本で最も起業家精神にあふれた会社について書いた。

なるほど。こういう計算式か。

リクルート社員の起業家精神」×「地方の政治家」= 「とくし丸」

  1. 全ての品につき10円を利用者が負担(サービス継続のため受益者も応分の負担を)
  2. 地元の小さな商店を守るため、その半径300メートル内では営業しない
  3. 販売員は地元出身者にする。

基本ルールは上の三つ。2. の地元スーパーと共存しようとする姿勢が光っている。

他に注目したいのは、移動スーパーの運転手を個人事業主化していることだ。車両は一台300万円。それを個人で買い入れて、提携スーパーに車両を持ち込む。

運転手を個人事業主化すれば、地方のスーパーへ依存することはないので、提携スーパーがスムーズに増える。この仕組みで、運転手 / 提携スーパー / とくし丸本部の win-win-win 関係が成立しているのだ。 

買い物難民を救え―移動スーパーとくし丸の挑戦

買い物難民を救え―移動スーパーとくし丸の挑戦

 

 日本でいう「買い物難民」問題は、海外では「フード・デザート(食の砂漠)」問題と呼ばれている。命名したのはイギリス政府。簡単にまとめるとこうなる。

  1. 都市郊外に大型店舗食料品店が進出
  2. 都市中心部の中小の食料品店が廃業
  3. 交通手段の乏しい都市中心部の住民の食生活と健康が悪化。
  4. 大型食料品店の進出を条例で規制 
都市のフードデザート問題―ソーシャル・キャピタルの低下が招く街なかの「食の砂漠」

都市のフードデザート問題―ソーシャル・キャピタルの低下が招く街なかの「食の砂漠」

 

 注意してほしいのは、日本の買い物難民問題は過疎地域だけではなく、都市部でも起こっていることだ。

そして、その背景も日本とイギリスとでは同じ。日本では、90年代の大規模小売店舗法規制緩和と廃止がその直接の原因だ。

90年代に日本が曲がり角を曲がったという印象は、多くの人々の間で共通している。しかし、その下り坂の印象を、阪神淡路大震災オウム真理教事件に結びつけてしまう人が多い。事件や事故の記憶は強烈だからだ。おそらくそこでは、利用可能ヒューリスティックという認知の歪みが起こっている。 

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

 

日本の風景が変わって「ファスト風土化」したのは、90年代の規制緩和が主因だったのだ。日本語ブログ群には、そのあたりの事情があまり残されていない。

 大店法の廃止も日米構造協議でアメリカ政府から突きつけられて受け入れたのでしょうが、その為に地方の商店街がシャッター通りと化してしまった。

 

1992年以降、日本の各地には巨大ショッピングセンターが次々と建設されて、地元の人たちは大都会と変わらぬ消費生活が送れるようになりました。まさにアメリカ的なライフスタイルが出現したわけですが、地域住民は自動車で買い物に行くようになった。駐車場も完備して都心のデパート並みの品揃えがあるのだからとても便利だ。

 

その反面では駅前の商店街は駐車場施設もなく、駅前スーパーや百貨店は規模も小さく閉店が相次いだ。

(…)

このような現状は「ファスト風土化する日本」という本によって明らかになりましたが、巨大ショッピングセンターの登場は地方の地域社会を破壊してしまった。強者にとっては便利で豊かな生活が出来るようになりましたが、老人や子供にとっては車が利用できず歩いて生活が出来る生活基盤がなくなってしまった。 

買い物難民問題を、上記の規制緩和と関連付けて論じているジャーナリズム本は、恐ろしいことにこの著者によるものしかない。

飲食料品店が最も多かった1982年と比べると、2009年にはほぼ半減している。半減だ! それは全国平均値にすぎず、群馬県渋川市では飲食料品店の数は1/4に減ったという。1/4!

日本の風景が変わってしまったはずだ。買い物難民は、日本国民の約1/10。全国に1000万人をはるかに超える難民がいるのだという。 この新書は面白そうなので、買い物難民を救うべくタウン・サーフィンする篤志家たちの情熱に近い温度で、時間を取ってブック・サーフィンすることにしたい。

 文芸批評で? 現代思想で? 自分が凄いところを顕示したいという欲望は、自分にはほとんどない。文芸批評や現代思想で、それなりに結果を出したの状況が動かないと見るや、自分は領域をどんどん横断して、自分なりに「日本の難点」の研究を重ねていった。

はっきり言って、この国の先行きに、とんでもない困難が待ちかまえているのは確かだ。

その困難を思うとき、ビーチボーイズの「サーフィンUSA」で始まったこの記事の結びにうってつけなのは、片腕の女性サーファーだろう。 

 

アメリカ人のプロサーファーのベサニー・ハミルトンが5 月31日、ワールド・サーフリーグのフィジー女子プロで、3位に入賞した。BBCなどが報じた。

 

ハミルトンは2003年、13歳のときに出身地のハワイで、サメに襲われて左腕を失った経験を持つ。夢あきらめなかった彼女は、練習を再開しプロサーファーとなった。2015年3月には、男児を出産している。

(…)

ハミルトンは、試合後のインタビューで「私の経験が、若い女の子たちが夢を追いかけて、素晴らしい大人の女性になる手助けになればと思っています」などと語った。

 

「腕を失ってからも、将来やりたいと思っていたことを、全部できています」と彼女は付け加えた。「若い子たちには、自分の気持ち次第で何だってできると感じてほしいです」

 

 自分が一番好きなビーチボーイズの曲は「Surf's up」。解釈しようと思えば、「サーフィンは終わった」というのも自然な読みのひとつだ。

しかし、13歳の彼女が、サーフボードに腹這いになってパドリングをしていて、左腕を鮫に食いちぎられたとき、彼女は「サーフィンは終わった」とは絶望しなかった。

彼女には、「Surf's Up」が「波が来た」と聞こえたのだ。

再びサーファーとして輝きを取り戻すと、3位になった大会でのインタビューで、「腕を失ってからも、夢はすべて叶っているので、若い子たちには、気持ち次第で、何でもできると信じてほしい」という意味の言葉を、実話として残してくれているのが嬉しい。

偶発的な困難に直面しても、意志と希望とをもって立ち向かうなら、道は開かれるのだということを、彼女は片腕の身体で身をもって、次の世代の子供たちに教えてくれているから。

彼女の美しい生きざまが、大好きな「Surf's up」の歌詞と交響して、この曲を忘れがたいものにしてくれたような気がしている。Thank you so much.

 

 

 

 

 

(歌詞のうち好きな一連だけ訳してみた)

A diamond necklace played the pawn
Hand in hand some drummed along, oh
To a handsome mannered baton
A blind class aristocracy
Back through the opera glass you see
The pit and the pendulum drawn
Columnated ruins domino

 

Canvass the town and brush the backdrop
Are you sleeping?

 

Hung velvet overtaken me
Dim chandelier awaken me
To a song dissolved in the dawn
The music hall a costly bow
The music all is lost for now
To a muted trumpeter swan
Columnated ruins domino

 

Canvass the town and brush the backdrop
Are you sleeping, Brother John?

 

Dove nested towers the hour was
Strike the street quicksilver moon
Carriage across the fog
Two-Step to lamp lights cellar tune
The laughs come hard in Auld Lang Syne

 

The glass was raised, the fired-roast
The fullness of the wine, the dim last toasting
While at port adieu or die

 

A choke of grief heart hardened I
Beyond belief a broken man too tough to cry

 

Surf's Up
Aboard a tidal wave
Come about hard and join
The young and often spring you gave
I heard the word
Wonderful thing
A children's song

波が来た
さあ潮の流れに乗ろう
おいでよ 一緒に波に乗ろう
きみがくれた若くてはじける感じ
言葉が聞こえる
素晴らしい言葉が
子供たちの歌う歌だ

 

Child, child, child, child, child
A child is the father of the man
Child, child, child, child, child
A child is the father of the man
A children's song


Have you listened as they played
Their song is love
And the children know the way
That's why the child is the father to the man
Child, child, child, child, child
Child, child, child, child, child
Na na na na na na na na
Child, child, child, child, child
That's why the child is the father to the man
Child, child, child, child, child