マドレーヌではなく真夜中の保育器室

夏真っ盛り。プールへ向かう家族連れとすれちがう日曜日。

大学時代に一緒に遊んだ横浜の同級生は、風貌が格好いいのに、やけに無口だった。勢い、話しやすい自分が解説に回る羽目になる。

ねえ? 彼ってどんな人なの?

まあ、いつまでたっても悪戯好きで、瞳は少年のままの性格だ。大学時代も変わらず、茶目っ気たっぷりに、彼女たちにこう答えたわけだ。

最近、10歳の女の子とキスしたらしいよ。ああ見えて、男ってわからないよね。あいつにとっちゃ、キスするチャンスがあったら、年齢は関係ないらしいんだ。

すると、女の子たちはキャッとか小さく悲鳴を上げる。10才はあってはならないロリータ趣味だ。彼女たちの好奇心が、波のように引いていくのが伝わってくる。 

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 

そこですかさずお決まりのフォローを入れる段取りを、何度かこなした記憶がある。男同士の友情も大事にしなくちゃね。

あいつ、プールの監視員をやっていて、溺れた10歳の女の子を人工呼吸で助けたらしいよ。ほら、類は友を呼ぶっていうじゃない。本当にいい奴なんだ、あいつは。

この逸話は実話なので、よく覚えているが、夢の記憶というやつは、するするとみずのように逃げて、つかみどころがない。

たぶん、夢の中で小さな女の子を解放している状況らしい。友人の実話とは逆に、少女に水を飲ませなければ、彼女の生命が危ない。そんな危篤状態で、ぼくは水筒を傾けて彼女に給水しようと、つまりは、水を飲ませようとするのだが、気を失っている少女にどうやったら飲ませられるのか。何と声をかけたらいいのか、途方に暮れている。少女は絵本に出てくるような金髪の巻髪をしていて、リリーとか、メアリーとかいうようなよくある名前だ。フランス人形のイメージ。

ここで今晩の出題となる。

あなたなら、失神している少女に、どんな言葉をかけて、水を飲ませようとするだろうか? 台詞を考えてみてほしい。

夢の記憶は不思議だ。ついさっきまでその場面にいたのに、自分が外国の少女にどんな言葉をかけたのかさっぱり思い出せないのだ。この記事を書いている間に、何とかして思い出すことにしよう。

Typologies of Industrial Buildings (The MIT Press)

Typologies of Industrial Buildings (The MIT Press)

 

さて、水筒での給水の話が出たので、給水塔の話をすることにしようか。

上の写真集を出したベッヒャー夫妻は、異色の写真家だ。

ベルント・ベッヒャーは(…)1959年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔などドイツ近代産業の名残が残る、戦前の建築物をともに撮影するようになります。「無名の彫刻」と命名したそれらの写真を比較対称し機能種別に組み合わせたタイポロジー(類型学)の作品で過去を内在した現在を指し示そうとしています。
(…)

冷徹に撮影者の主観をなくした客観的な表現方法はミニマリズムの範疇で語られることも多く、特に1980年代以降に現代アートとして高い評価を受け、活躍の場を欧州、米国へと拡大しています。1990年ヴェネツィアビエンナーレのドイツ代表として金獅子賞を受賞、2004年にはハッセルブラッド国際写真賞を受賞しています。いまや現代アートオークションで作品が高額落札されることが多い世界的人気アーティストです。

http://www.artphoto-site.com/story91.html

 この世にある建築の中で、最も地味な給水塔にカメラを向けて、各地の給水塔をただおさめただけの写真集。写真の世界の半可通にとっては、鑑賞の方向性が難しいところだ。ただ、解説の文章のミニマリズムという指摘はわかる気がする。大量生産大量消費の高度資本主義の反対側に立って、装飾をはぎとった必要最小限の物で生きていくこと。確かに、どの給水塔もその流儀で建っている。

ミニマリズムが部活やめるってよ」。そう誰かが嘯いていた気がしたので検索したが、何も出てこなかった。これも夢の中で聞いた声だったのかもしれない。たぶん、「ミニマリズムが部分的に終わるってよ」と言いたかったのではないだろうか。どんな夢だったのかな。記憶の専門家の力でも借りた方がいいだろうか。

頭の中で引きつづき検索をかけながら読書していると、これはビックリ。給水塔にこだわって、著作に写真まで載せている記憶の専門家が見つかったのだ。 

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どうやら、下の新書の著者が、幼少期に遊んでいた場所にある給水塔らしい。

 そして、近づいてみますと、この水道塔の下で遊んだ思い出が奔流のように、懐かしさとともにあふれ出てきました。当時、この水道塔の下あたりは、空き地になっていて、官舎に住んでいる子供たちが集まって、よく遊んだものです。缶蹴りをしたこと、「十字架」という鬼ごっこのような遊びをしたこと、さらにはまた、その当時、水道塔の水がよく漏れ出していて、その水で泥遊びをしたこと、近くの自生のビワやイチジクの実を季節ごとに取ってきては洗って食べたこと、などなどです。  高橋雅延

記憶力の正体: 人はなぜ忘れるのか? (ちくま新書)

記憶力の正体: 人はなぜ忘れるのか? (ちくま新書)

 

 認知心理学者の高橋雅延が語っているのは、プルーストのマドレーヌ体験と同じ無意志的記憶の喜びだ。音や匂いや物のような周辺物がきっかけで、意識で制御できない勢いで過去の記憶がよみがえること。これは何にも代えがたい喜びだし、プルーストの同時代の人々はそこに純粋な真実があると考えたらしい。

高橋雅延は、記憶には三種類あると説明する。自分の言葉で置き換えて整理したい。

  1. 意識的記憶(意識すれば思い出せる記憶)
  2. 無意志的記憶(意識の奥に沈んで、思い出そうとしても思い出せないが、何かのきっかけで蘇ってくる記憶)。
  3. 身体記憶(身体がそれに従って勝手に動くような、スポーツや音楽演奏を可能にする記憶)

1. で面白いのは、ひとつの刺激に対して、通常の感覚だけでなく異なる感覚も同時に近くする「共感覚」の話だ。『ロリータ』を書いたナボコフが、すべてのアルファベットに色を感じたことは有名だ。全人口の4%いるという共感覚保有者は、うまく活用すれば、記憶テストで好成績をあげられるという。逆に言えば、普通の人間でも、さまざまな感覚を同時に使えば、記憶テストの成績は向上するのだという。

英単語を覚えるとき、「目と口と耳と手を使って覚えれば速い」と自分が教えてきたのは正しかったことを知った。犬のいる青の表紙がやけに懐かしいワン! 

英単語ターゲット1900 5訂版 (大学JUKEN新書)

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  • 作者: 宮川幸久,ターゲット編集部
  • 出版社/メーカー: 旺文社
  • 発売日: 2011/11/23
  • メディア: 単行本
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本当は「潜在記憶」と呼ぶらしい 3. の身体記憶には、面白い実験が目白押しだった。意識では覚えていなくても、身体が覚えているのだ。いわゆる「勘」の大部分も、この身体記憶に含まれているらしい。

  • 誘拐されて一種の地下室に閉じ込められた4歳の女の子は、事件の記憶はなかったが、以後しきりに「バービー人形生き埋めごっこ」で遊ぶようになった。
  • 胆のうの手術中に一時的に記憶を失った外科医が、「ここはどこ?」「私は何をしている?」という程度まで記憶を失ったのに、手術はそのまま無事やりおおせた。

プルーストならマドレーヌと紅茶。2. の無意志的記憶が呼び起こされるきっかけは、場所、匂い、身体状態、感情状態があると、説明されている。そこで「ラジオ体操の伴奏なしにラジオ体操をできるか?」と問われているように、個人的には聴覚刺激と味覚+嗅覚刺激がトリガーとして大きく働くのではないかと思う。

新書では省かれていたが、これらの聴覚・味覚・嗅覚は、系統発生論的に言って、古くから人間の脳とネットワークを組んでいるからだ。 

聴覚刺激で無意志的記憶がほとばしるように広がるさまは、この歌でも歌われている。

古い歌が ラジオから
不意に流れるの

むかしいつも 聴いていた
憂鬱なブルース

あの頃わたしはいまより
ずっと若くて泣き虫  

おそらく「憂鬱なブルース」となビリー・ホリデイのことだろう。

そして、聴覚・味覚・嗅覚の連合が、古くから人間の脳とネットワークを組んでいることに、人間という種の秘密があると説く本に出逢った。

自分もこの記事を書いたとき、少しおかしいと感じたのだ。

アロウェイらによれば、持久走ができる哺乳類は人間だけ。人間は群れで走って鹿を捕獲することもできたはずだという。人間は汗をかいて放熱できるが、鹿はあえぎ呼吸でしか放熱できず、長距離を走っているとオーバーヒートしてしまうのだ。

人間が、身体の基本設計通りに長距離を走れば、ワーキングメモリも強くなる。このことは研究論文で証明されているのだという。脳を強くする方法は、きわめてワイルドな生き方に潜んでいるようだ。

困ったな。散歩や筋トレは好きだけど、ランニングは単調なので好きじゃない、とか言ったら、鹿られそうだ。鹿られるだけならまだしも、時折り地元の夜の繁華街で撮影している野人たちにニーブラされてしまうかもしれない。この世界は何が起こるか油断がならないから。

簡単に要約すると、「人間は長距離走行をするように身体ができているので、長距離を走ってもなんくるないさー」ということになる。単純運動の嫌いな自分は、「長距離を走るように身体ができているだなんて、人間はランクルじゃないさー」が本音だった。

だいたい何のために一日数十kmも長距離移動するのか、疑問でならなかったのだ。

野生の大地を放浪していた時期の人類は、まず聴覚で危険を聞き取ったことだろう。では、人類の脳と古くからコンビを組んでいる古株の「嗅覚 / /味覚」は、そのころ何をしていたのだろうか?

この本が答えをくれた。

 それにしても、アジア大陸を乞えて中国や南アジアまに至るまでの何万キロにも及ぶ長旅へと初期人類を駆り立てた誘因は何だったのか? 放浪癖だ、人間ならではの探求心だと言う者もいる。だが、新たな食料源を見つけたいという願望が動機だった可能性はないだろうか? 嗅覚を中心に据えて考えると、新説が浮かび上がってくる。食物に風味を添える植物い、言うなれば古代版ハーブとスパイスを探す旅だ。後に、歴史が記されるようになってから、香辛料貿易のルートに沿って人類移動が相次いで起きたのは、風味に対する渇望が原動力となったからだ。先にお話ししたとおり、渇望を生む中枢はヒト脳風味系の中心的構成要素のひとつだ。そして主要な入力がにおいなのである。 

美味しさの脳科学:においが味わいを決めている

美味しさの脳科学:においが味わいを決めている

 

確かに、香辛料がばらばらだった世界各国を、交易ルートで結びつけたのは事実だ。その大航海時代よりはるか昔、今から約100万年前に、人類は自分たちの足を使って、スパイスを探し求める大冒険の旅を続けていたらしいのだ。

(きっと遠くに「スパイスがあるぞ!」のヒット曲)

人間を動物と区別するのに「道具を作る動物」という定義を使うことがある。しかし、最初期に作られた最大の道具である「火」を中心に置くと、人間は「料理をする動物」だと再定義した方がいいという研究者もいる。

集団になって火を囲み、スパイスを使った料理をして、一緒に食事をすることで、ホモ・サピエンスは人類になったのだという説には、説得力がある。

おそらく、いくつかの研究が示唆するように、火、料理、それを囲む集団生活、言語は、おそらく相関関係をもって同時に生まれたのだろう。

という新説を、このブログの読者は呑めただろうか。呑めた? 呑めない?

困ったな。そんなこより、先ほどの問いの答えが、まだ自分の中で見つからないのだ。

あなたなら、失神している少女に、どんな言葉をかけて、水を飲ませようとするだろうか? 台詞を考えてみてほしい。

どうやったら、水を飲んでくれるだろう?

しょうがない。記事を書きつづけながら、もう少し答えを探すことにしよう。

というわけで、人類初のモノづくりは料理だった。この事実は動かないだろう。では、最新のモノづくりは?となるとだな、えれえことになっとるんじゃ、べらんめえ。びっくりすることになっているんではあるメエカア。 

MAKERS 21世紀の産業革命が始まる

MAKERS 21世紀の産業革命が始まる

 

 「メイカーズ」関連が騒がしい。この元 Wired 編集長の著作以降、日本語でも数冊のメイカーズ関連本が出版されている。

「21世紀の産業革命が始まる」という副題にもあるように、簡単に小さくまとめると、メイカーズとは「3Dプリンタの普及以後、誰もがモノづくりできるようになる革命的環境」のことだ。 

となると、大量生産大量消費の反対側に立って、必要最小限の自分専用の物で生きていく道が、豊かに開かれたことになる。必要最小限の市販物で生きていくミニマリズムは、部分的に終わってしまったのかもしれない。

例えば、デンマークの誇る玩具レゴ・ブロックは、古代の剣はあっても、現代的な銃火器は作っていない。すると、その隙間を狙って、レゴ・ファン の一人がM1軍用小銃をデザインして3Dプリンタで出力した。たちまちファンサイトで話題になって、カスタムパーツとして、世界中に流通するようになったのである。そのレゴ・ファンは、今やカスタム・メイカーとして数千のロットで新製品を送り出す職人となったのである。

レゴ本社も、自身を補完する生態系の一部として、カスタム・メイカーの存在を歓迎しているのだという。

(↑3Dプリンタに関連する動きをまとめた記事。レゴ以外のブロックと連結できる連結パーツにも言及あり↑)

確かに、21世紀の産業革命は始まりつつある。誰もが簡単にモノづくりできる時代とは、母親が子供にキャラ弁を作ってあげるように、父親が子供に玩具を作ってあげる時代なのだろう。

 さて、実は自分にも、ふとしたきっかけで思い出す給水塔の思い出があるのだ。正確には、大学病院の屋上にあったので、給水タンクと呼ぶべきかもしれない。一年前の記事に、自分はこんな思い出を書きつけている。 

 と、こんなことをふと思い出したのは、昨晩東温市の雪交じりの田園風景を、魚眼レンズ効果を使って撮影した写真群を見たから。15歳の夏、東温市にある大学病院に長期入院していたのを思い出したのだ。入院している子供たちは難病の子供ばかりで、自分も20代までの生命との事実上の宣告をもらっていた。レギュラーだったもののサッカー部の最後の大会には出場できず、試合当日には、サッカーのユニホームを着て病床で横たわっていた。

 

 小児科で15歳と言えば、最年長の餓鬼大将だ。「手下たち」を引き連れて一番熱中した遊びは、紙飛行機を病院の屋上から飛ばすこと。紙飛行機と云っても、長方形の紙を折り畳んで数秒でできるものではなく、型紙を切り抜いてボンドで張り合わせて、ゴムカタパルトという発射装置で飛ばす高性能紙飛行機のことだ。 

高性能紙飛行機: その設計・製作・飛行技術のすべて

高性能紙飛行機: その設計・製作・飛行技術のすべて

 

 大学病院には精神科もあったので、当然屋上には自殺を防止するため高い防護柵が張りめぐらされていた。これでは、屋上から紙飛行機を飛ばすことはできない。屋上の一角、大人がやっとよじ登れるような梯子があるのを見つけて、屋上屋を架すがごとく建っている給水塔によじ登った。登ってみると、そこには柵も何もない。強風が吹けば転落死するかもしれない。そう思うと足が竦んだ。震える足で地面をしっかり踏みしめて、青空へ向けて紙飛行機を飛ばした。

 

 真下へ墜落するもの紙飛行機もあれば、大学病院の敷地外まではるばる飛んでいく紙飛行機もあった。稀に、イカルスのように上昇気流に乗って、あれよあれよという間に太陽の周りにある眩しい光域へと昇っていき、遠ざかる機影がそのまま光の中へと溶け入ってしまうこともあった。「手下たち」は高所の恐怖でうずくまりながらも、口々に歓声を上げた。闘病仲間たちが次々に死んでいくので、自分たちもこの病院の敷地から永遠に出られないかもしれない可能性に、誰もが怯えていた。

 

 恐怖と希望と。太陽へ溶け入って消えていった紙飛行機を、そんな相反する感情を抱いて、自分も含めた難病の子供たちは見つめていたように思う。 

もうひとつ、20代までの生命だとの宣告を受けた15歳のとき、深く刻まれているのは、難病の子供たちの保育器を集めた小部屋だった。10人くらいの赤ん坊がいたと思う。

 30年前のぼくが15歳で大学病院に入院していたとき、やっぱり泣き叫ぶ子たちは実際にいたんだ。家に帰りたい、どうして帰してくれないのかって。泣き叫んでもどうしても帰宅させてもらえない子もいて、たぶんその子たちは二度と家に帰れない運命だった。それくらい難病の進行した子供たちだった。

 

 入院中は時間があり余っている。大学病院を探検するのって、楽しいんだよ。よく訪問者用の白衣を着込んで、ベビーベッドが集められた病室へ入って、難病の赤ん坊たちを眺めて過ごしたもんだ。

 

 ステロイドを投与されたせいで、顔も身体も数倍に膨れ上がった5歳くらいの赤ん坊もいた。あの子はたぶん30歳になっても赤ん坊のままだったと思う。ひときわ大きなアクリルケースの中にふんぞりかえって、たぶん一日中寝ているだけの数年間を生きてきた。アクリルケースの両側には、おむつ交換できるように手を差し入れる口が開いていて、ぼくはよくそこへ手を突っ込んだ。赤ん坊の手のひらをくすぐってあげたかったんだ。くすぐると、膨れ上がったムーンフェイスの真ん中に集まっている目や口が動いて、本当に嬉しそうに笑っている顔になるんだ。病気で何もわからない赤ん坊でも、自分の皮膚に触れられるのがあんなに嬉しいもんなんだね。自分の皮膚に接触してくれる愛情をあんなに求めているもんなんだね。

上で書いた Moon Face の赤ん坊とは別の赤ん坊のことをよく覚えている。どういう病気だったのかはわからないが、名前に「帆」の字が含まれていた女の子だったと思う。彼女はいつも眠っていた。保育器の隣には、小さなホワイトボードが据え付けられていた。そこには、パパからのメッセージで「早く元気になってね」「おうちでみんなで待っているよ」「いつになったら帰ってきてくれるんだい?」というようなメッセージが、週毎に日付とともに書き込まれていた。

ぼくはそのホワイトボードが嫌いだった。見るのも嫌なくらいだったけれど、その病室に入ると、必ず見てしまうのだった。

というのも、ある日付を最後に、その一行メッセージは更新されなくなってしまい、一か月以上前の古いメッセージを最後に、その下の数行が空白になっていたからだった。

15才。昼間にすることといえば読書くらい。好きだったサッカーは禁じられていた。眠れない真夜中には、その保育器の赤ん坊たちが集められている病室によく忍び込んだものだ。そして、飽きずにじっと、赤ん坊たちの寝顔を眺めていた。 

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)

 

 ノーベル文学賞受賞作家の私小説に、難病を伴って生まれた赤ん坊を、消極的に衰弱死させるかどうかで、主人公が苦悩する場面がある。自分が個人的に体験したのは、難病を伴って生まれた赤ん坊が、或る意味では現実に捨てられている場所が、この国にあることだった。

赤ん坊は誕生日を自分で選ぶ。誕生日の日付けになった真夜中、体内時計の予定時刻が来ると、母親の身体をノックして、陣痛を促す。

一方に捨てられた子供がいて、一方に生まれてくる子供がいる。真夜中のあの病室は、きっと自分にとって一種の原光景なのだろう。

感傷的になりたいわけではない。ただ、途絶えてしまったあのホワイトボードの続きを、誰に頼まれているわけでもないのに、自分が書いてみたい気がしている。他の誰かが書くよりも、自分が書くのが適任なのではないかという気がしている。

あれから約30年。確かに時代は変わった。書こうと思えば、どのようにでも自由に書けるし、モノづくりだって、作ろうと思えば、どのようにでも自由に作れる。

次代の子供たちのために、何を作ろうか。

そう考えたとき、ふいにあのありふれた名のフランス人形のような少女に、何と言うべきかが閃いたような気がした。

あなたなら、失神している少女に、どんな言葉をかけて、水を飲ませようとするだろうか? 台詞を考えてみてほしい。

このひとことしかないだろう!

飲んで、メアリー!

という洒落で記事をしめくくれるくらい、未来に「何でもあり」の自由がひらけているような気がして、今晩はとても嬉しい心地がするのだ。