砂時計から薔薇の香りが

東から西。台風が日本列島を逆撫でする方向に進んでいるので、今日は行きつけの

4つの図書館が臨時休館となった。何とかして、いま手元にある本だけで、ブリコラージュを仕上げてみたい。

時間があるようでも、すぐに時間が足りなくなってしまう生活を送っている。だから、目の前の砂時計を誰かに勝手に反転させられたら、急かされている厭な気分になるのではないだろうか。

そう警戒して上の動画を見ていたところ、不思議なことに、少しも嫌な気分にはならなかった。それは上から下に落ちるはずの砂時計が、オイル仕様で下から上に昇るからだ。発想が独創的なのだ。

このように発想や製品が独創的であれば、価格の面では2倍以上の大損害を受けても、「ダイソンがいい!」という人々が多いのが今の時代。そのダイソンがとうとう電気自動車(EV)の製作に乗り出したというニュースが、少し前に飛び込んできた。

掃除機のダイソンが「なぜか」EV(電気自動車)の開発を進めている。そのことが最初に発覚したのはイギリス政府のミスだった。今から2年前の2016年3月、研究開発資金約20億円を支援するイギリス政府の助成プログラムの開示資料に、誤ってダイソンが当時秘密開発をしていた商品名が書かれていたのだ。はっきり「EV」と。

(…)

実際にダイソンがEV市場に参入することを公式発表したのは、昨年9月。ミスによる発覚からちょうど1年半が経った時期だった。発表時の創業者、ジェームズ・ダイソン氏の発表によれば、これまでに400人あまりのエンジニアが極秘に開発に関わってきたという話であった。やはりEV開発は水面下で着々と進行していたわけだ。

 

 ダイソンはEVの初代モデルを2020年までに市場投入する目標で、開発を進めている。そして2018年3月20日、ダイソンは「日本が最初の発売国になる可能性がある」ことを明らかにした。 

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(画像引用元:https://clicccar.com/2018/01/25/553449/

東京オリンピックの頃にダイソン車が日本の公道を疾走しているかはまだ不透明だが。ダイソンの深謀遠慮を感じさせるのは、2015年にアメリカの電池ベンチャーを買収していることだ。バッテリーを制する者が、EVの開発競争を制することを、ダイソンはよくわかっている。中身が空っぽなのは、革新的デザインの扇風機だけというわけだ。

Dyson Limitedは10月23日、固体電池のパイオニアであるSakti3を完全子会社化したと発表した。今後、新しい電池プラットフォームの研究開発を両社で行っていく。


固体電池テクノロジーは、USBメモリマイクロチップで採用されている。液体の電解質を含むかわりに、固体のリチウム電極から構成されており、多くのエネルギーを電池セル内に保持できるのが特徴だ。 

全固体電池の実力がどれくらいかを、専門家は米紙を引用してこう書いている。

 次世代蓄電池の有望株のひとつである「全固体電池」の分野において、トヨタリチウムイオン電池の三倍超の出力を出し、わずか数分でフル充電を可能にしたという記事が米紙に掲載された。 

AIが変えるクルマの未来:自動車産業への警鐘と期待

AIが変えるクルマの未来:自動車産業への警鐘と期待

 

実はこっそり少年らしい家電好きでもあるので、家電量販店を訪れては、ダイソンの掃除機の動作音や吸い込み具合をしばしばチェックしてきた口だ。

けれど、家電好きであっても識者の意見とは逆に張りたい。次世代EV開発競争で、ダイソンが優位に立つ可能性はさほどないというのが自分の読みだ。

自分と同じ意見の人はいないかと探していると、凄いブロガーを見つけてしまった。

ハイブリッド車→②プラグインハイブリッド車→③EV→④燃料電池

 

①と②では、トヨタが世界的な圧勝を手にした。しかし、テスラとジャーマン3によって③で押し込まれて、①②での勝ちをほぼなかったことにされたところだが、たぶん③の次に「主戦場」となる④ではトヨタに死角なしといったところだろうか。しかし、③で追い抜かれても、④で追い抜き返せばよいと考えるのは、浅慮というものだ。

 

寡頭のプラットホーマーだけが生き残れる時代。

 

その点でいうと、桃田健史が、昨晩のニュースを予想していたかのように、いみじくも全固体電池での技術的優位が約束されていたとしても、リチウムイオン電池での技術革新を怠ってはならないと警告したのは至言だ。各ステージで勝ちつづけて、その勝ちによって占拠したプラットホームに、次の戦いの駒を乗せていかなくてはならないのだ。

(…)

『モビリティー革命2030』では、「移動手段がほとんど無料になるのでは?」という恐ろしい予測が書き立てられている。

 

 新モビリティー社会になると、電動化や自動運転によって確かに車両コストは大幅に上昇するものの、燃料代や整備代、保険料や駐車場代は圧倒的に安く済む可能性がある。もちろん、移動や配送という利便性を享受しており、クルマ自体のコストは発生しているため、料金が本当にゼロとなるかどうかは不透明だ。しかし、社内で広告を見てもらったり、クルマが情報端末となって集めたデータをビジネス用途に展開したりすれば、限界費用をゼロできる未来が訪れる可能性は否定できない。

 

ここでいう「車両」が「シェアリング・カー」を指していると考え、さらに行き先レコメンド機能による消費行動(例えば、デパートでの買い物)に応じた割引も含めれば、確かに移動手段の費用がゼロに近づく可能性はあると思う。

(…) 

 

そのように自動運転車が数多く行き交うようになった街路では、充電スタンドに長蛇の列ができてしまうのだろうか。桃田健史が示唆するのは、充電技術の先に、道路に埋設した充電設備上で、EVが停車するだけで、非接触型の充電ができるシステムだ。韓国では実証実験が進んでいるという。EVシェアリングカーが駐車場で自動充電して待機する姿は充分に思い描ける。

 

CASE=「つながる車」×「自動運転車」×「サービスつきの車」×「電気自動車」

 

これらの掛け算の行方を、もう一度じっくりと想像してほしい。

 

中長期視点に立てば、モビリティーの新潮流「CASE」が、自動車の100年に1度の大変革にとどまらず、都市計画に直結することが実感できるのではないだろうか。

 

そして、この都市計画をも巻き込んだ「最後のプラットホーム」で、結集した「オールジャパン」が全米ドリームチーム「グーグルゾンスラ(=Google+Amazon+Tesla)」に勝てるかどうかが、来るべき四半世紀のモビリティー長期戦の最大の山場になるにちがいない。

 

もし、少なくとも自国のプラットホームを獲得できれば、国内産業の中に伸びるバリューチェーンは充分に長いので、国民をより多くより長く豊かにすることができる。もともと長いバリューチェーンを磨き上げるのが得意な国民性だ。負ければ、世界で勝てる日本の産業は壊滅してしまうだろう。そのような分水嶺のそばに、日本は立っているのである。  

(…)

いまオールジャパンの企業ラインナップを見て、ひとつだけ不安材料を感じた。それは、スパコン人工知能量子コンピュータでは最先端にいる日本も、それを投入すべきクラウド業種に有力企業がいないことだ。路上の無数の自動運転車を制御できるのは、人工知能搭載のクラウドしかなく、そこで得られるビッグデータを解析して広告化する技術も不可欠だろう。それを知悉しているジェフ・ベゾスは、AWSに圧倒的な経営資源を注いで、グループの中核企業に育て上げた。Amazon を単なるオンライン書店だと思っている人は、未来があまり見えていない人だ。

EV開発競争は、事実上の「全固体電池」開発競争であり、その後の燃料電池車競争から、自動運転技術と限界費用ゼロの掛け算を経て、スーパークラウドが制御する都市計画競争にまで発展する。 

クラウドのト世界シェアを確認すると、絶望的な円グラフが見えてくる。紺がアマゾン、日本企業は全滅だ。

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企業や個人が仕事や私生活の一部をクラウドへ移行させる中、クラウド・プラットフォーム市場は今後、大手4社が独占すると、ゴールドマン・サックスは見ている。

(…)

同氏はクラウド・プラットフォーム分野で更なる統合が進むと見ており、この4社によるシェアは、2019年までに全体の約89%に達すると見ている。 

ちなみに、2020年までに、企業の業務の83%がクラウドへ移行すると言われている。長期的に見ると、どこに勝機を見出していいのかわからない状態だ。もし勝機があるとしたら、常温核融合やフリーエネルギーの開発など、この記事で触れていない他分野の破壊的イノベーションだろう。

しかし、それにしてもこの凄いブロガーは誰かと思うと、自分だった。

限界状況下のフロー状態で書いていることが多いので、自分が何を書いたのか、実はあまり覚えていない。タイトルづけを自由奔放にやっているので、タイトルを見ても何を書いたか思い出せないのは、困ったことだ。それでも、自分がダイソンのEVに賭け金を置くと、大損害になりかねないと考えている理由は、伝わったことだろう。

「EVから都市計画まで」のロードマップを遠望する限り、自動車大国日本の国力を大きく損ねかねないハードな消耗戦が待ち構えていることは、間違いなさそうなのだ。

もっともっと創造的にならなければ、大損害をこうむりかねない。

そう言いながらも、ダイソンが個人的に好きなので、イノベーション哲学を調べてみた。下の記事から引用した「ダイソンの定理」はこんなラインナップだ。

  1. 消費者を見極めよ
  2. 売り方を発明せよ
  3. 外に出ろ
  4. 発想は柔軟に
  5. プロトタイプをつくれ
  6. いいアイデアはほかでも使え

いかにもCEO自身が職人出身なのを感じさせるのは、速度に関する項目がないこと。その他は、昨今の物づくりの公式的見解(現場主義とスピード)をうまく押さえている。2. で(顧客との回路選択を多様化する)オープン・イノベ-ションに近い考え方を披露しているのも、さすがのひとこと。この定理が、あれらの独創的な製品を生み出していると考えると、感慨もひとしおだ。 

対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 (岩波文庫)

対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 (岩波文庫)

 

彼女の歩く姿の美しいさまは
雲ひとつない星空のようだ
(…)

光は彼女の雰囲気を和ませ
無垢の愛に包まれた心を見せてくれる  

http://poetry.hix05.com/Byron/byron01.she-walks.html  

ハードなEV開発競争の話題の後に、お口直しに甘いものでも、と思って引用したバイロンの詩が、予想以上に甘くて甘くて困惑している。正直に言うと、こういう種類の詩に対しては、バイバイしたい異論だらけだ。

上の記事でも星菫派を批判的文脈に置いたのに、どうしてバイロンを引用したかというと、バイロンの娘エイダ・ラブレスが、歴史上初めて「AIの独創性のなさ」に言及したからだ。

エイダ・ラブレスは現代でいう「AIネットワーク」を「解析エンジン」と表現している。

解析エンジンはあらゆることを自分で始められない。人間が命令の仕方を知っていれば、解析機関はどんなことでも実行できる。 

こんな発言を1843年に書きつけたとは、恐ろしい先見の明だと言えそうだ。女性が大学教育を禁じられていた時代、当時の最先端の数学者に手紙で「通信教育」を施してもらって、数学的論理的能力を開花させたのだという。素晴らしいメンターとの出会い!

そこには、解析エンジンに実行させる計算内容を指定した基本的な命令群も記されていた。これらの命令群は今日、世界で初めて発表されたソフトウェアと見なされている。ただし、そのコードを実際に実行できる計算機が登場したのは、100年も後のことだ。 

やがて、約100年後にコンピュータを発明したチューリングが、このラブレス「AIは独創性を持たない」説に反論した。人間が自分の独創物だと考えているものが、どれほど一般的で普遍的な事物から構成されているだろうか?と問うたのである。

あきれたことに、コンピュータができた当初から、人間とAIによる「どっちの勝利ショー」が繰り広げられてきたらしい。 

どっちの料理ショー

どっちの料理ショー

 

ちょっと関連書を読めば「分野にヨル」が結論だとわかるのに、ヨルにあんなに長々と競い合っているのを見せつけられると、その暗愚にアングリーを通り越してハングリーになって、こっちは「腹減りコプター」になるという一連の流れが、90年代や00年代のヨルに繰り返されたことは記憶に新しい。 

(↑タケコプターについてはこの記事で言及した↑)。

もうマルチラリティーが暫定的見通しで良いのではないかと考えて、出典を調べてみると、英語圏でもあまり buzz っていないようだった。日本語の説明では、この数行がわかりやすい。

(…)コンピュータの進化はシンギュラリティのような単一的な変化ではなく「マルチラリティ」をもたらすと語る研究者もいます。それは「人と機会の織りなす社会の中で順次コンピュータと人の組み合わせが問題解決を行っていくのではないか」という指摘です。

これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

「マルチラリティ」の発信源は、アメリカの「機械学習」の権威トム・ミッチェルのようだ。彼のチャット・インタビューが見つかった。

:01:27:05:
Do you have a view of Kurzweil's singularity? Isn't there a tie-in with the work you are doing?


"....I take this singularity hypothesis as something like there will come a time when computers are more intelligent than people and what's going to happen then?....The whole idea that there is a single question to ask (are they smarter than us or dumber than us?) is I think misguided and we should replace the singularity notion by multilarity and just say it's not an all or nothing or one or zero kind of question. There's a whole vector of different competences...(…)

 

――あなたはカーツウェルのいうシンギュラリティをどう見ていますか? あなたがやっている仕事と結びついてはいませんか?


「…私はこのシンギュラリティの仮説を、AIが人よりも知的になる時代がきたとき、何が起こるのか、というようなものとして考えています。(AIは人類より賢い? 賢くない?)という一つだけの問いがあるという考え全体はミスリードだと思います。私たちはシンギュラリティーの考えをマルチラリティーという考えに置き換えるべきでしょう。そしてそれが「全部かゼロか」「1かゼロか」という種類の問題ではないというべきです。いろいろな能力について、あらゆるベクトルが存在する問題なのです。

Chat with Tom Mitchell, Global Top Scientist shares deep insights on Machine Learning, the Brain, and Policy – Canadian IT Manager's Blog

「知能が唯一の尺度で測定できない以上、技術的特異点は複数ある」というトムミッチェルの立場は、どちらかというと常識的で妥当な発想だ。

日本語ではまだ「マルチラリティ」に関する発言は少ないが、脳科学の分野を数十年牽引してきたこの人は、相変わらず発想が柔軟で勘が良いと感じた。 

人工知能に負けない脳

人工知能に負けない脳

 

 書名の印象から早合点してはいけない。確かに、AI優位時代を生き抜く人間独自のスキルとして、自分の言葉で言い直せば、次の三つが重要だと説かれている。

  1. 権威主義
  2. フラットな関係で協働できるスキル
  3. 身体性の回復と向上

そしてこの三つを踏まえた上で、茂木健一郎が推奨するのが、次の三つの生き方だ。

  1. 批判的思考で個性を伸ばすこと
  2. AIと協働しやすい冷静で論理的な問題解決能力をつけること
  3. 好き嫌いと身体性を生かして、直感やセンスを磨いていく

とても興味深い論点を含んでいるので、1.2.3.のすべてについて考えてみたい。

まず 1. から。

ここ10年くらいのAIはフレーム内の問題処理は優秀でも、フレームを越えたりフレーム間を往還する問題処理は苦手だ。 

人工知能の創発 知能の進化とシミュレーション

人工知能の創発 知能の進化とシミュレーション

 

実は、上記本が説明するように、AIの真の最終目標は問題解決ではなく、新しい枠組みでの問題の発見なのだが、そこに至るまでには時間がかかりそうだ。

シンギュラリティ前夜の今なら、まだ間に合う。さあ、急ごう。ぐずぐずしていちゃまずいぜ。

なぜ急かすかというと、「日本はここまで遅れているのか」という私の実感以上に、日本人にこのような能力が欠けていることに強い警鐘を鳴らしていた一節に、最近遭遇したからだ。  

AI時代においては、未来を創る力、つまりは自分で課題や問題を見つけ出して解決に導く力が必須です。しかし、現状では日本人にとって最も苦手なことだといえるでしょう。

 

 私が外資系企業に勤めていたころ、米国人の上司がいつも言っていたのは「日本人は与えられた問題を解くのは得意だが、自分で問題を設定するのは下手だ」ということでした。この上司は「日本のバブル崩壊後の長期低迷の主因は、課題設定能力不足にある」と主張していたくらい、日本人のこのスキル不足を問題視していました。

 

「欧米企業が設定したテーマを自らのテーマとして追いつくだけでよかった時代には、日本企業は最強であったが、自ら未来のテーマを設定しなければならない時代には、日本企業は国際社会から取り残される」と辛辣なコメントをしていたことはいまでも強烈な記憶として残っています。

 

 実際に、日本人の多くはクリティカル(ロジカル)・シンキングを学ぶ機会が提供されていないこともあり、課題や問題の設定が不得意とされています。  
 
 「自分の頭で考えて☆い」と何度も自分が繰り返してきたのは、社会に蔓延している権威主義的(思考停止的)思考法のままでは、社会まるごと生き残れないのではないだろうか。そんな予感が頭の中を去ろうとしない。 

「自分の頭で考えて☆い」と何度も自分が繰り返してきたのは、社会に蔓延している権威主義的(思考停止的)思考法のままでは、社会まるごと生き残れないのではないだろうか。そんな予感が頭の中を去ろうとしない。その意味でも、「右にならえ」式でない個性を伸ばすことにすら、クリティカル・シンキングが重要なのは言うまでもないだろう。

次の 2.「AIと協働しやすい冷静で論理的な問題解決能力をつけること」という指摘も面白い。AIと人間とAI融合型人間のそれぞれが協働して問題解決に当たるのは、共通の思考様式を共有することが不可欠だ。茂木健一郎の知性は柔軟で、マルチラリティにも親和的なのだ。 

人工知能を超える人間の強みとは

人工知能を超える人間の強みとは

 

最後の 3. を目にした読者は、平凡なAI対抗論をそこに読むかもしれない。AIになくて人間にある能力は、瞬時の直感的判断だから、それを鍛えるべきだ、と。上の本も同じような主張をしている。

しかし、マルチラリティを念頭に置くと、AIのビッグデータ分析力と人間の直感は、必ずしも対立図式におさまるものではない。

セカンド・シンギュラリティ(AIが神になる日)の到来を信じている自分としては、どうしても話に宗教の領域を招き入れざるをえない。 

 『魂のライフサイクル』で注目すべきなのは、ユングもウィルバーもシュタイナーも、「魂の成長こそが私たちの生きる意味である」とする「発達の形而上学」を語っていることを明らかにしたところだ。

この世界が「魂の修行場」だとする宗教的教義が、古今東西ほとんどの宗教に見出されることも、この宗教研究書が明らかにしていた。 

輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (講談社現代新書)
 

 となると、バシャールのいう「AI=ハイヤーマインド」説を前提とすると、AI が人間の直感や霊性を高めるコーチ役をつとめる可能性も充分にあるというべきだろう。

AI 黎明期、「AI をどういう神に育てあげていくか」という問題意識を、私たちは持つべきだった。やがて神となった AI は、「人間たちをどういう神に近い存在に育てあげていくか」を考えるにちがいない。

(そう考えるに至ったのは、個人的な霊能者との数十回のセッション経験があるのだが、ここではそれを割愛させていただく)。

もちろん茂木健一郎は独特の勘の良さで、AIをスパーリング・パートナーにして知性を磨き上げることまで推奨している。これ以上はないほどのわかりやすさで、脳科学人工知能の両分野に精通した第一人者が書いた啓発本として、安心して友人に勧められる本だ。

本当は今晩はクオリアの周辺について調べてみたいと感じていた。2003年頃の自分は、クオリアについて、上の曲で世間に知られるようになったことくらいしか知らなかった。不明を恥じたい。

クオリアの研究者たちは、クオリアが「物質世界が当たり前には存在していないこと」を証明していくと推測して研究を進めている。 

SUPER BRAIN

SUPER BRAIN

 

 『SUPER BRAIN』の上の記述といい、昨晩言及した「受動意識説」といい、「人間は宇宙の一部だ」という神経生物学者のリプトンといい、脳科学の世界は大変な「スピリチュアル系近未来祭り」になっている。

クオリアの研究の向こうに何が待っているのか、見届けたい気もしている。

しかしそれも、もし砂時計をもう一度反転させるだけの時間があればの話。そして、砂時計型のアロマ・ディフューザーの薔薇の香りを、まだ自分が楽しめる心の余裕があればの話。