放射能汚染

痛みの数だけ敗北を抱きしめて

この記事で Femme Fatale の好例として毬谷友子の名前を挙げた。ツイッター上でおてんばに飛び跳ねたかと思うと、夜の舞台では妖艶な猫に化ける感じ。連想が跳ねて、もうひとり、無数に女を演じ分けて飛び跳ねる素敵な「毬」のことを書きたくなった。 『千と…

批評のリーチはどこへ届いているか

歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。 有名なマルクスの言葉には、続きをつけておく必要がある。「三度目以降は悲喜劇として」。歴史は何度でも反復する。ただし差異を伴って。 しばしば「時を越えて同一物が繰り返し回帰する」と…

白い砂漠に咲く向日葵

白いシーツにくるまってゆっくりと眠りたい。そんな欲求を抱きつつも、白いシーツのような砂漠を見るために旅に出たい。 瞼のうらにあの絶景を思い浮かべて、そう思うこともある。 レンソイス・マラニャンセスとは、マラニャンセスの白いシーツという意味ら…

「九年前の祈り」を読む

チ、チ、チ。 舌打ちをしているのではない。「九年前の祈り」は三つの異なる色をしたチが、縦糸や横糸になって織りなされている小説なのだと思う。おそらく純文学を読み慣れていない人なら、主人公のシングル・マザーさなえが、どうしてこうまで「血」を通じ…

貝にならない生き方

きっと悪い夢を見ているんだと思う。 それが実体のないものを指しているせいで、どうしてもその名を口にできない******という概念がある。あるいは、一生の間に******を使うことを神から許された回数をもう使い切ってしまったのかもしれない。あ…

夜明け前の路上は雨

文章を書くのに「ダンモのズージャの伴奏」が欲しくて、Five Corners Quintetを聴いていた。より正確に云えば、FCQはモダン・ジャスの精髄を随所に生かしたクラブ・ジャズの範疇に入るアーティストだ。 その伴奏を背後に聞きながら書くとしたら、やはり「月…

星々を見上げて歩いていこう

「泣ぐ子はいねが」 なまはげという名の鬼たちが、そう叫び回りながら子供たちを威嚇する年中行事が、秋田にある。同じように、子供たちが親の言うことをきく教育的効果を狙って、最近はタップひとつで鬼が電話をかけてきてくれたもするらしい。 しかし、世…

子供たちの人生が盗まれつづけている

『破壊しに、と彼女は言う』 クールすぎるこのデュラスの小説名をが三人称複数形になって、現代アートのキュレーターによる美術批評となった。 破壊しに、と彼女たちは言う―柔らかに境界を横断する女性アーティストたち 作者: 長谷川祐子 出版社/メーカー: …

国破レテ山河アリ

アクセルをベタ踏みして、何とか88マイルには達したが、思い描いていた未来へはとうとう到達できなかった。そんなニュースが飛び込んできた。 車好きで、同じデロリアンを所有していた映画評論家も、資金難から手放してしまったらしい。スーパーカー世代とも…