音楽

貴重な虚構のためのホッチキス

こういうことを話すと、現代の若者たちは信じられないという顔つきになるのではないだろうか。 自分が大学生の頃には、携帯電話はなかった。 より正確には、とびっきり高価だった当時の携帯電話は少数の青年実業家たちだけの持ち物で、彼らは弁当箱より大き…

痛みの数だけ敗北を抱きしめて

この記事で Femme Fatale の好例として毬谷友子の名前を挙げた。ツイッター上でおてんばに飛び跳ねたかと思うと、夜の舞台では妖艶な猫に化ける感じ。連想が跳ねて、もうひとり、無数に女を演じ分けて飛び跳ねる素敵な「毬」のことを書きたくなった。 『千と…

「遅すぎるチョコ」がずばぬけてさびしい

ずばぬけてさびしいブルーな気持ちにさせる噂がある。 不正な招致活動が暴かれて、東京オリンピックが中止になるかもしれないという噂が、一向に絶えることがないのだ。 私は、ブエノスアイレスの国際オリンピック委員会(IOC)会場で、2013年09月8日未明(日本…

「芽が出ず」なら mega-death

とてもつらく、とても幸せな日々が続いている。何度か自殺の誘惑にかられた。そしてそのたびに生きていることの大切さと喜びをかみしめるのだ。 気のせいなら良いのだが、間章が限界に近い精神状態で書いたこれらの言葉が、最近どういうわけか、やけに身に染…

Stick to Our Faith

この記事を「少年時代に天沢退二郎の「60年代詩」を愛誦した人間が、自分以外にいるのかどうかは知らない」と書きだしたが、知らないわけでもないことに思い至った。 清水昶の出版物としての処女詩集『長いのど』「闇に浮くジャズ」には、初期天沢退二郎と北…

ささやかな文学的自叙伝

昨晩の記事で野坂昭如に言及したせいで、2003年に数か月だけ書いて閉鎖した処女ブログのことを思い出した。当時はサーバを借りてそこに自分でブログツールをインストールしなければならないほどハードルが高かったこともあり、たぶん自分は最初に日本語ブロ…

夜明け前の路上は雨

文章を書くのに「ダンモのズージャの伴奏」が欲しくて、Five Corners Quintetを聴いていた。より正確に云えば、FCQはモダン・ジャスの精髄を随所に生かしたクラブ・ジャズの範疇に入るアーティストだ。 その伴奏を背後に聞きながら書くとしたら、やはり「月…

星々を見上げて歩いていこう

「泣ぐ子はいねが」 なまはげという名の鬼たちが、そう叫び回りながら子供たちを威嚇する年中行事が、秋田にある。同じように、子供たちが親の言うことをきく教育的効果を狙って、最近はタップひとつで鬼が電話をかけてきてくれたもするらしい。 しかし、世…

ラジオから不意にジョン・レノン

昨晩は疲労のあまり0時から2時まで仮眠。2時半くらいに再出社して7時過ぎまで調べたり書いたりして、そこから朝食。8時に就寝して12:30に起床した。(少なくとも怠惰ではないと自分は思うが、そういう感覚は人それぞれなのだろう)。さすがにこういう負荷が…

子供たちの人生が盗まれつづけている

『破壊しに、と彼女は言う』 クールすぎるこのデュラスの小説名をが三人称複数形になって、現代アートのキュレーターによる美術批評となった。 破壊しに、と彼女たちは言う―柔らかに境界を横断する女性アーティストたち 作者: 長谷川祐子 出版社/メーカー: …

ザギン・シースー・クリス

「どうやって文章に落ちをつけるか」「どうやって文章をおしまいにするか」。 このようなブログの記事でも、最終着地点をどこへ持っていくかには結構苦労してしまう。「最後の一行が決まらないと書き出せない」とは意識家の三島由紀夫の愛用句だったが、もと…

手探りしているRubyが、世界のどこかに

どこかで言及した STUDIO VOICE 誌上の丹生谷貴志の三島論には、「地上にひとつの場所を」というインデックスのついた章があった。そのしばらく後に出た「Airport for Airport」の特集号には「地上にもうひとつの場所を」という副題がついていた。時系列から…