密室にはナイフよりも愛を

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ここで書いた少年探偵シリーズの話。そこでは名作の45巻に言及したが、最終巻の46巻の内容も、期待外れだったせいで却ってうっすらと覚えている。三角柱型の奇妙な洋館でエレベーター密室殺人が起こる話だったと思う。

エレベーターの天井には仕掛けつきのナイフが吊るされていて、エレベーターが降下する動きで仕掛けが作動して、ナイフが落ちて車椅子の老人に突き刺さるという密室殺人トリック。

どこかで誰かが使いまわしそうなトリックだが、そもそもこの本自体が海外の推理小説のリメイクだ。

ただ、エレベーターという密室が芸術家たちの創造的動機をかき立てるところがあるのは本当らしく、若き日のジャンヌ・モローが美しき悲劇のヒロインを演じ、マイルス・デイビスが絶妙な即興のトランペットを聴かせてくれたのも、『死刑台のエレベーター』だった。

死刑台のエレベーター ブルーレイ [Blu-ray]

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 小説では…ぱっとすぐには思い浮かばないが、この作家志望のエレベーターの使い方は悪くなかった気がする。

誰も寄りつかなくなった取り壊し寸前の建築物を想像してほしい。おそらくそのn階とn+1階は、閉ざされた無数のドアが向き合った長い一本の廊下に貫かれているだろう。廊下の一方の端は階段で他階に通じており、もう一方の端にはエレベーターホールが据え付けられているが、エレベーターと連動して開閉するはずのホールの扉だけがない。そのせいで、矩形にくりぬかれた暗い吹き抜けが露わになっていて、大口を開けた闇の中を垂直にワイヤーが張り詰めているのが見える。n階、n+1階のその奈落への入口がゴールマウスだ。ゴールの反対側、センターサークルにあたる階段での攻防は、重力を味方にするn+1階側が圧倒的に有利になるので、ハーフタイムでエンドが替わるとはいえ、最初のコイントスが大きな意味を持ったりもする。ゲームは5対5ぐらいのストリートサッカーに近い人数構成で行われるだろう。ただしゴールキーパーが要らないのがこの想像上の立体サッカーの特徴だ。なぜならエレベーターのワイヤーに吊られているのはエレベーターボックスではなく、捕らえられて逆さ吊りに拷問されている男。ディフェンダーは敵が攻めてくると、昇降ボタンでその虜囚を呼びつけて、草サッカーでは誰もやりたがらない退屈なゴールキーパー役を務めさせる。逆さ吊りの男は、視野の天井に吸い付くように走り回る脚々やボールを、船酔いのような止みがたい眩暈とともに凝視しつづけることを強制される。

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冗談はさておき、エレベーターが特殊舞台として最も輝くのは、密室殺人よりも「密室での愛」にちがいない。その数十秒をどのような情緒で描き上げるかを考えると、筆を繊細に動かさねばならない覚悟のようなものが指先に漲るが、あの密室の閉塞感を表現するには、映像の方が向いているかもしれない。愛する二人が無言でも、密室を音楽で満たすことができるから。

エレベーターの中での愛は、長くても数十秒。ちょうどCMの長さと同じくらいだ。これまで無数に見てきただろうCMの中で、生涯ベストに挙げる人もいるのが、このジーンズのCMで、「自分のマイナーな愛聴盤がまさかCMで使われるなんて」という驚きで目を瞠った記憶がある。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3652649

 背景で鳴っているのは「Glory Box」で、ブリストルの3大トリップホップの一角を占めるPortisheadによる曲。聴き比べると、Radioheadが陽気なサマーソングに聞こえるくらい、暗さと美しさの漲った極限で音楽を生み出していて、聞く者を最高度のダウナーなトリップ感に浸してくれる。

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90年代の途中から、自分は時間短縮目的で、CMカットのビデオデッキやHDプレイヤーを使い始めたので、CMに対する感動や関心がほぼ完全に消失してしまった。

ただ一つ後悔しているのは、せっかく日本唯一のCM評論家に接近遭遇できたのに、その講演を拝聴しなかったこと。高校OBという縁で随分面白い講演をしてくれたと聞くが、当時生徒副会長だった自分は会場準備だけ手伝って、抜け出して生徒会室で仕事に追われていた。

亡くなった後もネット上にブログが残っている。検閲によって作られた「閉鎖空間」への抵抗を語ったこの記事も、

amano.blog.so-net.ne.jp

反戦広告を作った顛末を語ったこのエントリも、軽妙な短いエッセイだが唐辛子がピリリと利いていて、読後感が心地よい。

amano.blog.so-net.ne.jp

CMという大衆の欲望が操作される現場で、飛び交う札束の数など意に介さず、真に大衆が求めるもの(それは平和を含んでいるに違いない)を、資本家の側へ言葉で投げ返す仕事。もし若い人がこれを読んでいたら、そのような仕事に憧れを感じてほしい。

例えば、検閲などによって歪められた閉鎖空間であれば、空間全体が進路を誤らされて、悪辣なトランスナショナルな仕掛けによって、不意に「天井からの刃物」にも譬えうる軍事的な飛翔体が降ってこないとも限らない。

広告批評」という希少な批評的本拠地を維持しながら、一方で大衆の欲望を知悉した上で、主流メディアで軽妙な速射砲を繰り出していた天野佑吉こそが、実は「大衆の原像」への愛が最も深かった知識人だったのかもしれない。

 

 

(5/8分)(5/6分を書き直しました)(5/3・4は旅行のため更新できません)