きみの階段は風の囁きの中に

巷では、石原慎太郎が推進した築地から豊洲への卸売市場の移転に、壁が立ちはだかっているのだとか。そういえば、築地と豊洲の間には、昔から「壁」が立ちはだかることがあったものな、という感慨が生まれた。

三島由紀夫は1959年に書いた『鏡子の家』の冒頭で、鏡子と4人の若者を車に乗せて、銀座の先にある埋め立て地へ向かわせている。ところが彼らの前に「壁」が立ちはだかる。

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当時、橋をはね上げて開閉していた勝鬨橋が、船の往来に合わせて、「鉄の塀」として行く手に立ち塞がったのである。

それが時代の壁であるか、社会の壁であるかわからない。いづれにしろ、彼らの少年期にはこんな壁はすっかり瓦解して、明るい外光のうちに、どこまでも瓦礫がつづいていたのである。(…)この世界が瓦礫と断片から成立っていると信じられたあの無限に快活な、無限に自由な少年期は消えてしまった。今ただ一つたしかなことは、巨きな壁があり、その壁に鼻を突きつけて、四人が立っているということなのである。

安部公房との対談の冒頭で、三島由紀夫は「20世紀は性の世紀」だと声高に述べ、若き石原慎太郎の「性的はちゃめちゃ」の数少ない擁護者の役目を務めた。川端康成が「この若者が日本の美しさを知らないことが寂しい」という意を洩らした、あまりにも有名な場面を引用する。ベストセラー『太陽の季節』から。

風呂から出て体一杯に水を浴びながら竜哉は、この時始めて英子に対する心を決めた。裸の上半身にタオルをかけ、離れに上ると彼は障子の外から声を掛けた。
「英子さん」
 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起した陰茎を外から障子に突きたてた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。
 その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした、抵抗される人間の喜びを味わったのだ。
 彼はそのまま障子を明けて中に入った。

純文学的審美眼から見れば、芸術的価値よりも粗削りすぎる未熟さの方が目立つ。武田泰淳の小説にも、同様の「障子破り」の先例があったらしい。センセーションと同時に悪評も立った石原慎太郎に対して、三島由紀夫は敢然と擁護に回った。その擁護の孤独さは、精神薄弱の女性を若者たちが輪姦する問題作『完全な遊戯』で最高潮に達する。繰り返しになるが、当時の純文学の最前線の闘争は「性」にあった。

 しかし、「性」の侵犯者を擁護するにしても、アレをこのように形容してしまうのは、凡人にはなかなかできない相談だ。 

障子紙を破って突き出される男根は、羞恥に充ちてはいないだろうか? 中年の図々しい男なら、そのまま障子をあけて全身をあらわす筈ではなかろうか? 

 「少女が初恋相手と会話するさまが羞恥に満ちている」と凡庸な書き手が書くのと同じ語彙で、あれほど文飾の乏しい小説の一場面から、障子破りの若き男根が「羞恥に満ちている」とまで書くことができるのは、三島由紀夫くらいだろう。確かに、若い男の男根の先端は、中年男のそれよりも「赤面」しているかもしれないが…

そのようには書けない自分は、つい当該物体について詩的な言い換えを考えてしまう。別段、自作の小説で使う予定はないが、やはり言い換え候補の最有力はこれになるだろう。

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 スペリングをあえて変えてあるが、元々は「鉛の飛行船」を意味する。私的には史上最高のロックバンドの名前だ。高校生の頃大好きだったので、趣味で歌詞を訳してみたことがあるが、若き日の慎太郎ばりに直接的な性衝動を歌った曲が多かった。(名曲「Whole Lotta Love」など。あえて引用はしない)。デビューアルバムのジャケット写真も直叙的だ。公的な場面で使うとZEPファンの怒りを誘いそうなので、良かったらプライベートな秘め事の場面で使ってほしい。(俺の Led Zeppelin が…)。

自分も大のZEPファンなので、ロバート・プラントの詞が思いがけない高みに達し、ジミー・ペイジのギターが美しすぎる響きを奏でた名曲が、人々の間で聴き継がれていることも書いておきたい。少し長いが訳してみた。

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There's a lady who's sure all that glitters is gold
And she's buying a stairway to heaven.

光り輝くものはすべて黄金だと信じている女がいる

彼女は天国への階段を買うつもりだ

 

 When she gets there she knows, if the stores are all closed
With a word she can get what she came for.

彼女は知っている

そこに辿りついて、店がすべて閉まっていても

あるひとことを言えば、自分が買いに来たものが手に入ることを 

 

There's a sign on the wall but she wants to be sure
'Cause you know sometimes words have two meanings.

壁に貼り紙がある

でも彼女は確かめたがっている

言葉は時々二つの意味があるから

 

 In a tree by the brook, there's a songbird who sings,
Sometimes all of our thoughts are misgiven.

小川のそばにある木で、さえずっている鳥がいる

時々ぼくたちの考えのすべてが偏見ではないかと感じる

 

 Ooh, it makes me wonder, 

ああ…それはぼくを不思議な気持ちにしてくれる

 

 There's a feeling I get when I look to the west,
And my spirit is crying for leaving.

西へ顔を向けると、或る感情が湧いてくる

そして、ぼくの魂が離れたがって泣き叫ぶ

 

 In my thoughts I have seen rings of smoke through the trees,
And the voices of those who standing looking.

夢想の中で、煙のような輪が次々に木々をすり抜けていくのが見える

それらを立ち尽くして見ている人々の声がする

 

 And it's whispered that soon if we all call the tune
Then the piper will lead us to reason.

 声はこう囁いている もしぼくら全員がしたい通りにお願いすれば

笛吹きがぼくたちを真理へ導いてくれると

 

And a new day will dawn for those who stand long
And the forests will echo with laughter.

そして長いあいだ立ち尽くしていた人々に新しい夜明けがくるだろう

そして森には笑い声が木霊するだろう

 

If there's a bustle in your hedgerow, don't be alarmed now,
It's just a spring clean for the May queen.

もしきみの家の生垣がざわついても、もう不安がってはいけない

それは5月の女王のための単なる春の掃除なんだから

 

 Yes, there are two paths you can go by, but in the long run
There's still time to change the road you're on.

そう、きみが進むことのできる道は二つある

でも長い目で見れば、今いる道を変える時間はまだあるよ

 

 Your head is humming and it won't go, in case you don't know,
The piper's calling you to join him,

きみの頭がブンブン羽音を立てている

きみがわかっていないといけないので

笛吹きがこっちへおいでと呼んでくれているよ

 

 Dear lady, can you hear the wind blow, and did you know
Your stairway lies on the whispering wind.

お嬢さん、風が吹いている音が聞こえるかい?

きみの階段が風の囁きの中にあるのがわかったかい?

 

 And as we wind on down the road
Our shadows taller than our soul.

曲がりくねった道を進んでいくにつれて

ぼくたちの影は魂を覆い隠していく

 

 There walks a lady we all know
Who shines white light and wants to show
How everything still turns to gold.

その道をぼくたち全員が知っている女が歩いている

彼女は白い光を輝かせながら、どうやればすべてのものが

黄金に変わるのか教えたがっている

 

 And if you listen very hard
The tune will come to you at last.
When all are one and one is all
To be a rock and not to roll.

もしきみが真剣に耳を傾ければ

その調べは最終的にきみへとやってくるだろう

全てはひとつ、ひとつは全て

きみがもはや流転しない確固たる存在になるときに

 難解な詞とも言われ、ロバート・プラント本人も「深い意味なんてないさ」と嘯いているが、軽々しく「深い意味」を語れないのは、おそらく聴く人をドラッグによる変性体験へ誘うように書かれているからだろう。しかし、単なる無軌道な若者の火遊びではなく、ドラッグによる変性意識を通じた「解脱」を歌っているようにも読めるのが興味深い。最終連の rock and roll の織り込み方も絶妙だ。ロック音楽ではなく、「岩」に似た「確固たる存在」への到達が歌われている。「全てはひとつ、ひとつは全て」も、現代でいうスピリチュアリズムの要諦の一つ。現代から見ると、当時のヒッピー文化は反体制側に立ってドラッグやロックに明け暮れていたように見えるが、散乱していた狂熱の破片群の中に、案外深遠な要素が含まれていたのかもしれない。

活動停止から30年以上たった2014年になっても、ジミー・ペイジはデビュー直後のアメリカ大陸の冷たい洗礼に言及していた。イギリスでデビューしたモンスターバンドに対して、LAのローリングストーン誌が酷評を浴びせたのだという。そんな状況で、ZEPのアメリカ初公演を興行したのが、アーロン・ルッソ。のちに映画監督へ転身した。

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ここで、スタンリー・キューブリック監督の偽インタビューに触れた。偽インタビューではあるが、誰がどういう理由からかなりの金と手間をかけて捏造したのかを考えるには、悪くない練習問題だった。

本物の映画監督の話をしよう。「今世紀最高の映画監督インタビュー」の座は、アーロン・ルッソで決まりだと私は確信している。私たちは明らかなことが明らかになりにくい時代に生きている。

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つまり、現代の私たちも、壁の前に立っているのだ。幸運なことに壁は透明なので、光や情報を通してくれる。壁を透過して流れてくるさまざまな情報が、私たちに語りかけ、壁の向こうにある階段をのぼるよう誘っているのが聞こえないだろうか。

耳を澄ませてほしい。きみの階段は風の囁きの中にある。