文芸批評草稿(2)

2.日本に呪い定められた動物:皇帝ペンギンもしくは鴇

 カフカの小説中にあの有名な「毒虫」を始め、多くの動物が登場する例を挙げるまでもなく、「芸術はたえず動物につきまとわれている」のだが、それに言及するドゥルーズガタリが動物の縄張り行動をもとに「リトルネロ」という概念を創造し、人間の芸術の起源を求めて、動物へと遡っていったのとは逆方向の道筋に、「人間が成り果てた動物」が、濃厚な政治思想的色彩を身に纏いつつ、近現代の日本文学上で繰り返し登場していることに、ここで言及しないわけにはいかない。
 例えば、前衛短歌の巨匠である塚本邦雄によるこんな一首。

  日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係も

 一首中の「飼育係」が人間なのは当然だが、係が飼育する「皇帝ペンギン」までもが人間であるという解釈が現れて、歌壇を騒然とさせる白熱した論争へ発展したことがあった。塚本邦雄の理解者である菱山修三が「皇帝ペンギン」とは「猫背の天皇(エンペラー)」であるというきわめて有力な解釈を披露したのである。これが歌壇の一部の激しい反発を招き、その解釈を強硬に認めまいとする歌人までもが現れたという。読まれるように、作品上に見誤りようもなく露呈している天皇制問題を、不当に脱政治化すべく抹消しようとする当該歌人の身振りは、その定型が普及しえた要因の多くを、往時の天皇中心国家の求心力と天皇の呼吸との一体化に持つ短歌という定型詩を、彼がなぜか積極的に選び、かつ、その事実をなぜか意識にのぼらせまいとしている否認主義的防衛機制の発露に見えなくもない。事実は、時に残酷である。先に引用した塚本邦雄の名歌には、同じ歌人による次の続首があるので、解釈論争は論争未満のまま、最初から決着していたのである。

  皇帝ペンギンその後の日々の行状を告げよ 帝国死者興信所

 読む者を真に震撼させるのは、しかし、最初に挙げた一首の「皇帝ペンギン天皇裕仁」という暗喩の衝撃力だけではない。むしろそこに覆い隠しようもなく刻印されている支配/被支配の関係である。「皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係も」という主従の明確な2つの名詞の身も蓋もない並列が、歴史を記憶する日本人に、どうしてもあの写真を思い出させずにはおかないのである。

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

 

 

 

(「皇帝ペンギン飼育係=マッカーサー」説は、ネット上では私だけのようです。歌論を読み込めていないので、先行する指摘があるかもしれません。ただし、塚本邦雄の反天皇主義は強烈です。解釈には自信があります。ちなみに、自分は天皇制廃止論者ではありません。塚本邦雄を正確に読み取りたいだけです)。