「例の件はどうなりましたか?」

「例の件はどうなりましたか?」

に似た文言を目にすると、虚構莫迦の自分は、思わず頭の中でこんな風な英語に直してしまう。

What has become of KUDAN?

 「件」は「くだん」とも読める。ここでいう「件=くだん」とは、内田百閒の短編に出てくる人の頭と牛の身体を持つ化物である。凡庸な書き手なら牛頭人身のミノタウロスを使って「逆ミノタウロス」とでも書いてしまうところだが、漢字の偏と旁で視覚的に「人+牛」を現してしまっているのが凄い。

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

 

 人だった主人公は、短編中でどのように「件」に変貌していくのだろうか。一番描き難いのはその変貌の過程にちがいないので、文庫本を手に取って確認してみた。

私は見果てもない広い原の真中に立っている。軀がびっしょりぬれて、尻尾の先からぽたぽたと雫が垂れている。件(くだん)の話は子供の折に聞いたことはあるけれども、自分がその件になろうとは思いもよらなかった。からだが牛で顔だけ浅間しい化物に生まれて、こんな所にぼんやりと立っている。

 変貌の過程は特に描かず、いつのまにか自分が何か別のものになった感覚をゆるゆると書いて、読者を異世界へ引き込むのが内田百閒流なのかもしれない。いつのまにか、というのは怖い。変貌がいつ始まるのかわからないからである。

 と、気がつくと、私は見果てもない広い原の真中に立っている。軀がびっしょりぬれて、尻尾の先からぽたぽたと雫が垂れている。件(くだん)の話は子供の折に聞いたことはあるけれども、自分がその件になろうとは思いもよらなかった。からだが牛で顔だけ浅間しい化物に生まれて、こんな所にぼんやりと立っている。

 私は風の運んでくる砂のにおいを嗅ぎながら、これから件にとって初めての日が来るのだなと思った。すると、今迄うっかりして思い出さなかった恐ろしい事を、ふと考えついた。件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福を予言するものだと云う話を聞いている。

 夜が明け離れた。

人人は広い野原の真中に、私を遠巻きに取り巻いた。人人は予言を待っているらしかった。とはいえこちらは何を言って良いか皆目見当がつかぬ。

「この様子だと余程重大な予言をするんだ」

そんな事を云ってる声のどれにも、どことなく聞き覚えがあるような気がした。

「先生、頑張って」

そう言われて、私はうろたえた。私は件になる前は先生だったのか。それならば子供たちに予言を授けねばなるまい。そう思い至った。

「September eleven is an inside job.」

私が人の声でそう喋ると、おお、と、どよめきが波のように広がるのが見えた。

「英語を喋ったぞ」と云ったものがある。

「だけれども、全然予言ではないな」と云ったものがある。

私は悔しくなって前足で地面を蹴った。すると遠巻きの群衆から悲鳴が上がった。人々は私の予言を芯から恐れているようだった。

「86年ぶりだぞ。甲子園の土を持って帰るのは、まだ早い」と云ったものがある。

 そうであったか、と私は内心呟いた。先生という言葉があり、英語という言葉があり、甲子園という言葉があった。ということは、師の漱石先生を私は思い出しているのであろう。漱石先生は松山の中学校で英語の教鞭を取られたし、ご友人の正岡子規さんはのぼるさんと云って、ベースボールを野球と名付けたのであった。そういった思い出のかけらが、夢の中で幻のように連想を誘って、私を件にして人々に取り巻かせているのだ。私は漱石先生の『夢十夜』の翌晩にいるのにちがいあるまい。

「イレブンといって土を蹴ったぞ。全国大会に出たうちのサッカー部に関する予言にちがいない」と云ったものがある。秋山真之校長のところの蹴球部の連中に相違ない。

 野球でも蹴球でも構わぬが、予言が一向に思い浮かばないのには困り果てた。汗が顎まで伝ってぽたりぽたりと雫が垂れる。尻のポケットからタオル・ハンカチを取り出そうとするが、そうだった、今の私は牛の體をしているのだった。

「先生、頑張って。夢じゃないよ、私たちずっと闘ってきたんだよ」

そんな女生徒の声を聞いて、不覚にも感極まって泣きそうになってしまった。いや、件になる前の人間であった時分に用意しておいた言葉があったはずだ。それは確か「持っている持っていると言われてきましたが…」で始まる優勝投手の言葉だったと思うが、先に予言をせねば死んでしまうような心地がする。良かった。やっと予言が思い浮かんだ。私は厳かな口調で人々にこう告げた。

「この即興小説はあと五つの文で終わる」

私がそう言うと、遠巻きの人々は、おお、と見事な一輪の花火を見るように嘆息を洩らした。

「本当に五つの文で終わるのだろうか」と云ったものがある。

「そんな鸚鵡返しの感想で文をひとつ使うもんじゃない」と云ったものがある。

「お前こそ」と誰かが言いかけたのを遮って、「さあ、やっちまおう」と誰かが号令したのを皮切りに、人々が土煙をあげてどっとこちらへ押し寄せ始めた。

 それが私を胴上げするためなのか、袋叩きにするためなのかはさっぱりわからぬまま、嗚呼永かった永かったと私は心の内で呟き、そろそろ良い頃合いだと思って、「持っている持っていると言われてきま…」と言いかけたところで、私は群衆にたちまちもみくちゃにされ、痛いのか嬉しいのかわからなくなるほど強く心が動いたせいで涙を流しながら、皆の押し合いへし合いに、良いようにいつまでも翻弄されるのだった。