国民財産の「液化」前夜

世代によって答えは異なるのだろうが、日本三大「アミ」といえば、鈴木亜美大貫亜美吉田アミだといわれると、なるほど、確かにそうだろう、と呟いてしまう。自分が20代の頃に書いた小説に、臓器移植目的の幼児誘拐と革新的なメディア・アートを組み合わせたものがあった。小説を書いた後で、メディア・アートの祭典「アルス・エレクトロニカ」で、吉田アミがグランプリを取ったことを知って、勝手な親近感が湧いた。15年以上も前の話だ。

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現在の彼女のいくつかの肩書の最初に来るのは、「前衛家」らしい。想像のつきにくい格好良い職業に見えて憧れてしまう。彼女のような芸術家がグランドピアノに身体をもたせかかると、やはりピアノが液化してしまうのではないだろうか。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(塚本邦雄

同じく、日本三大「ユキオ」と言えば、三島由紀夫野口悠紀雄鳩山由紀夫ということになるだろう。実は前二者はちょっとした接近遭遇を果たしていたらしい。三島由紀夫が大蔵省在職中に書いた書類(平岡公威の記名あり)を、同じく大蔵省在職中の野口悠紀雄が発見したことがあるのだとか。几帳面に作られた書類だったとどこかの本に書かれていた。

バブル景気の渦中にあって、それがバブルであることを最初に指摘したという煌びやかな伝説が、野口悠紀雄の名刺代わりに語られることが多い。それにとどまらず、彼の専門分野ではないはずの税制の分野においても、ほとんど無名の(「累進型消費税」に近い)「支出税」を提唱し、その税理論上の優位性を縷説できる学者なので、経済系イデオローグとしての総合的卓越性は抜きん出ているように感じられる。

しかし、『ブロックチェーン革命』の読後は、これまでの野口悠紀雄の著作の読後感とは、必ずしも同じではなかった。なるほど、インターネット以来の衝撃とも言われるブロックチェーンの周辺には、不確定で誤った情報群が霧のように立ち込めているし、それらが『超「整理法」』の作者の手腕で明確に腑分けされているだけでも、本書には十分すぎる価値があるとまでは言えるだろう。しかし、希望が足りない。

基本的な整理はこうだ。

1. ビットコインブロックチェーンは別のもので、前者は後者の可能性の一部でしかなく、後者は前者の浮沈とは関係のない不変の革新性を持っている。両者を峻別すべき。

2. ブロックチェーン技術によって、金融業や証券業が大きく変わる。

3. ブロックチェーン技術によって、企業組織や政治や行政も変わる可能性がある。

4. 民間のパブリック・ブロックチェーンと大企業に支配されたプライベート・ブロックチェーンを峻別すべき。後者が巨大化したり、その方向性の極限として、中央銀行によるプライベート・ブロックチェーンが人々を支配したりすると、ビッグブラザーの支配する『1984』の世界になる。

もちろん4.が一番大事で、「その方向性の極限」どころか、着々と「恐慌劇」の準備と通貨リセットのシナリオは進められている。嘘だと思う人は、このサイトのぺージをめくって、仮想通貨の導入を検討している中央銀行の数を数えてほしい。

1.の峻別がついている人は見かけるが、最重要の4.の峻別がついている人が、どれだけいるのだろうか。

野口悠紀雄は4.について、中央銀行によるプライベート・ブロックチェーンが「民主主義や公開性や社会のフラット化」を犠牲にすることは認めつつ、「オープンな仕組みの方が、技術革新が進む」という理由で、民間のパブリック・ブロックチェーンの方が優位に立つとの楽観論を展開している。

残念ながら、その楽観論よりも速いスピードで、1%グローバリストたちは「恐慌劇」の準備を終えつつある。まえがきで、大新聞のインタビューで野口悠紀雄ブロックチェーンの将来性を丁寧に説明したところ、記事では「真顔で語った」と、胡散臭い人間であるかのように印象操作された逸話が紹介されている。しかし、それは野口の言うようなゼノフォビアからくる偏向ではなく、1%と99%がブロックチェーンの覇権を争っている中で、1%側の大新聞が報道を偏向させて Fake News を垂れ流したがったことが原因だろう。今度ばかりは、あの野口悠紀雄にも見えていないのかもしれない。

この辺りの危機の最先端について、日本語サイトで先頭を走っているのは、私の見るところ、またしても在野の最強ブロガーのこの人だ。

そこで語られている「預金封鎖」、「ハイパーインフレ」、「ゴールドの優位性」、「金相場の下方操作の実態」、「ペーパーゴールドの虚偽性」などは、ここ数年ずっと繰り返し鳴らされてきた警鐘だが、すべてを明確に関連付けて視野に収めている人は少ないのかもしれない。

権威づけられていないものしか信じにくい人向けには、こんな立派な補助線もある。

デフレ圧力が緩んだ欧州中央銀行(ECB)も、緩和の出口を探り始めている。
問題は、日本銀行だ。資産規模縮小どころか、第1段階のテーパリングさえも実行できない。国債市場で、日銀は余りにも存在が大きくなりすぎた。FRB、ECB、BOE(英国中央銀行)の比ではない。
日銀が国債購入をやめてテーパリングを始めれば、長期国債は急落する。FRBのように売りにまわるとなれば、国債価格は大暴落(金利暴騰)のはずだ。 

伝説のディーラーから経済評論家を経て参議院議員となった藤巻健史は、日銀の金融緩和を段階的に縮小していくこと(テーパリング)をどうやって行うのか、つまりはこの金融緩和の「出口戦略」を日銀がどう考えているのかを、これまで執拗に問いただしてきた。その問いがどのようにはぐらかされているかは、中継動画でよくわかる。その真の答えが「出口なし」だということも、よくわかる。

 数年前から来るぞ来るぞとは言われていたが、いよいよ近づいてきたなという実感がある。目下あまりにも拙速に成立が急がれている「共謀罪」法案は、1%によって人為的に引き起こされた「恐慌劇」の後、自然発生するだろう国民の蜂起を、徹底的に弾圧するための武器だという噂にも、一定の信憑性が感じられる。

ずっと以前からこの事態を予見できていた国際ジャーナリストの田中宇は、数年前に悲痛な真情とともに、記事をこう結んでいた。私たちはそこに、3人目のユキオの存在を視認できる。

  どちらにしても、QEは長期的に金融システムの悪化、先進国経済の破綻、米覇権の崩壊にしかつながらない。EUは多極化の側に転換して生き延びるかもしれないが、日本はたぶんもう無理だ。官僚機構に潰された09年の鳩山小沢の試みあたりが最後の機会だった。やがて非常に悪い時代がやってくる。今よりもっとひどいことになる。そのことを政府やマスコミは全く無視している。ほとんどの国民は何も知らない。悲しい状況だ。

まもなく日本国民の財産は液化して、砂地にしみいる水のように消えていくだろう。こんな悲観的なことしか語れないことが、淋しくてならない。短くこうつけ加えることしかできない。

知恵を尽くして、力を合わせて、共に生き延びよう。