火を継ぐ者

この記事で言及した『インディヴィジュアル・プロジェクション』の装丁は、常盤響が手掛けた。純文学らしくない斬新なデザインで評判になったのを憶えている。自分は、こういうデザイン志向の高い本の方が、手に取ったり持ち歩いたりしやすいと感じるタイプだ。

これも自分だけかもしれないが、彼と名前を混同しやすい写真家がいて、その名を都築響一という。文庫にもなったこの写真集が有名だ。本、レコード、服、靴などなど、自分がどうしても好きなものの集合体(文化的アーカイブ)を、どのようにして、家賃の高い東京で、高い効率で収納して一緒に暮らすかを実演した部屋が、競うように並んでいて面白かった。

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

TOKYO STYLE (ちくま文庫)

 

 同じような趣向で、パリ暮らしの収納や間取りについてまで雑文を書き散らしていたのが、ボリス・ヴィアンだった。伝説の恋愛小説も含めて、生前はほとんど小説が売れず、売文稼業で糊口を凌いでいた時期が長かったらしい。彼自身が心臓に持病を抱えていて、(ある意味では胸に睡蓮が咲いていて)、39歳で心臓発作によりこの世を去ったため、代表作『日々の泡』の印象と相俟って、悲痛さに彩られた伝説の作家とされることが多い。

夢かもしれない娯楽の技術 (批評の小径)

夢かもしれない娯楽の技術 (批評の小径)

 

 ところが商業誌上で展開したエッセイはくだけきった文体で、笑いだしたくなるほどの親しみやすさに満ちている。

嘘つきだ、なんて騒がないでくれるかな。誓ってもいい、お話しした一切合財ぜんぶがうちの部屋には収まっている(…)

狭いパリのアパルトマンの因習的な間取りに困り果てて、当時パリにはなかったらしいロフト・ベッドを自作して、服やレコードを収納した顛末が書かれた後、翌週はこんな疑問視する投書が来たとでっちあげて、嬉々として反論に応じている。

(ロフト・ベッドのような)住居様式が一般化するとしたら、すでにややこしいことこのうえない医学の教育課程に、はしごを用いたアクロバットの実技試験を加える必要が出てくるのではありますまいか。(…)

 ごくまれに体の不調が起こった時も、医者はじつに気前良く、はしご遊びに応じてくれましたね。さらに言えば、高地の空気はおそらく非常に健康にいいんでしょう、医者を呼ぶようなことはまず起こりません。

 ロフト・ベッドで就寝場所の海抜が1メートルあがったところで、健康にはまったく影響がなさそうだが、こんな調子で「嘘つき君」という架空の人物を登場させて悪ふざけを書いていたら、あのメルロ=ポンティに怒られて、由緒ある文芸誌上から連載わずか数回で「嘘つき君」は追放されてしまったのだとか。

 ボリス・ヴィアンの『日々の泡』(1947)が書かれたのほぼ同じ時期に、日本では三島由紀夫の『盗賊』(1948)と大岡昇平の『武蔵野夫人』(1950)が」発表されたことを考えれば、ヴィアンがフランスの文壇から無視された理由がよくわかる。遠い日本までその流行が波及するほど、ラディゲばりの心理小説の流行が猖獗をきわめていたのである。その世界的な波を鎮めたのが巨人サルトルの『文学とは何か』(1948)だというのが、順当な文学史的説明になるだろう。

ここで言及した半藤一利が、知人の一人に「小説を詩で書くことが最も素晴らしく、その一流の仕事は堀辰雄の小説だ」という意味のことを教えられたと語っていた。その知人とは神西清。ラディゲの影響下にあった堀辰雄の支持者だったこともあり、ラディゲの一節をエピグラムに持つ大岡昇平の『武蔵野夫人』に卓抜な解説をつけている。論旨を要約するとこうだ。

スタンダーリアンだった大岡昇平が試みたラディゲ風の心理小説であることは間違いないものの、『武蔵野夫人』には3つの独自の特徴がある。一つ目は、乱倫とは真逆の「死に至る貞淑」が、風俗小説的な情趣を極端に抑制した筆致で描かれていること。二つ目は、復員兵の精神衛生の回復の物語でもあること。三つ目は、自殺者を生み出すような家族や人間関係の崩壊に合わせて、人間の領土を武蔵野の自然が圧倒してゆくさまが描かれていること。

驚くべきことに『武蔵野夫人」は、戦地で人肉嗜食すべきかどうか懊悩する敗軍の兵士を描いた『野火』の執筆や改稿の合間に書かれたのだという。そういわれてみれば、復員兵の「勉」によるキス・シーンには、えもいわれぬ軍人的な迫力がある。

 ヴェランダから呼ぶ声は虚ろな家の中に響いた。奥から物音がして道子の姿が暗い敷居に現れた。勉は真直ぐに彼女の体に行き着いた。

 道子の唇は抗わなかったが、支えるように勉の胸にあてていた両の掌には次第に力が加わってきた。ついに互いに顔を見分けられるだけ離れた時、勉は痩せて眼ばかり大きくなった彼女の顔にその不幸の全部を見た。

大岡昇平が批評上の流派を問わず畏敬を集めるのは、そのリアリスティックな表象能力が群を抜いているだけでなく、未曽有の敗戦を目睹した批評眼の犀利さがあるからである。例えば、高校の教科書にも掲載されている『俘虜記』は、主人公が敵国の捕虜となった体験が写実的に描かれているだけではない。敵国に媚びへつらう役回りの人間が仲間から憎まれたり、しかしその種の人間が味方の条件闘争を有利に導いたり、といった集団内の動的関係の諸相を描き出して、日本自体が「捕虜」となった「占領期の戯画」ともなるようにも書かれていることが、夙に指摘されている。

 一方に「石ころ」の秋山駿を置くなら、もう一方には「砂」の花田清輝を立ててみたい。大岡昇平三島由紀夫がフランスの心理主義小説の周辺から出発したのとはちがって、安部公房の文学的出発は花田清輝の強い影響のもとにあった。花田清輝は左翼系の文芸評論家で論争や戯曲や政治にも強かった才人だった。

花田清輝―砂のペルソナ

花田清輝―砂のペルソナ

 

 花田清輝の「砂漠について」という批評文が、安部公房の『砂の女』に影響を与えたことは有名だが、それにとどまらず、戦後まもない1946年、同時代を生きる作家の変身譚として、当時未邦訳だったカフカの『変身』を花田清輝は紹介している。

花田清輝の『カフカ小品集』の翻訳と同じ年に、安部公房の『壁』(S.カルマ氏の犯罪)は書き上げられた。二人は左翼思想の「同志」でもあった。

整理しよう。

 昨晩、世界性を獲得した日本語文学の共通性を、①オリエンタリズム、②世界文学への精通、③寓意性、④アイデンティティ模索の主題、⑤エロティシズム、⑥同時代パラダイムへの返答能力(responsibility)と暫定的にまとめてみた。

安部公房に該当するのは、②③④⑥だろう。もう一度新潮文庫の裏表紙の惹句を思い出してもらいたい。あそこに並んでいたのは「突然自分の名前を喪失してしまった男」「現実での存在感を失った」「自らの帰属すべき場所を持たぬ」「不条理」「そして……。」「寓意」「孤独」「実存」。

「そして……。」の部分に省略されているのは、最終的に主人公自身が「壁」になってしまうという結末だ。

この記事で、アルチュセール今村仁司の陣営が「疎外論人間主義一辺倒だった当時の思想界において、アルチュセールの登場がいかに新鮮で救い」と感じたかに言及したが、花田清輝安部公房の陣営は、ちょうどその反対側にいて、疎外論人間主義的な左派主流系のパラダイムに適合した作品を送り出しつづけていたのである。

④というパラダイムのもとで⑥の責任を果たしたのには、共産党員だった花田清輝(や野間宏)への感化があったにちがいないし、②の世界文学への門戸は彼のカフカの紹介によって開かれ『変身』を思わせる変身譚『壁』となり、③の寓意性も「アヴァンギャルドの水先案内人」たる花田清輝経由で知った岡本太郎やダリやブルトンに由来するのだと考えられる。

安部公房の偉大なる文学的功績を花田清輝の側に移転しようとして、こういうことを書いているのではない。彼の処女作『終わりし道の標に』を誰よりも早く評価した一歳年少の三島由紀夫が、中国の文化大革命に対して安部公房石川淳川端康成を誘って四人で抗議声明を出したことにより、安部公房花田清輝との「師弟関係」は崩壊してしまう。それから7年後、花田清輝が亡くなったとき、安部公房が葬式にも顔を出さなかったと聞いて、寂しくなってしまう。

文壇の誰と誰が仲が良かったとか、誰と誰が喧嘩したというような話はどうでもいい。しかし、小説は一人で書くものだというのは、誤った俗説だ。自分が生涯をかけた芸術作品に、生きた形で大きく寄与した存在に対して、人脈論的な齟齬から関係を切ってしまうのは、大きな蹉跌だったのではないかと、さしたる根拠もなく断言してしまいたくなる。

もう一例引けば、自分の考えていることが伝わりやすいだろうか。

自分の考える戦後文学の最高峰は大岡昇平の『レイテ戦記』だ。26歳年少の大江健三郎は、この小説に熱烈な解説を寄せている。

大岡昇平の世界

大岡昇平の世界

 

 そして僕の当のキャパシティーは、さらに励んでも、ついにこの作品のはらんでいるものをすべて汲みつくすまでには、おそらく生涯いたえりえぬだろう。そのような自己の生についての粛然たる反省もさそわれるほどの、『レイテ戦記』は日本現代文学が比較する例をほかに見出しえぬ巨大な作品である。

 読んだ人ならわかるが、『レイテ戦記』はあまりにも長大で、読み通すことさえ困難な小説だ。その困難の上にさらに緻密な読解を施す労をすすんで引き受けて、大江健三郎は丁寧にひとつずつこの小説の美質を拾い上げていく。

正確さへ向けた飽くなき書き直し、戦記的文体に口語を融合させた「異化」的文体、戦場における軍上層部や兵士たちの心理分析の卓抜さ、特に特攻隊の場面に如実な強靭な「複眼思考」、この小説の明察が持つ近現代史へアクチュアリティ。……

 大江健三郎の『レイテ戦記』解説の詳細には立ち入らない。それよりも、自分がここで重要だと強調しておきたいのは、自分に深い感銘を与え、自分を大きく揺り動かした先行テクストに対する畏敬に満ちた情動である。この重要性には、文壇内人脈論において、大岡昇平大江健三郎が互いに高く評価しあっていたという互酬的事実は全く関係がない。 こちらを大きく揺り動かしてくる先行テクストの多くは、すでに死者となった存在によって書かれたものがほとんどだからである。

 この記事で、優等生が書きがちな「日本文学が世界性を獲得する条件①②③④⑤⑥」の模範解答の彼方で、作家が何を考えなければならないのかを考察した。しかし、あれらはドゥルーズ蓮実重彦のラインが思考してきたことで、いかにこの二人の固有名詞が巨大であったとしても、それが正解であるかは誰にもわからない。

訣別以前の安部公房花田清輝ラインは、優等生の模範解答とその彼方の両方を包含する領域へ向かって、こんな素描を提出している。最高傑作の『砂の女』が書かれた翌年に活字になったこの言葉には、確かに連続して生きている何かがあり、それが世界水準への文学的到達を可能にしたのだろうことを、読む者に実感させる。

私は、時代の狩人としての心構えを、花田さんから教えられた。普遍性が、いかに独創的なものでなければならないか、批評精神が、いかに創造的なものでなければならないか、また逆に、創造というものが、いかに批評精神に支えられたものでなければならないか(…)

上記の「模範解答の彼方に置くべき言葉」としても、シンプルではあるもののとても頑丈な骨の入った言葉だと思う。こういう関係性にある作家を幸福と呼ぶべきだろう。

そろそろ自分の「模範解答の彼方に置くべき言葉」を書かねばならない時なのかもしれない。

ドゥルーズ蓮実重彦ラインの、書かれる言葉が他者性に開かれ、それと同時に、書く者が他者性に開かれる状態が模範解答の彼方にあると自分は確信している。それらの他人の言葉に、自分は2つの変数を投入して、いくらか偏心を加えながら、小説や言葉を考えていくことになるだろうと思う。

一つは、これまでに無数に書かれた先行テクストは、他者の言葉であると同時に「死者」の言葉でもあること。一つは、自分の実存的限界から、それらが日本語であること、つまりは日本という「国」に深く関わりがあるだろうこと。

これらをまとめると「この国の死者たちのアーカイブ」というひとことになる。そして、それに対して三つの態度を実践しなければならないと感じている。一つは、それを畏怖し尊ぶこと。一つは、それに魂を燃やす火を点ぜられる可燃性。一つは、その火を継ぐこと。

いま述べた自分の答案には、さしたる独創性はない。そこに書いたような尊い実践がなされてきたからこそ、まだ文学は死なずにこの国に生きているのだろう。

ともあれ、「この国の死者たちのアーカイブ」に応接すべき態度を共有できる人々に遭遇できるなら、こんな幸福なことはない、という思いを、自分は打ち消しがたく抱いている。仮に並外れた異様な状況下で人が人を信じられなくなったとしても、媒介となる信念に決定的に信ずべき価値があると信じている同士なら、生ずるやもしれぬ現実的軋轢は最小のものにできるはずだ、とも。

夜の闇の中で、魂に点っている微かな光をよすがに、互いが互いを見分けて、それぞれ自分が大切にしているものについて語らい合うことができたら、その語らいを文字に遺すことができたら、自分にとってそれ以上の幸福はないと信じている。