国破レテ山河アリ
アクセルをベタ踏みして、何とか88マイルには達したが、思い描いていた未来へはとうとう到達できなかった。そんなニュースが飛び込んできた。
車好きで、同じデロリアンを所有していた映画評論家も、資金難から手放してしまったらしい。スーパーカー世代とも言われる世代は、少年心の中に乗りたい豪華車の一台や二台は抱いて、人生を歩んできた男たちなのだろう。しかし… Reality bites.
自分もその世代の一員なので、ご多聞に洩れず車好きだ。
この記事で書いた兎たちは、地方都市の道路上でも繁殖していて、LAPINという軽自動車が走っているのをよく見かける。最近特に多くなったのは、「活動家」を意味するHUSTLERだろうか。それでも派手な車に乗っている人を稀に見かけることがあり、風の噂で運転手の素性まで伝わってくることもある。
たぶんこの街には、フェラーリはゼロ台。見かけてもいつも県外ナンバーだ。数台走っているベントレーのうち1台は、隣町の開業医が乗り回しているらしい。ポルシェは、この地方でも人気車で、そのうちの一台はブティックホテルの経営者のもの。自分が東京にいたとき惚れていた当時の英国純血種XK8にも出遭うこともあって、昔の彼女に再会したような気になり、つい追いかけたくなってしまう。あの「ジャギュア*1」の持ち主がどんな人なのかはまだわかっていない。(現在は自分が偏愛を寄せる車は、まったく違う車になってしまった)。
ともあれ、この界隈でいちばん目立っているのは、何と言っても、温泉と文学の街には似つかわしくない爆音を響かせるランボルギーニだろう。
(ランボルギーニには一度も乗ったことがないので、引用した記事が正確かどうか自信がない)。
あの派手なランボルギーニを街角で見かけるたびに、「アベさんが好きだな」とか、「アベさんにもっと政治をやってほしい」とか、心の中で呟いてしまう。
おっと、いけない。ご本人もあのように「大変迷惑している」とおっしゃっている。誤解を招くようなひとりごとは慎まなければ。ケーキのフォレ・ノワールを生んだアルザス地方近くの森から現れたジャンヌ・ダルクではなく、「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」こと、阿部元県議会議員の話だ。
2011年、震災瓦礫の受け入れ自治体を国が募ったところ、日本一の受け入れ可能量を示して、勇躍元気良く挙手したのが、愛媛県。
それに対して、敢然と立ち向って議会で反対質問ができたのは、この人ひとりだった。
「復興のため、ガレキを受け入れよ」という県民に対して、徳島県知事は次のように回答しています。「放射性物質は、封じ込め、拡散させないことが原則」「東日本震災が起こる前は、国際基準により、キロ当たり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきた。しかし、国は従来の基準の80倍、8千ベクレルを広域処理の基準に転用して埋め立て処理させている。」「フランスやドイツでは低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1か所だけで注意深く保管されている。」
http://www.muse.dti.ne.jp/~hiroba/hibi201203gatsu/hibi20120320.htm
当たり前と言えば当たり前すぎるこの程度の話を、まともに政治の現場で展開できた人が、どれだけいだろうか。当時の彼女の日録を丁寧に読めば、それが数十年連れ添った家族との永遠の別れと並行して行われた偉業だったことがわかる。
勝手に付言すれば、放射能汚染された震災瓦礫の広域拡散には、上記リンク先の質問趣意書で強調されている「産廃利権」誘導だけでなく、放射能被爆の被害を意図的に全国へ拡散することによって、福島や東北の放射能被害とのコントラストを弱めることが意図されていたように思う。「そんなことくらいなら、全国各地で起こっている」。そのような誤魔化しと隠蔽の台詞が用意されていたようにも感じられるのは、3.11当時の首相の秘書を務めていた人物のこの発言に、一定の信憑性があると思われるからだ。この発言が100%嘘であることは考えにくい。事実、地方の瓦礫焼却の現場では、放射線線量の上昇や健康被害が報告されている。
幸いなことに、震災瓦礫の受け入れは実現しなかったらしい。おかげで、いくらかは平静な気持ちで、街角を疾走するランボルギーニを見守ることができるというものだ。乗り回しているのは地元の産廃業者の社長で、自分の記憶にはないが、小学校時代の同級生らしい。文字通り桁外れな彼の年収の噂も聞くが、別段、仕事で稼いだお金で誰がどんな車に乗ろうとかまわないと思う。その仕事で、誰かが回復不能なほど深く傷つくことさえなければ。
人間の倫理感覚の発達は、自身の経済力に比例する部分があるとも言われる。平均して年収約600万円に達すると、社会貢献意欲が芽生えるのだとか。その閾値に多少の個人差があるのは当然だろう。その「多少」が十数倍の差になることもあるのか、そんな極端なことはめったにないのか、そんな問いを練習問題として考えながら、一人でも多くの人々が何らかの形で社会貢献する瞬間を持てたら良いと思う。
この記事で、アフガンの地で用水路建設に専心した中村哲医師のことを書いた。中村医師は、宮沢賢治にゆかりのある「イーハトーブ賞」を受賞している。宮沢賢治は詩人や童話作家であるだけでなく、地元の貧農たちに稲作や肥料のやり方を指導する「活動家」の側面も持っていた。その側面に対しては「イーハトーブ賞」、文学的な業績に対しては「宮沢賢治賞」という風に二分割して、賢治に連なる人々が顕彰されているらしい。
その受賞歴の記録から、『宮沢賢治とディープエコロジー』なる書物が世に問われたことを知った。環境問題やエコロジーの観点から宮沢賢治が注目されるのは、環境思想の源流となったエマソンーソローの系譜の自然観と、賢治の世界観に共通性があるからだろう。
エマソンは『自然』の中で、「大霊」という概念を持ち出して、こう語っている。
大霊(oversoul)という神性は自然全体にも備わっていて、人は自然を愛し、文明の束縛から自由になったとき、はじめて、自然の神髄である知恵と力と美に近づくことができる
「大霊」という概念はソローにも受け継がれていて、自然界にある動植物を通じて、それらの生命の中に隈なく浸透している大霊(oversoul)と交感することに、人間の生き方を見出していくべきだとソローは考えた。「超絶主義思想」とも言われるこの環境思想の立場から、宮沢賢治は意外に近い場所にいる。例えば、「種山ヶ原」のこの部分。
ああ何もかもが透明だ
雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに
風も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され
じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で
それをわたくしが感ずることは
水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ
ヘッチヘッチ論争にみられるように、現代の環境思想においては、しばしば「人間中心主義」と「生態系中心主義」の対立が顕在化しており、功利主義的な資本主義社会において前者から後者へ移行することの困難が語られることが多い。一部のディープ・エコロジストの中には、「人間が完全に存在しない方が環境に良い」という極端な主張をする論客もおり、それがまた折り悪しく1%グローバリストによる「人口削減計画」の奸計と親和性をもっていたりもするので、どうにも厄介だ。
そんな中、人間の生命と人間以外の生命体を渾然一体たるものとして捉える宮沢賢治の世界観には、自然と人間とを関係づける諸思想のうち、両極への極端な針の揺れを伴わない揺るぎのない強靭さがあるので、魅力的に見える。いずれにしろ、日本の環境思想が、宮沢賢治をその源流として、歴史づけられるべきなのは間違いないだろう。
さて、震災瓦礫が持ち込まれる予定だったのは、「杉丘市」の隣町だった。その隣町の美しい自然に魅せられて移住し、宮沢賢治にも通じる自然への繊細な感性に動かされて、自然を記録した紹介動画を作っている人を発見した。
RAPT | Welcome to TOON CITY「愛媛県東温市」のイメージビデオを作りました。
この隣町はまた、「となり町戦争」のロケ地にもなったことでも知られている。
3.11東日本大震災と原発事故、その情報をも隠蔽可能な秘密保護法案の成立、まもなく間違いなく来る金融恐慌、そこで勃発するやもしれない戦争、その後の窮乏で蜂起するだろう反政府運動を取り締まるための共謀罪法案通過。……
シナリオは着々と進められている。
映画「となり町戦争」の役場担当者による人を喰った「広報」ぶりが面白かったので、少しだけパロディー化を施してみた。
Q なんで戦争やってるんですか?
A それは町の活性化のため、つまり町おこしの一環です。Q 誰が戦っているんですか?
A 自治体規模の戦争に国家公務員は参加できません。志願していただいた一般町民です。Q ・・・・・・・・・・・
A 他に質問がなければ、戦地へお向かいください。
以上が元のやり取り。日本の現状に当てはめてアクチュアルなやり取りに改変するなら、こんな感じだろうか。
Q なんで戦争やってるんですか?
A 軍産複合体の活性化のため、つまり「死の商人」たちの金儲けのためです。Q 誰が戦っているんですか?
A 超国家的存在である1%グローバリストは、国家間の戦争に参加できません。私たちは兵器や軍資金を両国に同時に融通して儲けるだけです。戦場で戦うのは、その下位レベルの志願した一般国民です。Q ・・・・・・・・・・・
A 他に質問がなければ、戦地へお向かいください。
国破れて山河あり。そんな有名な漢詩の一節を呟けば、想起されるのはこれらの写真群だ。撮影者はポーランドの写真家。
戦後さまざまな局地戦で日本は敗れてきた。現在の私たちは、過去の私たちが思い描いていた場所へ辿りつけているのだろうか。現在の私たちは、いま思い描いている未来の場所へ到達できるのだろうか。
写真にあるこの国の美しい自然の一端を見つめながら、そんな問いを、私たちは、噛みつづけると苦くなっていく薬草のように、反芻しつづけなければならないだろう。