処女の自慰で川端を刺す

自分ほど明後日の見当違いの批判やら罵倒を浴びせられた人間はそう多くないのでは、という気がしていて、敵であれ味方であれ、そこに巻き込まれた人々の多くが、貴重な労力や時間が空費させられてしまったことを思い出すと、悲しくなってしまう。

蓮実重彦に幻惑されるのは田舎者の証拠」という浅田彰の言葉も、周囲からよくエアリプめいた手法で投げつけられた罵倒句だった。あれは浅田彰だから言える台詞なのであって、蓮実重彦を読み切れている自信がなければ、それがブーメランとなって自分に返ってくることすらわかっていないようだった。

「虎の威を借る狐は醜い」という虎の台詞を、その威を借りんとして、またぞろ狐たちが口真似をする様子は、なかなかに痛ましい光景だ。

そういう痛ましい狐たちに罵倒された場合、自分は激昂して対峙し、自らの批評的卓越性を顕示して、狐たちが返ってきた自分のブーメランでぶざまに倒れるよう、渾身のパンチを繰り出したりはしない。「素晴らしい毛並みですね」とか「未熟な私には到底届かない虎っぷりです」とか、空疎な社交辞令を口にし、踵を返してそのパーティーから立ち去るだけだろう。勝てる喧嘩でも、というか、勝てる喧嘩だからこそ喧嘩をしないというのが、大人の社交術なのだと思う。

2003年、処女ブログを始めたとき、人的ネットワークが次々に繋がって、何か素敵なことが始まりそうな予感が、ブログの周辺に立ち込めていた。あの素敵な未来形の生成変化に、彼も大人の態度でうまく加わればよかったのに。そうできていたら、お互いにとって、そして多くの人々にとって、この14年間がどれほど豊かな実りに満ちたものになっていただろうか、と溜息をつかずにはいられない。

まだ「天からの宿題」はつづいているようだ。それが行きずりの「博士」であれ、自らの示差的優位を強調するような文章はあまり書きたくないが、面白いものになることを願いつつ書き出してみよう。

太宰治の或る短編に、ふと「眩惑」という語彙が出現するのが見える。

 どうせ私は、おいしいご馳走なんて作れないのだから、せめて、ていさいだけでも美しくて、お客様を眩惑させて、ごまかしてしまうのだ。 

人を卒倒へ導く強烈な眩暈もあれば、 知らず知らずのうちに目の前にあるものが異なるものに変容して見えてしまう、きわめて緩慢な眩惑というものもある。自分が強く魅了されて、「贋作・女生徒」に似た形で2003年に書こうとしていた小説は、太宰治の「女生徒」に強力に触発されたものだった。「女生徒」には呪いにも似た人心を惑わす緩慢な眩惑がある。

青空文庫で読めるのはありがたい。wikipedia で作品の背景も確認しておこう。

太宰治 女生徒

「女生徒」(じょせいと)は、太宰治による1939年の短篇小説。『文学界』1939年4月号に掲載された。
 1938年9月に女性読者有明淑(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日を主人公の独白体で綴っている。思春期の少女が持つ自意識の揺らぎと、その時期に陥りやすい、厭世的な心理を繊細な筆致で描き出し、当時の文芸時評川端康成たちから激賞され、太宰の代表作の一つとなった。(Wikipediaより) 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

 

確認できた人から、いきなり最終場面に飛んで、太宰治が書き足した末尾の数行をじっくり読んでほしい。

おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。

この数行をどう解釈するかが、まずは読み巧者の腕の見せどころになる。今や休刊となった「国文学 解釈と鑑賞」で、ある研究者が「この少女と母が泥棒一家であるとすれば、最後の数行の記述は整合する」という意のことを書いていて、ソファーから転げ落ちそうになるくらい、可笑しさで身体がわなないてしまった。名字だけ覚えていたのを頼りに、今朝検索すると、何と太宰治研究の第一人者の解釈だったらしい。太宰の奇術に、すっかり眩惑されてしまってはいないだろうか。

あのような突拍子もない綺想のあとでは、凡庸きわまりない解釈のように聞こえて切ないが、そこに書かれているのは「シンデレラ=灰かぶり」ではなく、すでに婚姻可能な姫へと変貌した「シンデレラ姫」だ。ここでいう変貌とは、第二次性徴を中心とする少女の身体の成長だろう。独りで入浴する場面で、少女は自分の裸を意識して、このような独白を言葉にする。

いたたまらない。肉体が、自分の気持ちと関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。めきめきと大人になってしまう自分を、どうすることもできなく、悲しい。

「女生徒」のもとになった有明淑の日記の記述年齢は14歳前後。「少女」とは、妊娠可能となる初潮以後、社会的文化的に婚姻可能となるまでの滞留期間をいう。女性の大学進学の可能性がほぼなかった当時、高等女学校は「良妻賢母」を生み出すイデオロギー装置であり、卒業後の結婚が女学生たちの憧憬の的だった。「幸福は一夜おくれて来る」と少女が繰り返すとき、夜間時間帯指定で到来が待たれている「幸福」とは、「初夜」と呼び直してもかまわないのである。

しかし、テクストに虚心に目を凝らせば誰にでも見えてくるその解釈よりも、たとえ誤読であれ「泥棒一家」説の方がはるかに興趣が深く、ここは『続 明暗』 にも似た路線で「贋作・女生徒」を名乗って、誘拐事件含みで(日記文学ならぬ)ブログ文学を自分が書こうとしたのが、2003年の話。

今晩は自分の昔話よりも「女生徒」の分析を先に進めたい。

 先週会ったときよりも、今晩の「博士」は随分体調が良さそうだ。

太宰治「女生徒」試論 : 『有明淑の日記』からの改変にみる対川端・対読者意識 - 広島大学 学術情報リポジトリ

「女生徒」を論じる際に、どうしても避けて通れない特異点が、終盤に少女が自説を切々と訴えるこの場面にある。

 けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、いけないことだ。私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘うそのないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。 

 日記体で書かれているこの小説に、不意に闖入してくる二人称の「あなた」。「わるい」「あなた」とは、いったい誰なのだろう。

この短編を一読して感じられる「この少女は何かを隠している」という直感から、自分は自作上では、誘拐事件の計略を隠匿しつつ書いていたのに、その「秘密」がゆくりなくも露頭したという風に書こうと考えていた。

しかし、作家論的立場に立つ今晩の「博士」は、丁寧な論証で、その「あなた」が川端康成を指しているとする。川端康成芥川賞の選考委員として、太宰治の「道化の華」に「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」という選評を寄せ、怒り狂った太宰治が「あなたは文芸春秋9月号に私への悪口を書いて居られる」で始まる怨念にまみれたエッセイで反論したのは有名な話だ。そのエッセイが「あなた」の三文字で始まったことに留意しつつ、「事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。/小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った」という箇所まで読み進めれば、そこに「わるい」が立ち現れていることに気付くだろう。

太宰治 川端康成へ

今晩の「博士」がブリリアントなのは、「女生徒」の中で少女が振る舞う「ロココ料理」が、(「博士」はそう呼んではいないものの)、クリステヴァが『セメイオチケ』で「テクストのナルシシズム」と呼んだ「ミザナビーム Mise en abyme」となっているという指摘がなされているからだ。

紋中紋 - Wikipedia

わかりやすく言い換えれば、太宰治川端康成を意識して「女生徒」を書いているのと同じ状況を反映する形で、作中の少女が客に「ロココ料理」を作っているのである。これらを二重写しにしながら、ロココ料理の周辺を読んでいくと、太宰治川端康成に対するルサンチマンが、皿からあふれてどくどくと食卓の上へ溢れているのが感じられる。

あ、そうだ。ロココ料理にしよう。(…)どうせ私は、おいしい御馳走なんて作れないのだから、せめて、ていさいだけでも美しくして、お客様を眩惑させて、ごまかしてしまうのだ。
 いつもそうだが、私はお料理して、あれこれ味をみているうちに、なんだかひどい虚無にやられる。死にそうに疲れて、陰鬱になる。あらゆる努力の飽和状態におちいるのである。もう、もう、なんでも、どうでも、よくなって来る。ついには、ええっ! と、やけくそになって、味でも体裁でも、めちゃめちゃに、投げとばして、ばたばたやってしまって、じつに不機嫌な顔して、お客に差し出す。(…)

それでも私は、やっぱり弱くて、良夫さんにハムを切ってあげたり、奥さんにお漬物とってあげたり奉仕をするのだ。(…)
 何も、お高くとまっているのではないけれども、あんな人たちとこれ以上、無理に話を合せてみたり、一緒に笑ってみたりする必要もないように思われる。あんな者にも、礼儀を、いやいや、へつらいを致す必要なんて絶対にない。いやだ。もう、これ以上は厭だ。私は、つとめられるだけは、つとめたのだ。

「博士」の言うように、川端康成に「これ以上へつらうのはもう厭だ」という魂の叫びを、太宰治が白紙に刻んでいるように読めて仕方がない。

さて、一夜漬けの道場破りで、勝手に剣道の果し合いを申し込んだものの、今晩の「博士」は俊敏なのでやや分が悪い。何とか一本は返しておきたい。

 先ほど「女生徒」は一読して「この少女は何かを隠している」という直感がはたらく短編だと述べた。思春期の少女はその隠している何かを、まるで誰かに悟らせたいかのように、律儀に点綴している。

黙って星を仰いでいると、お父さんのこと、はっきり思い出す。あれから、一年、二年経って、私は、だんだんいけない娘になってしまった。ひとりきりの秘密を、たくさんたくさん持つようになりました。

それに、このごろの私は、子供みたいに、きれいなところさえ無い。汚れて、恥ずかしいことばかりだ。くるしみがあるの、悩んでいるの、寂しいの、悲しいのって、それはいったい、なんのことだ。はっきり言ったら、死ぬる。ちゃんと知っていながら、一ことだって、それに似た名詞ひとつ形容詞ひとつ言い出せないじゃないか。ただ、どぎまぎして、おしまいには、かっとなって、まるでなにかみたいだ。 

 あれ?と、最初の引用部分で少し違和感を感じてほしい。「いけない娘」になって「ひとりきりの秘密」を持つようになるのは、思春期の少女にはよくある話。凡庸な書き手なら、それが片思いであれ、両思いであれ、男の子との恋愛沙汰だとして書いていくはず。次に、その男の子が亡くなった父にどのように似ているかへ、筆が進むのが普通だ。しかし、太宰はその「いけない秘密」を少女が「たくさんたくさん」経験していると書いている。どうも恋愛ではなさそうだ。

二つ目の引用部分では、まず「ただ、どぎまぎして、おしまいには、かっとなって、まるでなにかみたいだ」と書いてある「なにか」が何に似ているかを考えてほしい。少女が名詞ひとつ形容詞ひとつ言い出せない、「はっきり言ったら死ぬ」ほど、「汚れて、恥ずかしいこと」とは何だろう。

答えは出た。少女は「薔薇色のセクス」(大江健三郎)を習慣的に慰める「秘密の習慣」を持ち始めたのである。

ここで、さすがは太宰、独自のエロティックな視線で生々しい少女像を描き出している、と立ち上がって拍手してはいけない。座り直して、もう一度ロココ料理の周辺へ思いを馳せよう。「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す」とまで感じた川端康成に、太宰治は「お客様を眩惑させて、ごまかし」つつも、「それでも私は、やっぱり弱くて」「奉仕をする」ことを選んでしまっているらしい。

贈り物は贈る相手の嗜好を考えて選ぶものだ。

川端康成の最高傑作の一つ「眠れる美女」は、薬で眠らされた処女の裸を老人が弄ぶ話だった。太宰治はその川端へ宛てて、「処女の自慰」を潜在的な文脈に織り込んだ「女生徒」を贈与したのいにちがいない。それと気づいたかどうか、川端康成は太宰の「女生徒」を激賞した。

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

 

 しかし、それは「贈与」と呼べるものだったろうか。「小鳥を飼い、舞踏を見る」生活への批判程度では到底済まない川端の性的奇癖を、多少の「眩惑」をほどこしつつも、衆人環視のもとに出現せしめ、「わるいのは、あなただ」という解読可能な暗号でその宛先まで書き込んだ太宰にあったのは、「処女の自慰」を贈って川端を「刺す」、という怨念のこもった強い「殺意」だったのではないだろうか。性的嗜好の核心を突かれているだけに、贈られた川端も対処に困る。表だって喜ぶことも怒ることも難しい。

太宰の遺作に引っかけて想像すれば、川端康成からの批判に対して、川端好みの処女のエロスを仕込んだ贈答品を差し出しつつ、内心では「おやおや、恐れ煎り豆。わあ! 何という下衆な性癖」とおどけて「グッド・バイ」を告げる縁切り状をも、同時に手渡したことになるだろうか。この「グッド・バイ」の残響が、「女生徒」の末尾にかすかに残っているのが、読み取れるような気もする。

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。