8.12℃のほろ苦い融点

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

宮沢賢治の「風の又三郎」の冒頭を読むと、必ず英単語の一群が頭に浮かんでくる。

attitude, altitude, latitude の三つで、和訳もそれぞれ、態度、高度、緯度だ。何なのだろう、吹き寄せてくるこの「ど」の疾風は。

「緯度」と云えば、松山市道後にできたチョコレート屋さんが「33.8」という店名を名乗っているのは、その地が北緯33.8度にあるかららしい。

「Bean to Bar」を合言葉に、輸入したカカオ豆から始めて、焙煎や粉砕や石挽きや成型などの複雑なチョコレート製造工程を自社で手掛けており、地元の耕作放棄地に手を入れて、江戸時代に盛んだったサトウキビ栽培をよみがえらせて、その黒砂糖をチョコレートに使っているのも好印象だ。

チョコレートには甘い逸話が多く語られてきた。舌の上で溶かすと、脳がディープキスの4倍の快美感を感じるという実験結果も出現し、好きな人にチョコレートを渡すために大量にチョコレートを消費するという2月の国民的商業慣行に、科学的裏付けがあるとも喧伝された。

この記事で、世界的なショコラティエジャン・ポール・エヴァンを紹介したが、あの高級ブティック内にあるようなチョコレートと同じくらい美味なのが、稲垣足穂の短編群だ。デビュー作は「チョコレット」。

代表作の『一千一秒物語』は、世にある「少女趣味」という有力ジャンルに対抗して、「(少年愛を含む)少年趣味」という新しい処女地を開拓した記念碑的作品だろう。三島由紀夫が絶賛したのも頷ける話だ。といっても、その短編群にエグ味は少しもなく、少年らしいあどけなくて可憐な空想に満ちた小品揃いだ。

一千一秒物語 (新潮文庫)

一千一秒物語 (新潮文庫)

 

ごく短い一編を引くと、こんな感じ。

ある夕方 お月様がポケットの中へ自分を入れて歩いていた 坂道で靴のひもがとけた 結ぼうとしてうつ向くと ポケットからお月様がころがり出て 俄雨にぬれたアスファルトの上をころころころころとどこまでもころがって行った お月様は追っかけたが お月様は加速度でころんでゆくので お月様とお月様との間隔が次第に遠くなった そうしてお月様はズーと下方の青い靄の中へ自分を見失ってしまった

こんな絶品のあどけない短編をゆっくり賞味するのも、素敵な時間の過ごし方だと思う。

しかし、事情通は、チョコレートの甘くない話を口にすることが多い。南北問題の発信地アフリカでは、誘拐まがいの手口で徴用された児童が、カカオ農園で奴隷のように働かされている事例が珍しくない。

 2000年に公開された「Slavery: A Global Investigation(仮訳:奴隷制度・世界的な調査)」というドキュメンタリーでは、チョコレート産業と子供の奴隷によるカカオ豆の収穫という深い闇の関連性について明らかにしています。

コートジボアールの当局によって奴隷の立場から逃れることのできた19人の子供の保護者は、当時の子供たちは毎日、夜明けから日暮れまで働かされた上で毎晩、鍵のかけられた小屋の中に閉じ込められた後、排尿のためのブリキの缶を渡されて服をもぎとられ、縛り付けられて定期的に暴行を受けると言う日常を、チョコレート製造企業に伝えました。

そして、数千人もの子どもたちがマリやブルキナファソトーゴなどの国からわずかのお金のために両親から買い取られ、あるいは一部にはあからさまに奪い取られ、コートジボワールに船で運ばれて同国のカカオ豆農園で奴隷とされるまでの経緯も伝えました。 

このように遠くアフリカで搾取されているカカオ農園の児童を救うべく、チョコレートの広義のフェアトレード運動を展開し始めたNGOがある。

ペスカトーレ」信奉者だとか、テクスト神秘主義者だとか、しばしばありもしない誤解を被るので困ってしまうが、自分は社会の中に置かれた芸術が、どのような人々に、どのように働きかけて、どのような変容をもたらすかを主眼に、芸術を考えるタイプだ。

その私的観点から見ても、ややわかりやすすぎはするものの、「芸術の力で世界や社会を変えよう」とするプロジェクトは、同じ場所で谷川俊太郎が作り上げた絵本と同じく、積極的に肯定したい種類の芸術だ。細部に神が宿るように、芸術に政治性は宿っているのだから。

 このNPOはカカオ児童労働問題に取り組んでからわずか3年で、大手製菓メーカーを巻き込むことに成功した。素晴らしい実行力だと思う。

アフリカのカカオ農園で搾取されている児童を救う話の後は、この国のお菓子たちの背後にある暗い話になる。森永製菓は、周知のように、グリコ森永事件の被害者だ。

けいさつのあほども え

 という書き出しで始まる脅迫状やら社長誘拐やら株価の乱高下やらで、テレビ局はすっかり電波ジャックされてしまったので、当時の騒動を鮮明に覚えている人は多いことだろう。

事件は集結し、迷宮入りとなった。では、グリコ森永事件がどのようにして終わったかを、正確に記憶している日本人はどれくらいいるだろうか。身代金を何度も「奪い損ね」て、犯人が「もう許したる」という終結宣言を発表したのは、1985年8月12日だった。

敗戦記念日の3日前の8月12日。毎年その日に、私たちはどのような映像をテレビで目撃するだろう。自分の頭を使って情報と情報を正確に連結できる人々が、この国にはどれくらい残っているだろうか。もう一度言う。8月12日だ。

8・12連絡会〜日航ジャンボ機 御巣鷹山墜落事故 被害者家族の会

 頭の中で何かがピンと閃いた人は、以下の秀逸な記事にぜひ目を通してもらいたい。

RAPT | グリコ森永事件とJAL123便墜落事故との奇妙な関連性。グリコ森永事件の真の黒幕は誰か。

冒頭で言及した「33.8」というチョコレート屋は、所在地の松山市道後の「緯度33.8度」だけではなく、偶発的に一致した、チョコレートの融点である「摂氏33.8℃」をも、その命名に織り込んだのだという。

この国の人々を何重にも囲繞している偽情報の壁が溶かし落とすには、例えば偶発的に一致したかに見える「8.12」の背後に広がっている「裏真実」に触発されて、人々がさらに強く真実と生き残りを熱望する必要があるだろう。

その「独立」記念日が到来するまで、日本人が口にするチョコレートは、70年前に占領軍にお情けでもらった施しものと同じく、永遠に苦いままだろう。