「遅すぎるチョコ」がずばぬけてさびしい

 ずばぬけてさびしいブルーな気持ちにさせる噂がある。

不正な招致活動が暴かれて、東京オリンピックが中止になるかもしれないという噂が、一向に絶えることがないのだ。

私は、ブエノスアイレス国際オリンピック委員会(IOC)会場で、2013年09月8日未明(日本時間)、IOC会長のジャック・ロゲ伯爵が、このボードを掲げた映像が流れた瞬間、「このオリンピックは実現しない」と確信したのです。

東京五輪中止をすでに2013年に予測していた、と「快刀乱麻の天才論客」が1%たちのオカルティズムまみれの奸計を分析して述べたかと思うと、3.11以前に「陸前高田…」という声が聞こえるとして、東日本大震災の到来を予言した霊能者の松原照子が、2015年4月に「東京五輪は開催されない」と予言までした。

それらの先駆者たちの「予言」を裏付けるかのように、2015年5月、招致活動の贈収賄が証明されて東京五輪が中止になった場合は代替開催を引き受けると、ロンドンが言い出したのには驚いた。その贈収賄の捜査がきわめて緩慢で、まるで東京五輪整備の巨額の金が動き切るのを待っているかのような風情があるので、ロンドン代替開催が予め諜し合わされていた出来レースなのではないかと疑う余地が、ますますふくらんでしまう。いまだに捜査は継続されている。

それと関係があるのか、ないのか、東京五輪の約5000個のメダルは、すべて「都市鉱山」から回収した携帯電話やパソコンからリサイクルして作ると東京五輪組織委員会はぶちあげたのだが、予定されていた回収開始時期をすぎても、「都市鉱山」の「発掘」はなぜか始まっていないようだ。大丈夫なのだろうか。

メダルとなる金、銀、銅など以外にも、レアメタルと称される金属群があって、コバルト、ネオジウムタンタルなどが、都市鉱山の廃家電からリサイクルされるのを待っている。求められる数や量は少ないが、電化製品づくりには欠かせないことから、レアメタルは「金属のビタミン」とも称されるという。

さて、東京五輪よりも早く、その音源演奏の場を「世界」に轟かせた男がいる。ビタミンいっぱいの元気なアイドルメタルを創出した KOBAMETAL だ。彼がコンセプターとなって完成させた「ギミチョコ!!」の歌詞が、世界のファンの間で論争になっていたので、引き込まれて読んでしまった。

世界の注目が Baby Metal に集中しているのを肌で感じたのは、彼女たちがメタル・アンセムPainkiller」を、ロブ・ハルフォードと共に熱唱している動画を見たとき。SU-METALが高音パートを取って、メタル・ゴッドとハーモニーを響かせている様子は、利発な孫娘が偉大な祖父と共に過ごせる短くて幸福な季節を楽しんでいるように見えて、どこか感動的だった。

その後も Baby Metal の快進撃は続き、レッチリメタリカ、ガンズ、レディーガガのサポートアクトに起用されたというのだから、これはもはや世界的事件というしかない。全米チャートでも、坂本九以来のヒットを飛ばしたらしい。私たちが坂本九をつらい形で失ったことは、この記事に書いた。

さて、「ギミチョコ!!」の話だ。先に曲と歌詞を確認してほしい。

http://www.azlyrics.com/lyrics/babymetal/gimmechocolategimmechoco.html

先の掲示板では、かなり白熱した論戦が発生している。

一方が、「ギミチョコ!!」という曲に、敗戦後に占領軍の兵士からチョコレートをねだった民族的記憶が織り込まれているという解釈を主張し、もう一方がそれに真っ向から反論して、現代の少女世代にそのような民族的記憶があるはずはなく、「食べたい、でも、痩せたい」の思春期的葛藤があるにすぎないと主張しているようだ。自分の愛する偶像が、特定の政治的文脈に絡めとられることに対して、防衛的になるファン心理がそこに生まれたとしても、共感できないわけではない。

自分はと云えば、この論争を知らないうちから、チョコレートについて、いささかほろ苦い政治的文脈を際立てた記事を書いた。

当然、占領の記憶とつながった前者の解釈を支持すると言いたいところだが、事態はそれほど単純ではないような気がする。

もちろん、0:35からの YUIMETAL と MOAMETAL のダンスは兵士の敵地観察のように見えるし、歌い出しの「あたたたたた」「わたたたたた」とアニメキャラが足元を威嚇射撃されたときのような慌てぶりは、わかりやすく「ずっきゅん!」「どっきゅん!」という銃声に回収される。さらに、2:45からの同じ歌詞部分は、ダンスが直接的な表現に近づき、もうそれは走りながらの銃撃にしか見えないし、続くサビ部分の3人の振りは「毛筆の縦書き」で、これは戦前の書記法を想起させずにはおかない。

しかし、KOBAMETALBaby Metal について、「『エヴァンゲリオン』のように謎の場面を謎のまま残す」ことをそのコンセプトに含めているらしいのだ。その「謎の宙吊り」コンセプトに、上記のファン掲示板の中で最もハートウォーミングな「3人の少女にあれほど細心の配慮をしてきたKOBAMETALが、そのような政治的に危険な含意を曲に持たせるはずがない」という書き込みを足し算して、インタビューでBaby Metal 本人たちが「チョコを食べたい気持ちを歌っただけの曲」と完全な防衛線を張って説明しているという事実を加えれば、「ギミチョコ!!」は、二通り(以上)に解釈できるよう、あらかじめ仕組まれた曲だと考えるのが妥当だろう。

上記で細かく指摘した双眼鏡や銃を使った兵士的ダンスだって、「思春期の少女にとって、食い気と色気の相克はまさに戦場なのです!」という簡単な弁解で、完全に政治性を排除して防御できてしまう。あらゆる文脈は手配済みだ。

となると、あのチョコがいつの時代のチョコなのか、から、もう一段奥へ踏み込んで、世界を取った Perfume のようになるべく、世界を目指そうとする日本人グループとして、KOBAMETALBaby Metal にどのようなメッセージと「謎」を発信させようとしたのかを、その奥にある疑問として考えたくなってしまう。

つまり、日本人が世界の人々に「ちょうだい!」と少女言葉で求めているチョコとは、何を象徴しているのだろうか?

「謎は謎のままに」がその答えなら、あらゆる解釈に正解はなく、ここから自分が書く解釈も、永遠に個人的なものにとどまるだろう。

まず間違いなく、それは、江崎グリコの社名の由来がグリコーゲンである事実と同じ文脈にあるような、敗戦直後の子供たちを襲った栄養失調を解消する栄養源ではないだろう。では、経済力? 否。では、軍事力? 否。日本はすでにアメリカの「核の傘」の下にいる。

 おそらくこの謎に答えを出すには、chocolate と too late という二つの表現の間にある道筋をとらえなければならないのだろう。共に "-late" という4文字を含みつつも、両者の発音が異なる(chocolate は稲垣足穂の処女作「チョコレット」に発音が近い)こともあって、両者は押韻論的というより意味論的に結びつきやすい。つまり、「Too Late Chocolate」=「遅すぎるチョコレート」のように。

KOBAMETAL は早稲田の政治経済学部出身で、戦後復興の2バウンド目、第二次ベビーブーム世代の生まれらしい。そのことは同時に、肉親である祖父母が戦争を体験し、その肉声を伝え聞いた最後の世代にあたることを意味している。私も同じだ。

戦争体験を肉親から聞いた最後の世代が、世界の人々に求める「遅すぎるチョコレート」とは何だろう?

それは、敗戦後70年経っても得られていない国連憲章の「敵国条項の解除」しかないのではないだろうか。

この解釈は、同じ世代、同じ大学、同じHM好きであることの共感を梃子にした、私の牽強付会にすぎないのでは? そんな声も聞こえる。いや、しかし、仮に無意識のうちに自分がそのような劇を演じていたのだとしても、「ギミチョコ!!」が発表されたのと同じ年に、同じく10代の若者でも楽しめる本として、「日本がなぜ基地と原発をやめられないのか」を、世界で日本だけが「敵国」として扱われているという厳然たる事実に求めた本が世に問われたという偶然を、祝福したい気持ちがとまらない。 

 ネット上では、ほぼ同じ立場の主張を、この記事で読むことができる。 左派も右派もこの国の特殊性を真剣に突き詰めれば、同じ場所に逢着するのだろう。

United Nations は「国際連合」ではなく「連合国」であるのが実態で、枢軸国かつ敗戦国の日本は、世界で唯一「敵国条項」の該当国なのである。

敵国条項とは、国連憲章第53条、第77条1項b、第107条に規定されている。その内容を端的に言えば、第二次大戦中に連合国の敵国であった国が、戦争の結果確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を科すことができる、としている。

つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した、先の国連憲章51条の規定には縛られず、敵国条項に該当する国が起こした紛争に対して、自由に軍事制裁を課する事が容認されるのである。さらに言えば、これらの条文は敵国が敵国でなくなる状態について言及していない。

そのため旧敵国を永久に無法者と宣言したのも同様であり、旧敵国との紛争については平和的に解決義務すら負わされていないとされている。従って、敵国が起こした軍事行動に対しては話し合いなど必要なく、有無を言わせず軍事的に叩き潰してもよろしいということになる。

国連憲章上では死文化しているともされるが、それを不気味な文脈で活性化しようという動きもある。敵国条項を解除しなければ、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高くなることは間違いない。

白井聡が『永続敗戦論』という名で呼ぼうとしたものは、あの優れた一冊の書物以上に、はるかに巨大で暗い空に似て、この国の人々の頭上に垂れ込めているのである。私たちはまだ、連合国United Nationsに「遅すぎるチョコレート」を乞わねばならない敗戦後を生きている。そういうほかない。

気分は、KOBAMETALならぬ、レアメタルのコバルト・ブルーだ。頭痛までするので、誰か鎮痛剤painkillerを持ってきてくれないだろうか。

「ずばぬけてさびしい」この気持ち。かつて或る歌人に「ずばぬけてさびしい」という独自の形容をどのように発想したかを、直接質問したことがあった。そのとき丁寧に答えてくれた彼女の真摯な言葉への姿勢とは似ても似つかないが、この「遅すぎるチョコレート」にまつわる情報が広く拡散されることを願って、こんな疑似本歌取りを試みておきたい。

国連連合国だと知ったから八月十五日は「敗戦」記念日