「東京物語」を紡ぎつづけるために

ジョン・レノンのことを調べていたとき、ジョンが幼少時の精神的外傷をさらけ出したような歌に出会って、少し当惑を感じた。実の父が蒸発し、母が他の男と暮らし始めたのは、小学生になるかならないかのことだったらしい。両親に捨てられた複雑な生い立ちが、『ジョンの魂』の幕開けを飾る「マザー」の歌詞には反映されている。

それにしても、ジョンの絶叫ぶりは尋常ではなく、幼児が書いたような歌詞の単純さも只事ではない。

調べてみると、当時のジョン・レノンプライマル・スクリーム療法に入れ込んでいたらしい。意識下に抑圧されている幼少時の「原初の叫び」(精神的外傷)に患者を直面させ、それを何度も反復体験させることで、その解消を図る心理療法。それを念頭に聞くと、確かに幼少時の精神的外傷が声の形になって、こちらへ伝わってくるような気がする。

精神的外傷を被った幼児たちの無音の叫び。

悲しいことに、現在の日本では、叫びを心の奥に抑圧して無音化するならまだしも、存在自体が消されてしまう子供たちも少なくない。 

ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書)

ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書)

 

5歳児が死後7年間も白骨化したまま放置されていた事例や、 生きていても18歳まで親に監禁されていた少女など、社会から「消された子供たち」の事例が記されている。現在はまだ割合が少ないものの、ひとり親が精神障害を発症したり、生まれてきた重度障害の子供が捨てられたり、といった悲惨な事例も今後増えそうだ。

そのような子供たちの無音の悲鳴にどこか似た響きを立てながら、つい最近立て続けに3冊の新書が出版された。どれもが少子高齢化によって日本が沈没していくことに警鐘を鳴らす本だった。とうとう、日本が意識下に抑圧してきた無音の悲鳴が、人々に聞こえ始めたのだ。

縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)

縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)

 

この本(以下①)には、2014年に発表された「消滅可能性都市」や、破綻した北海道夕張市の深刻な困難など、主流メディアのテレビ向きの素材が集まっている。映像の取材から派生してできた本なので、遠い未来を見定める遠望力には欠けているが、リアリティに満ちている。  

限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択 (朝日新書)

限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択 (朝日新書)

 

 この本(以下②)は、日本が少子高齢化から「稀子超高齢化」へと進行していき、人口推計ピラミッドが「棺桶型」になるので、「最終選択」は移民制度の拡充による移民の受け入れしかないと主張している。著者の頭の中には、移民を積極的に受け入れる「多文化共生型の美しい日本」があるようだ。

 この本(以下③)には、「未来の年表」という書名通り、日本の近い未来から遠い未来まで、現在の人口学が日本のどのような戦慄すべき姿を予言しているかを描き出す。てっきり誤植だと思って二度見してしまったのは、「西暦3000年には2000人」という小見出し。2000万人ではなく、今から1000年後には、日本は本当に2000人になるのだ。もちろん、それまでにやすやすと外国に侵略されなければの話だが。

1000年後の話が遠すぎるというのなら、2050年では? 2050年には、国土の2割が無居住化して、人口構成の少子高齢化と相俟って、国防や治安や防災の機能が著しく低下し、国家破綻リスクと隣り合わせの国となっているという。 

ヤバイよ、ヤバイよ、リアルにヤバイよ。

というよく耳にする物真似を、日本人全員が口真似をしなければならない不幸な日を、私たちはとうとう迎えてしまった。この国が民族の奥に抑圧してきた無音の叫びは、たとえそれがどれほど耳障りであれ、まずは「けたたましい危機意識」としてリアルに出現しなければならない。

というのも、とうとう日本が声に出してあげた「3冊の悲鳴」に、危篤状態の日本を救うまともな処方箋がほとんど示されていないからだ。

①は、驚くべきことに「処方箋は思いつかなかった」というのが結論だ。公務員ではないにしても、広義の public servant である報道機関の彼らに、まさか「試合放棄宣言」を聞かされるとは思ってもみなかった。毎月の「チケット代」は払い戻してもらえるのだろうか?

②は、副題通り「人口減少で日本が迫られる最終選択」として、移民政策を積極的に推進するのが主旨。「生産性の向上で少子高齢化を切り抜ける」論よりも現実性は高そうだが、著者の信じるリベラルな多文化共生理念が、あまりにも美しすぎる嫌いがある。遺憾ながら、世界は野蛮すぎるジャングルだ。しらずしらずのうちに敵の術中にはまってはいないだろうか。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる

 

第一段階 「 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳 」

第二段階 「 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導 」

第三段階 「 教育の掌握。国家意識の破壊 」

第四段階 「 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用 」

第五段階 「 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う 」

最終段階 「 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量移住で侵略完了 」 

 勘違いしないでほしいのは、日本が大量に移民を受け入れたら、上記のような「日本乗っ取り計画」が発動されるから恐ろしいと不安がっているのではなく、少子高齢化を含む現在の日本の国力脆弱化が、「乗っ取り」意図を証明するかのごとく、ぴたりと上記のロードマップ通りに進行しており、その最終段階に来ていることが恐ろしいと自分が述べていることである。

 ②が左派なら、③は右派の書き手によるもの。右派なら国を守る処方箋を提示してくれるに違いないと期待して、10の処方箋リストを読み進めていくうちに、頭痛がして頭を抱えてしまった。③の著者自身が、10の処方箋のうち9までが、少子高齢化による衰亡への緩和策でしかないと認めている。残る1つの「第3子への1000万円支給」も、予算分捕り合戦の政治的現場で、勝ち残っていく予感があまり感じられない。

 万策尽きたのか。

私たちは、昭和の誇る伝説的名女優の原節子が、その血脈の下流に「ヤバイよの人」を持ったというトリビアを楽しんだのみで、永遠に第二第三の原節子を持つ民族史的な豊かさを失ったまま、世界に冠たる「東京物語」を終焉させてしまってよいものだろうか。日本がリアルに終了するのを、手を拱いて座視していてよいものだろうか。

生き残らなければならない。

そう心中で呟きながら、ここに差し出したいのが、「世代会計」という新しい会計概念だ。

孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本 (朝日新書)

孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本 (朝日新書)

 

この新書が出た頃に読んで、「世代会計」は必ず日本の論客たちの主張ツールになると確信したのに、なぜだかそうはならなかった。ネーミングがいまひとつだったのかもしれない。世界最悪の世代間格差のある日本に限定して、「国家持続可能会計」とでもリネームしてはどうだろうか。ちょうど、人文諸学で使われていた機会主義という概念が「今だけ、金だけ、自分だけ」というグラスルーツ発の標語に言い換えられて、人口に膾炙するのを狙って。

そして、ご想像通り、「国家持続可能会計」と「今だけ、金だけ、自分だけ」は、厳しく対立する反対概念なのである。

それにしても、この新書の仕上がりは、かなり秀逸だと感心してしまう。

前書きも良い。政治権力を持つ老人世代が、政治権力のない孫世代や曾孫世代へ向かって、「(本当は自分達の建設利権を潤すためなのに)わしらがお前らのために道路やダムをたくさん作ってやったぞ、予想外に金がかかったがのう」「(本当は自分たちの世代を利する不公平なものなのに)『百年安心』の社会保障制度も、わしらがおまえらのために作っておいたからのう。お前らは払うだけは払ってくれよ」と呼びかけるのは、「わしわし詐欺」でしかないと断じる。それはそうだろう。そのせいで、将来世代は一億円以上の借金を背負って生まれてこなければならないのだから。この酷すぎる凄まじい事態を、世代会計の創始者コトリコフは「財政的幼児虐待」と呼んでいる。もちろん、「財政的幼児虐待」の世界トップランナーは日本だ。

 世代会計は、1990年代に基礎が固まった新しい学問。辞書的に紹介すると、こんな感じだ。 

 個人が一生の間に国に支払う額と国から受け取る額を、世代別に推計すること。国民負担の世代間格差を示す指標として用いられる。税金・社会保険料などの負担額と、年金・医療保険補助金の給付などの受益額の差額を世代別に算出し、現在の価値に換算して比較する。(デジタル大辞泉

 週刊誌なら、この世代間格差を世代間闘争へ誘導する焚き付けを行いそうなところだが、この新書が素晴らしいのは、外国勢力に好都合な日本分断統治ツールとして機能しかねない世代間闘争を、不毛なものとして徹底的に回避しようとするところにある。

 そして、左派右派問わず、世代を問わず、私たちが立脚しうる共有地として、憲法が私たちあることを指摘してくれる。日本国憲法の「生存権」「法の下の平等」「財政民主主義」は、将来世代の具体的な権利を保障しているわけではないものの、将来世代の基本的人権を平等に保障しているのである。

ここから、「世代間格差調整法」を制定し、「公正世代間取引委員会」を設置するよう、具体的に提言しているところが素晴らしい。繰り返しになるが、世代会計あらため国家持続可能会計は、私たちの国と国民の生活が生き残ることを可能にするためにある。そして、日本が今後も持続可能であるための「処方箋」が、他にはほとんど存在しないことを再想起してほしい。

確かに、孫や曾孫のクレジットカードが無断使用できなくなれば、絶望的な負担増が発生しかねない。しかし、「詐欺」を禁じられて鬱積するその理不尽な不満を解消しうる三つの埋蔵金を、これまでの日本の勤勉な先人たちが残してくれている。

タックスヘイブンへ流出する無税資産、国家予算の数倍の官僚のお財布(特別会計)、膨大な米国債の3つ。米国債以外は、むしろこれまで逸失した巨額のマネーを想像させるだけの一種の負の遺産ではあるが、埋蔵金というものはそれが巨額であり、しかも堀り残されていることが重要だ。

この新書では触れていないが、国家の衰亡期には緊縮方向へ働く世代会計は、当然のことながら、国家の成長期には現行世代へ財政拡大傾向へ働く。この国が長期的に豊かになるような施策が成功すれば、その現場に生まれる果実以上の配分が、現在へめぐってくることになる。

1.66から2.00以上へ。少子化抑止に真剣に取り組んで成功した実例も、海外にはある。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の機会主義的拝金主義から遠く離れた場所で、この国が蘇った生気に満ち、微笑みを絶やさず暮らす人々の中に、第二の原節子の美しい微笑みがリアルに存在することを、ふと想像してみる。そのような映画を見てから死にたいと本気で思う。

未生の将来世代のプライマル・スクリーム(原初の叫び)に耳を傾け、憲法上の「平等」をしっかりと握りしめて、この国の「東京物語」を滅ぼすことなく紡ぎつづける責任が、私たちにはあるのではないだろうか。

日本国憲法第十一条   国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。