「ぼくたちの失敗」を明日へつなげて

当時ニュースで流れていた王子様の話や獣医学部の話につなげて、獣ープリンスーノートルダム東京都庁舎ー丹下健三ハンカチ王子などの話題の間を飛び回って、今治という街について書いた。

 その今治という都市名を、思いもかけない場所で目にして驚いた。『戦後日本のジャズ文化』を書いた日本文化研究者マイク・モラスキーによる、その続編ともいうべき『ジャズ喫茶論』に、今治が登場したのである。しかも、全8章のうちの1つ、第7章まるごと「今治に行け!」という章題をもらっている。

ジャズ喫茶論 戦後の日本文化を歩く

ジャズ喫茶論 戦後の日本文化を歩く

 

 気になって本を読み進めていくと、戦後ジャズ文化にとってのエポック・メイキングが1958年だった、とか、それはルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』と石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』が公開された年だからで、しかもその年は邦画の観客動員数がピークを迎えた年なのだとか、興味深い情報を教えてもらえる。

前者については、自分も好きな映画なので、エレベーターという密室の考察から広告批評へ抜ける形で、この記事に書いた。

後者については、これまで厭というほど取り上げてきた三島由紀夫の『鏡子の家』(1959)に影響を及ぼしている可能性が高いことを、たぶんどこかで書いたと思う。石原裕次郎演じるドラマーは、トラブルに巻き込まれて右手を負傷し、満足にドラムを叩けなくなってしまう。『鏡子の家』でも、チャンピオン・ボクサーの峻吉は、トラブルに巻き込まれて右手を負傷し、二度と拳を握れなくなるのである。

さて肝心の今治はというと、さほど大都市でもないのに、いまだに3軒のジャズ喫茶が残っている理由を、現地を訪れた著者が探しあぐねているようだった。その本文中に出てきた近藤等則を、今治出身の知人が高校の先輩として知っていたことに、最近驚かされたことがあった。高校生で近藤等則を知っているとは、今治人はかなりおしゃまだ。20代の頃に自分が愛聴していた名盤を、また聴きたくなった。

今治になぜジャズ喫茶文化が根付いたのか。このトランペッター自身が、今治という街でなぜジャズを愛する少年に育ったかを、こう語っている。

結局、20世紀の音楽は、すべて港町から生まれたのです。(…)俺の出身は今治市ですから、瀬戸内海の反対側に岩国基地があるんです。それで、中学生になって親父にトランジスタラジオを買ってもらい、米軍のFEN放送を聴いた。英語わからないのだけど、最後にバンドの名前と曲の名前を英語で言った。(「空の気」)

なるほど。港町というトポロジーと対岸にある米軍基地が、瀬戸内の小さな港湾都市のジャズ文化を育てたと言えるのかもしれない。米軍基地の近くで育ったという事実を、文学の核心に抱え持った村上龍に似て、近藤等則は4歳上のほぼ同世代だ。

今治が育てたと言えば、無印良品が推進している服をバイオエタノールに変換するBRINGプロジェクトも、今治という土地がその推進に部分的に寄与している。今は工場が海外移転したせいで、全盛期ほどの勢いがないとはいえ、今治は日本有数のタオル産業の街。その歴史あるタオルの街で、風に乗って飛散したり、野に廃棄されたりした数知れない綿の量を考えると、綿を分解する微生物が生息している可能性がきわめて高いはず。

そのような推論を立てた若い研究者が、実際に今治で採取した微生物を使って、古着からバイオエタノールを生成することに成功した。

 採算ベースに乗せるまでにはまだ紆余曲折がありそうだが、このような循環型の社会や世界を作っていくバイオテクノロジーには、称賛の拍手を送りたくなる。

一方で、非循環型の社会や世界を故意に作り出そうとするバイオテクノロジー産業の動きには、当然のことながら、世界各国で激しい反対デモが起こっている。 日本でも、モンサント社の恐るべき世界支配構想に危機感を持つ人々が増えてきたようだ。

まず、世界で一番日本人が多く食べている遺伝子組み換え食物が、きわめて危険な食べ物であることを確認してほしい。このサイトはイラストも情報も充実していて、子供にもわかりやすく作られているので大変ありがたい。

手元にある先駆的かつ実証的なバイテク企業(モンサント社などのバイオテクノロジー企業)批判の本書を読むと、くらくらと眩暈を感じるほど陰惨だ。個人的な表現に置き換えつつまとめてみる。

・バイテク企業は政府要人を買収し、彼らを自社へ迎え入れ、あるいは自社の人間を政府へ送り込む「回転ドア人事」を行って、公共の利益を自社の利益へとすりかえつづけている。もちろん、そのような贈収賄を裁くべき裁判官も買収してあるし、信頼できるデータを提供すべき科学者も買収してある。買収に応じない科学者は徹底的に脅迫や個人攻撃を行う。マスコミも買収する。

・上記の「買収カルテット」を他国内で駆使して、遺伝子組み換え作物GMO)の栽培を現地農民に強要して、インドでは4000人の自殺者を生み、アフリカへの食糧援助をGMOで行ってGMOの普及拡大に努める。

GMO反対運動の意欲と意義を削ぐために、世界中の純粋な在来種がGMOと交雑して消えていくよう、各所で意図的な混入を繰り返す。

食品表示を求める運動を妨害し、雇い上げた工作員たちによる偽のデモを組織し、ネット工作員による誹謗中傷工作を行う。 

遺伝子組み換え食品の真実

遺伝子組み換え食品の真実

 

しかし、これを悪辣なグローバル企業の一つが、世界中に狼藉を働いている図だと捉えるべきではない。(もしそうならどれほど気が楽だろう!)2011年にアメリカで可決された食品安全近代化法は、その条文の詳細を検討すると、アメリカ一極集中で世界の食料管理を行うことに道を開く、途轍もない横暴さに満ちたものだ。

(そして大変遺憾ながら、種子法廃止法案が可決された後、同じような亡国法案が列を作って並んでいる状況も、恐ろしいとしか言いようがない)。

  日本人の食の安全保障に対する鈍感さが気にならないのなら、フランスのドゴール大統領による「食料を100%自給できない国は独立国家ではない」という言葉を対置させた上で、中国が発展段階論的に食料輸入国の度合いを高めつつある現在、世界的な異常気象が勃発した場合、日本はどこから食料を輸入すればよいのか、と自問してほしい。食の安全保障の問題は、これもこの国の存亡がかかった緊急事態だと言わねばならないのである。

食の戦争 米国の罠に落ちる日本 (文春新書)

食の戦争 米国の罠に落ちる日本 (文春新書)

 

日本の農業の悲しすぎる実態について、これ以上語るのはやめにしたい。もう間に合わないように感じられて、弱気になってしまうから。

木のイメージ、森のイメージ。そういったものは、どこにでも、誰もの心の中にある。しかし、イメージで何かが変わると信じるには、今この国が抱え込んでいる現実はあまりにも苛酷だ。

大江健三郎の『雨の木を聴く女たち』の中では、主人公が異国のハワイの地で世界的な文学セミナーに参加し、名立たる文学者と交流しているうちに、「雨の木(レイン・ツリー)」という水の滴りと生命を漲らせた象徴的な木に出会う。そこから帰国の途についたとき空港でトラブルになり、主人公が小説家だと知った係員から、「あんたの『ぼくたちの失敗』というのを読んで、とても良いと思った」という意味の台詞を受け取る。主人公が、それは自分の作品ではなく、別の作家のものだと内心思う。それだけの逸話。

調べてみたが、『ぼくたちの失敗』に類するような小説は、当時も今もなさそうだ。『雨の木を聴く女たち』が書かれたのは1982年。その3年後、日本は日航機「墜落」事故とプラザ合意に直面した。この国の歴史を真摯に振り返って、誰か『ぼくたちの失敗』を書いて歴史に残すべきなのではないだろうか。

希望が見えづらくて、つらい。地下のジャズ喫茶では流してくれないような感傷的な曲を一曲だけ聞いたあとは、ビートの利いたロックで身体を揺らして、明日もこの国で生きていこうという思いを、内から湧き上がらせることにしよう。