Remember Imphal!

先日チェックしている複数のツイッタラーのタイムラインがざわついた。

無理もない。あのインパール作戦のテレビ特集が放映されたのだ。インパール作戦とは、第二次世界大戦で最も無謀な軍事作戦とも言われた文字通りの地獄。自分も含めて、平和や安全に恵まれた現代人にとっては、正視に耐えない残酷さに満ちたものだ。

とんでもない多忙のせいで全編を見られていないのは残念というほかないが、この特集番組は、取材陣がインド政府の許可を取り付けてかなり奥まで踏み込んでくれたおかげで、記憶すべき保存版映像に仕上がっている。

以前にも、NHKインパール作戦を取り上げたことがあった。 

太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール (角川文庫)

太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール (角川文庫)

死屍累々の最終場面で、野戦病院あとに、転がった兵士の死体たちが、家族の写真や富士山と桜の写真を握りしめていたという記述に、涙ぐんでしまったのを憶えている。

実は、『心臓の二つある犬』でも、インパール作戦を部分的に取り上げた。

小説の視野を広くしたいとき、異なる種類の人間をどういう風に交錯させて広げるかを、まず作家は考えなくてはならない。常套手段は、何らかの公共セクターを使うことだ。事故や犯罪であれば警察、病気であれば病院、移動であれば公共交通機関

外国が絡んでくるなら、飛行機が最初の選択肢になる。

「私たちはよくよくこの手の話を語り合う運命にあるのね」
「この手の話って?」
「何かを葬る話よ」
 路彦は何を意図するでもなく、無意識に自分の顎を撫でた。撫でた後になって、撫でた手が6年前の記憶に導かれていたことに気付いた。今度は意識して自分の下顎骨に触れ、その揺るぎなさを確認する。琴里には、その一連の挙動が合図に映ったらしい。
「憶えているのね、ガンディーからの帰国便で乗り合わせたお爺さんのこと」
 彼は領いた。卒業旅行の最後、デリー郊外のガンディー空港で、垂直尾翼に鶴の紋章のある機体を目にしたときの、抱擁したくなるような愛おしさといったらなかった。一ヶ月ぶりに故郷へ帰国できる。世界市民コスモポリタン)を自称するシニャックまでもが、機内食の蕎麦が楽しみだと声を弾ませたものだ。機中は定員の2割にも満たないがら空きで、シニャックも琴里も一人きりの平穏な眠りを眠るために、空いた区画を独り占めしに出かけていて、そばにいなかった。
 路彦がひとり読書をしていると、隣の席にいた日本人の老人が路彦の年齢を訊いてきた。23才だと応えたのが呼び水になって、老人は同じ20代の頃、ビルマを西進してインド奥地へ到達した話を滔々と話し始めた。けれど今も路彦の心に鮮烈に残っているのは、凄惨で悲痛きわまりない回顧譚そのものより、老人がこっそり触らせてくれた顎の骨の破片の方である。老人はそれを、インド奥地の洞窟の野戦病院跡で採取したものだと説明した。 持ち帰りにはインド政府の許可が要るが、置き去りにしていくのがあまりにも忍びなかったので、秘密裸に持ち帰ったのだ、とも。
「あのとき触った骨は、確かに若者のものだった」
 下顎骨に付着していた奥歯が、見憶えのある人間の臼歯の形状をしていて、その上まだ 白く若々しかったのである。
日本兵の遺骨だったかどうかはわからないわよ」
 琴里が慎重に牽制する。
「6年前もシニャックが同じようなことを言ったよ。日本兵か敵兵か現地人か区別のつけようがないはずだって。でもぼくが心を奪われたのは、あの骨の主の国籍にじゃない」
 まだ小学生だった頃、歯科医の父の元へ警官が訪ねてきた時の不吉な胸騒ぎを、路彦は今も憶えている。父が犯罪を犯したのだと早合点して、幼心に込み上げてくる涙を懸命にこらえたものだ。恐る恐る訊くと、警官は身元不明の死体の歯型を照合するために来院し たのだという。歯は人体の中でもっとも緩慢に朽ちる。歯は人間の自己同一性の最後の砦である。米軍は兵士の遺体を一体残らず遺族の元へ返すために、第二次世界大戦以降の全兵士の歯科記録を保存しているのだと、父は幼い息子に平明な言葉で言い含めた。旧日本軍には歯科記録など存在せず、身元を特定するどころか、遺骨の回収すら十分に行われないまま、東南アジア各地に置き去りにされている。そんな悲憤を路彦に聞かせたのは、あれから十数年後、機上で隣り合わせたあの老人である。忘却の国なのだよ、と老帰還兵が呪わしげに口にした日本の異称が、今も忘れられない。
「どの戦死者の骨であるにせよ、あの骨が全体のごくごく一部にすぎないという事実の方だ」
「他にも、無数の遺骨が野晒しにされていることを言いたいのね」
「戦後半世紀以上が経つのに、まだ戦後処理が終わっていなかったなんて」
「最初から戦死者を悼む気なんてなかったのよ、きっと」
 不機嫌な時の癖で、琴里があっけなくそう突き放す。
「二度殺されたわけだ。一度目は生命を奪われて、二度目はその死をやすやすと忘れられて」

上記NHKスペシャルでは、6:23くらいから、戦後72年が経った今も日本兵の亡霊が彷徨っていると言う現地人の証言が聞ける。あれほどのことがあればそうなるだろう。白骨街道を生み出したインパール作戦の凄絶さは、ほとんど再現不可能とも思えるほどだ。最も参考になったのはこの戦記。 

インパール兵隊戦記―歩けない兵は死すべし (光人社NF文庫)

インパール兵隊戦記―歩けない兵は死すべし (光人社NF文庫)

 

 これらを記録文書や記録映像での接触体験ではなく、どのように現代の若者たちに「自分たちのこと」として受け止めさせるかが、最も困難だった。

 路彦は溜息をついて天を仰いだ。視線が真上で兜虫(ビートル)の天井の内張に遮られたので、彼は目を閉じた。茶褐色の愛車は渋滞に長々と足止めされているが、小学生の頃に森で見たカ ブトムシは、鮮やかにばっきり体を割って黒い羽根を広げると、樹木の垂直の幹を離れて上空へ翔び昇っていったものだ。兜虫(ビートル)の体内に潜り込んでいる彼の想像力の翼が羽搏く。飛翔する。第二次世界大戦ファシズムの尖兵でもあった兜虫(ビートル)は、空の高みへ上昇するにつれて急速に縮尺を縮めていく緑色の広大な地図を真下に見ながら、拡大していくその視野に何を捕捉するだろうか。戦争の褐根が膨しく刻み込まれた「複雑怪奇」な欧州の版図のパッチワークを? 否、兜虫(ビートル)は原産地の亜細亜の森へ帰るだろう。しかし、見瞰ろす熱帯雨林の暗緑色の広がりには限りがなく、地図にあるような劃然たる国境線が描かれているはずもない。待て、線はある。繁茂する森林のあいまに赭茶けた線状のつながりがあるのが見え隠れしている。あれは道だろう。その道に不規則に点々と白い断片があるのが視認できる。切り刻まれた蜈蚣(むかで)の体節と歩肢のずたずたの切片のように、白い点は連続して道なりに蛇行している。視野が不意に潤む。真下に向いた視界が、魚眼レンズ越しのそれのように円みを帯びてぼやけると、今や視線は一摘の雨粒になって、雨季の地上へ急速度で落下していく。白い断片の断続的な列がみるみるうちに拡大して、それらが夥しい数の白骨の列であることがわかり、蜈蚣(むかで)の歩肢の一切片に見えていたものが、数体の白骨の折り重なりであることがわかり、雨に洗われている一体の頭蓋骨と目が合ったかと思うと、 真下にあるその虚ろな眼窩がたちまち暗々と急拡大して、視線は眼衛を射貫き、頭蓋骨の闇の中に落ちる。雨季のビルマでは、人の指ほどもある巨大な蛆に無数に集(たか)られて、遺体はわずか三日ほどで白骨化したのだという。路彦は忌まわしい纏わりつきを振り払うように頸を左右に振る。それを拒絶しようとする。振り払いたいのは、熱帯種の蝿の幼虫のイ メージではない。老人の永い戦記譚によって灼き付けられた見棄てられた屍体の想像図が、今日遭遇したばかりの、檻の中で毒殺されて蹲っていた犬の屍体や、ロッカーの中に棄てられて小腸を垂らした犬の屍体の映像と、分かち難く二重映しになるのをどうすることもできないのである。6年前の旅以来、自らに禁じ、封印してきた問いの群れが、喉元まで ひたひたと迫り上がってくるのが感じられる。結局のところ、あれらの戦死者は犬死という他ない死を死んだのではないだろうか? 犬死ではなかったと、どうやって誰が証明で きるだろう? そんな悲痛な問いを問いかけやめない形ある物象として、あれら数限りなき屍体は今も実在している。現にその一体が目前のボンネットの下に横たわっており、兜虫(ビートル)が走行して風を浴びるたびに、通風孔から微かな屍臭を車内に運んでくるのである。これは悪夢に似ているが、夢ではない。

理系ではあるが、感受性豊かなところのある路彦は、機上で老人に聞かせてもらった戦記の凄まじさが傷になって、別の場面でそれがフラッシュバックしてくる。ここでの文体は、戦争の傷を抱えたセリーヌばりの断片化と高速化を施してある。

 「機内でのあの議論で私がいちばん残念だったのは、路彦くんが折角お爺さんに聞かせてもらった話を、私たちに詳しく話してくれなかったことよ。話が難所にさしかかると、いつも黙りこくってしまうのは、あなたの悪い癖よ」

「きみたちみたいに話すのが上手くないんだよ。確かに話すべきだった。でも、あのときはどうやったって、あの話をまともに再現できっこないような気がしていたんだ」

 熱帯雨林の山岳を敗走する日本軍… 頭上の枝々から滴のようにぼとぼと降ってくるのは血吸蛭… マラリア、アメーバ赤病、デング熱による熱病死が戦死者の死因のほとんどで… いや、補給線が機能しなかったせいで、餓死者も数え切れないほどいた… アメー バ赤病に羅患して発狂し、隔離用の艦の中で血便に塗れて死んだ若い兵士… 敵を撃つはずの銃が、何故かことごとく日本兵へ向けられる… 衰弱した病兵の自銃による自決… 歩けなくなった落任兵は戦友に容赦なく射殺される… 射殺の銃声は聞き慣れた乾いた高音だが… 自決の銃声は自決兵が銃口を銜え込むせいで低い余韻が後を引く… 今もあれを正確に伝えられる気がしない… 

 上記NHKスペシャルでは、59:40くらいから、恐ろしい話に突入する。極限的な飢えのあまり、友兵を殺してその肉を物々交換して食料を得たとか、一人でいると殺されて食べられるので一人にならないよう心がけたとか、凄絶以外の言葉が見つからずに、絶句してしまう話が続く。 

餓死(うえじに)した英霊たち

餓死(うえじに)した英霊たち

 

 そして最も醜悪なのは、インパール作戦を指揮した牟田口司令官が、敗戦後にやりとりを交わしたイギリス軍幹部からの手紙の一部をつかまえて、保身の材料に最大活用しようとした場面である。上記NHKスペシャルの 1:06:07くらいから、敵方の記述の一部を自己都合解釈(敵方の失策部分と我方の成功部分を針小棒大に拡大解釈)して、自らの作戦を正当化できたことについて、「その喜びが如何なるものかお察しいただきたい」と興奮しつつ話す場面には、虫唾が走るのを感じずにはいられない。feasibility(実行可能性)を欠いたインパール作戦で、どれほどの日本兵が苦しみに苦しみぬき、どれほどの日本兵が戦死し病死したのか、その筆舌に尽くしがたい無惨さの責任を思うとき、それを上回る喜びなどありうるはずもない。厚顔無恥にもその喜びを語り得る肥大した異様な自己愛こそが、インパール作戦のあの無謀さを生み出した根本原因のように感じられてならないのである。

 自分の師団の兵士の損耗を物としか感じられない牟田口司令官のもとで、非人道的な発言を記録しつづけた部下は存命で、感慨深げに自らが記した記録を眺める場面でドキュメンタリー映像は終わる。

96歳の車椅子姿となり、必ずしも満足に発話ができる状態でないにもかからず、不意に声を上ずらせて、それがほとんど言葉が聞き取れないほどの声の高さで、人を人と思わない戦争の惨めさを訴える声を、視聴者は最後に耳にすることになる。

彼は存命であるにしても、あれが、戦場で無数の死者を見送ってきた人間による、無意味な戦争に無意味に殺された人間の声なのだと思う。Remember Imphal!

作中人物のシニャックも路彦に良いことを言っている。

インパール?… インパールも知らないのか、路彦は… 真珠湾ではなくて?… 「リメンバー・パール・ハーバー」はアメリカ人の民族的合い言葉。日本人が記憶すべき合い言葉は「リメンバー・インパール」さ…  

 

 

 

 

 (南方の戦地を慰問して回った「青い山脈」の藤山一郎の曲。敗戦後はフィリピンの捕虜収容所も慰問したというから、私の祖父もマニラで彼の美しいテノールを聴いたのかもしれない)

 (自分の偏愛シャンソンも、ほぼ同時代の曲だった。下記リンク先に和訳あり)。

朝倉ノニーの<歌物語> | 聞かせてよ愛の言葉をParlez-moi d'amour