夜の旅路に咲くフォスフォレッスセンス

世にはダザイストなる熱狂的な太宰ファンが多くいて、非ダザイストが太宰を迂闊に論じることを許さない雰囲気がある。

といっても、太宰の屈指の名短編として「フォスフォレッスセンス」を挙げることくらいは許してもらえそうだ。太宰のことだから何か仕掛けているだろうと思って、読み込むと、やはり仕掛けてあった。 

グッド・バイ (新潮文庫)

グッド・バイ (新潮文庫)

 

 太宰治 フォスフォレッスセンス

夢でまた逢う。
「さっきは、叔父が来ていて、済みませんでした。」
「もう、叔父さん、帰ったの?」
「あたしを、芝居に連れて行くって、きかないのよ。羽左衛門梅幸の襲名披露で、こんどの羽左衛門は、前の羽左衛門よりも、もっと男振りがよくって、すっきりして、可愛くって、そうして、声がよくって、芸もまるで前の羽左衛門とは較べものにならないくらいうまいんですって。」
「そうだってね。僕は白状するけれども、前の羽左衛門が大好きでね、あのひとが死んで、もう、歌舞伎を見る気もしなくなった程ほどなのだ。けれども、あれよりも、もっと美しい羽左衛門が出たとなりゃ、僕だって、見に行きたいが、あなたはどうして行かなかったの?」
「ジイプが来たの。」
「ジイプが?」
「あたし、花束を戴いたの。」
「百合でしょう。」
「いいえ。」
 そうして私のわからない、フォスフォなんとかいう長ったらしいむずかしい花の名を言った。私は、自分の語学の貧しさを恥かしく思った。
「アメリカにも、招魂祭があるのかしら。」
 とそのひとが言った。
「招魂祭の花なの?」
 そのひとは、それに答えず、
「墓場の無い人って、哀かなしいわね。あたし、痩せたわ。」
「どんな言葉がいいのかしら。お好きな言葉をなんでも言ってあげるよ。」
「別れる、と言って。」
「別れて、また逢うの?」
「あの世で。」

 叔父が「あのひと」を無理に芝居へ連れて行こうとする。当時の劇場は文化的な社交場だから、たぶん叔父は美人の姪として「あのひと」を自慢して歩きたいのだろう。父ではなく、叔父というところには注意が必要で、上流階級の文化を嗜むことができるほど裕福なのは、叔父。「あのひと」の家計の程度はというと… ジープが来たら否応なく「仕事」をしなければならない境遇だ。ここから読み取れるのは、夫を戦死で亡くした未亡人の窮乏と糊口を凌ぐための売春。その買春相手から、戦死した夫の魂を鎮めるための花束をもらうという筋立てが、何ともうら悲しく味わい深い。ここにも敗戦が暗く切ない影を落としている。

 先ほどの引用は夢の中の場面、次の引用は現実の中の場面だ。

 私たちは、そのひとの居間にとおされた。正面の壁に、若い男の写真が飾られていた。墓場の無い人って、哀しいわね。私はとっさに了解した。
「ご主人ですね?」
「ええ、まだ南方からお帰りになりませんの。もう七年、ご消息が無いんですって。」
 そのひとに、そんなご主人があるとは、実は、私もそのときはじめて知ったのである。
「綺麗な花だなあ。」
 と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
「なんて花でしょう。」
 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
「Phosphorescence」

夢と現実を往還することこそが人生の総体であり、夢と現実は相互乗り入れをしている、というのが、この短編の作者の立場だ。それにしても、洒脱で巧みな幕切れだ。しかも、「フォスフォレッスセンス」とは実在する花の名前ではなく、「燐光」を指す。本来暗闇の中にあるはずの夢の空間で、その花だけがぼーっと白んで咲いているように感じられないだろうか。そしてその燐光の仄かな明るみは、戦死した亡夫の魂を象徴しているのである。

元々が軍用車だからだろうか。ジープはどこか政治性を帯びやすいところがある。ちょっと無神経なネーミングだと感じるのは、ジープのチェロキーという車種。長距離を踏破できるイメージを打ち出したいのはわかるが、1987年にその5000人の死者を悼んで国家歴史史跡にも指定された「涙の旅路」を連想させる商品名は、不適切なのではないだろうか。

迫害されて、約1900kmの徒歩移動を強制されたチェロキー族は、およそ1/3の同朋を失いながらも、「アメイジング・グレイス」を歌いながら、前進しつづけたのだという。同朋が次々に倒れ、彼らを満足に葬ることもできないまま、昼夜問わず歩いていった旅路。夜には路傍に仄白く光るフォスフォレッスセンスが咲いていたにちがいない。

Amazing grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now am found;
Was blind, but now I see.


’Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear
The hour I first believed.


Through many dangers, toils and snares,
I have already come;
’Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

 


When we’ve been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we’d first begun.