アップルパイ―(シナモン+アップル)=?

今朝は雨。台風が近づいているせいだ。仕事の山場を越えて安心した瞬間、風邪を引いたり、休息を求めたりする正直な体をしているせいで、早朝に出社して少しキーボードを叩いてから、会社の通路に段ボールを敷いて倒れていた。激しい雨音を聴きながら、段ボールの上で寝ていると、どうしてもこの曲を思い出してしまう。

床の硬さは想定通りだとしても、枕がないのには閉口したので、せめてこの話を今日書く記事の「枕」にできないかと考えているうちに、眠りに落ちてしまった。

目覚めると、まだ雨は降り続いているものの、外が少し明るくなっている。「枕がない」を「真っ暗じゃない」につなげて枕にできることを思いついて、そうだよな、雨上がりでないと、空に虹はかからないものな、と思い直した。さあ、出かけなければ。ピンとしっぽを立てて。

というわけで、元隣町の図書館まで出向いて、借りたい本を借りてきた。元隣町の文化拠点には土佐礼子選手の石碑が立っている。そういえば、彼女はこのあたりの出身だった。そこからの連想で、彼女の公私最大のパートナーの勤務先が、同じく長距離走の文脈で輝かしい栄冠を勝ち取ったのを思い出した。

(当時ロケ地在住だった同僚から撮影裏話を聞いたこともある)同じ県境の内側に実在した女子集団をもじって、

「駅伝ガールズ」と呼ばれている彼女たち。

実は自分には仕事と並行して大学院に通っていた時期があり、必要取得単位に体育を組み込んだために、彼女たちと同じスポーツジムを利用する光栄に浴した。彼女たちと遭遇するのは、きまって今日のような雨の日。外を走れないので、彼女たちも肉体訓練をしにくるのだった。

傍らで見て感じたのは、彼女たちが敬服するほど禁欲的であること。おそらく速筋を鍛えていたのだろう。二人組になって、ごくごく軽いバーベルを高速で動かしながら、相棒がカウントだけでなくタイムまで測定していた。肉体訓練とはいえ、一切の手抜きなし。彼女たちの身体は、小枝のようなマラソンランナー体型だった。

禁欲的な減量に励むボクサーには、必ず「喰い屋」と呼ばれる知人がいるという都市伝説を聞いたことがある。減量中で食べられないボクサーの代わりに、「あれを食べてくれ」というボクサーの指示を受けて食べるのが仕事なのだそうだ。自分の好物を他人が食べる姿を見て、ボクサーの食欲はほんのわずかだけ慰められるのだとか。

誰にも頼まれてもいないのに、何だか彼女たちと運動した後は、自然と甘いものが食べたくなるような気がしたのは、どういう心理機制によるのだろう。単に自分の支持政党が、物心ついたときから甘党だったというだけなのだろうか。

あまり意識したことはないが、自分は言葉にも甘みが交じることがあるらしく、ある知人の50代の女性がセンター分けのショートボブだったので、初対面なのに「シナモンみたいで可愛らしいですね」と言って、彼女を大喜びさせたことがある。後でどうしてそんな甘いことが言えるのかと訊かれたが、あれは私の言い回しにではなく、シナモンという存在自体に可愛らしい訴求力があったのではないだろうか。

 流行に乗ってお茶目に壁ドンを試みるも、壁に届かないところが可愛らしい。吃驚したのは、シナモンが実写で空を飛んでいる画像。

 台詞から判断すると、飛んでいきたい相手がいれば、本当にああやって飛んでいくようだ。見習いたい抜群の行動力だ。

そてにしても、何だろう。あの青空の真っ只中の孤独感というか寂寥感。強いて擬音語で表現するなら、こんな感じだろうか。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

中原中也 (講談社文芸文庫)

中原中也 (講談社文芸文庫)

 

ただし、甘いもの好きだからといって、自分がどんな状況でも甘い言葉を囁くことができるかというと、いつもうまくいくわけではない。簡単じゃないんだ。

U2「With or Without You」のジャズ・バージョンを背景に流しながら、例えば80年代に流行した「クリープの入っていない珈琲なんて、星のない夜空のよう」 というお題を与えられたとして、即座に愛を囁ける人がどれだけいるだろうか。制限時間は3分。上の句は「きみのいない人生なんて、…?」だ。Go for It!

最初に思いついたのはコレ。

「きみのいない人生なんて、シナモンの入っていないアップルパイのようなものだ」

 うーん、いまひとつだ。シナモンとアップルパイの必要不可欠度が、100%よりかなり低いところに問題がある。クックパッド上の現在のレシピ数でいうと、シナモン入りのアップルパイが2190、シナモンなしのアップルパイが1730。シナモン入りのシェアは58%でしかない。

きっとこれはお題の出し方が悪いのだろう。

いや、もはや万人向けのお題になんか心を砕かなくてもいい。ここは、ごくごく個人的に、決死的勇気を振り絞って、「シナモンのいない人生なんて、…?」と相手に訊いてみたい。

嗚呼、恐ろしいことに、その問いへの正解は、この広大な宇宙にたった1つしかないのだ。無数にありうる答えの中から、「アップルの入っていないアップルパイのようなもの」という唯一解を、果たして相手は口にしてくれるだろうか。

そしてそのとき、アップルパイからアップルを引き去ったあとのπに、こちらがうまく調整した事情を掛け合わせれば、円面積のごとき中身の詰まった円満な関係が生まれることにまで、相手は思い至ってくれるだろうか。

いや、それは難しい。難しすぎる。確率でいえば one in a million ぐらいだろうか。至難の業だというほかない。

現実は甘くないのだ。

甘くない現実に必死に喰らいついて、たゆまず長距離走の鍛錬を重ねたオリンピック選手にだって、いったん足を踏み外せば、悲しい転落が待っている。

同じく摂食障害が元で、あの五輪金メダリストも、わずか19歳で引退を発表しなければならなくなった。 

 話はもう一段恐ろしい話になる。ぜひ下の記事の全文に目を通してほしい。引退前のリプニツカヤも「リンクの上で暑く感じた。何が起きたのかわからない」と証言したという。

同じく、ネット上の覚醒民のトップ・オピニオン・リーダーも同じ意見だ。

ソチ五輪から三年半。ようやく主流メディアも、広義の電磁波兵器の実態について、関心を寄せ始めた。一種のサイレント・ウェポンである電磁波については、これからも視線を注いでいくことにしたい。

このような世界の遠くにある暗い現実と比較すると、四国の片隅にある地元私大の全国制覇は、手放しで喜びたい華やいだ吉事に思える。しかし、地元のごく一部では、小さな悲報も囁かれている。

上記江川紹子の記事は、盗癖が摂食障害が原因である可能性を指摘しているが、風の噂では「駅伝ガールズ」の中でも、同じような事案があったらしい。

きつい練習に心身が悲鳴を上げて、仲間のお菓子をつい盗んでしまい、それが露見してチームを去った子が一人いると聞いた。あくまで噂でしかないし、どう対処すべきだったかを論評する立場にはないが、長距離走の選手にありがちなそのような症状に対して、彼女をチームから排除する以外に方法はなかったのかなと嘆息してしまう。

在籍中の数年間、あれほど毎日走り込みつづけた日々から、ふと外へ追い出されたとき、おそらくは摂食障害を抱えていただろうその女の子は、無事に次の目標を見つけられただろうか。それへ向かって再び走り出すことができただろうか。マラソンしか知らないだろう二十歳前後の彼女が背負ってしまった困難の重さに、ふと思いを馳せてしまう。

…台風が過ぎ去ったかもしれない。いつのまにか、雨もやんだようだ。

その彼女の次の目標が何であれ、そこを目指して走りだすことがどんなに困難であれ、名前も顔も知らない彼女の再出発に声援を送りたい気分だ。

再出発するのに、遅すぎることはない。それぞれの方角へ、雨上がりの虹を探しに、また走りだせばいい。求めるものが、たとえどれほど至難の難問、つまりは至難問だとしても。

 

 

 

 

幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた
色褪せながら ひび割れながら 輝くすべを求めて

 

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が 海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていてほしい