翼ある祝福よ届け

日本一の栄冠を勝ち取った「駅伝ガールズ」たちの雨の日の室内訓練には、時折りテレビ取材が入ることがあった。「南海放送です~」という今の声真似でわかる人にはわかったはず。ひよこ感のある短髪の男性で、当時は「もぎたて」な地元密着愛を前面に押し出していたが、今や「いい加減」な街の市長となって「幸せ実感都市」つくりに奔走している。

南海放送と言えば、松山東高時代に友人たちの間で流行っていた深夜ラジオ番組があった。

もともと自分には少年っぽい悪戯好きなところがある。遠距離恋愛中だった友人が「遠距離なんかでは俺の愛を絶対に消せない」と息巻いて、馴れ初め、彼女の愛らしいところ、住所などを滔々と語ったので、聞き流しているふりをして、すべてその場で暗記した。そして、千葉県習志野市大久保(ここには書けないが、いまだに番地や号まで忘れられない)の彼女に無断で暑中見舞いを送ったら、思いがけず返事が来た。

私の「いい奴だから忘れないでいてやってください」に対して、好意的な返答だったと思う。何だか自分のことのように嬉しかった。教室のうしろに葉書を掲示したら、それがクラスの評判を呼んで、皆が友人の遠距離恋愛を応援する雰囲気になった。

そこで、当時クラスで流行していた深夜ラジオ番組に、遠距離恋愛に日々悩んでいる様子をクラスメートにだけわかる符牒を織り込んで投書したら、それもオンエアされて、DJが丁寧に悩み相談に乗ってくれた。翌朝の教室は大盛り上がり。

あのM子ちゃんとの遠距離恋愛がどうなったか、これを読んでいたら連絡をくれないだろうか、Sよ。

そのとき、本人が書いたのではない悩み相談とも知らず、真剣に回答してくれたラジオDJは、今や南海放送の社長をしているようだ。

彼がよくラジオで流していた曲を、今でも覚えている。 

 

Don't Dream It's Over

Don't Dream It's Over

 

(上の動画はカバー。今でもカバーが絶えない人気曲のようだ)。

There is freedom within, there is freedom without
Try to catch the deluge in a paper cup
There's a battle ahead, many battles are lost
But you'll never see the end of the road
While you're travelling with me

紙コップで大雨を集めようとしている
その中にも自由があり 外にも自由がある
もうすぐ戦いが起こる 負けつづけてきた戦いが
けれど この道の終わりは決して見えない
私と一緒に旅しているあいだは

 

Hey now, hey now
Don't dream it's over
Hey now, hey now
When the world comes in
They come, they come
To build a wall between us
We know they won't win

ほら、ごらん
終わったと夢想してはだめ
さあ、気をひきしめて
あの世界がやってきた
彼らがやってくる
私たちの間に壁を築こうとして
私たちは彼らに勝てる

 

Now I'm towing my car, there's a hole in the roof
My possessions are causing me suspicion
but there's no proof
In the paper today tales of war and of waste
But you turn right over to the T.V. page

自分の車を牽引している 天井には穴があいている
所有物のせいで 疑われてしまう
証拠はないのに
今日の新聞は 戦争と廃棄物の話をしている
けれど きみはテレビ欄へ頁をめくる

 

Hey now, hey now
Don't dream it's over
Hey now, hey now
When the world comes in
They come, they come
To build a wall between us
We know they won't win

ほら、ごらん
終わったと夢想してはだめ
さあ、気をひきしめて
あの世界がやってきた
彼らがやってくる
私たちの間に壁を築こうとして
私たちは彼らに勝てる

 

Now I'm walking again to the beat of a drum
And I'm counting the steps to the door of your heart
Only shadows ahead barely clearing the roof
Get to know the feeling of liberation and release

ドラムの拍子に合わせて また歩き出している
きみの心の扉まで あと何歩か数えている
歩く先にあるのは影ばかり かろうじて屋根が消えて
自由と解放を感じられるようになる

 

Hey now, hey now
Don't dream it's over
Hey now, hey now
When the world comes in
They come, they come
To build a wall between us
We know they won't win

Don't let them win 

ほら、ごらん
終わったと夢想してはだめ
さあ、気をひきしめて
あの世界がやってきた
彼らがやってくる
私たちの間に壁を築こうとして
私たちは彼らに勝てる

彼らを勝たせてはいけない

 新しい米大統領が「国境に壁を作る」と宣言したことで、再びこの曲が注目を集めたらしい。しかし、おそらく歌われている「壁」は寓意的で、どんな場所にいる人や人の間にも、いつのまにか聳え立ち、私たちを隔ててしまう種類のものだろう。

日本一の駅伝走者、県庁所在都市市長、地方主要放送会社社長、遠距離恋愛での意思疎通。……どんな困難なハードルや壁にぶつかっても、そこへ一心に情熱を傾ければ、それらを越えることは決して不可能ではない。

高校生の頃デザインした「頑張T」に、自分は「情熱がすべて決める」と描き込んだ。

壁を打ち崩すことはできなくても、しなやかに立ち回ってそれを越えることは、必ずできる。想像力、構想力、実行力、突破力、抵抗力。それを何と呼んでもかまわないが、あなたがたには翼があるのだから。

そのような勇気ある翼の持ち主たちの群れを想像するとき、いつも思い浮かんでくるのは、イグアスの滝の裏に生息するオオムジアマツバメの群れ。

ひとたびその翼をはためかせると時速170kmとなり、水平飛行では最も速く飛ぶ鳥なのだという。果敢にも滝のカーテンへと飛び込んでいき、水しぶきのストリングを縫うようにかわしながら、滝の裏にいる仲間たちの元へ辿りつくさまが、勇猛で美しい。(12:48から)

(19:09からの神秘的な自然現象にも注目)

マリリン・モンローと翼」。そんなイメージの結びつきを追いかけながら、小説の構想を練っていた時期がある。

斬られた首=太陽、縫い閉じられた瞳、ゴッホの切り落とされた耳などを経て、いつのまにか自分の中にある身体毀損の強迫観念の連鎖は、フラミンゴの翼の尖へ辿りついていた。

想像上のロンドンでの顛末は別時に語ることにして、動物園のフラミンゴがやはりある種の「引き裂き」を強いられていることを、檻越しに観賞する人間は知っておいてもいいと思う。動物園で飼育管理されているフラミンゴは、遠くへ飛んでいけないように羽根の先を習慣的に鋏で切られつづけるのだそうだ。これを「断翼」と呼ぶらしい。

その10年以上前に書いた全文を読んでも、誰も気づかないことだろう。実は、あれはマリリン・モンローのことを考えながら書いた記事だ。

暗殺説の絶えないモンローが、実際に息を引き取ったときに受話器を握りしめていたという逸話には、それが偽装工作である可能性を知りつつも、涙を誘われてしまう。

自分には、翼の尖を切られつづけるフラミンゴの姿に、モンロー・ウォークの発祥となった映画を撮ったとき、モンローが片方のヒールの踵を5mm切り落としていた事実が重なって見えていた。モンローは羽搏いて逃げるべきときに、翼をどれほどばたつかせても飛ぶことができなかったのだ。あるいはコード付きの受話器に、あるいは受話器の先の誰かにしっかりと繋留されてしまっていて。

その映画の名が、イグアスではないにせよ、同じく世界的な滝の景勝地だったという偶然に、いったい何を感じ取ればよいのだろうか。

 いや、イメージの連鎖の蜘蛛の巣で、読む人を煙に巻くのはよそう。

原因不明の渋滞がもたらす時間の浪費と停滞感をどうやり過ごすかには十人十色の処し方があるのだろうが、動物園を逃げ出したフラミンゴが初めて見る自動車に驚いて車道で立ちすくんでいるのだと想像するのが、目下の自分には興趣が深い。渋滞の車列の先で、羽根を切られて飛べなくなったフラミンゴが何とか飛び立とうとして繰り返し翼をばたつかせている。そんなあどけない椿事と引き換えにするのだったら、こちらの方が動かなくなったガソリン仕掛けの鉄の檻にしばらく囚われたって苦にならないではないか。そう想像してみる。渋滞の原因がなかなかつかめず、車体を右に振って車列の先を見透かしても目ぼしい情報が依然として得られないとする。そんな時は、さらに少し想像を引き伸ばして、大きな問題はどこにもないんだと自分に言い聞かせてみたりもする。車列が停まっているということはフラミンゴは轢き殺されていないだろうし、飛べないにしたってガードレールを羽ばたき越えるのにそれほど時間はかからないはずだ。それに動物園の檻から逃れられさえすれば、飛べないフラミンゴの切り落とされた羽根はいずれまた再生して生え揃うにちがいないのだから。

「フラミンゴ渋滞」と名付けた小文を上記のように結んだが、率直に言って、今日までの14年間「檻」の中に幽閉されてきた自分の不遇を、かつてそこに描き込もうとしていたことは間違いない。飛べないよう翼の尖を切られつづけ、見世物にされつづけてきた自分を、救出しようとしてくださった方々、いたわろうとしてくださった人々、羽根が生え揃うよう手当てをしてくださった方々に、深甚な感謝を捧げたく思う。心よりありがとうございました。

そのような偶発的に遭遇した事件に接して、真善美愛に深くかかわる形で、無償の献身を捧げてくださったすべての人々に、神々からそれぞれへ向けた祝福が、鳩の群れのように羽搏き、空を舞って、それぞれの心へ届きますように。

 

 

 

しわくちゃの写真には
まぶしかった時間と
寄り添う僕等が痛い程
鮮やかに焼き付けられていて
はぐれたのはきっと
どちらのせいでもなくて
気がつけば君は僕の中に住みはじめた


勝ち負けだけじゃない何かを
教えてくれたレースがある
一緒に走った冷たい夏の雨
青いしぶきに重なる残像
水際に浮かべた感情
喜びや悲しみの傷さえ
包み込んだ約束の光


あきれる程真っ直ぐに
走り抜けた季節を
探してまだ僕は生きてる
間違いだらけのあの日々に
落とした涙と答えを
胸いっぱいにかき集めてもう一度
あの夏空あの風の向こう側へ
君という名の翼


夕凪が水面に並べた羊雲のように
斑の心じゃ君の声にも気付かない


秋風がまだ遠く夏の
終わりを待ちわびている頃
僕等の瞳に最後の陽が落ちる
追いかけてもすれ違う感情
振り払えはしない残像
選べない道を目の前に
立ち尽くした青春の影


諦めても背を向けても
誤魔化せない心の
舵は今も君の両手に
叶わぬ夢を浮かべても
沈まない勇気の煌めき
この一瞬に賭けてみたい最後まで
離さずに握り続けた願いが
導く場所を目指せ


知らず知らずに背中で聴いてた声が
今もまだ
僕を振り向かせる度切なくて


あきれる程真っ直ぐに
走り抜けた季節を
探してまだ僕は生きてる
間違いだらけのあの日々に
落とした涙と答えを
胸いっぱいにかき集めて
はぐれない様にと抱きしめた
もう一度あの夏空
あの風の向こう側へ
君という名の翼
僕等がいたあの空へ