# Fight Together With Shiori

人生史上最高の目覚めがどんな風であってほしいかを想像して、上の記事に書いた。といっても、あれは若い頃に抱いていた夢想だから、笑い飛ばしてもらってもかまわない。

Ba Ba Ba!

東京に住んでいるとき、何度か事件に遭遇したこともある。部屋の真上を複数機のヘリコプターが旋回する音で起されたときは、あまり良い目覚めではなかった。

ここで話した目白の急坂界隈、その中でも豊坂近くに住んでいたとき、目白の豪邸に住んでいた田中角栄が亡くなったのだった。

その少し前、不忍通り側からバイクで帰ろうとしていたとき、曲がったり引き返したりして、どの道をどう通っても、信号が赤ばかりで困り果てたこともあった。うじゃうじゃ立っている警官に状況の説明を求めても、待っていてほしいというばかりで、何も教えてくれない。一台の黒塗りの高級車が目前を過ぎたとき、自分は事態を理解した。後部座席に乗っているのが江沢民だと見分けられたのだ。当時、脳溢血で車椅子生活となった日中国交正常化の立役者に、見舞いに向かっていたのだろう。ところが今や、その江沢民にも死亡説が出ているらしい。時が過ぎるのは早い。

 のぞき坂は東京一の斜度を誇る急坂で、雪の日には必ず通行止めになる。下のブログをあらためて見て、その「進路消失」の不安感を体感してほしい。

東京一の急傾斜を誇るだけあって、初めて見た時は「魔坂…」と感じてしまった。そして、その「魔坂」の麓でも、まさかと思うような事件に遭遇してしまった。

連続レイプ犯がマンションに出没したのだ。一目でワンルームマンションだとわかる造りと、外装のピンクベージュっぽいタイルの色が、連続レイプ犯の特殊な嗜好に訴えたらしい。マンションのオートロック内に忍び込んで、エレベーターの扉の透明な部分から外を伺っていたのだという。同じマンションの女の子の姿を視認すると、敏速にしゃがんで隠れたらしい。危険を感じた彼女は、階段を使って上階へ昇り、事なきを得た。彼女から、懇意にしている私に相談があり、私が警察へ通報した。

性犯罪DataBase:目白通り沿い連続強姦事件 強姦19件自供の韓国人逮捕

そののち逮捕され、19件の犯行を自白。無期懲役になったらしい。 

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目白通り連続レイプ魔は、ニュース番組をかなり賑わせていながらしばらく捕まらず、近隣の多くの女性を怖がらせたが、最終的には無期懲役となった。その意味では、犯人も犯行も明確で直前まで逮捕される予定だったのに、政権からの指示、もしくは警視庁トップの忖度によって、常習性を疑われる犯人が、野放しのまま放置される方が恐ろしいかもしれない。

海外の一流ジャーナリストは、取材先で出された珈琲に口もつけないのが職業倫理だと聞く。日本では時の首相に夜な夜な接待を受ける主流メディア記者が、テレビ画面のコメンテーター席に常駐しているのは、いかにも奇異だ。さすがは、報道の自由度世界72位の国。

中でも、いくら自らの政権中枢に近いとはいえ、逮捕寸前だった小物のレイプ犯記者をどうしてああまで露骨に庇護しようとするのか、疑問を感じていた。速やかに処分して忘れさせてしまえば、多くの女性票の回復を見込めたかもしれないのに。

しかし、発売直後の伊藤詩織『Black Box』を読んで、その謎が氷解した。首相官邸は自らの礼賛本『総理』を、遅滞なく発売したかったのにちがいない。

上記の記事にあるように、山口敬之は逮捕予定の当日になって、警視庁「トップ」からの圧力で逮捕がもみ消された。その日付けは2015年6月8日。

日付け関連では、上の記事で中村文則が鋭い分析を披露している。

〈そもそも、首相の写真が大きく表紙に使われており、写真の使用許可が必要なので、少なくとも首相周辺は確実にこの出版を知っている(しかも選挙直前)。首相を礼賛する本が選挙前に出て、もしその著者が強姦で起訴されたとなれば、目前の選挙に影響が出る。〉
〈でも、山口氏の「総理」という本が16年6月9日に刊行されているのは事実で、これは奇妙なのだ。なぜなら、このとき彼はまだ書類送検中だから。
 しかもその(『総理』発売日の)13日後は、参議院選挙の公示日だった。だからこの「総理」という本は、選挙を意識した出版で、首相と山口氏の関係を考えれば、応援も兼ねていたはず。そんなデリケートな本を、なぜ山口氏は、書類送検中で、自分が起訴されるかもしれない状態で刊行することができたのか。〉(毎日新聞7月1日付愛知版)

 そして、それは、山口氏がなんらかのルートを使って、起訴がないことを事前に把握していたからではないか、と中村氏は分析する。

日付けに関して、自分もひとこと付け加えたい。

参院選挙直前に山口敬之が礼賛本の『総理』を出版したのは、2016年6月9日。自作自演の9.11同時多発テロの日付が、アメリカでの救急呼出し番号と同じであるように、1%グローバリストたちは「数字の偶発的暗合」を好む傾向がある。出版日が、彼が首相官邸の威光を笠に着てのことだったのだろうか、まんまと逮捕を逃れたあの「逮捕予定日」のほぼちょうど一年後であることに、相応の注意を払っておきたい。こういうのを「嘲笑うかのように」と形容すべきなのではないだろうか。中村文則の分析にもあるように、レイプ犯は、おそらくは政権の力を通じて、検察審議会で不起訴相当になることまで知っていたのだ。

 よく見分けてほしいのは、この事件で著者が闘っている相手が、5つもあることだ。

  1. 自分をレイプした政府系御用ジャーナリスト。
  2. レイプ被害者に冷酷すぎる警察や病院やジャーナリズムなど。
  3. 裏から手を回してレイプ犯を無罪にしようとする権力側の卑劣さ
  4. レイプによる自身のPTSD心的外傷後ストレス障害)の諸症状
  5. 社会全体に浸透しているファロゴサントリスム(男根論理中心主義)

 1.~4.までの手に汗握る攻防については、今後これを読む多くの人々が言及するにちがいないので、そちらを参照してほしい。ホテルへ連れ込まれたときの被害者の症状からすると、デートレイプ・ドラッグが使用された可能性がきわめて高い。朦朧とする意識の中でも被害者は激しくレイプに抵抗したらしく、整形外科の医師は「凄い衝撃を受けて、膝がズレている」ので、痛みが引かなければ手術の必要性もあると事件後に診断したそうだ。そのような必死の抵抗を知りながら、被害者に「パンツぐらいお土産にさせてよ」とのたまったレイプ犯、「売名行為」だとバッシングを浴びせたセカンド・レイパーたちの、何という陋劣さよ。

 5.のファロゴサントリスムは一般の人々には、ややわかりにくいかもしれない。凄惨なレイプの横行するインドの事例が参考になる。

しかし、パンデイ氏は「彼らは決して特殊な人というわけではなかった。ただ生い立ちや思考の方法が、彼らをそうさせただけ」と指摘する。インタビューした100人超の犯人のうち、高校を卒業したのは数えられるほどで、ほとんどが十分な教育を受けずにドロップアウトした人々だった。

 

また、インドでは女性の地位が低すぎる問題も指摘している。多くの女性が夫のファーストネームを呼ぶことさえ許されないという。さらに、性教育が学校で行われず、家庭でも教えないということも大きな問題だとい

う。

インタビューをした犯人のほとんどが、言い訳をするか、自身の行動を正当化し、レイプがあったこと自体を否定した。カンバセーションでは、物乞いの5歳の女の子をレイプした罪で服役中の49歳の男は「彼女は処女ではないので誰とも結婚できない。出所したら彼女と結婚するつもりだ」と語ったという衝撃的な体験も書かれている。

  問題はジェンダー(社会的文化的性差)が男性の欲望の形に沿うように形成されており、それを男性女性ともに無批判に内面化して、男性の欲望の犠牲者を生みやすく、被害者の女性が声を上げにくい社会を可能にしていることなのだろう。

 被害女性からすると、それは暴力や薬物注入や仕事簒奪や世間体中傷などを通じた「恐怖による支配」でしかない。その恐怖と向き合おうとした被害者が、性欲そのもののレイプという事象の背景に、男性の性欲に関わり深く、ファロゴサントリックな「支配の欲望」が社会に浸透していることを識別する瞬間が、本書の白眉の一つでもある。

そういった四角四面な現代思想に絡めた感想より何より、自分は『Black Box』を読んで深い感動を覚えたことを告白したい。その感動は、ジャーナリスト伊藤詩織の「折れないしなやかさ」と「宙返りによる体の入れ替え力」に由来している。

政権中枢に近いことで怖気づいていた主流メディアのうち、週刊新潮がようやく記事を世に問い始めた頃、彼女がしていたことはこの二つだ。

 [引用者註:「週刊新潮」と] 打ち合わせを約束したものの、二〇一七年三月になって、私は南米コロンビアまで取材に出かけることになった。コロンビア政府との和平協定に向けた協議が進んでいた左翼ゲリラグループ(民族解放軍)と接触し、その現状や女性弊を取材するのが目的だった。

 会見後、外に出ることができず、Kの家に居候させてもらっていた時、Kの婚約者が家でキックボクシングのトレーニングをやってくれるようになった。(…)

 最初は怖さで目をつむってしまったものの、鬼軍曹のような彼に怒鳴られながら、グローブをつけて、パンチや受け身の練習をした。(…)

 格闘好きの彼から、UFC(アメリカの総合格闘技)の試合を見せられた。その中には、アメリカの格闘家で、初代UFC世界女子バンタム級王者のロンダ・ラウジーが、一蹴りで相手をKOした映像もあった。(…)

 それから私は、ロンダに少しでも近づきたいという気持ちでトレーニングに励んでいる。

 このような「折れないしなやかさ」で社会正義を貫こうとしたとき、幸運の女神が思いがけない微笑みを投げてくれることがある。 

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 

伊藤詩織の場合は、 事件物ドキュメンタリーの戦後最高峰を踏破した一流ジャーナリスト清水潔の知遇を得られ、動揺したレイプ犯が、ズブズブの癒着相手への相談メールを、あろうことか『週刊新潮』に誤送してしまうという華麗なるオウンゴールまでが、巻き起こったのだった。

黒塗りの〇〇は被害女性の苗字が記されていたというが、問題はメールの宛名の「北村さま」だ。「週刊新潮」はこの「北村さま」が北村滋内閣情報官のことだというのである。北村氏は総理直属の諜報機関内閣情報調査室(内調)のトップで、“官邸のアイヒマン”との異名を持つ安倍首相の片腕的存在。山口氏は「(北村というのは)民間の人物でご指摘の人物ではない」と否定していたが、北村内閣情報官は「週刊新潮」の直撃に「お答えすることはない」といっただけで、否定しておらず、状況から見て、北村内閣情報官以外にはありえないだろう。
 しかも、笑ってしまうのは、「週刊新潮」編集部がこのメールを入手した経緯だ。記事によると、同誌編集部から取材依頼のメールを受け取った山口氏が、これを北村氏に転送しようとして、誤って「週刊新潮」に送信してしまったらしいのだ。 

 キック・ボクシングでの鍛錬を彼女が日課にしているのを読んで、カポエイラのことを思い出した。 

それは弱冠20代にして世界を飛び回って活躍する彼女が、決して「強さ」だけの人ではないとの確信からだった。その反対の「弱さ」? それも違う。

事件直後、衝撃や混乱から回復し、被害者はようやく警察に行くことができた。次は家族に被害を話す番だ。

 病院もホットラインも当てにならなかった。私はかなり遠回りをしてしまった。警察に行くのに、五日も要してしまったのだ。(…)

 私はわりとなんでもオープンに話せるタイプの人間だと思う。それでもこの行動を起こすまで時間を要した。もし、妹が病院やホットラインで私と同じ体験をしたら、おそらく助けを求めることをやめてしまうだろう。

 ようやく決心した時、彼女は私の話を黙って聞いてくれた。そして、「もし何かあったらお姉ちゃんがいるからね。話してくれるだけで、あとは何も心配しなくていいから」と伝えると、静かに頷いた。 

 この感動的な「宙返りによる体の入れ替え力」がわかるだろうか。PTSDを発症するほどの被害を受けてわずか四日後、妹に自分の被害体験を話すとき、もうすでに相手と身体が入れ替わって、もし相手が被害者だったら自分が助けてあげるという話をしている。

同じように身体を入れ替えたメッセージは、読者にも届けられている。

 私が会見をしたのは、今後彼女や私の大事な人たちを、私tyと同じような目に遭わせたくないという気持ちに尽きる。

 いつか、そのことをわかってもらえる日がくることを願っている。

 幼児がミニプールの水を撒き散らすように、自分はこんなつらい思いをしたと「心の傷」を社会に訴えようとしたのではない。伊藤詩織はすでに宙を舞って身体を入れ替えている。彼女が抱いているのは、「未来の被害者」を少しでも救いたいという痛切な思いと社会変革の意志なのである。

 この本を読んで、あなたにも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、誰にも予測できないのだ。

報道カメラや録音機を向けるとき、ジャーナリストはその手前のこちら側に立って、あちら側の取材相手から声を引き出そうとするのが通例だろう。しかし、こちら側にいながら、宙返りしてあちら側の取材相手に寄り添うことができ、相手の気持ちや心の動きを理解できることこそが、ジャーナリストとしての不可欠の資質だと言えるだろう。

 デートレイプドラッグを混入されて失神させられたら、自分の身を守ることはできない。 それは誰も同じだ。自分が歩んできた坂道の途中で、「魔坂」の思いがけない謀略によって突き落とされることは、残念ながら、誰にだってありうると言わなければならない。

突き飛ばされて転がり落ちた坂道は、しかし、自分がこれまで自分の力で登ってきた坂道に他ならない。その転落によって自らを鍛え、周囲を動かし、必ずや再び登りつめていくだろうその坂道は、二度目は一度目より遙かな高みに達しているにちがいない。

伊藤詩織の『Black Box』は、これから自分のキャリアを創っていこうとする若い女性に、ぜひとも読んでほしい一冊だ。自分も読後に # Fight Together With Shiori というツイッター上で広がっているタグを、心にピン留めすることに決めた。

報道の世界に飛び込んだ若い世間知らずの女の子が、レイプ被害者になって有名になっただけ。

右派系のネットユーザーたちによる、そんな口さがない風評下方操作を見かけることもある。そんなのは完全に嘘だ。本書を精読すればわかるが、事件はおそらく彼女のキャリアにとって小さな通過点にしかならないだろう。

社会正義を希求する情熱の温度、国境をものともしない取材力と語学力、弱者への抑圧や富の偏在を生んでいる社会制度への冷徹なまなざし、弱者に寄り添える立場可換的な情動の豊かさ。……どれをとっても、近い将来、彼女は世界の動きを vivid に私たちに伝えられる「世界」的な逸材ともなりうると、読者は確信するのではないだろうか。

そのような約束された広く明るい未来を視野に入れながら、再びいま、自分の心にリボンのようについている「# Fight Together With Shiori」を、声に出して読み上げたところだ。