「ブルガリで小松菜を」

ジャーナリスティックな本はもう読みたくない気がして、或る純文学小説の好きな箇所を読み返していた。

僕は憂鬱な表情のままプレイステーションの電源を入れる。(…)トーナメントのモードにして自分で作成したチームで参加する。(…)予選は敵があんまり強くないから、残酷な態度で大量得点を狙う。漱石のドリブルで相手の中盤を切り裂く。サイドにはった中原中也がボールをトラップし、相手ディフェンダーのスライディングタックルを鮮やかなジャンプでかわす。中也からボールを受けた芥川は髪の毛を乱しながら快足を飛ばし、ゴール前で待ち構える太宰に右足でセンタリングをあげる。太宰はダイレクトでボレーシュートを炸裂させゴールネットを揺らす。両手の拳を強く握りしめた太宰が雄叫びをあげている。まず芥川が太宰に駆け寄り、少し遅れて漱石が、そして最後に中原中也が太宰の元に駆け寄る。自軍のゴールを守る井伏鱒二は愛弟子のゴールを称えるように頭上で手を叩いている。 

劇場

劇場

 

 20年くらい前に自分が書こうとしていた「優雅で感傷的な日本サッカー(仮称)」に、世界観がかなり近いような気がする。

 FWに太宰治を張らせてゴールを決めさせているのが、いかにも又吉ジャパンらしい試合展開だ。もし自分が代表監督なら、太宰はベンチに置くだろう。プレーは素晴らしいが、ファンの女の子との「海水浴」はペナルティーものだ。作品名も忘れたし、検索でも見つからないが、「心中しようとして二人で海に入っていくと、女が先に大波に巻かれて男の名前を呼んだ。自分の名前ではなかった」というような名場面があったはず。辛い気持ちはわからないでもない。しかし、簡単には日本代表に呼んでもらえないというセレソンの厳しさを、肝に銘じておくべきだった。チームメイトの三島由紀夫は太宰のプレースタイルをこう評している。 

太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。 

小説家の休暇 (新潮文庫)

小説家の休暇 (新潮文庫)

 

 又吉ジャパンのスタメンで目を引くのが、二列目でサイドに張っている中原中也。このポジションにあえて詩人の中也を投入した戦術は、又吉監督の先輩にあたる名サッカー選手たちの強い影響があるにちがいない。

幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

(…)

中原中也をキャリアの最初に指名したのは、この二人だった。

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 自分もこの記事で「ゆやゆよん」に言及したことがある。 

何の話をしていたのだったか。サンドイッチの話? それとも、サンドイッチに合うミルクティーを早く飲みたいという話?

そうだった。上の記事を書き終える間際、背中が「続」っとしたのは、きっとこのサンドイッチの記事の続編を書けということだ。そう感じたという話だった。けれど、あちこち星座がつながっているのはわかるけれど、その図形が複雑すぎて何を表しているのかわからなくなってきた。困ったな。

そう思っていたとき、電話がかかってきた。

若者:ちっす。お久しぶりです。

自分:誰?

若者:やだな、先生。ぼくをあんなに露悪的に描いておいて、ぼくの声すら忘れてしまうなんて。でも、あの印象派の画家みたいな渾名は気に入っているんです。

自分:まさか、シニャック

真哉:川上真哉の Shinya.K を、フランスのアルジェリア系移民の少年が連続して読んだのが由来でしたっけ? 

真哉:先生ったら、ぼくが喋っていたことまで忘れちゃってるみたいだから。電話するしかないと思って。「エルメスでサンドイッチを」の記事、ふたつ語り残していますよ。

自分:ふたつ。

真哉:整理してあげますね。一つは、フードバンクの財政的困難にどう対処するか。もう一つは、食品ロスの話が、どうして「こども食堂」へ向かうべきなのか。

自分:そうだった… 疲労で頭が混乱していた。助かったよ。きみ、相変わらず頭が良いね。

真哉:先生がそういう風に造型してくれたおかげですよ。とりあえず、長野でぼくがやっていたことを、琴里が路彦に説明する場面があったでしょ。あそこを先に引用しておくと良いと思いますよ。

自分:そうだな。そうすることにしよう。

真哉:ところで、先生。琴里が先生のことを、意外に…

というなり電話はふっつり切れてしまった。シニャック! シニャーーック! 大声で呼んでも返答はない。受話器の向こうは、氷結した湖の底のように、完全な静けさに満ちている。ヒロインの琴里よ、「意外に…」のあとに何を続けたんだい?

少し考えると閃くものがあった。自分の書いた登場人物だから、何を考えているかよくわかる。これはシニャック一流の悪戯なのにちがいない。何でも良いから電話の切り際に謎めいた余韻を残して、相手を不安がらせたがっているのだろう。

あの野郎。次の小説のどこかに出して、ささやかな不幸な目に遭わしてやろう。箪笥の角に小指をぶつけるとか… 地味だけどやけに痛いのがいいな…

(…)彼に笑顔が戻ったのを見て、彼女は安堵したようだった。いつもの心持ち早口な滑らかな口調で、旅へ出発すべき理由を語り始めた。

 真哉くんは石鹸工場を後継者に引き継いで、メタNPOを設立するつもりよ。メタっていうのは: NPOのためのNPOというところかしら。彼はいま公認会計士なのよ」
「待って、話が見えない。公認会計士?」

「それだけじゃないわ。数年前にどこかからお金を集めてきてチームを組んで、洋書を読みこんだり、地元の会計人と勉強会をしたりして、SROI(エスロイ)を研究し始めたの。ROI(ロイ)やROE(ロエ)はわかる? わからないならいいわ。とにかくその研究が実って、この秋に日本初のNPO格付け機関として船出する目途が立ったのよ。資金集めが上手くいったらしいわ」

 シニャックの資金集めの巧妙さなら、身をもって思い知らされた経験がある。30万円の使い途はそっちだったのか。苦々しい嘔吐こそ伴ったものの、自分の金が自分とは縁遠い或る領域の飛躍的前進(ブレイク・スルー)に貢献した上で戻ってくるのなら、大人らしく諒とすべきなのかもしれない。

「運が巡ってきたのは、ネット上に寄付ポータルを起ち上げた頃から。それが電子通貨の最大手に吸収される話に発展したの。いずれおサイフケータイ上から真哉くんの格付けに従ってNPOに寄付できるようになるわ。その履歴はFBやブログ上で公開できるようにもなるから、CSRを越えたPSRの時代が遠からずやって来る、というのが真哉くんの読みよ」

 話の流れを理解できずに高頻度で瞬きしている路彦を見て、PはpesonalのPよ、と琴里が付け加えるが、シニャックの目論見が路彦の理解を超えていることに変わりはない。
 続々と湧き出す難解語を必死で追いかけているうちに、彼の心に懐かしさがありありと込み上げてきた。6年前の卒業旅行中、車中や機中で仲間たちと昼夜構わず語り合ったときと同じ、劣等感の疼きを感じたのである。シニャックや琴里や仲間たちが熱中する芸術談義や政治談義は、そこここに文系独特の難解さが鍵められていて、しばしば路彦の気後れを誘った。飛び交う鍵言葉やジャーゴンを把握しきれずに、鸚鵡返しをして訊き直すか、ただわかったふりをして頷いたものだ。19歳で医学部に合格して以来、路彦が医学一筋に打ち込んで、蟻の努力をこつこつ積み重ねている間、この連中は貧るように本を読み、浴びるように映画を観て、飽きるほど性交して、青春を存分に蕩尽したのだろう。異なる種族のその驚異的な生態は眩しいとも言えたが、彼が本気で眩しがるには、それはいささか遠くにありすぎた。

さて、前回の記事で書き残した課題は、一つは、フードバンクの財政的困難にどう対処するか、だった。『フードバンクという挑戦』の大原悦子が言うように、「格安の産廃企業」にも「超格安のスーパー」にもならないようにするには、どうすれば良いのか。

「欧米のように公的機関から援助が欲しい」という現実的な声も根強くあるようだ。そういう希望が実るといいなと思いながらも、社会の底辺層に対する国家という怪物のまなざしが、途轍もなく獰猛で残酷なこと知っている自分は、その方向性を100%肯定できないでいる。

フロリダ州のオーランド市は、ディズニーワールドのお膝元です。この町は最近、「食物テロリスト」が出没するそうで、数週間で20名以上が逮捕されました。お腹を空かせた人々に公園で無料の食事を配ったというのが逮捕の理由です。炊き出しを行った団体「フード・ノット・ボム」を、市長が「テロリスト」と呼んだことが広く報道されました。


「フード・ノット・ボム」(爆弾より食べ物)は国際的な反戦市民団体で、戦争や貧困や環境破壊に抗議するため、世界の千以上の都市で食事を無料で提供しています。「毎日10億以上の人々が飢えているのに、戦争に使うお金がどこにあるのか」 と彼らは言います。オーランド支部はイオラ湖公園で毎週2回の炊き出しを行なっていました。


ところがオーランド市は新たな条令を定め、25人以上の集団への食事の提供を許可制にし、一団体につき年2回までを上限にしました。すでに2回の許可を使いきってしまった「フード・ノット・ボム」の活動家は、条例を無視して炊き出しをしたため逮捕されたのです。

「食物テロリスト」の出現?公園の炊き出しを取り締まるオーランド市 | Democracy Now! 

 フードバンクの公的サービスともいえるアメリカのフードスタンプだって、黒い噂まみれだ。大規模食品会社を潤すため、食品添加物で不健康にして発病させるため(皆保険のない米では病気≒破産。盲腸で数百万円)などの噂は、常識的な部類に入るだろう。

「政治支配するより100万人を殺す方が簡単」とのブレジンスキー発言に代表されるように、生物兵器の偽エボラを流行させて、FEMAキャンプへ国民を送り込もうとしている1%グローバリストたちのことだ。 

 優生学的な選別や毒物混入の可能性はあり、食料支給を緊急カットして「予定通り」暴動を引き起こして「予定通り」戒厳令を発令して、アメリカを終わらせる口実にするかもしれない。

「依らしむべし知らしむべからず」の政府から離れた相互扶助的な食糧安全保障を確保していく可能性を追求した方がいいかもしれない。

誰がどう考えても、フードバンクの資金供給源は、食品会社とその向こうの消費者しかないはずだ。その二つをどう動かせばよいのか。数年前に頭を悩ませていて、もうこれしかないし、この概念はここ数年で大いに盛り上がるに違いないと確信したのが、SROI(エスロイ)だ。

SROIの概要
事業への投資価値を、金銭的価値だけでなく、より広い価値の概念に基づき、評価や検証を行うためのフレームワークがSROI(Social Return on Investment:社会的投資収益率)です。この指標では、社会・環境・経済面の費用と便益とを以て様々な活動による社会的インパクトを評価し、その社会的価値を適切に評価することを目指しています。  

SROIの概要 | 特定非営利活動法人SROIネットワークジャパン

SROIとは事業の社会的価値を定量的に数値化したもの。それはわかるが、事業の社会的価値だけを測定するのか、社会的価値だけでなく事業的価値も測定するのか、まだ測定対象が分かれているようだ。

この分かれ具合も味わい深い。企業の(事業部門以外の)CSR部門の効果測定の客観化も、よくこの分野のアジェンダにのぼるからだ。

フードバンクのような「ボランティア団体」にどにょうに持続可能な形で資金流通させていくかは、ソーシャル・ビジネスの事例研究がたぶん参考になる。

社会に良いことをしているだけでなく、社会にどんなふうにどれだけ良いことをしているかを客観的に数値化して、その受益者である貧しい人々以外の三者へ働き掛ける仕組みを作ることだと思う。遠い道のりになりそうだが、方向性はこれで間違っていないのではないだろうか。

  • 1つ目は、食品提供企業。ロス食品処分費ではなく、CSR予算の投入を決断してもらえるようなSROI数値による説得を可能にする。
  • 2つ目は、投資家。SROI数値をもとにSRI(社会的責任投資:株主が経営陣に対しCSRに配慮した持続可能な経営を求めていく投資)を活性化させる。
  • 3つ目は、消費者。SROI数値をベースにした認証ラベルを発行し、消費者の認知を高め、コーズ・リレーテッド・マーケティング(企業が社会貢献に結び付くような仕掛けとともに商品を消費者へ提供すること)を活性化させる。

 先ほどの電話で、シニャックはこうまとめていた。「もう一つは、食品ロスの話が、どうして「こども食堂」へ向かうべきなのか」。

食糧の安全保障の先進国であるフランスでは、国民一人あたりのロス食品は日本の半分ほどでしかないが、2016年に食糧廃棄禁止法の制定に踏み切った。ところが、ロス食品がフードバンクに殺到して、結局フードバンクが代わりに処分せざるを得なくなった。

さらにロス食品であふれかえっている日本で、その流通さえ滑らかになれば、「こども食堂」が受け皿となりうるロス食品の割合はごくわずかにすぎない。なぜフードバンクと「こども食堂」の連携が強調されなければならないのか。

そのような目下のリアリスティックな評言は、まったく正しい。しかし、それが正しいのは、この5年10年のみじかいスパンに限れば、という話だ。子供の貧困が中長期的にどれほど社会を貧しくするかを数値化すると、その「破壊力」の凄まじさに腰を抜かしてしまいそうになる。 

徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃 (文春新書)

徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃 (文春新書)

 

 子供の貧困を現状のまま放置しておくと、「所得が四〇兆円超、財政収入が一六兆円超失われる」というのが、本書のキャッチ・コピーだ。衝撃的な数字だが、どれくらい大きいのか、尺度がよくわからない。0~15才の子供の貧困を放置した場合、その子供が大人になってから死ぬまでの期間の話だ。内需に直結する子供たちの所得収入の減少が40兆円以上、国の財政収入の減少額が16兆円以上。前者は国家予算の約半分に相当する巨額の社会的損失だ。 

 We look at the the central bank revolution that will end in disaster with Japan leading the way after voters have demanded even more aggression with the nation’s monetary policy. They also look at Moody’s ratings getting no respect because nobody has done better than flipping a coin for 50 years in a slow burning prison. In the second half, Max Keiser talks to Peter Schiff about bonds, dollars and governments buying their own debt. 

私たちは、有権者が国の金融政策をさらに強力に推し進めるよう求めたせいで、日本が破滅へ至る道を歩んでいくような「中央銀行革命」を目撃しています。日本人はムーディーズなどの格付けが敬意を失いつつあるとみなしています。というのは、ゆっくりと燃え落ちつつある監獄で、50年間も硬貨を弄ぶこと以上に、誰もうまくやることはできないからです。第二部では、マックス・カイザーがピーター・シフに債、券やドルや政府自身が自分の負債を買い上げることについて、話しています。

日本経済の先行きについて、強気をブル(雄牛)、弱気をベア(熊)という。日本売りの急先鋒、つまりは最大の「ブル狩り」の提唱者はマックス・カイザーというエコノミストで、現在このサイトで日本経済悲観論を発信中だ。 

自分は日本のことが大好きだが、日本経済悲観論では、この魁偉な要望のエコノミストとほとんど意見が一致している。「崩壊」後に日本円が暴落して、海外からの食料輸入が途絶えるだろう数年間、まずは自家菜園ですぐに食べられる状態になる小松菜などの栽培が盛んになるにちがいない。「小松た菜」と溜息をつくだけでは、生き残っていけない。

「ブル狩りで小松菜を」食べてばかりの日々を送りたくなければ、資産分散、非常食などの防災用品、心の覚悟以外にも、マクロからミクロまで「食糧の安全保障」について思考をめぐらせておくのも悪くないと思う。

 

 

 

(周知のように、ブルガリは宝飾店。エルメスと同じく買い物はしたことはなく、貰い物があるくらい。フランス語で「宝石」という意味のこの曲は、歌詞も好き)