サイレンスの声を聴きとりたくて

サイレンがサイレンを追ふ夜の火事            戸栗末廣

洗い髪に顔をうずめた夜明け前連続放火告げるサイレン   穂村弘

酒鬼薔薇少年の脅迫状郵送先で軟禁された友人から電話をもらったり、その少年と同じ町に住んだり、

オウム真理教による新宿駅青酸ガス事件とニアミスしたり、

目白通り沿い連続強姦魔とニアミスしたり、40年と少し生きていると、驚くほどいろいろな事件に遭遇するものだ。そして、今も自分は事件の中にいる、と書くと格好つけすぎだろうか。本当は、格好がつくどころか洒落にならないので、早くもっとお洒落になりたいものだ。

検索で出てこなかったのは残念。今晩は放火魔に出逢った経験について話すので聞いて☆い。ん? この星印が出てきたということは、サン=テグジュペリから話すべきだということだろうか。誰もが知る『星の王子さま』だけでなく、飛行機乗りでもあった彼には『夜間飛行』という代表作もある。 同名の香水もヨーロッパではよく知られている。 

 飛行機を持っていない自分は、もっぱら「夜間歩行」専門だ。俳諧でこの記事を始めたからといって、「夜間徘徊」だとは言わないでほしい。まだ頭はしっかりしているはず。夜の街を歩き回ったり、樹々が成り騒ぐ夜道を散策したりするのが好きなだけだ。

Googleで放火魔と出会った道を久々に散歩してみると、工場は潰れて駐車場になっていた。 

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時刻は夜の11時くらい。夜の散歩からの帰りだったと思う。近所にある工場のエントランス。いつもは当然無人の鉄の門の前に、座り込んでいる男がいた。よくあるこんな感じの大型門扉だ。

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http://www.nbc-corp.jp/products/slidedoor/

男は地面に放心したようにぐったりと座り込み、その横に自転車が横倒しにされていた。なぜスタンドを立てないのだろう?

人間観察が趣味の自分は、その男のことが気になって仕方がなかった。男は携帯をいじるでもなく、酒を飲んでるわけでもない。無人の工場の前だなんて、待ち合わせをするような場所ではない。それでも、何となく直観で、男が何かを待っているような気がした。

別の道を通って散歩から帰ってしばらくすると、消防車のサイレンの音が鳴り響いた。自分のアパートのすぐ近く、急坂を下りきった突きあたりの裏手から火の手が上がっていた。消防車やら野次馬やらで大騒ぎになった。幸いなことに、というか、放火だったので計算してのことだったのだろうが、全焼したのは空き家だった。

放火魔は連続放火をしていたらしい。しばらくして捕まったのは、北先住あたりに住んでいた男。職業を聞いて驚いた。男は何と数年前に退職した元消防団員だったのである。連続放火の動機を、新聞はこう伝えていた。

サイレンの音が聞きたくて…

消火の甲斐あって、空き家だけが綺麗に燃え落ちて、 密集した住宅街へは延焼せずに住んだ。自分が移り住んだ目白の急坂のうち、豊坂を下りきったところでの空き家が全焼した。ただそれだけの話がそれだけでない気がするのは、前身ブログで書いた初記事が、同じ場所へ飛んできた「螢」について書いたものだったからかもしれない。

これらの話のどこにも嘘はないのに、ちょっと話が出来すぎている感じがする。どうしても、同じ短編集に収録されている「納屋を焼く」に言及しないわけにはいかない気がするのだ。

「納屋を焼く」は名高い初期短編。

 知り合いの結婚パーティで「僕」は広告モデルをしている「彼女」と知り合い、ほどなく付きあい始めた。パントマイムが趣味の「彼女」には「僕」以外にも複数のボーイ・フレンドがいる。そのうちの1人と「僕」はたまたまあるとき食事をすることになった。大麻と酒の場でのとりとめのないやりとりの途中で、「彼女」の新しい恋人は不意にこんなことを口にする。「時々納屋を焼くんです」。(…)

彼は、実際に納屋へガソリンをかけて火をつけ焼いてしまうのが趣味だという。また近日中に辺りにある納屋を焼く予定だとも。「僕」は近所にいくつかある納屋を見回るようになったが、焼け落ちた納屋はしばらくしても見つからなかった。「彼」と再び会うと、「納屋ですか? もちろん焼きましたよ。きれいに焼きました」とはっきりと言われてしまう。焼かれた納屋はいまも見つからないが、「僕」はそれから「彼女」の姿を目にしていない。  

納屋を焼く - Wikipedia

加藤典洋らが主張しているのは、「納屋を焼く」とは「女性を殺す」の「新しい彼」なりの隠語なのだという説。有力な解釈だと思う。きっと「彼女」は「新しい彼」に殺されてしまったのだ。……

放火当日の夜が明ける前、何だか眠れなくなって、外へ出た。空き家が焼けた跡には、普段はほとんど見ることのない黒々とした地面が露出していた。目を凝らして見る限り、そこに女性の死体はないようだった。

光のない完全な闇は苦手だ。幼稚園生の頃は完全な闇が怖くて、寝る時に電灯の豆電球を必ずつけてもらった。「電気を夕焼けにしてほしい」という表現で、よくそうするよう頼んだものだ。寺山修司は完全な沈黙が嫌いだったらしい。「少し隣の部屋で騒いでいてくれないか。そうじゃないと眠れないから」という逆説的な言葉を残していたはず。

完全な闇。完全な沈黙。他愛のない思い出話では済まない怖い話があると知ったのは、大人になってから。 

性暴力被害の実態と刑事裁判

性暴力被害の実態と刑事裁判

 

 だからといって、大人がきちんとしていると分かったわけじゃない。何と、これを書いている時点で、「レイプ神話」についてまとまって書かれた日本語サイトがないのだ。wikipedia にも詳しく書かれていない。これでは被害者が苦しむわけだ。というわけで、上記の論文集のうち、吉田容子による「データから見る性暴力被害の実態」から、一部表現を微修正して引用しておきたい。 

 2. 強姦神話

 強姦についての根拠なき思い込み(いわゆる「強姦神話」)には、例えば以下のようなものがある。

(1)強姦は被害者と面識のない加害者により行われる → 面識のある相手からの性行為は強姦ではない。

(2)強姦の加害者は異常性格者または倫理観に著しく欠ける者である → 普通の人による性行為は強姦ではない。

(3)強姦は暗い夜道や公園で行われる → 家の中やホテルでの性行為は強姦ではない。

(4)強姦は無理やり連れていかれた場所で行われる → 同意して行った場所での性行為は強姦ではない(ホテルのバーで一緒に酒を飲んだり誘われて車に乗ったことは、性行為への同意を示す)。

(5)被害者は貞操を守るために性行為を拒む → 性行為を拒まない女性は貞操観念がなく同意しているから強姦ではない。

(6)貞操観念がある女性は、性行為や性的言動について慎重である → 性行為や性的言動について慎重でない女性(「奔放な」性格や「派手な」職業の女性を含む)は貞操観念がなくすぐに同意するから、そのような女性との性行為は強姦ではない。

(7)女性は(貞操を守るために)生命・身体の危険を冒しても最後まで抵抗を図るものであり、そのような抵抗を抑圧して行われるのが強姦であ る。女性が抵抗しなくなるのは、性行為を受け入れ、(口では嫌と言って いても)体が喜んでいるからである → 被害者が生命・身体の危険を冒して最後まで抵抗をしなければ同意であり強姦ではない。
(8)加害者の動機は性欲であり、被害者の挑発的な服装などが強姦を誘発する → (結果的に被害者の)性欲が満たされていれば強姦ではないし、被害者に誘発の責任がある。 

 読んでいて、かなりしんどい思いになってしまうのは、下記の『Black Box』の刑事事件が、上記の8個の神話のほとんどに該当することである。 

Black Box

Black Box

 

(1)~(8)の「→」のすべては、恐ろしく莫迦げた論理の飛躍でしかないが、悪質な「俗情」と結託すると、やすやすと男性優位社会には受け入れられてしまう。その証拠に、レイプ神話を狂信しているのはレイプ加害者だけではないのである。 

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

 

  は、は、は。やはり裁判官は「特殊温室育ち」だから駄目だな。在野育ちで人望を集める国家クラスの「日本代表」なら、全然違うだろう。 

 お、どこの男性の声だろう。それが誰であれ、残念ながら、大ハズレだ。

(…)「男は黒豹なんだから」うんぬんは、早稲田大学のサークル「スーパーフリー」が起した集団レイプ事件に関する発言。それはレイプ擁護の発言。

スーパーフリー」が起した事件を受けて、太田誠一元総庁長官が「集団レイプする人はまだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」とレイプを容認・助長する問題発言をした。(2003年6月26日)


その翌日の夕方に、番記者数十人と完オフの懇談を行った。

福田首相太田さんは謝っちゃったんだね・・・・・・。(…)だけど、女性にもいかにも「してくれ」っていうの、いるじゃない。そこらへん歩けば、挑発的な格好してるのがいっぱいいるでしょ。世の中に男が半分いるっていうこと知らないんじゃないかなあ。ボクだって誘惑されちゃうよ
記者:女が半分いるってことを知らない男もいるんじゃないですか。どんな格好していても、レイプはレイプです。
福田首相そこらへん歩いてごらんなさいよ。まあ、そのへんにはいないかもしれないけど。そういう格好しているほうが悪いんだ

 現役の官房長官によるレイプを擁護する暴言に戸惑う記者たちをよそに、なおも福田氏は、意味不明の言葉を吐き続ける。

福田首相男は黒豹なんだから。情状酌量ってこともあるんじゃないの? これから夏になるしね。女性も悪いんだから、女性も気をつけなきゃいけないんだよ。そういうのいると思わないか?

週刊文春記事より。下線は引用者による)

あれ? 「女性が輝く社会」を政府が主導しているはずなのに、どうして過去最低を更新してしまったのだろう? 有権者に耳障りの良いことばかり言って、実際はそれが「嘘」だからなのだろう。『Black Box』の刑事事件で、レイプ加害者が誰に相談し、誰が逮捕を直前に不当にもみ消して「論功行賞」を得たか、ネット民はよく知っている。世界も知り始めた。

 レイプ加害者はその手口の巧妙さや用意の周到さなどから、常習犯だったのではないかと囁かれている。露見していないだけで、余罪がかなりあるのかもしれない。

 露見していない犯罪被害の数を「暗数」という。性犯罪は「暗数」のきわめて高い種類の犯罪だ。特に強調してしらしめておきたいのは、(7)のように生命をかけた抵抗は、学術的にいってかなり困難だということだ。

 しかし、トラウマを引き起こすほどの恐怖というものは、日常的なレベルの 「怖い思い」とは大きく違うものである。そのような恐怖に直面したとき、人間には、日常では考えられないようなさまざまな思いがけない反応が起きることが多々ある。そのとき、大脳皮質の機能は抑えられ、生存に関わる脳の部分が急激に活性化してくる。考えるより先に身体が反応し、手が震えて止まらない、足に力が入らない、金縛りになるなどの反応が起きるかもしれない。また、そのつもりはないのに相手の命令に自動的に従ってしまったり、現実感がなくなり、自分に起きていることとは思えなくなったりすることもある。人間的な思考よりも、動物レベルの危機反応が優先するのである。

 また、これまでは、「危機的状況において人は、生存のために逃げたり 闘ったりするものだ」と考えられてきた。一般的にも、とっさに行動できるはずだという思い込みや、できるべきだという価値観が共有されているようである。けれども実際には、攻撃を受けた動物には、不動反射 (フリーズ反応)が起きることがしばしばある。動きをやめ、目を凝らし、耳を澄ますことによって、周囲の観察をすることや、敵に見つかる可能性を低めることができる。不動反射が起きない場合は、強直性不動という偽死反応が起きることもある。動物でも人間でも、びっくりするとまず身が固まったり、すくんだりするものなのである。

 その他にも、事件直後の反応に関するよくある誤解のひとつに、「事件の翌日もいつもどおり仕事に行ったのは不自然」だという主張がある。裁判などで、それを根拠に被害事実の否定がなされることも多い。しかし、性暴力などの被害者が、事件の次の日に仕事に行くというのは決して珍しいことではない。どうしていいかわからず、とりあえずは誰にも知られたくないので、予定どおりの行動をこなすという人もいる。衝撃のために思考能力が落ち、 習慣的になった行動をとり続ける人もいる

(『性暴力被害の実態と刑事裁判』所収の宮地直子「精神科医から見た性暴力被害の実態」より引用。強調は引用者による)

 『Black Box』を読んだ人間には、つらい記述が続く。『Black Box』著者が受けた被害は、レイプ被害の典型例中の典型例であることは間違いない。典型例であるがゆえに、典型的な誤解のほとんどを背負ってしまい、歪み切った政治的圧力やその工作員によるバッシングまで受けている。出典を見失ってしまったが、確か彼女は「自分は強い女ではなく弱い存在だが、次の未来の被害者を生み出さないために、ジャーナリストとして闘うことに決めた」という意のことを発言していたように記憶する。この社会に存在する数多くの支援者の一人となって、彼女の闘争の健闘を祈りたい。

一方の側に入れ込みすぎた書き方になってしまっただろうか。実は、ここには書きづらい内容のせいで、自分も数日前、放心状態のままベッドのシーツに顔をきつく押しあてて、数十分泣いた経験を持っている。声を出して泣いたら、もう少し楽だったかもしれないが、そうすると巻き込んで悲しい思いをさせる人々が、少なからずいるような気がしたので、声を殺して泣いたのだった。

連続放火魔が鳴らすけたたましいサイレンの音。

野次馬が集まり、消防車が放水し、空き家が燃え落ちる。

けれど、その燃え落ちた空き家の跡地には、あの短編と同じく、数え切れないほど、いや、「暗数」の数だけと言い直さねばならないほど、「不動反射」や「偽死反応」に陥った多くの女性たちの存在があるのだろう。

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(Mary. F. Carvert によるレイプ被害で自殺した被害者の手記。「If only it was this easy」は「これがこんなにも楽だったら」の意)。

生き延びてほしい、と痛切に思う。もし自死の境界線上で彷徨っている人がいたら、あのときの息を殺した恐怖、押し殺した言葉、こらえ通した涙について、私に話してくれないだろうか。

初対面の誰かに、自分が最初に伝えるべき「肩書」は、間違いなく「サバイバー」だ。生き残った者にしかできない仕事をやりたいと感じている。三面記事担当の記者が飛び回る放火事件のサイレンの音ではなく、ほとんど無音のサイレンスの声を聴きとりたいと考えている。

 

 

 

 

Silent Poets と heavenly voice の持ち主 Kirsty Hawkshaw との共作曲)。