鯖男もロバオも世界にひとつ

中学1年生で初めて英語を習った世代だ。まだようやくアルファベットの大文字と小文字を覚えたばかりの4月。まだ小学生の面影の残るクラスメートが、英語の教科書に出てくる登場人物の Sadao を言い間違えることが多かった。

How are you, 鯖男?

と指名されて朗読した旧友もいた。教室中が明るい笑いに包まれたものだ。噂では、その「鯖男」を自分の犬の名前に付ける人もいるらしい。由来は何だろう? 同じなのだろうか?

小説の登場人物なら気は楽だが、戯曲の役名には気を遣ってしまう。学生時代は、少人数の学生劇団だったので、サークル仲間それぞれに嵌まるように当て書きをした。下手な役名だと、仲間からクレームつくことがある。「鯖男」はつけたことはないが、「ロバオ」ならある。配役が決まってすぐ「ロバオ」役の友人から「どうしてこの役名が『ロバオ』なのか、納得のいく説明をしてほしい」と言われて難渋した。

はっきり断言するが、「ロバオ」に意味なんてない。しかし、人生は万事塞翁がロバ。その問いを念頭に焦って書き足した「ロバオ」の相手役の女の子の台詞が、本番では大ウケだった。「ブレーメン・ロバオ」もご満悦だった。

ロバオ、ロバオ、どうしてあなたはロバオなの?

鯖男 or ロバオ? 客室乗務員に今そう訊かれた。このフライトは鯖男で始めることにしよう。つまりは、犬の話から。

 大江健三郎が東大在学中に書いたデビュー作が「犬殺し」の小説だったことは、よく知られている。そのような犬の主題的連関をめぐって、ずっと戦後日本の純文学に消えては現れる「59年の犬」を追いかけていた時期があった。

被占領国の死者の物言わぬ声を主題にした『心臓の二つある犬』では、「忘れ物があるよ」と指摘されて、主人公は自分の更衣室へ戻る。彼が自分のロッカーに衝撃的なものが投げ込まれているのを発見する場面を、こう書いた。残酷な描写が苦手な人は読み飛ばしてほしい。

 扉を開ける。直立した棺の中には、予感されたとおり、屍体が抛り込まれていた。最初の一瞥では、泥酔した小男の酔っ払いが、中で蹲っているようにも見えた。しかし仔細に見ると、何かを押しのけるかのように宙に突き出された両腕は人間の腕ではなく、死後硬直した犬の後肢である。硬直した犬の身体は頭を下にして逆立ちさせられており、底面に接している頭は身体の重みで頸椎が折れ、ありえない角度に曲がっている。捩じ切れた犬の頭は、物悲しげな目をして、逆立ちした自分の屍体を仰ぎ見ている。

文脈を操作しながら、強調したかった主題として、「動物実験で死んだ犬たち、ひいては敗戦で死んだ先人たちを『忘れてしまう』ことには恥の感覚がある」とも書き込んだが、この場面の描写は書いていて気分が悪かった。気分の悪いまま、このあとさらにグロテスクな描写を続けなければならなかった。虚構だが、ある意味では、それが日本の現実だったから。

フィクションではなくノンフィクション。メタファーではなく現実。それなのに、ペット産業の広大な闇の深さに分け入っていくうちに、もともと涙脆くて感傷的な自分は、すっかり鬱然としてしまい、一時的に食が細くなってしまった。

殺処分を担当する獣医師たちは、「ガス室送り」にする動物檻を「ドリーム・ボックス」と呼んでいるとか。動物と触れ合いたくて獣医師になったのに、街で出会った犬にカレラが触れようとすると、犬たちは何かを察知して猛然と逃げようとするらしい。 

ペット殺処分---ドリームボックスに入れられる犬猫たち (河出文庫)

ペット殺処分---ドリームボックスに入れられる犬猫たち (河出文庫)

 

 欧米人が「犬猫アウシュビッツ完備の国」と侮蔑的に呼んでいる国には、各地方自治体に動物愛護センターがある。そこでの日常的な殺処分の臨場感は、上記の本で体感できる。「微修正すれば純文学になるな」と呟いてしまうほど、ノンフィクションとしての筆者の筆の捌きは巧みだが、それではまだ足りないと、現実の悲惨さは言うかもしれない。写真を同書から引用した。これはぜひとも、啓発目的で映像にしなければならないのではないだろうか。

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驚いたのは、いま殺されようとしている犬たちのほとんどが、まだまだ愛玩に耐えそうな犬に見えることだ。奥にいるダルメシアンは高級犬ではないのだろうか。

何とかして、何かをして、この状態を変えたい。 

 子供でもそう思うだろうし、子供だからこそ、大人たちより大きなことができることもある。

 人間の骨はお墓に入れてもらえるが、動物の骨はゴミとして扱われるのだそうだ。そのことをその時初めて知り、自然に涙が浮かんできた。
 知らなかった。こんなに骨が細いなんて。

ペットたちの骨が「ゴミ」として捨てられることを知った青森の女子高生が、その骨を土に混ぜて花を咲かせることを思いついた。「いのちの花プロジェクト」は「もっと生きたかった」という犬や猫たちの思いを、花として蘇らせる運動だ。

ペット産業の闇については、ジャーナリスティックな筆致で書かれているものとしては、この本。(以下、「ペット闇①」)。 

犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 (朝日文庫)

犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 (朝日文庫)

 

 ややアグレッシブな書名に最初はひるんだが、ソフトな情緒派向け記述からハードな法律議論まで、バランスよく網羅しているのは、この新書。(以下、「「ペット闇②」)。 

青森の高校生の「命の花プロジェクト」は、当然のことながら老衰で自然死した犬の骨で花を咲かせたのではない。圧倒的な「殺処分」数が問題なのである。

平成26年度には、15万頭以上の保健所等引き取り数のうち、7割近い10万1千頭が殺傷文されているのだという(ペット闇②)。

ペット産業の闇に分け入ってみて思うのは、レッシグの四規制概念(法、道徳、市場、アーキテクチャ)の観点から概観すると、ドイツやイギリスに比べて、著しく「法」整備が遅れていることだ。

理想をドイツのティアハイムに置きたくなるのもわかる。郊外の公共セクターにあたかも現代美術館のような建物を配し、休日に立ち寄る家族連れなどに、犬の習性や飼い方を丁寧に説明して、保護犬の「里親」を査定して手渡す。保護した犬のうち、98%に新しい飼い主が見つかり、残りの2%も終生飼育するのだという(ペット闇①)。

98%! 上記の日本の数字を単純計算すれば、33%が生き残り、67%が殺処分されることになる。

この数字の巨大な落差を象徴するかのように、法律の分野に限定したとしても、何から手を付けたら良いのかわからない混迷ぶりだ。それを、さらに道徳、市場、アーキテクチャらにプラス方向で関連づけた仕組みを作り出すのは、かなりのイノベーティブな発想力が要求される。

自分に見えたのは、「廃棄物」がポイントらしいことだ。ペット闇②では、こんな悲痛な逸話が語られている。

ある大手ペットショップでは店舗で動物が亡くなると、「遺体を冷凍して袋に入れて(ハンマーで)粉々に砕いて捨てる」のだとか。それを従業員にやらせているのだそうです。

 ペットの生命のみならず、動物が好きでペット店で働き始めた若者たちの精神衛生をも害しかねない酷い話だ。ただ、エモーショナルに反発するだけでは大きな変化は生み出しにくいかもしれない。少なくとも、動物の遺体の廃棄処理に関して、法規制をかいくぐろうとし、かつ、廃棄費用を低減したいという市場原理の働きがあることは、そこに読むことができる。

では、例の四既成概念を相関させるべく、ここから、どう考えるか?

数時間の思考でしかないが、自分の頭にブレインストーミングをかけてみた。

 1. マイクロチップによる生体標識の法的義務化

 飼育放棄によるペット投棄は大問題だが、迷い犬や迷い猫など、飼い主がまだ飼いつづけたいのに迷子になってしまって、保健所に引き取られて数週間後に殺処分、という悲しすぎる話も決して少なくない。

イギリスの例では、年間約10万頭もいる迷い犬のうち、約半数は飼い主の問い合わせやマイクロチップ(迷子札)によって、飼い主の元へ戻るのだという。 

日本の犬猫は幸せか 動物保護施設アークの25年 (集英社新書)

日本の犬猫は幸せか 動物保護施設アークの25年 (集英社新書)

 

この本では、東日本大震災のときに、自宅に取り残された高級犬が盗まれたり、家族の一人として避難所へ連れて行ったのに、そこで盗まれた事例が書かれている。

 阪神淡路大震災の時にも、同じような事例があったらしい。身体の不自由な男性が善意でシェルターを構え、震災で飼えなくなった犬や猫を引き取ったのだが、そこは高級住宅街のある阪神地区。遠方から来た不届き者が仮設のシェルターからやすやすと「高級犬」のみを盗み出したのだとか。いやはや、何という美しい国! さっさとマイクロチップを義務づけておけば、あってほしくない殺処分やあってはならない盗難を防げるのに。

 2. ペット販売店によるペット引き取りの義務化

「廃棄物」がポイントだと直感したのは、ペットの遺体は、一般的な廃棄物とするには抵抗感を感じる特殊性があるからだ。そこに不法投棄を厭わない悪質業者に付け入れられる隙がある。

マイクロチップに、ペット情報、飼い主情報、販売店情報が書き込まれるなら、飼えなくなったペットは、販売店で引き取るよう法整備すれば良い。

3. 販売ケージの一定数以上を「再販売」ケージにする

そして、かなりのペットがストレスや病気で亡くなりやすい「生体販売」手法を継続したがるペットショップには、販売ケージの20~50%を、自店が販売した保護犬や保護猫を収容して再販売しなければならないよう法的に義務づける。再販売ペットのケージには「処分期限」の明示を義務づける。

4. ペット販売時に引き取り費用を上乗せして販売する 

 ペット販売店がいくら引き取ると言っても 、引き取り費用が高額なら、闇業者の手に渡ったり、不法投棄を生み出しかねない。購入時に引き取り費用を前払いしておけば、例えば震災のような緊急事態の場合にも、ペットをそのまま引き渡せる。

ペットを最後まで飼いつづけた飼い主には動物病院の死亡証明書と引き換えに、引き取り費用を返還するようにすれば良さそうだ。

5. 1.2.3.4.の相乗効果の考察

ペット販売店の負担は一時的に増えるが、リアル店舗さえ所有していれば、ネット上の無店舗業者との過当競争は避けられる。1.2.3.4.の法律で裏打ちされアーキテクチャは相乗効果を伴いつつ、現在とはまったく異なる「理想的なペット業者像」を業界の主流にしていくかもしれない。

  1. 「再販売」ペットでは収益を出しにくいので、新規ペット販売ケージ率を高めるべく、自店へのペット還流をなるべく抑止しようとする。
  2. 販売時に、末永く最後まで飼ってくれる飼い主を選ぼうとする。
  3. 病気を隠して売っても自店へ還流してくるだけなので、「不良品」を偽って販売したりしなくなる。
  4. 健康なペットを販売しても、飼い主が病気にしてしまっては「損」をする可能性が高まるので、定期相談会などを開催して、飼い主の飼育の悩みなどを解消する機会が生まれる。 

数時間で考えたアイディアの書き出しなので、プロから見れば当たり前すぎ、素人から見れば新奇すぎる発想の連続かもしれない。

いずれにしろ、こういう発想の背後にあるのは「持続可能」という考え方。いまこの社会が持続可能であってほしいと感じて、自分の頭を使って考えている人々には、簡単にひねり出せるアイディアだろう。

簡単じゃないって? もう一度、自分の頭を使って考えてみよう!

自転車業界の防犯登録… ペットボトルなどのリサイクル資材の一定比率の活用義務化… 家電四品目の家電リサイクル券… 自動車バッテリーの引き取り義務… 「かかりつけ歯科医」制度…

ね、簡単でしょう?

上の全国版のマッチングサイトは、地元愛媛県でも豊富な里親募集情報を発信してくれている。 

ここまでいろいろと調べてきたが、いまだにどうして犬の名が「鯖男」なのか、どうして自分の演劇の役名が「ロバオ」なのかは、とうとうわからずじまいだった。ただ、「鯖男」であれ「ロバオ」であれ、その生命にかけがえのない価値があることを、「ブレーメン」という活動団体が教えてくれている。

2016年、殺処分の現状を知ったSEKAI NO OWARIは、いろんな人にお話を聞かせて頂き、疑問に思ったことを質問し、日本における殺処分の現状を「知る」機会に出会いました。


現実で起きていることを知れば知るほど、今まで自分達の音楽で世界は変えられないと思っていたけれど、もしかしたら自分達が動くこと、発信することで、今なら少しくらい何か「きっかけ」を与えられるんじゃないかと思い、メンバーで話し合い、動物殺処分ゼロプロジェクト「ブレーメン」をスタートすることを決定しました。


人が作ったシステムならば、人の力で変えられるのかもしれない。 

 (下の記事で引用したこの曲は本当に最高。PVのメインキャラクターが髪につけているエクステは、おそらく松山名物の「五色そうめん」だろう。祈世界進出。)

記事の前半で話した「命の花プロジェクト」は、本人による書籍に次いで、ジャーナリストの手による書籍が出た。映画化も決まったらしい。 

世界でいちばんかなしい花 (それは青森の女子高生たちがペット殺処分ゼロを目指して咲かせた花)

世界でいちばんかなしい花 (それは青森の女子高生たちがペット殺処分ゼロを目指して咲かせた花)

 

サポーターにはこの人の姿も。

「犬猫アウシュビッツ完備の国」に、私たちはどんな花を咲かせるべきなのだろうか。一方に、「世界でいちばん悲しい花」があり、一方に人間の生命のかけがえのなさを歌った「世界にひとつだけの花」がある。

英訳された後者は、海外の少女たちが口ずさむほどに親しまれている。

空想が止まらない。姪っ子でも誰でもいいけれど、あの歌に響く生命讃歌に共感できる心を持つ子供と一緒に、偶然ペットショップに立ち寄るとする。たぶん休日の午後だ。そこで、思いがけず法定保護犬ケージを発見して、私がじっと中の犬を観察していると、いつのまにか横に立っていた子供に、「あと一週間だって。ねえ、お願い、この犬を飼って」とズボンをつかまれてせがまれるのが、目下の夢だ。