心に dandelion を根付かせて

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色違いの綺麗なタンポポ

違う。実はどちらも同じタンポポだ。左が人間の単眼で見ている花、右が蝶や蜂の複眼に見えている花だ。蝶や蜂の複眼的視覚に合わせて、花自身が蜜や花粉のありかを教えたがっているかのように、中心部が赤く抜き描きされているのがわかる。

この花の写真を見ながら、複眼的思考の重要性を思い出していた。 

  • 筆者の主張を鵜呑みにするのではなく、同調と疑問と批判のそれぞれのスタンスの間を往還しながら「自分の頭で考える読書」をする。
  • 疑問を感じたら、論理的な因果関係を含む「なぜ?」の問いへと発展させる。
  • モノやコトの内部だけでなく、外部をも視野に入れた「関係論的思考」をする。
  • 一面的な理解ではなく、その理解の一面に逆行する「逆説」を発見する。
  • 問題が問うている問題の枠組みそのものを対象化して問題にする。 
知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)

 

 複眼思考と言えば、かつて岩本沙弓によるこんな一節を引用したことがあった。

 会計学のエキスパートである神奈川大学の田中弘教授は、「英米の常識だから」と日本が導入させられた時価会計とそれに関連するBIS規制、連結会計、減損会計などは、どれを取っても日本企業の決算数値が悪くなる基準であると指摘しています。 

最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 世界恐慌への序章

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上記の経済本の出版後、予想通り、BIS規制によりそれまでゼロリスクとされてきた自国国債をリスク資産とするよう評価法の風向きが変えられた。もちろんそれは日本の銀行が不利となる方向だった。

あの田中弘が国際会計基準の持つ政治性について論じた本には、それにふさわしく「複眼思考」の文字が見える。会計基準という問題の枠組みそのものを問題にする思考が、当然のことながら、そこにはある。しかし、それが当然ではないのが、日本の会計学界ということになるのか。

複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか

複眼思考の会計学―国際会計基準は誰のものか

 

 しかも悲しいことに、それは会計学界だけではなく、スポーツ界もビジネス界も同じ。ゲームメイクでは競争優位に立てても、その一段下の基盤にあるゲームのルールメイクでは、からっきし駄目な国民性のようなのだ。複眼思考が下手なのにちがいない。

ルールづくりの主導権を握ったほうが有利なのは、スポーツにかぎった話ではない。ビジネスの世界では国や企業間で規格競争がよく起きるが、規格争いが起きるのも、ルールを決める側になったほうが市場で有利に戦えるからだ。 

これまで過去の敗戦について繰り返し語ってきた。

太平洋戦争、日航機「墜落」事件+プラザ合意、日本バブル崩壊阪神淡路大震災オウム真理教事件。……

3.11の東日本大震災は、私見では、5度目の敗戦だ。 

今回はありそうな未来の敗戦について、しかし、読書体験としては滅茶滅茶面白かったことを強調しておきたい。 

技術革新のスピードが異様に速い昨今、約3年後に出た海の向こうの現場本より、はるかに刺激的な分析的概観と遠視力の高い展望に満ちている。 

ドライバーレス革命 自動運転車の普及で世界はどう変わるか?

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 しかも、著者は私と同郷で同年代。良い勉強をさせてもらって、まだ脳が興奮している感じ。

話の種類としては、 ここで語ったオープン・サービス・イノベーションに近い。 

自分の記憶定着用に、過去の経営戦略論の系譜をお浚いしておきたい。

1960年代頃に主流だったのは、多角経営企業における経営資源の配分や投資を主眼にしたポートフォリオ・マネージメント。 BCGが発祥地だった。

 しかし、資産運用のポートフォリオとは違って、企業の経営資源は最大の付加価値を得て最大の業績を上げなければならない使命がある。そこで、経営戦略論は『戦略サファリ』パーク時代へ突入する。本当に本当に本当に本当に本当にライオンだ、と5回も「本当に」を繰り返したのは、『競争の戦略』著者のポーターが挙げた競争要因が5つだったからだ。 (競合他社、新規参入者、サプライヤー、顧客、代替品)。

やがて、ポーターの分析が市場という外部要因に偏在していた反動で、経営戦略論は企業内部の経営資源を分析した「資源ベース論」へと移行する。『戦略サファリ』パーク研究員のミンツバーグの分析は、現在の目から見てもきわめて示唆的だ。 

戦略サファリ 第2版 -戦略マネジメント・コンプリート・ガイドブック

戦略サファリ 第2版 -戦略マネジメント・コンプリート・ガイドブック

 

 彼は何と、『戦略サファリ』パークは、体系的に計画されたアミューズメント・パークにすぎないと断言してしまった。「硬直的で形式的な戦略策定が企業の優れた業績に寄与するという証拠はほとんどない」と主張したのである。ビジネスの自然界では、過去の企業能力と未来の市場環境の間で、不断に戦略を修正・転換して、企業の現在を創出していかなければならないとしたのである。

自分の感触では、ミンツバーグの辺りで、だいたい山頂とほぼ同じ高さに達していると思う。さらに付け加えられたのは、過去の企業能力から、どれほどの強度の中核的競争優位性(コア・コンピタンス)を確保するかという主題と、その真逆、企業の中核的競争優位性のみを強化する場合の起業の硬直性(コア・リジディティー)という主題が論じられた。 

コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)

コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫)

 

 では、『戦略サファリ』パーク、あらため厳しいビジネス界で、自然競争を生き残っていくにはどうすればよいのか。それが企業の内部と外部で発生する破壊的イノベーション(クリステンセン)に適切に対処すべく、同じく企業の内部と外部とを有機的につないで発展するダイナミック・ケイパビリティ論。 

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

 
ダイナミック・ケイパビリティ戦略

ダイナミック・ケイパビリティ戦略

 

そして、企業の内部と外部をどう協働させるかのヒントとして、垂直統合型の自前主義経営の歴史的終焉を宣言したラングロアを前提に、その具体的展開を記述したチェスブロウのオープン・サービス・イノベーションがあるというのが、現在の経営戦略論の布置なのではないかと思う。 

消えゆく手―株式会社と資本主義のダイナミクス

消えゆく手―株式会社と資本主義のダイナミクス

 

 すっかり前置きが長すぎちゃってどうしよう、時間食ってどうしよう、という感じだ。

 自分もよく使う語彙ではある。ただ、何かというと「イノベーション」「イノベーション」を連呼することから、「イノベー神」の異名をとる学者が日米にいることは、戦略サファリ・パークではよく知られている。日本では、野中郁次郎。アメリカでは、クリステンセン。

泉田良輔の『Google vs トヨタ』に話を戻すと、途中で「クリステンセンが間違った」などと「イノベー神」をも怖れぬワイルドな断言をしているのに驚かされた。ただ、よく読むと確かに間違っている。

  私の理論でいくと、アップルは iPHONE で成功しない。彼らは、同じ産業の既存のプレーヤー同士が異常なまでに競合するということが動機になっているにすぎない。それでは本当に破壊的とは言えない。歴史を見る限り、成功の可能性は限られている。

 クリステンセンは iPHONE の成功を受けて、アップルがアプリケーションをオープンにしたことを評価しつつも、よりオープンな Google のアンドロイドOSが80%のシェアを獲得したことをもって、自分は半分間違って半分正しかったと述べる。

 しかし、そこでも泉田良輔の分析の方が鋭く深いのだ。

書名の『Google vs トヨタ』の前哨戦として、「アップル vs 日本の電機メーカー」の戦いでなぜ日本側が敗れたのかを、日本企業の経営戦略論のまずさに見て取る。

「失われた20年」の提唱者の村上龍は、「高度経済成長期に日本製品が世界を席巻していた時期には、誰も『日本のモノづくり』などとは高唱しなかった」旨を発言していた。いま巷間かまびすしく「モノづくり」が言われるのは、「モノづくり」が敗れた後の話だ。「モノづくり」で負けたのではなく、「モノづくり」が負けたという着眼が重要だ。

 「アップル vs 日本の電機メーカー」の日本側敗戦の要因は、泉田の主張を自分の言葉で書き直すなら、市場をルールメイクし直して、日本が得意な市場(オフラインのハードウェア=モノ)を衰退させ、アップルが新たな市場(オンラインサービスとハードウェアによる新たなユーザ体験)へ移動したことだ。さらに、iPHONEの爆発的シェア伸長には、「下層採鉱」による通信インフラ整備との相乗効果があったことも見逃せない。

ここでいう「下層採鉱」とはいま自分が作った造語だ。マルクスが、経済という下部構造が上部にある社会の諸要素を決定するとしたように、その市場を決定している基底層がある。垂直統合がゆっくりと崩壊し始め、上位層がオープン・サービス・マネジメントによって、解放されてしまったあとでは、より基底に近い下層を独占したものが市場競争に勝利することになる。

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次の20年の名勝負になるだろう「Google vs トヨタ」では、泉田良輔はその「下層採鉱」が数層も下まで深化して、最終的に都市計画(!)にまで及ぶことになると主張する。自動運転車が安全に走るとかまだ走らないとか、全然そんなレベルの話ではない遠大な将来ビジョンを、 40歳代の GoogleCEO やテスラCEOやウォーレン・バフェットのような投資家たちが見据えていると警告するのだ。

もともと証券アナリストだった筆者は、顧客の投資向けに分析を提供していたので、記述は政治的に中立だ。しかし『Google vs トヨタ』のどこを読んでも、トヨタに勝ち目はなさそうに思えた。あと数十年で、世界に冠たるものが何ひとつない国になるのかと思うと、淋しくてたまらない。

トヨタが企業として劣っているという意味ではない。これはアメリカと日本の戦略立案能力の差なのである。 

  米国はイノベーションを生み出すのに立て続けに成功しているように見えるが、現在のような好術環に持ってくるのに20年以上を必要としたと私は見ている。1980年代半ばから1990年代はじめにかけて、米国の製造業は電機、半導体、自動車分野において日本企業に追い詰められていた。その期間に、米国は産学官」を挙げて米国企業の競争優位について分析し、それは研究開発と既存の競争のルールを変え続けるイノ ベーションにあると判断した。

(…)
 米国は、大学やシリコンバレーをはじめとした地域で優秀な人材、つまり「知恵」を確保し、ベンチャーキャピタルを中心に金融インフラを整備することで「資金」の循環を施し、移民を中心に人口を増やすことで市場を拡大する「商機」を準備し、その運用に成功しているために、研究開発やイノベーションにおいて競争優位を確立できている。
(…)

米国から見れば、米国内に拠点を構える企業であれば、イノベーションを起こすのが誰であってもよい。また、その主体が毎回入れ替わってもよい。「イノベーションを生み出すことに成功した企業が国内にある」ということが重要だというだけだ。イノベーションを事業として成功させた企業、たとえばアマゾン、グーグル、フェイスブックといった企業が世界に事業を展開すればよいのである。最も肝要なのは、イノベーションが常に自国内で生み出されるようなシステムを整えていることである。

 (強調は引用者による) 

ふと、ロシアへの亡命者によるこんな情報を思い出した。

来日したオリバー・ストーン監督は、1月18日の記者会見で、次のように説明した。

 

〈スノーデン自身から僕が聞いたのは、米国が日本中を監視したいと申し出たが、日本の諜報機関が“それは違法であるし、倫理的にもいかがなものか”ということで拒否した。しかし、米国は構わず監視した。そして、同盟国でなくなった途端にインフラをすべて落とすようにインフラにマルウェア(不正プログラム)が仕込んである、というふうなことです〉 

「戦略サファリ」パークでの日本の生き残りはきわめて厳しいだろう。電車などの輸送機関や信号システムや自動運転車らを含む都市全体が、アメリカ発のOSで動くとき、国民のための政治決定を、都市機能の麻痺と引き換えでないとできない、というか端的にもはや一切できない政治状況が、やがて到来するだろう。

決して決して諦めたくはないが、百獣の王ライオンにかないようがないという事態は、敗戦国としてはやむをえないのかもしれない。

それでも、心に一株の dandelion を咲かせておきたい。 dandelion とは、ダンディーなライオンではなく、タンポポのこと。

あんな小さな可憐な花でも、根は自分の背丈の何倍も地中奥深く伸びる。「下層採掘」できる複眼思考の大切さを愛でるには、もってこいの花だ。風に乗せて綿帽子の種を遠くへ飛ばすこともできる。

綿帽子の種が舞い落ちる場所は、純粋な偶然で決まった。偶然だが、他に選ぶことのできる選択肢があったわけではない。選ぶことができず、どうしようもなくこの国で花さいたのなら、少しでもこの緑豊かな国土がマシになるよう願おう。願いつつ、心に dandelion を根付かせよう。ここに根を生やせ。根を伸ばせ。地中深くまで強い根を。