ランドセルに希望を入れ忘れないよう

自分を知る人からもらう形容詞はだいたい決まっていて、「頭が良い」「面白い」「優しい」というのがパブリック・イメージ。プライベートでは「可愛い」の獲得を狙いつづけて生きてきた、と書いた今、昨晩が憂国忌だったことを思い出した。とうとう少年時代に崇拝していた三島由紀夫と同い年になってしまったのか。 

「憂国忌」の四十年

「憂国忌」の四十年

 

 爪の先ほども似ていない酷い人生を送ってしまったものだ、との溜息しか出ない。普通ならここで、爪の垢でも… という慣用句を続けたくなるところだが、先に手は打ってある。爪を切るときに、私はいつも三島由紀夫を思い出す仕掛けを自分に施しているのだ。爪切りの銘柄に注目してほしい。 

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関孫六 ツメキリ type102 HC3502

関孫六 ツメキリ type102 HC3502

 

さて、このブログ読者が抱いているパブリック・イメージには「センスが良い」というありがたいイメージもあって、昨晩の悪ふざけを含んだ記事に対して、「恋をしているのならもっともっと繊細に」との感想をもらったようだ。確かに、恋してる相手の女子のことを充分に考慮できないようでは、モエ・エ・シャンドンにはまだ早い。というわけで、鯉に恋するカープ女子のことを考えながら、どこかで広島カープの3選手を織り込みながら、記事を書いていくことに決めた。

 まずは、スパコン「ポスト京」、人工知能と並んで、いま私たちの社会の大変革を主導するという噂の量子コンピュータ。このブログでもちらっと言及した。

 自分が気になっているのは、量子力学の分野からどのようにシンクロニシティの解明へ肉薄しているか、だったが、量子論に充てられている章は、おおむね1927年のソルベー会議での討論の時点とさほど変わっていない。(「シュレディンガーの猫」など)。 

1927年。ほとんど一世紀前になされたエポック・メイキングな展開点であるのに、両氏の世界の大衆的理解はあまり進んでいないようだ。自分が最初に知ったのは、約30年前。松山東高の地学準備室で、仲の良かった地学の先生がクラス生徒有志にビデオを見せてくれたとき。テレビ番組とは思えないほど難解で、よくわからないという友人もいたが、理系の秀才は理解できたようだった。自分も理解はできたが「それが何の役に立つのかわからない」という感想だった。まさか、約30年後に同じ町で「何の役に立つか」を文章にするためにキーボードをたたいているとは思わなかった。

量子の世界を知るもっともわかりやすい設例は「シュレーディンガーの猫」。このサイトがわかりやすく説明してくれている。マクロだけではなくミクロの視点も同時に持つことが大切だ。

 量子コンピュータと呼ばれるものの中には、量子アニーリング方式と量子ゲート方式があり、実用化は21世紀末頃になると言われていたのに、前者の運用にカナダのベンチャー企業が成功し、後者の開発に Google が乗り出したので、北米は俄然盛り上がっているらしい。

一方、グーグルの研究チームに参加するマルティニス教授は100量子ビット超の実現を目指す。IBM Researchの研究グループも2016年8月に100量子ビット機が近い将来に実現するとの論文を発表している。「近い将来」を5年以内と仮定すれば、2021年までには100量子ビットを実現できる。計算能力は単純計算でスパコンの9000兆倍。人間の身長と比較すれば太陽系の半径にも相当し、超越性と言うにふさわしい飛躍だ。

9000兆倍というのは想像を絶する「桁違い」ぶりなので、量子コンピュータから新しい世界が始まるのは間違いない。多くの科学者が、現行のパソコンやインターネットが誕生する直前(1940年代)の状況と似ているというのも頷ける。

今まさに熾烈な白熱戦を各国が闘っている量子コンピュータの覇権争いで、日本は或る意味では象徴的な存在だ。最初に実用化された量子コンピュータのアイディアは日本人によるものだったのに、実用化はカナダのベンチャー企業によってなされた。科学的な卓越性では優れた種を持っていても、実際に花開かせて果実を手にするのが外国のベンチャー企業だというわけだ。

資金供給力、ビジネス化能力、その前提となるベンチャースピリッツ。

この3つが日本の官民ともに「桁違い」に不足していることが、次の国家間の国際競争力を大きく決定づける戦いで、日本を「敗戦」により近い場所へと陥らせているようだ。

日本の研究プロジェクトである内閣府による革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)では、山本喜久プログラム・マネージャーらのグループがレーザーネットワーク型の新型量子コンピュータ「量子人工脳」を開発している。ただし、プロジェクト資金は5年間で30億円ほどで、米欧中と比べ一桁以上少ないのが現状だ。

 基礎研究では存在感のある日本だが、実用化に向けた資金面では大差がついた格好だ。小坂教授は「今、乗り出さなければ技術とノウハウで海外に決定的な差をつけられる」と危機感を露わにする。

 こうした背景から文部科学省は量子科学技術委員会を発足して新たな量子情報の研究プロジェクトを2018年にも始める。科学技術振興機構JST)でも複数の研究プロジェクトが動いていて、総出資額は5年間で100億円に及ぶとみられる。

 そこで名前の挙がっている山本喜久という研究者は、少なくとも日本史に残る人名となるだろう。「ポスト京」の精鋭開発者齊藤元章が描く近未来図を一緒に見渡してみよう。

「巡回セールスマン問題」が有名ですが(…)セールスマンが回る都市の数が少ないうちはまだいいのですが、だいたい都市数が60になったところで、現在のスーパーコンピュータでも、計算に100億年を要するようになってしまいます。

 ところが、(引用者註:山本喜久が開発中の)この量子ニューラル・ネットワークだと、そういう複雑な問題が瞬時に解けてしまうのです。(…)IBMの量子ゲート方式と D-Wave の量子アニーリングに量子ニューラル・ネットワークを加え、量子コンピューティングはこれからアプリケーション開発が、どんどん進むものと思われます。次世代スパコン人工知能エンジン、量子コンピューティングのこれら3つを組み合わせると、最強の科学技術プラットホームが完成することになります。  

人工知能は資本主義を終焉させるか 経済的特異点と社会的特異点 (PHP新書)

人工知能は資本主義を終焉させるか 経済的特異点と社会的特異点 (PHP新書)

 

 ただ、「9000兆倍」とか「桁違い」とか「最強」とか言われても、量子コンピューティングが日本国民の未来を、引いては人類の未来をどのように変えていくかがよく見えないという人も多いだろう。

上で「最初に実用化された量子コンピュータのアイディアは日本人によるものだった」と書いた。実はその当人である西森秀稔が一般向けに書いた本が、昨年出版されている。当たり前のことだが、頭の良い人はわかりやすく説明するのも上手だ。

量子コンピュータが人工知能を加速する

量子コンピュータが人工知能を加速する

 

現時点から一番見えやすいのは、Google量子コンピュータの開発に先頭を切って乗り出しているのは、クラウド性能を桁違いに増強するためだと考えるのが順当だ。「今より検索速度が速くなっても…」という web n.0 な方向性ではなく、西森秀稔が強調するのは、ネット上のデータではなく、IoT によってセンサー情報が飛躍的に増大する近未来だ。その無数の情報を得て、クラウド上の人工知能が適切な情報を返すのだ。情報化さえされていれば、医療や健康管理だけでなく、経営や法律にも応用可能。そして、現時点で見えている最も巨大な怪物が、ビジョナリー泉田良輔がその行方を追いかけている Google 主導?の自動運転車ということになる。

カーツワイルのようにさらに未来に想像を広げれば、自動運転車の次に「下層採鉱」されるのは、都市計画になるだろう。その先には人体へのコンピューティング・デバイスの埋め込みがあり、自分に見える「ラスト・リゾート」はそこまでだ。カーツワイルのいう最終段階(「宇宙が覚醒する」)は、正直言ってうまく理解できない。

昨晩、「サザエさん」に材をとった敗戦国向けの二次創作のことを考えながら、ずっと東芝のことが気になっていた。2013年に書かれた泉田良輔の処女作『日本の電機産業』では、東芝はむしろ、グローバリズムのルールメイクに速い順応を果たしつつある企業例として登場する。 

日本の電機産業 何が勝敗を分けるのか

日本の電機産業 何が勝敗を分けるのか

 

実は、ウェスティングハウスの買収を決めた東芝西田厚聰に、自分は注目していた時期があった。東大でフッサールを研究した院卒が、イランで頭角を現して東芝の社長にまで登り詰めた来歴に、興味を引かれたからだった。ウェスティングハウス買収時には、「Going Concern」という当たり前すぎる経営原則を挙げていたように記憶する。

ウェスティングハウス買収後、東芝が電力インフラ事業に注力していたことを、上記の本に教えられた。フランスのアレバの送配電事業部門を買収しようとしたり、スイスのスマートメーターの大手製造元を買収したり、東京電力が次期導入しようとしているスマートメーターの規格を国際規格に近づけようとしたりしていたのだ。東芝の蹉跌は、ひとえに原発事業の収益性を見誤ったことにあるのだろう。

ただ、そのように肯定的事例として数年前に言及されていた一流企業が、巨体を傾かせて坂道を転げ落ちていくのを見ると、機動的に小回りの利くベンチャー企業が群生していく環境が日本にないことが、ますます強く印象付けられてしまう。

量子アニーリングの発案者である西森秀稔が懸念するのも、そこだ。自分の発案を当初の予想より70年ほど早く実用化したカナダのベンチャー企業を引き合いに出して、こう問うのである。

果たして、日本ではこのようなベンチャーは可能だろうか。

ベンチャー企業の群生を阻害している理由は、日本社会に数多くあるだろう。西森秀稔が言うように、「理学」と「工学」の縦割り、基礎科学の研究者の実業家への野心不足、国の制度的な後押しの欠如は確かにありそうだ。

 しかし、資金供給力、ビジネス化能力、その前提となるベンチャースピリッツのうち、まずは未来ある若者たちに、年長者がベンチャースピリッツを持つことの価値を説くことができなければ、希望に満ちた明るい何かは始まりそうにない。

 フロンティアのトップランナーである西森秀稔は、冷静な口調で重みのある檄を飛ばしている。

 日本は「ものづくり」を得意としてきたが、単によりよいハードウェアを作るための技術競争の面では、一部を除いて行き詰まりを見せている。それが社会を覆う停滞感の一因にもなっている。突破口のヒントは、ソフトとハード双方を踏まえた多角的視点、基礎と応用の融合、分野の垣根を越えた交流、過去の慣習からの決別などにあるだろう。停滞感のある今こそチャンスだという逆転の発想が、新たな日本を生み出すのだ。

 これらのベンチャースピリッツ論に加えて、国に頼らない形で、もうひとつ日本でさらに広がると良いと思うのが、シード・アクセラレーターという職種だ。と書いたが、調べてみると、数年前見当もつかなかった数のアクセラレーターが、紹介サイトに名前を連ねている。

インキュベーションオフィス などに行ってみると、 コワーキングスペース などよりも比較的若くて熱量が多い人たちが集まっていますので、「自分ももっと頑張らないと!」という気持ちにさせてくれることもメリットの一つかもしれませんね。

 未知の世界に飛び込もうとする「前向きで行動力のある人」には、チャンスが決して少なくないと言っていいだろう。アクセラレーターには、聞くチカラと選別するチカラと育てるチカラとお金を動かすチカラがあるので、自分の思い描ける限りのビジネスや社会貢献の夢を思いっきりぶつけてみるといい。

そして、付け加えるなら、そういう育成の場を通じて得られたいくつかの成功と失敗の経験を、次代の希望の芽の成長を加速させる側、つまりは自分自身もいつかアクセラレーターになって恩返しをする側に立つ互酬的な心構えを持てると、尚のこと良いと思う。

何だか、柄にもなく教師のような口ぶりになってしまった。たぶん反面教師の方が向いているような自分が、こんなことを書くべきだったかどうかよくわからないが、どんなベクトルであれこのブログに多少の「学び」があったら嬉しいな。

米軍物資の横流しをしていたらしき波平、インパール作戦の生き残りだというマスオとノリスケ。いつか、サザエさん一家が占領国の「ガラスの温室」から脱出して、晴れてタラちゃんがランドセルを背負う日が来たとき、タラちゃんの第一声はわかるような気がする。

重くて背負えないですぅ。

それはそうだ。大人世代、さらに上の世代が積み残してきた宿題が、まだまだ解けないままランドセルの中に残されているのだ。自分にどこまで背負えるかはよくわからないが、もう少しならやれそうなので、生命がその仕事に耐えられる限りは頑張ってみようと思う。