青空のした海賊たちは寝そべる

青空に意味なんてない。ただ私たちを虚無から守っているだけだ。

確か日本版の予告編ではそんな言葉が流れていたように記憶する。「意味なんてない」と言いながらも、虚無から守ってくれているのは意味ではないのか?と反射的に問いが浮かぶ。しかし、映画を見れば、その意味するところが分かるような気がする。記憶が確かなら、文明国のインテリの男と女が、沸騰するような熱帯の文化の沸き立ちと熱砂に満ちた砂漠の中で、互いを見失って消え果ててしまう話だった。虚無から人を守るだけの青空の下、何も生まれない不毛の砂漠の上、魘されるような熱だけがあった。

 最近、「ポスト京」や人工知能量子コンピュータの話ばかりしているので、勘違いされてしまったかもしれない。何もフロンティアはテクノロジーの先にだけあるわけではない。

自分は若い頃からずっと、アフリカに未開拓地があると考えていた。

 そうだった。いま検索して出てこなかったのは残念。15年前、アンゴラの対人地雷問題を訴えるために、或るNGOが確かナミビ砂漠の横断を企てているのを、どこかの英語サイトで見つけたのが、発想のきっかけだった。

 主人公の友人の女の子が、勇敢にもそのキャンペーンに参加して地雷廃絶を訴え、しかも発電靴を履いて砂漠を横断しながら、その砂漠の風景を撮って主人公にメール送信するというサブ・ストーリーだったはず。

  メールを受け取った主人公は、アンゴラの地雷問題の深刻さを知る。そして検索先で、何人もの少年たちが松葉杖をつきながら、それでも路上サッカーに熱中している画像を見て、W杯という世界的な華やかな祝祭から外へ弾かれたKが「BOA SORTE(=Good Luck!)」を口癖にしていたこと、不条理にもW杯から排除されたKが、在ブラジル経験などで培われた豊かな国際経験から、当時華麗とも言われたあの足技を駆使できることが、どれほど幸福かを知っているにちがいない。そんな風に書こうとしていたように記憶する。 

 アフリカの荒野を耕して農業をやりたかったわけではない。どの分野にも先駆者というのはいるもので、自分が大学生になった頃から聞こえていた固有名詞はアニータ・ロディック。ボディー・ショップの創業者だ。

ウサギを鍵言葉にした上の記事で、ボディー・ショップにはちらりと言及したが、さすがは先駆者。自分も小説に引用したビッグ・イシューにも深い関わりがある。 

 それはどの本屋にも売っていない珍しい雑誌だった。路彦は雑誌を買いにわざわざ品川まで出て、駅周辺をうろついた。正確に言うと、捜したのは雑誌ではない。その販売を請け負っている路上のホームレスの姿を捜したのである。「品川の彼」はすぐに見つかった。 身なりを整えた50代くらいのホームレスが、駅から出てくる群衆の流れに向かって、雑誌を頭上に掲げながら、雑誌名と値段を高唱している。後でわかったことだが、300円の雑誌代のうち半額がそれを販売したホームレスの収入になり、彼らの社会復帰に寄与するのだそうだ。
 雑誌を買って、帰りの電車の中で開くと、「若手起業家の横顔」と題された誌面の一劃で、シニャックが心持ち顎を上げた生意気そうな顔で笑っていた。記事はシニャックに好意的で、長野に移住までして法人を起ち上げ、障害者と協働しながら無添加石験を作る事業に打ち込む当時25歳の彼を、次世代のソーシャル・ビジネスの旗手であると讃えていた。

 ザ・ボディショップは、世界64カ国、2500店舗以上に展開(2009年1月末現在)、日本国内でも178店舗(直営店133店舗、フランチャイズ45店舗、2009年1月末現在)と急速に拡大している。事業展開や商品づくりは、創業当時からバリューズ(価値観)のもとでおこなわれているのが特長だ。
 バリューズの1つが、AGAINST ANIMAL TESTING(化粧品の動物実験への反対)。創業当時、動物実験により安全性を確認した商品を販売するのが化粧品業界のスタンダードだったが、動物実験をおこなわず、化粧品の動物実験に反対するキャンペーンを展開。その活動は、2009年にEU全体での化粧品の動物実験の全面禁止、動物実験をおこなった化粧品の市場流通の禁止へとつながっていった。
 そのほかにも、ACTIVATE SELF ESTEEM(自己尊重)、DEFEND HUMAN RIGHTS(人権擁護)、PROTECT OUR PLANET(環境保護)がある。1988年にはSUPPORT COMMUNITY TRADE(公正な取引による地域社会の支援)という新たなバリューが加 わった。消費者も製品を購入することで、世界の支援を必要としている地域をサポートできる。現在、世界20カ国、25,000人以上の人々とコミュニティトレードを実施している。

 アニータ・ロディックがボディーショップという会社に残したものを端的にまとめれば、上記のようになるだろう。

 しかし、「世界を変えた6人の企業家」の一人に数えられるアニータ・ロディックの正の遺産はそんなものでは終わらない。今晩は、アニータの遺産とその発展形について、2つの方向性に切り分けて回顧してみたい。すなわち、長期的企業価値と長期的人材価値だ。

1. 社会性と倫理性の高さは、長い目で見ればその企業にプラス

長期的企業価値について、まず最初に思い浮かべなければならないのは、エイミー・ドミニ。世界で最初に SRI(社会責任投資)のファンドを立ち上げた女性だ。1990年から2004年までのファンドのパフォーマンスで、ドミニが組み合わせたSRIファンドは通常のファンドを約15%上回る結果を叩き出した。しばしば、CSRを売上増進効果の曖昧な宣伝くらいにしか考えていない経営者の発想を、とうとう過去のものにしたのである。

ボディーショップ創業者のアニータは、同じく女性であるドミニが、金融分野における社会的責任投資の革新的思考を牽引していると讃辞を惜しまなかった。

日本でこの分野の先駆者にあたるのは、インテグレックス代表の秋山をね。大学卒業後、外資系証券会社やヘッジファンドのマネジメントも手がけたが、アメリカ金融界にすらある男女差別の壁、人種差別の壁に突き当たって、何かが「弾けた」。 

しかし、いきなり金融の世界にくるりと背を向けて逃げようとしたのではない。顧客が常に欲しがる長期投資には、長期的な上昇率が高いドミニ400のようなSRIファンドの方が、商品として競争優位にあることが判明したのである。

あとは、社会性や倫理性の高い企業をSRIファンドに組み込むべく、その客観的基準を普及させるだけだった。上司と二人でインテグレックスの起ち上げは、9.11世界同時多発テロと同年だった。

 あれから15年以上が経った。社会的責任投資(SRI)は ESG 投資に形を変えて、さらなる客観的基準を得て、ますます投資資金の流入が加速している。その現在地点はこの記事で採り上げた。 

 社会的責任投資(SRI)は一部の社会性に富んだ企業や CSR に熱心な一部の企業のみを対象にしがちだったが、環境・社会・ガバナンスの頭文字をとったESG投資では、PRIのような統一規格の設定により、すべての上場企業を対象にして、その数値の開示を義務付け、年金運用組織や資本家たちによる投資が、環境と社会と労働環境の改善に貢献するよう方向づけられようとしている。

 注目したいのは、GPIF の方針4。

 

4 私たちは、資産運用業界において本原則が受け入れられ、実行に移されるように働きかけを行います。

・運用受託機関に対して、国連責任投資原則の署名状況について報告を求め、署名しているのであれば活動状況及び活動内容を、署名していないのであればその理由を説明するようそれぞれ求める。

 

 PRI基準に基づいて運用先を選ぶだけではなく、運用先のESG推進を働きかけもするのである。国連発で日本のGPIFのような大きな投資機関が PRI の標準化に動けば、ESG投資は大きな波になる可能性が高い。

 しかも、面白いことに、これらのESG(環境・社会・ガバナンス)を充分にケアしている企業は、株主への還元率が高いことまで報告されはじめている。つまりNPOなどが中心的に関与してきた「お金にならない良いこと」が、「お金になる良いこと」となる可能性が、世界中の株式市場でスタンダードな見方となり始めているのである。 

世事に疎い社会人の中には、CSRを「効果不明のCM」ぐらいにしか考えていない人々も多いと聞く。検索しても、それとは逆、正の循環を示す記事ばかりなのは気持ちが良い。

物言う株主が声高にその企業にCSRの積極的取り組みを求める日も近いことだろう。企業だけでなく、株主も消費者も経済活動を通じて、世界や社会をより良くしていくことができるのである。

2. 社会性と倫理性の高さは、長い目で見ればその人間にプラス

こちらの方が証明するのがはるかに難しい。自分の記事では、最新の進化心理学の知見に触れて、このように書いた。 

このような「コミットメント問題」を解決する感情的コミットメントは、愛情だけにとどまらない。正直さや公平さや忠実さなどを求める道徳感情保有者は、どのような未来の状況でも、(そうすることが機会主義的観点からは自己利益を減らす局面でも)、相手に対して正直さや公平さや忠実さを保証するので、却って社会的利得に恵まれやすいという逆説が成立する。

この辺りまで追うと、ロバート・フランクなどが提唱する感情主導による長期的社会的妥当性が、規範倫理学の三分類でいう徳倫理学と重なっていることがわかるだろう。

西洋倫理学の3つの伝統:Three core functions of Western Tradition of Ethics and Ethical Studies

最も論証が難しく、つかみどころがなかった徳倫理学は、道徳的な感情や気質による「コミットメント問題」の解決を通じた、長期的に社会での生存可能性を高める処世術だと言えるのではないだろうか。

頑張って調べて書いた部分だ。道徳感情が長期的な生存可能性を増大させるという進化心理学的立場と、短期的利益にそぐわなくても「徳」を備えていれば社会的評価を得られるとする徳倫理学が重なっていると考えるのは悪くない着想だと思う。

ただ、その後にスピリチュアリズムに文脈をつないだのは、読者の多くが共有できなかった展開だったかもしれない。

 進化心理学なんてわからないという人は、スピリチュアリズムからアプローチすると、理解がかなり早くなると思う。ここに書いた「社会を通じての長期的互恵原理」と、善行を神様がカウントして必ず「お返し」してくれるとする「神様貯金」とは、ほぼ同じコンセプトだ。

OK。今晩、アニータ・ロディックから始まった長期的人材の価値を、アニータの右腕だった日本人のリーダーシップ論に探ってみよう。

ボディー・ショップ(イオン・フォレスト)のCEOを務めた4年間で売上を倍増させた実績もさることながら、先頃ちょっぴり値上がりした「ワンモアコーヒーシステム」を創始したスターバックス・ジャパンの元CEOと言った方が、話が通じやすいだろうか。 

高給雇われ社長の短期的実績だけに目が眩んで、それらすべてを金言だと思い込むほど子供じゃない。 そんな声も聞こえる。まあ、話を急がないでもらいたい。岩田松雄のこの本は、世界最大の啓発本の書き手だったスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』を下にいている。『7つの習慣』から、現代の日本で効果のありそうなエスキスを抽出し、しかも日本でのボディー・ショップCEO時代、スターバックス・ジャパンCEO時代のスタディケースも織り込まれているので、向上心のある社会人は読んでおいて損はない本だ。

分かりやすく書かれているので、今晩の食事へ行くまでの信号待ちで読み切ることができた。

チームリーダーのための「7つの習慣」

チームリーダーのための「7つの習慣」

 

 優秀な人材≒リーダーになるために養わねばならない資質を、カーネギーは2つのものに求めた。一つは、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義などの「人格」 、一つは、社会的イメージ、態度、行動、スキル、テクニックなどの「個性」。

岩田松雄はこの2つを日本人に馴染みやすい言葉に置き換える。前者を「徳」、後者を「才」とするのである。誠実にせよ、正義にせよ、社会性や倫理性に深く関わる「徳」が、優秀な社会的人材の中核にあらねばならず、しかもその社内地位にふさわしい仕事能力の「才」が必要だと説くのである。

面白いのは、ここでも「才」が短期的な結果を出すときに生きるもの、「徳」が長期的に成功を持続させるときに必要なものだと位置づけられていて、「徳」と「長期的利益」が「結婚」していることである。

さらに、「その場その場で何をするか(to do good)」よりも「あなたがどのような人であるか(to be good)」が大事だとして、「才」<「徳」の不等式を読者に意識づけた上で、コーヴィーによる「信頼口座」の例え話を持ってくるくだりには、個人的に痺れてしまった。これは私がスピリチュアリズム方面で師事している真印先生の「神様貯金」とほとんど同じだ。「神様貯金」が誰も見ていないところでの善行もカウントされる「総合口座」であるのに対して、コーヴィーの「信頼口座」は対各人への「多社向け個別決済口座」であるところに、わずかに違いがあるくらいだろうか。コーヴィーは「信頼口座」が長期的な人間関係への投資であることを強調している。

 もう結論に行ってしまいたくなる。ボディー・ショップの創業者アニータ・ロディックの自伝『Body and Soul』とは、結局のところ、岩田松雄のいう「才」と「徳」を備えたリーダーシップ、あるいは「企業体」と「社会貢献」を備えたソーシャル・ビジネスそのものなのではないだろうか。

OK。もう少し長期的視点から文章構成を考え直すと、2つ補助線を追加して、結論を導いた方が良さそうだ。

1本目の補助線は、アメリカの先駆的なベンチャー企業アクセラレーターが求めている人材像だ。代表のグレアムはエッセイの中でこう語ったという。

「私たちが創業者の中に探すもの」は、意志、柔軟性、想像力、行儀の悪さ、友情の5つ。なかでも「行儀の悪さ」という項目で、成功する創業者像を「通常いい人間だが、目には海賊のような光をたたえている」と評した。  

ぼくらの新・国富論 スタートアップ・アカデミー (WIRED BOOKS)

ぼくらの新・国富論 スタートアップ・アカデミー (WIRED BOOKS)

 

(Y combinator の投資プログラムは、卒業生がメンターを務める方式により応募企業が激増し、爆発的な盛況を見せているようだ) 

二つ目の補助線は、すでに社会が「政治ー倫理的転回」をゆっくりと回り始めているということだ。「ポスト京」の精鋭開発者であるシンギュラリタン齊藤元章は、シンギュラリティ(技術的特異点)よりも、先に社会的特異点が来るとした上で、それはもう到来しつつあるのではないかと推測する。

20代後半世代の消費行動と社会的価値観が大きく変化しているというのだ。慶応大学SFC出身の20代後半の若者たちの中に、NPOやソーシャルビジネスに身を投じている人間の数が圧倒的に多いというのである。物質主義的な富の最大化より、社会的倫理的効用の最大化に貢献することに、生き甲斐を見出す若者の割合が増えている実感があるらしい。

今後の爆発的な技術革新がフリーエネルギーを始め、人類に「不労」や「不老」のゆおうな思いがけない福音をもたらすことがほぼ確実になれば、アフリカなどの発展途上国へ出かけて、社会貢献活動に従事する日本の若者がますます増えるのではないだろうか。世界に偏在している貧困こそが、とりわけ文系の若者にとって、人生を懸ける「最後のフロンティア」になる可能性が高いように思われる。

アニータの遺産の2つの系譜と2本の補助線が作った最終的な図形を確認したい。

長期的に社会貢献できる企業で、「徳」と「才」を備えた未来のリーダーとして、「海賊のような目」をして世界的貧困というフロンティアに人生を懸けて挑む。

 私たちはまさにその描写そっくりの、真のノーベル平和賞候補とも噂される日本人を、ひとり持っている。

医者が井戸掘りに取り組み始めただけでもニュースだったのに、とうとう中村哲はアフガンの地で用水路の建設に乗り出す。地元の人々の welfare の向上に最も貢献できるのが用水路なら、畑違いの転身を厭わないところが凄い。

ただ異国のアフガンで全面的な支持が得られるわけでもなく、対岸住民と川原の掘削をめぐって乱闘になり、仲裁に入ろうとした中村哲が巻き添え事故で後頭部に石をぶつけられて卒倒する場面が凄い。

流血しつつ、地面に倒れたまま仰ぎ見る青空に、薄く白い雲が流れている。そばを流れている川のせせらぎが聞こえる。そして、この一瞬の美しい自然に満ちた休止符のあと、中村哲は再びアフガン人たちを仲裁しようとして立ち上がるのである。

青空に手の届く人はいない。海賊のような目をした倫理的魂の持ち主は、自分の信じ切っている未来を、その青空に見るかもしれない。青空を未来の比喩だと考えるかもしれない。手は届かないが、私たちの行く手の真上で、私たちを虚無から守ってくれているような…。

その信じている青空の下、世界にまだ残っている不毛の地の上、空と地の間で、人々の笑顔を増やす社会貢献に尽力して、そのまま地面にぶっ倒れるのは気持ちいいだろうな、と想像してしまう。

あんな大それたことは自分にできなくても、この世界を少しでもましにする何かに尽力して、心地よい疲労に包まれて芝生に横たわるとき、「Sheltering Sky」を聴けたら本当に最高だろう。私たちを虚無や絶望から守ってくれる広い青空の下、誰かが同じように、心地よい疲労感に包まれて倒れている様子を、何となく想像できるような気がするから。