血より涙が流れそうな換喩的奇跡

東京タワーのことを考えていた。

別段、田舎者の考えそうな「東京の象徴」を目の当たりにしたかったわけではない。もともと建築好きなので、東京に住んでいた約10年間に、あまり人が知らないような建築までよく観に行った。東京タワーもそのうちのひとつにすぎない。

残念ながら、ガラス建築で名を馳せたタウトはこの国の保養地に和洋折衷の別荘一つを遺すのみに終わったが、それから半世紀の間に、東京は世界にも類例のないほどガラスを自在に使いこなした建築物が林立する都市となった。個人的には、バブル経済の熱波の中で建築計画が巨大化して膨らみ、バブル経済がはじけた後の沈滞した東京に、桁違いの巨躯をぬっと露わにした有楽町の東京国際フォーラムが忘れがたい。外観も曰く言いがたい奇矯な形をしているが、中に入って天を見上げると、白骨化した恐竜のような骨組みが宙吊りにされていて、周囲をガラスの壁に取り囲まれているのが、あたかも巨大な遺骨の陳列ケースのようでもある。この白骨見たさに、地下鉄を乗り継ぐのにわざわざ地上に這い出て、恐竜の腹のあばらを見上げながら、有楽町まで歩いたことも何度かあった。 

そういって田舎者レッテルはよけてみせても。東京タワーの周辺をぶらついた二十歳前後に、都会への憧憬で胸をいっぱいにして聴いていた中学生時代の曲が蘇って気恥ずかしくなったことがあるのも事実だ。

中三の頃大好きだった小林麻美松任谷由実が作詞作曲した「飯倉グラフィティ」の歌い出しが、ふと脳裡に蘇ったのだ。

タワーにつづく長い坂道が瞬きはじめ

(「飯倉グラフィティ」)

GREY

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そうか、「タワーにつづく長い坂道」は「永井坂」と韻を踏んでいたのか。そんなトリヴィアルな発見に苦笑しつつも、16歳の女子高生が化粧してめかしこんで赤のキャンティーをワイングラスに注ぐような店を、飯倉や飯倉片町の交差点周辺で探しまわった。

 そうやって、街を散策していると、小学校時代を思い出す。学区の端に住んでいたせいで、少し遠い小学校に通っていた。小学校低学年の足で30分ほど。ちょうどあのポンジュース工場の横を通るルートで、小川にいる魚を数えながら帰ったり、友達とじゃんけんでランドセルの全員分の運び役を交代したりして帰り道を楽しんでいた。4、5人でじゃんけんをするので、アイコ続きで、なかなか運び役は決まらない。帰り道は長かった。

そんな牧歌的な小学生時代、給食に週一回ポンジュースが出ていたという話をすると、誰もが不思議顔をする。

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http://hansoku-daikou.com/cp-bin/blog/index.php?eid=25

直方体200mlの牛乳だけでなく、テトラパック135mlのポンジュースが給食に出ていたのは、全国的に松山市だけだったのだろうか。

(アイコ続きで続けると、確かこのラブソングのサビではテトラパックポンジュースが歌われていたはず)。

当時まだ酸っぱさが強かったポンジュースを、どのように牛乳とバッティングさせずに給食の三角食べを遂行するかに、給食時間の小学校低学年の頭脳は占拠されていた。両者のバッティングは、小学生にとっては強烈な「混ぜるな危険」体験だったからだ。

小学生にとって危険と言えば、欠食児童向けの滋養剤のようなアレが思い出される。意外なことに、今でも幼児に配る幼稚園もあるのだとか。

悪食の友人は、半年に一度くらい配布される肝油ドロップを、帰り道に完食するという暴挙に出た。何十個か食べているうちに鼻血が止まらなくなって、服にだらだら血を垂らしながらも、「オレは最後までやり抜く男だ」とか嘯いて、完食してしまった。

その翌日、「修羅の道を行く男」として、友人は一躍クラスで「修羅の星」になったが、先生の耳に入って、次回から肝油ドロップの配布が中止になると、クラスメートの非難が「ゲリラ豪雨のように」彼を襲った。小学生は甘いもの好きなのだ。

と書いたここまでの文章のうち、「修羅の星」が隠喩、「ゲリラ豪雨のように」が直喩であることはよく知られているが、私たち世代の圧倒的多数に支持されていた肝油ドロップほど、換喩が知られていないのは少し淋しい、と書くまでずいぶん時間がかかった。東京タワーから換喩までは、確かに長い坂道だった。 

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

ヤコブソン・セレクション (平凡社ライブラリー)

 

 ハードルの高い専門性が邪魔して、昔はヤコブソンがなかなか自分の頭に入ってこなかった。このセレクションは結構読みやすい気がするが、それが、論文の選択、翻訳、自分のリテラシーの変化のどれによるのかはわからない。

事を文芸批評に限れば、重要なのは、3番目に置かれている「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」だといって間違いない。失語症の二大グループの臨床例をもとに、ヤコブソンは、言語活動や芸術活動が二つの両極の間で動いていると結論づける。

類似性障害ー近接性障害

シンタグム(統辞)ーパラディグム(範列)

通時的(ディアクロニー)ー共時的(シンクロニー)

隠喩(メタファー)ー換喩(メトニミー) 

 構造主義の基本を理解しているかどうかで、たぶん一番よく持ち出されるのは、この二項対立なのではないだろうか。「寝ながら学べる」ほど簡単な「知」ではあるものの、自らの頭の良さを顕示したがる種族はよくいるし、勉強嫌いでも自分を肯定したがる種族もよくいるので、(先端で闘っている人々はそれらには該当しないものの)、ゼロ年代まで、文芸批評の世界では数十年来の小競り合いが続いていたようだ。どちらの種族にも属さない自分には、100%関係のない話だ。 

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寝ながら学べる構造主義 *3

 

 ヤコブソンだけに限って、自己顕示系種族になったつもりで言及リソースを開陳しておくと、ヤコブソンは「隠喩(メタファー)ー換喩(メトニミー)」の両極を、前者から後者への発展段階と捉えているので、「後者がわからないやつは高度な言語活動をなしえない」という嫌味は言えなくもない。また、その両極は「詩ー小説」の両極にも重ねられているので、「換喩性の分からない小説家は何もわかっちゃいない」という嫌味も投げつけ可能ではあるかもしれない。

その対立のどちら側にも属さないまま、今度は、自己肯定系種族になったつもりで言い返すなら、「え? なぜいまだにヤコブソン?」というカウンターパンチが有効で、ヤコブソンの前述の双極性を、ラカンが大胆にもフロイト流の「圧縮」および「置き換え」に重ねたことや、同じくドゥルーズが「パラノイア」ー「スキゾフレニー」の両極のうち後者に就いたことには言及しておけば、正確にテニスラケットを振ってリターンしてこれる人間は、今や絶滅危惧種だろう。

ただ、この現代思想と文芸批評の交錯領域は、人々を寄せつけようとしないきわめて剣呑な危険性に満ちている。たとえそんな不毛な言い aiko をしたくなくても、「テクスト論」とか呟いた瞬間に、「漱石=猫」主義者が思いがけない換喩ドロップキックをこちらの顔面にお見舞いしてきたりもするので、不憫にも鼻血が止まらないまま、爾後アレを私が「ペスカトーレ」と呼ぶことにしたのは、このブログの読者なら憶えているかもしれない。行けばわかるさ、とばかりに歩み始めたこの道が、「死に」筋ならぬ道筋であることを祈りつつ、いま不意に耳元で浮上した aikoNHK出演時に登録商標テトラポッドを「三角岩」に替えて歌ったという噂は果たして本当なのか、本当なら「三角岩に死に筋が交錯するような道には、参加しにくいわ」と、ふと16歳の少女声で呟きながら、ひとり見上げている冬の夜景のきらめきが綺麗だ。グラスで、キャンティーの赤を。

自分がどの道筋へ進んでいるのか、進むべきなのか、正直いって自分にもよくわからない。

 何の話をしているのかまでわからなくなってしまった。そうだった。スピリチュアリズムに開眼して以降、ずっと読みたい読みたいと考えていた本を、昼食中に読んだことを書きたかったんだった。 

シンクロニシティ 「意味ある偶然」のパワー

シンクロニシティ 「意味ある偶然」のパワー

 

 これまでの人生で様々なシンクロニシティに遭遇してきたような気がしている。かつてこうまとめた。 

兎に関わり深いシンクロニシティについては、Stray Rabbit と名付けて、いつか小説に書くつもりだ。

愛兎を亡くした日から交際を始めた高校の後輩が、兎ロゴの雑誌での先輩作家の「呼びかけ」を経て約20年後、信号待ちで目の前を遮っていた自動車のボンネット上の「兎エンブレム」を自分が見て彼女を思い出していると、その車が右折して視野から消えた先、横断歩道の向こうに懐かしい佇まいで立っていたこと。

その「兎エンブレム」の意味をずっと考えていたとき、チェット・ベイカードキュメンタリー映画で、彼と愛人が乗り回していた遊園地のゴーカートに同じ「兎エンブレム」がついているのを見つけたこと。その直前が、ドラッグ中毒のトラブルで前歯をすべて殴り折られたチェットが、再起を果たしたときのことを回想している場面だったこと。その偶然に触発されて、また小説を書き始めたこと。 

 上の文章はかなり圧縮して書いているので、事情を知らない自分以外の人にはわかりにくいかもしれない。

仮に自分が信じているように、「兎エンブレム」が何らかの意味を自分に伝えようとするシンクロニシティだとすれば、大好きなチェットベイカーの映画でその「兎エンブレム」に再遭遇したのもシンクロニシティだということになる。ここまではスピリチュアリズムに親しんでいる人にはわかりやすい。自分にとって謎だったのは、「もう一度小説を書きなさい」というメッセージを感じさせたシーンは、映画の「兎エンブレム」登場シーンそのものではなく、その直前に隣接しているシーンだったことだ。

すぐにヤコブソンのことが頭に浮かんだ。そしてうーんと頭を抱えてしまった。いくら神様でも手が込みすぎていやしないか。ヤコブソンの隣接性の換喩志向なんて、ほとんどの人が知るはずもない。あんな隣接性を媒介とした伝達方法では、ほとんど誰にも伝わらないのではないだろうか。自分以外の誰にも伝わらない手法で示されているのなら、それは自分ひとりの空想的な過剰な読み込みではないだろうか。思考はそんな風に進んで、自分を不安の渦の中に陥れたのだった。

昼食時に読んだこの本で、救われたような心地になった。シンクロニシティを語る上で、おそらく日本語運用者としては最強の二人だろう。最新のシンクロニシティの知見にキャッチアップできそうな本だ。シンクロニシティを研究する最も権威ある固有名詞カール・グスタフユングの話が何度も登場する。下の記事でもその自伝に言及した。 

ユング易経を研究していた頃のことだ。時は1920年代。量子力学について画期的な白熱議論が交わされたソルベー会議と同時代なのが興味深い。

 まるで偶然の積み重ねによって結果が得られる易だが、ユングはその偶然性が実は必然の暗示ではないか、易こそシンクロニシティそのものではないか、と考えるようになった。そこで彼は、『易経』を使って実際に占いの結果が有効なメッセージをもたらすかどうかの実験を試みることにした。一九二〇年代の初めのころのことである。

 ユングはひと夏、湖のそばの別荘に滞在し、百年の樹齢を数える梨の木の下で、葦の束を筮竹に見立てて、易による「問い」と「答え」を繰り返した。すると、易の出す「答え」はことごとく、非常に深い洞察のある、意味のある結果となって現れたのだ。このようにしてユングは、易占いによって心と物が響き合うような、非因果律的な事象が存在する手掛かりを得たのである。 

このように、心が物に影響を与えるときの心とは、何なのだろう。永年「易経」を研究してきた文理双方の分野で5個もの博士号を持つ宗教家ジョゼフ・マーフィーによると、それは占われている当人の潜在意識だというのだ。

潜在意識が近未来の結果をピタリと言い当てるだって?

 いま眉に唾をつけるおまじないに忙しい人がいそうだ。自分も初学者なので調べながら書き進める。潜在意識にとんでもない力があるのは確かなようだ。

 もう少し具体的に、ハイヤーセルフと潜在意識の違いについて説明していきましょう。

 潜在意識というのは一体何なのかというと、あなたのこれまでの経験が蓄積されて形成された人格です。

 そして、その蓄積された経験というのは、自分の意識で捉えられたことばかりでなく、自分の気づかないことまでがインプットされています。

そのため、潜在意識との対話は自問自答のようでありながら、自分が全く思いもしなかった情報やアイデアを与えてくれることが普通です。

 ただし、潜在意識が万能というわけではありません。

 潜在意識からの情報は、あくまでも自分の経験の中から出てくるものであるため、限界のある知恵なのです。

 それに対してハイヤーセルフは、宇宙とつながっている存在、あるいは、宇宙そのものと言うこともできます。

 よく『人体は小宇宙である』と言われますが、まさにそのとおりであって、これは人間の身体がそれだけ複雑に精巧につくられているというだけでなく、本当に人間の心の中にも宇宙が存在しているのです。

 それがハイヤーセルフなのです。

 そして宇宙というのは万能ですから、ハイヤーセルフもまた万能の力を持っているのです。   

そうだったのか。自分に巻き起こった一連の「兎エンブレム」のシンクロニシティは、自分の潜在意識が働きかけて引き起こしたものだったのだろう。だからこそ、普通の人々がほとんど知らないような「ヤコブソンの隣接性の換喩志向」を伝達手段に使ったのだ。よくぞ教えてくれた、やるじゃないか、俺のポテンシャル。

簡単に「潜在意識によるシンクロニシティ創造説」を信じすぎだって? この話を簡単に信じるのには理由がある。実は、自分は知人の潜在意識と話をした貴重な経験があるのだ。

或る霊能者の女性に会いに行って、連絡の取れなくなった知人女性と話をしたいと頼んだ。すると彼女はこともなげにこう言った。「潜在意識を呼ぼうか?」

実際にほんの少しの試行錯誤ののち、彼女たちは話し始めた。知人女性は「(顕在意識が)育児や介護で忙しいので手短にしてほしい」とのこと。まさか、電話をかけるように、連絡先を知らない相手の潜在意識と話ができるとは!

実は私にもほんのちょっぴり霊感らしきものがある。いくつかの会話の後、音声信号ではないのになぜか私にもわかる「声」が、こう話しかけてくれたのが聞こえた。

「あなた、いつも…(私の癖を彼女なりに分析した台詞)」

 

!!!

 

さすがは私のことをよく知っている。上手いことを言うなと思った。といっても、その分析自体がどこまで当たっていたるのかはわからない。自分で自分のことを正確に言い当てるのは難しい。

ただ、会話の脈絡が少しあらたまったとき、彼女が普段の First name を交えた呼び方ではなく「あなた」と呼びかける癖があったのは事実だった。何より、話すときの口調や声が、かつての彼女そっくりだったのだ。

同年代の女性二人が、当たり前のように交わしている Girl Talk を、自分は視線をキョロキョロさせながら、なぜそんな感情になるのかわからないまま、幸福で胸がいっぱいになった心地で見守っていた。

人生は想像もできないような不思議なことに満ちていて、思いがけず心が通じ合うようなチャンスであふれている。あそこで彼女ときちんと話せたことで、自分は多くの方々のご支援をいただける犬コロの身分になり、ひょっとしたら奇跡的に人間に戻れるかもしれないような、そんな幸運な道筋を、暗闇の中で何とか歩み選べたのだと思う。

こんな不思議な数奇な運命の道の途上にありながら、月並みなありふれた言葉しか出てこない。本当に、ありがとうございます。

 

 

現在、深夜2時半。自分の潜在意識に、これからどうすべきか訊いてみた。「朝まで仕事、つづけて、朝から仕事」。そう聞こえた。それは不思議な奇遇だ。自分の顕在意識も、ちょうどそう思っていたところなんだ。

 

 

 

 

 

*1:文春新書

*2:文春新書

*3:文春新書

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