でっかい運命線上の全力疾走

昨晩、自分が「スミレさん」という仮称で呼んでいる女性のことを思い出して、泣いてしまった。自殺偽装殺人は、殺された悔しさを理解してくれる家族や友人が少ないので、本人にとってはとても悲しく苦しい亡くなり方だと思う。

スミレさんの件、この14年間に自分に起こった件、それぞれに「赦すのか? 赦さないのか?」を考えていて、思い悩んだ挙句、これはひとりでは決められない問題だという結論に至った。

被害者や関係者が自分ひとりなら、ルサンチマンはなるべく早く手放して、自分のやるべきミッションへと心を向けたい性格だ。しかし、そこに複雑な人間関係や組織関係が関わっていたら? きっと、さまざまな利害関係者と公正な話し合いを持たねばならないだろう。そういう最低限の調停法が機能しないなら、最終的にはひとり、いずれ下るだろう神々の裁きを信じるほかない。

そう考えをまとめて眠ったが、彼女が亡くなったことの悲しみはまだ心に残っていた。同じような涙に暮れて眠っている人の数も、少なくないような気がした。最低限の調停法を機能させて、泣き寝入りする人々を減らすには、どうしたらよいのだろうか。 

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

 

裁判の世界の内部告発として、最も読みどころの多い瀬木比呂志の新書は、優秀な弁護士が裁判官になれるルートを設けた「法曹一元制」を提案している。

国民の一人の立場から見ると、何よりも裁判官の「顔が見えない」こと、つまりは判断能力や思想や主張が、個々に粒だって見えないことが、裁判官への関心と信頼を薄めていると思う。反体制型裁判官へのブルーパージ(パワハラや嫌がらせ)の「武勲」を自慢しあう上級裁判官たちまでいるらしい。硬直した閉鎖的階層社会を打破する新風となりうる「法曹一元制」には、検討すべきメリットが多くあるのではないだろうか。 

 そのような裁判官たちの「司法の闇」に、上記の新刊書で鋭いメスを入れた郷原信郎が、本来ならマスコミが大騒ぎして政権が飛びかねない一大事について、重要な指摘を行っている。 

―― 今後、森友学園問題はどのように推移していくと考えられますか。

郷原 籠池氏が詐欺罪で有罪になることは避けがたいと思います。これまでの経過を見ても、検察は首相の意向にしたがい、籠池氏を有罪にするための立証を徹底して行うでしょう。日本の刑事司法の現状からすると、裁判所が検察の主張を否定するとは考えられません。

 しかし、安倍首相も大きなリスクを抱えています。それは「籠池氏が詐欺を働いた」という発言について、籠池氏から名誉毀損で訴えられることです。

 名誉毀損の免責要件は、事実の公共性と目的の公益性です。安倍首相の発言は、公共性はあるかもしれませんが、単なる自己弁護にすぎず、公益目的とは言えません。「妻は騙されて名誉校長になった」などと言っていますが、そもそも一体何を騙されたというのでしょうか。昭恵氏が名誉校長を引き受けたのは、森友学園の教育方針に共感したからで、籠池氏が何か騙したわけではないでしょう。

 籠池氏が名誉毀損民事訴訟を起こせば、安倍首相側には弁解の余地がないため、すぐに判決が出ると思います。私は何人もの弁護士と話しましたが、みんな安倍首相側の被告代理人を受けても反論・反証のしようがないと言っています。…… 

(強調は引用者による)

名誉棄損の裁判を起されたら、裁判では勝ち目がない。したがって、その法的劣位を覆い隠すために、異常な隠蔽工作が行われることになる。その卑劣な遣り口に、この政治家が直接斬り込んでくれたのは嬉しかった。

森友学園前理事長、籠池夫妻は今年7月31日に逮捕され、それ以来4か月もの長期勾留の上に、保釈請求も認められず、家族との接見も禁止する非人道的な扱いです。

身柄拘束の要件である住所不定、罪証隠滅の恐れ、逃亡の恐れ、いずれも籠池夫妻には当てはまりません。

(…)

口封じのための長期勾留ではないでしょうか。

4か月を超える長期勾留に加え、接見禁止、手紙のやり取りすら禁じられている。籠池夫妻がこれだけの厳しい措置を強いられる合理的理由、見つかりません。

 明らかに、国際被拘禁者処遇最低基準規則、いわゆる、ネルソンマンデラルールに違反する行為でございます。その基本原則、規則1には、すべの被拘禁者は、人間としての生まれながらの尊厳と、価値に対する尊重をもって処遇されなければならない。規則58-1、被拘禁者は必要な監督の元、定期的に家族及び友人と、以下の方法で連絡を取ることを許さなければならない。A:文通、B:利用可能な場合は遠距離通信、電子・デジタル、及び他の手段、及び訪問を受けること。

世界から見ても非人道的な扱いを平然と行い、総理大臣夫人が自ら首を突っ込んだ問題の、もう一方の当事者である籠池夫妻という不都合な存在を社会的に抹殺し、本人の心まで破壊するようなやり方は、拷問以外の何物でもありません。 

(強調は引用者による) 

山本太郎の国会発言書き起こし:「籠池夫妻の不当勾留と社会的抹殺は許されない!」(お役立ち情報の杜(もり)) 赤かぶ

いやしくも法治国家を自称するなら、そこに住む誰であれ、不当な人権侵害が許容されるべきではないと思う。

……ネルソン・マンデラ。 偉大な日本の政治家の質問の中で、偉大な固有名詞が言及されてしまった。アパルトヘイトと闘った投獄者にして元南ア大統領。数多くの名言を残してもいる。 

さて、昨晩言及したフリーエネルギーの発明者マックス・ ローハンも、ネルソン・マンデラについても熱弁をふるっている。(英語自動字幕の設定が可能)

正確には、少年物理学者が語っているのは「マンデラ効果」について。 

ローハン君は今回、このマンデラ効果がまさに起こった可能性と結果について独自の見解と理論をビデオで20分以上(!)にわたり熱弁を振るっている。ローハン君は無限にあるパラレルワールドは絶えず生みだされ、中には神が存在するものさえもあると語る。

 また無限のパラレルワールドには、逆に神が存在しない宇宙や、神がさらに強力な力を持つ宇宙もあるだろう、とも……。 

 過去の記憶がいつの間にか事実と反するものになってしまっている現象を、ブルーム氏は「マンデラ効果」と名づけている。アパルトヘイト撤廃に尽力した世界的指導者であるネルソン・マンデラ氏であるが、3年前の2013年に氏の訃報のニュースが流れた時は、決して少なくない人が虚をつかれる感じを覚えたという。てっきりマンデラ氏は1980年代に獄中で亡くなっていたものと思い込んでいた人がけっこういたというのだ(実際は1999年に大統領を辞職して政界から引退)。

 そしてブルーム氏は、マンデラ氏が80年代に亡くなっていたはずであるというこれらの人々の記憶は、間違いではない可能性があると主張している。いったいどういうことなのか。

これは陰謀論ではありません。虚偽記憶(false memories)の話ではないのです。我々の多くはパラレルワールドの存在を想定しています。そして気づかないうちに、パラレルワールドは我々の世界に滑り込んできているのです」(フィオナ・ブルーム氏)

 つまり、パラレルに存在する別の世界ではマンデラ氏は80年代に亡くなっており、それはそれで1つの事実であるという。そして一部の人々はその“事実”を実際に体験しているというのだ。

 これまでにも、ヒュー・エヴェレットの多世界解釈(many-worlds interpretation)などによってパラレルワールドの存在は指摘されているが、あくまでもパラレルワールドはお互いに完全に絶縁状態にあると考えられてきた。つまりもしパラレルワールドが存在するにせよ、この現実とはまったく関係ないので考える意味がない=存在しないも同然ということだ。

 ということはブルーム氏は、これまでの定説に反してパラレルワールド同士の相互干渉が起り得ると主張していることになる。パラレルワールドの“事実”が、時にはこの現実の世界に“滑り込んで”くることがあるというのだ。 

昨晩紹介した対談本で、バシャールは「マンデラ効果」は記憶違いではなく、実際にそれぞれの並行世界におけるそれぞれの事実だと説明している。

フィオナ・ブルームと違うのは、彼女が並行世界が相互浸潤していると説明するのに対して、バシャールは私たちの存在自体が並行世界から別の並行世界へシフトしていく、と説明している点だ。

バシャール集合的同意意識が、そのように「あえて選んだ!」ということです。

 「オリジナルのタイムライン」(84年まで生きていた)では、ケネディ大統領は地球外生命体が存在するという事実を発表して、そのことによって、社会が大崩壊してしまうということが起きるのです。

そして社会が大崩壊したことへの反応として、復讐が起きます。よくも私達の社会をだめにしてくれたなと、84年に暗殺されるのがオリジナルのタイムラインでした。

しかし、集合同意として、63年に暗殺されたということにしておけば、ケネディ大統領は地球外生命体のことも公にできないし、それによって社会が崩壊することもなくなるので、そちらを選ぼう、となったのです。それで記憶が変わりました。

もちろん、たくさんの並行現実があるので、「ケネディ大統領が地球外生命体のことを公にしても崩壊しなかった社会」というバージョンの現実もあったのですが、集合的に地上の皆さんが選んだのは、そのバージョンではなかったということです。 

BASHAR 2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

BASHAR 2017 世界は見えた通りでは、ない バシャールが語る、夢から覚めてありありと見る、世界の「新しい地図」。

 

声が聞こえる。

 きみきみ。すっかり、スピリチュアルづいてしまって、話についていけないよ、とうとうおかしくなったんじゃないの?

 そういう声も、ごもっとも。けれど、自分が無数に並行世界のある多元宇宙論にこだわるのは、実際に「マンデラ効果」を体験したことがあるからだ。

2005年くらいのことだっただろうか。詳述するのは避けよう。私は深刻なトラブルに巻き込まれていて、私をバッシングする「攻撃型パンフレット」が世に出回っていた。(え? 被害妄想だって? 嗚呼、そうだったら、どれほど幸福だっただろう!)

或る文書の或る「命令」を含む一節を目にして、自分は欣喜雀躍した。「これでこの戦いには必ず勝てる」。そう確信した。心ある人なら誰もが目を覆いたくなるような、本当に酷い一節だったのだ。 

 それからしばらくして、自分の闘争本能が落ち着いた頃に「いつか使わねばならない日が来るかもしれないから、念のためコピーを取っておこう」と思って、当該記述を探したところ、何と、その一節は文章の中から忽然と姿を消していたのである。

その一節を、初めて見たときと見失ったときとでは、自分の心のあり方がかなり変化していた。その心の波動のようなものの変化によって、バシャール流「並行現実間シフト」が起こっていたとも推測できる。あの文句は今でも覚えている。決して忘れようもない強度の憎悪に満ちた一節だったのに、この宇宙のどこへ消えてしまったのだろう。不思議でたまらない。…… 

世にはスピリチュアル嫌いの人も少なからずいるらしく、バシャールの素性が「宇宙存在」だと耳にすると、人差し指だけを立てて左右に振りながら、「もっと真面目に勉強しなさい」と助言しながら近づいてくる人もいる。「要は、そこからどんなポジティブなものを引き出せるか」ではないだろうか。けれど、何にせよ、助言をくれようとする気持ちは、ありがたいものだ。お返しをしなくては。

そう感じたときに想起したのが、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』。

もし続編を創る企画があるなら、『もし地球上の皆が風呂に入るより多くフローしたら』という物語を、ぜひともお勧めしたい。 

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

 

 教育心理学の人に見えるが、詳細な経歴を調べると、2010年以降、クレアモント大学院大学ピーター・ドラッカー・スクール・オブ・マネジメントの心理学の教授を務めている。ドラッカーの続編にはうってつけの学究だ。 

日本語字幕付きのTEDでのスピーチも大変興味深い。

上記の著書を参考に、もう一度文字ベースで、チクセントミハイの「フロー理論」を復習しておこう。

 目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキル[技能]チャレンジ[挑戦]のバランスが取れたぎりぎりのところで活動しているとき、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を「フロー」と呼ぶことにした。

 これはまさしく、バシャール流のワクワク原理主義とほとんど同じだ。もう少し正確に言うと、チクセントミハイの4条件のうち、バシャールは「明確な目標」と「迅速なフィードバック」をカットしている。それは、私の勘で書き進めるなら、その二つが不要だというのではなく、「結果」に関わるその二つが、しばしば「恐怖」という有毒な副作用を生みがちだからなのだろう。

では、心理学や行動科学の分野で、40年以上にも渡って注目を集めつづけているフロー理論は、最終的にどの位相へ到達したのだろうか。

チクセントミハイは、フローの境地がニーチェの「運命愛」に近いとする。「状況がどうであれ、その必然を耐え忍ぶのではなく、それを愛せるところに、人間の偉大さがある」と主張する「運命愛」は、言われてみればフローに近いと言えなくもない。

他にも、アブラハム・マズローやカール・ロジャーズとの類似性を確認した後、驚いたことに、チクセントミハイは、「フロー」を思いっきりでっかい二つの物に結びつける。

「進化」と「全存在」である。私流にまとめよう。

  1.  「悪魔」の語源は「切り離す」という意味のギリシア語に由来する。人生でフローから切り離されることこそが「悪魔的」なのだ。
  2. 「悪」は「エントロピーの増大」に似ている。例えば、個人が協業よりも利己的行動を選べば、エントロピーと悪が増大する。 
  3. しかし、私たち個人は物質的社会的文化的文脈においてのみ、唯一無二の個人になれるので、全存在のネットワークに責任を負っている。
  4. その全存在のネットワークが、或る目的をもって進化しているとする目的論的進化論が、学会に出現し始めた。
  5. 「善」とは人間の意識を進化させるエネルギーであり、進化と利他的な意識を同一視できる人は、全存在の中のフローとなれる。

 これをまとめるのには少々苦労した。というのも、科学的根拠がまだ得られていない新しい主張に説得力を持たせようとして、チクセントミハイがかなりアクロバティックな論理接続を連続させているからだ。

 一方で、フロー理論が到達した最後の場所(「進化」と「全存在」)が、スピリチュアリズムにおける「アセンション」と「ワンネス」に酷似していることも、また事実だろう。空海の『十住心論』を研究した時にも感じたことだが、多くの人々が同じような「最終図」を語ろうとしているのではないだろうか。

 でも、本当は長々とここに書いたことより大事なことがあるんだよな。以上に書いたのは、社外から社内へどうやっ人材を入れるかのコーディネーションの話。いったん社内に入って、少人数チームを組んだら、そのチームの中でICTも充分に使って、自分を生かし他のメンバーを生かし、チームの仕事が伸びるよう仕事や意思疎通をコーディーネートする力が、一番大事なのだと思う。

中高生が部活に夢中で打ち込み、チームの力が最大になるよう頑張ったあの「人間力」が、次の時代には堂々と真正面に帰ってくるだろう。 

上の記事を書いたとき、時間的な締め切りに追われて、自分も「フロー状態」で書いていた。なるほど、ここへつながるのか、とわれながら少し驚いてしまう。まとめよう。

 集団ネットワークの中で利他的に助け合って協働しながら、最大限の情熱で最大限の力を発揮すること。

野球、サッカー、ホッケー……。自分の友人たちの中には、全国大会へ出場した「部活の猛者たち」が多い。

長い時間をかけて、長い長い言葉を費やして、このブログを書きながら、たぶん自分はこの重要な世界の秘密を、友人たちに教えてもらっていたことになる。心から感謝したい。

感動的なこの名画も、同じように「分断(≒悪魔)」に逞しく抵抗して、人種差別のない国を作ろうとしたネルソン・マンデラの実人生に基づいている。「Colorblind」は色覚異常ではなく、肌の色はもちろん、どんな性別や階級でも差別されたり不当に搾取されたりしない、マンデラの目指した国づくりを象徴している。彼はそのように多様性を尊重した国を、「虹の国」と呼んだのだった。

 アパルトヘイトによる27年間もの投獄の後、黒人初の南アフリカ共和国大統領となったネルソン・マンデラは、依然として人種差別や経済格差が残っていることを痛感する。誰もが親しめるスポーツを通して、人々を団結させられると信じたマンデラは、南アフリカラグビーチームの立て直し図る。マンデラの不屈の精神はチームを鼓舞し、団結させ、奇跡の快進撃を呼び起こす。それは、暴力と混沌の時代に初めて黒人と白人が一体となった瞬間だった。 

(映画配給会社紹介文)

インビクタス / 負けざる者たち [Blu-ray]

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自分が巻き込まれたこの14年間のトラブルが、何とかして映画化されるときが来ないだろうか。そう夢想せずにはいられない。この実話だって、充分すぎるほど映画化する価値があるはずだ。

知っていることと思う。「月」がもし輝いているとしたら、それは「太陽」の光を受けて輝いているから。

必ず映画になる日が来る。「負けざる者たち(インビクタス)」が、苦悩し、忍耐し、涙を流し、歓喜しながら、ひとつの太陽のような集団ネットワークとなって、分断されずに闘い抜いた姿が、映画になる日が。

 映画の最後では、「それぞれのその後」を短いショットでつないでいくシーンがきっとあるにちがいない。忘れずにいてくれよ、そこも実話を使うつもりだからな!

映画制作で再会するその日まで、big smile で、全力疾走 in big destiny を忘れずに続けてくれよ! 負けざる者たち(インビクタス)らしく!

みんな、ありがとう!

 

 

And it's not just a game
You can't throw me away
I put all I had on the line
And I give and you take
And I played the high stakes
I've won and I've lost
But, I'm fine

これはただのゲームじゃない
きみはぼくを投げ飛ばせない
ぼくはライン上にすべてを懸けているから
押したり引いたり
そしてぼくは頂点を懸けて闘う
勝つこともあれば負けることもある
でも平気さ

 

Hear me say I'll rise up 'til the end
Hear me say I'll stand up for my friends
And I crash to the ground
And it's just my own sound
I drop in the blink of an eye
I'm colorblind

聞いてくれ「最後まで立ち上がって闘おう」
聞いてくれ「仲間のために立ち上がって
グラウンドの上で倒れてもいいんだ」
そしてぼくの目はかすかにこう囁く
ぼくは肌の色で人を見たりしない

 

And your milky way fight
Won't stop my delight
You keep me and lock me away
And it's dark and it's bright
It's your colorful pride that kept me here 9000 days

そしてきみとミルキーウェイでやる試合が
楽しくてたまらない
きみはぼくを押さえこんで動けなくする
闇が覆ったり光が差したり
きみの輝かしい誇りが
ぼくを9000日もここに釘付けにした

 

Hear me say I'll see the sky again
Hear me say I'll drive for you my friend
There's a noise in the crowd
But it's just my own shout
A stumble I fall and I pray

聞いてくれ「もう1度空を見上げよう」
聞いてくれ「仲間のために頑張るんだ」
群衆がざわめきはじめる
でもそれこそがぼくの心の叫び
躓いて転んでは ぼくは祈る
 

Hear you say your eyes see green again
In the end we'll lived up holding hands
Yes, we'll spark in the night
We'll be colorblind
And these are the lives we gave

きみがふたたび緑のグラウンドに立つという声が聞こえる
最後にぼくたちは手を握るんだ
そうさ ぼくたちは夜に煌めくだろう
そして 不当に搾取しない人間になる
それこそぼくたちが与え合ったぼくたちの人生

 

Hear me say I'll rise up 'til the end
Hear me say that I'll stand beside my friends
I won't stay on the floor
I will settle the score
A stumble I fall and I pray

聞いてくれ「最後まで立ち上がって闘おう」
聞いてくれ「仲間のために闘おう」
どん底でじっとしてはいられない
得点を決めるんだ
躓いて転んでは ぼくは祈る

 

Hear me say it's time we stop talking
Eye to eye we see a different face
Yes we we've conquered the war
With love at the core
A stumble I fall, but I'll stay
Colorblind.

聞いてくれ「お喋りをやめる時間だ」
目と目でお互いの引きしまった顔を見る
そうさ ぼくたちはこの戦いを克服するんだ
心の奥にある愛をもって
躓いて転んでも
肌の色で人を見たりしない