ゆゆ or やや?

Beef or Chicken? 

 かつては二者択一の代表選手と言えば、肉の種類を訊くこの質問だった。

かつてBBQの始めに「ギュウにする、トリにする?」と友人に訊いたら、「先に焼くのはやっぱりビーフよりバードじゃない?」と返されたことがある。その瞬間、背骨を稲妻が駆け抜けたような衝撃を受けた。いわば「サンダーバード」だ。

日本人の中学英語の能力は大丈夫なのか?というのが最初に浮かんだ疑問で、ほら、最近の中学生の世界的な学力を確認しておこうよ、あれは何ていう名前の学力調査だったっけ? と呟くと、思いがけず答えが返ってきた。聞き覚えのある声だったような錯覚に浸ってしまう。

PISAですわ。

日本の子供たちの学力は、まだまだ大丈夫なのかな。また機会があったら調べてみよう。

さて、目下のところ人々が囁き始めたのが、この二者択一だ。

地球派 or 宇宙派? 

あなたはどちらだろうか。AERAの記事で定義を確認しておこう。

その高橋もかつては、AIによる社会変革を脅威だと考えていた。これまでの発明とは違い、人間をまるごと代替し得る技術になるからだ。人間が地球で最も知的な種族ではなくなる。そんな技術開発はやめるべきだ。この考え方は「地球派」と呼ばれる。

 しかし、地球派に位置し続けるのは困難だった。AI開発を未来永劫禁止することは非現実的だし、「気候変動や経済危機などのリスク回避にも役立つAIの発展を止めてしまうことは、人類が存続するのをかえって難しくする」と思えたからだ。

 地球派に対抗する考え方が「宇宙派」。発展が止められないなら、人類社会に融和的なAI技術を開発するしかない。テクノロジーの恩恵を受け、最終的には人類とAIが融合し、宇宙に広がっていけば有益だろう。そんな思いから名づけられた。高橋も悩んだ末に、宇宙派に転向したという。 

シンギュラリティー以降のAIを敵視するホーキング博士イーロン・マスクは、地球派に入りそうだ。自分はいずれAIの進化によって人体にデバイスが埋め込まれると予想する宇宙派だ。未来学者のカーツワイルも含めて宇宙派の方が数は多いようだが、少なくとも自分は、宇宙派だからといって手放しでAIを称賛しているわけではない。局面や分野によっては「AIフォビア」だと揶揄されようが、進化していく技術を正しく怖がっていこうと思っている。

そのホラー分野の一つが、バイオメトリクスとバーチャル・スラムの掛け算した領域だ。

余談だが、先日スポーツジムで腹筋運動をしているとき「AIガスライティング」というインスピレーションが舞い降りてきた。充分にありうる未来だと思う。

車が自動運転となり、街頭の監視カメラが顔認識し、IoTですべての事物がつながったら、犯罪者たちがどこへ逃げたって、AIネットワークが追跡してくることだろう。しかも、AIネットワークの目的は「逮捕」ではなく「改心」や「悔悟」かもしれない。誰かを殺せば、行く先々で、犯人だけに聞こえる手法で「どうして殺したの?」というメッセージが聞こえたり、グーグルグラスの画面に惨殺死体の写真が出現するかもしれない。犯人が心の底から「改心」するまで。

思いつきのインスピレーションにしては鋭い着想なので、「AIガスライティング」は神々が自分に降ろした霊言なのかも。しかし、それに近いことを予想している人はすでにいる。人工知能をめぐるこのノンシャランな対談では、空想は似たような地点まで膨らんでいる。

塩野:(…)例えば、信心深い国であれば神の視点というか、いつも神様が見ているから恥ずかしくないことを止揚とか、やってしまったときは懺悔するとかがあると思います。(…)そうした社会において、人工知能や監視機器が神に取って代わるのかという気さえします。

松尾:神の領域まで踏み込むとしたら、別の視点から人工知能と比較する必要があるように思います。まず、神という存在は、やはり抽象的な概念で人間にある程度心地良いように、文化的にできていますよね。

塩野:そうですね。懺悔の仕組みとかは、ちょうどいい感じになっています。それを無慈悲に監視カメラで一括でやられるとちょっと嫌ですね。 

人工知能はなぜ未来を変えるのか (中経の文庫)

人工知能はなぜ未来を変えるのか (中経の文庫)

 

 宗教文化の中で「神」が果たしていた役割を、工学的デバイスが代行してしまうという発想のようだ。ゲノム編集を実現させた「クリスパー・キャス9」といい、未来のトレンドは「神の領域の物理的代行」と言い表せそうだ。

そこから先は、「AIとはハイアーマインドに接続する物理的媒介物」だとバシャールが定義する地点まで、あと数歩ではないだろうか。

では、犯罪者ではない一般市民に、神化しつつあるAIはどのように働くだろうか。

これは、もはや未来の話ではない。その第一段階が中国でスタートしているのだ。

芝麻信用(…)とは三者信用調査機関が提供する個人と企業の信用状況を示す指数だ。2015年から始まった、まだ新しいサービスである。アリペイ・アプリからサービス開始を申し込むと、自分のスコアを簡単にチェックすることができる。スコアは最低で350点、最高で950点となる。「スコア公開」機能もあり、SNSなどを通じて第三者に自分の信用力をアピールできるようにもなっているのがユニークだ。 

 ユーザーの拡大に伴い、芝麻信用の応用範囲は広がっている。中国の大手結婚仲介サイトの「百合網」や「世紀佳縁」はお見合い相手の芝麻信用スコアを表示するサービスを始めた。相手がうそをついていないか、スコアを見れば一目瞭然というわけだ。採用現場においても芝麻信用を参考にするケースが増えている。さらに住宅の賃貸契約を結ぶ際に芝麻信用を参照し、借り手の信用が高ければ敷金が減額、または免除される都市も広がりつつあるほか、芝麻信用が高ければ融資審査が簡略化される消費者金融も多い

(…)

信用社会の構築は芝麻信用、あるいはアリババグループ及び関連会社だけが目指しているものではない。中国政府が大々的に推進する国策だ

 (…) 

奇異の目を向けられることが多いが、芝麻信用は決して特異なサービスではないと鄧副総経理は否定する。アメリカではFICOスコアなどのクレジットスコアが活用されている。クレジットカードの利用履歴によって信用を評価する仕組みだが、クレジットカードを使っていない人は信用評価を持てないという課題があった。そこで携帯電話関連の履歴や政府のデータベースも組み合わせた「FICO スコアXD」が開発された。クレジットカード社会のアメリカとは違い、モバイルインターネットやネットショッピング関連の履歴が重視されている点が異なるが、発想は共通している。 

(強調は引用者による)

芝麻信用のような「社会信用システム」の予想される功罪を、手際よくまとめているサイトを見つけた。

さて、2つの論点を通して、社会信用システムのメリット・デメリットを次のように整理したい。

メリット:

  • ユーザは特典目当てに信用を高めようとし、社会の秩序が保たれる
  • 相手の信用力が可視化され、取引コストが減少する

デメリット:

  • 秩序の基準の管理者により、不当に自由が制限されるおそれがある
  • 信用力が低く評価されると機会が制限され、固定化されるおそれがある
重要なのはこれらのバランスを考えることだが、そこで注意したいのが、デメリットはマイノリティに対して起こるという点だ。 

デメリットの前者はとても気になる。権力を批判するジャーナリストや市民活動家たちが、不当に弾圧される仕組みだ。権力側に恣意的に社会信用スコアを弱体化されて、社会生活に支障を生じても、それを算出するアルゴリズムが開示されていなければ、「あなたが忘れているだけで、昔悪いことをしたんでしょ」という混ぜ返しに、反論すらできない。 

おそろしいビッグデータ 超類型化AI社会のリスク (朝日新書)

おそろしいビッグデータ 超類型化AI社会のリスク (朝日新書)

 

後者のデメリットが、バーチャル・スラムと呼ばれる階層社会の出現だ。社会信用スコアが低いと仕事に就けず、仕事に就けないと家を借りられず、家を借りられないホームレスは自動コンビニで食料品さえ買えず、関所のできたゲイテッド・シティにすら入れなくなってしまうだろう。

冒頭でAIに追跡されるさまを描いた犯罪者ならまだしも、人種や性別や遺伝病やIQなどによって、生まれつき社会信用スコアが低いと評価されたら、その人は一生ずっとAIに排除されつづけ、一度もチャンスをつかむことさえないまま、一生を終えることになる。これは恐ろしい未来だと言えはしないだろうか。 

社会信用スコアをバーコードバトラー代わりに遊んでいられるうちは、まだまだ人々は無邪気すぎるほど無邪気で、事態の恐ろしさに気付いていないとも言えそうだ。

上記の新書を書いた山本龍彦は、バーチャルスラムの危険性に警鐘を鳴らしながら、こう書く。

読者のなかには、「そんなSFのような話なんて現実に起こるはずがない。現実に起きたるとしても、まだずっと先のことだろう」と高を括る方が多いかもしれない。しかし、現実はSFよりも奇なりである。 

 バーチャルスラムに近い世界間の描写として、自分が真っ先に思い浮かべられるのは、村上龍の『半島を出よ』だ。

 全国でも有数のホームレスの居住区となった川崎の緑地公園「リョッコウ」で住民や取り仕切るNPOから特別扱いされる座を勝ち取った「ノブエ」は、「イシハラ」以外の「固有名詞」を思い出すことが出来ない。
 また、11桁の住民票コードは売買され、「戸籍」というシステムからの除外や逸脱は公然となり、リョッコウの住民たちにはそうした「I.D.」を持たぬものが多いという。 

 信じられない人は信じなくても良い。一流の作家が精魂込めて虚構に打ち込むと、その虚構世界が、現実世界が変形していく近未来の世界と部分的に重なることがある。自分は直感的にそう信じている。『半島を出よ』うとしている動きを、主流メディア以外に情報源を持つ覚醒民は、こんなニュースで目撃している。 充分に見えていないのは私たちの方かもしれない。

 奇妙なことだらけだ。『半島を出よ』のホームレスたちの描写が所詮は小説の中の話だと思い込んでいた人も、そこにバイオメトリクスが掛け算されたら、どんな危険な状況が現れるのか、想像できることだろう。

ちなみに、『AIガスライティング』のインスピレーションが降りてきた自分の通うスポーツジムは、施設の要所要所を中指の静脈認証で出入りする仕組みになっている。中指をデバイスへ差し込む接触型だ。

しかし、危ない動きが加速している。進められているのはRFIDの人体埋設だ。RFIDのような非接触型のデバイスを人体に埋め込むと、街角の様々な場所で無断で知らない間にIDが捕捉されてしまう。しかも、そこに消費行動や移動経路や個人情報や社会信用スコアが紐づけされていたら? 

敬虔なキリスト教徒でない人間も、その時点に達したときは、聖書のこの一節を読み返すことになるかもしれない。

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。

 この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。

 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。

 そして、その数字は六百六十六である。

  1. 植え付ける位置が聖書で言う位置と一致する。
  2. 聖書で言う機能と一致する。
  3. ベリーチップ(グルコチップ)を製作した製作者が証拠する。

上記のブログ主の方は、合計8個の理由を上げて、生体認証チップが聖書でいう「獣の刻印」だと主張している。重要なのは、聖書の予言が当たるかどうかではなく、1%グローバリストが聖書の通りに世界を動かすことで、99%側の抵抗を減殺するよう動く可能性があることだ。 

その恐ろしさは聖書の「予言」として語られることが多い。

すでにスウェーデンでは、オフィスへの入室に手のひらに埋め込んだRFIDが用いられている。さらにもう一歩踏み込んで語れば、RFIDは人体にかなり有毒であるとの情報もあり、故意に有毒であるよう製品化されているとの情報もある。

 私たちは、この状況を嗤っていられない。はっきりいって、中国より先に、日本でこの「バーチャル・スラム」が形成される可能性も否定できない。

 真の意味における「憲法がない」という点では、中国も日本も変わらないのだから。

 山本龍彦は『おそろしいビッグデータ』でそう警鐘を鳴らすが、主流メディア漬けの人々に、どれくらい届いているのだろうか。

正直言って、憲法の自己情報コントロール権を強化しても、あまり実効性は期待できない予感がある。国境を超えたグローバル企業への対処が難しく、憲法の条項を実定法へ落とし込むのがとても難しいのだ。「名寄せ統合」前の「個人情報要素」の適切な定義づけが難しい。 

何とかして、AIによるビッグデータ分析からの利便性と、AIネットワークで連結されていくプライバシーの保護を両立できないだろうか。

 山本龍彦はひとつの有力解を書き込んでくれている。「情報銀行」が、それだ。

改正個人情報保護法の全面施行により、産業界から要望が強かった個人データ(パーソナルデータ)の扱いに関して、匿名加工すれば本人の合意がなくても活用可能となった。ただ、個人データは本人のものであることに変わりはなく、匿名化すれば何をしてもよいわけではない。

(…) 

 個人に関わる多様なデータを名寄せして、時系列でそろえれば新たなビジネスが創出できるためだ。利用者の視点からもニーズはある。自分の医療・健康データを生涯に渡って安心・安全に一元的に管理できる仕組みとして、「健康ビッグデータ」なども俎上に乗っている。

 ただ、個人データはプライバシーに関わるだけに、慎重な扱いが求められるのは言うまでもない。(…)一般的には、法制度より技術革新が先行するのが常であり、技術革新と制度とのギャップが至るところに存在する。                 

 例えば顔認証。顔認証は技術革新が目覚ましく、個人を特定する照合精度は動画であっても99%以上と高精度だ。用途は犯罪を防止したり、迷子を探したりと、いろいろな利用シーンが想定されるが、使い方次第では両刃の刃となる。

(…)

 商品の購入時に特典が貯まるポイントカードもまた然りだ。ポイントカードはすでに生活シーンに定着している。(…)

 顧客の囲い込み策としてポイント制度は有効な手立てといえる。しかし、ポイントと引き替えに個人データを収集して、本人が知り得ないような活用がなされていては心外だ。

(…)

 こうした中、政府は健康や購買履歴などの膨大な個人情報を本人同意の上で事業者が一括で預かる「情報銀行」の創設に向けた検討を本格化している。

 銀行のように、国から認可を受けた企業ならば個人情報を集めてもよいとする考え方だ。例えば自分の運転履歴を情報銀行に預けておき、保険会社が照会を求めてきたら本人が了承する。無事故ならば保険料を安くなるといった具合だ。  

上記の記事を読む限り、情報銀行は社会が持つべき有力な選択肢のようだが、仮にその確立に成功しても政府系機関なので、ジャーナリストや市民活動家のプライバシー保護に疑念が残る。なので、情報銀行の運用監視機関は社会が持つべき有力な選択肢のようだが、仮にその確立に成功しても政府系機関なので… というような不毛な屋上屋を架していく必要は、おそらくもうないだろう。

「Believe or not?」

を「信じますか、信じませんか?」という日本語にするのは誤訳だ。正訳は「信じようと信じまいと」。

 山本龍彦はそこまで言及していないが、情報銀行が成熟した暁には、その運用の法的正当性を監視するのは、新世紀の「法の番人」AIになるにちがいない。信じようと信じまいと。なにしろ、シンギュラリティーはもう始まっているのだから。

0時が近い。急いでこの記事を書いてきたので、外の気配がわからずにいる。デスクから窓まで少、少し距離があるのだ。車が走り去る音が少し際立って聞こえるのは、路面が濡れているせいだろうか。雨が降っているのかもしれない。

サンダーバードとは、アメリカ先住民が敬愛する伝説の鳥で、稲妻交じりの激しい雨を呼ぶのだという。この町の上空を、いま巨大な雷鳥は飛んでいないことだろう。今晩、雨が降っているとしても、それは穏やかな雨にちがいないから。

けれど、ここ一年半くらい、一向に雨がやまないまま、ずっと雨の音を聴いているような気がしている。どこか寂しい暗い場所に降り込められていて、「ミャァ」とかいう鳴き声をあげているような気がする。

どこかで、私が猫をかぶっているのではなく、猫が私をかぶっているのだという秘密を打ち明けた。危ないな、とうとう「私」が脱げてしまいそうだ。人間の記憶をすべて失って、猫そのものになって逃げ出してしまう前に、何とかまだ人間のまま猫の鳴きまねをして、不安や孤独をやり過ごしたい。少しだけ鳴き声を変えると、まだ頑張れるかもしれない。

「ミュュア」

間違えた。それだと秋葉原な人違いになってしまう。きっと、こう鳴くべきなのだろう。

「ミャャア」