「阪神タイガース=敵」

もう争いたくない。せっかくそんな気分でいるのに、この記事の名前を考えていると、「阪神タイガース=敵」という文言が舞い降りてきた。どういう意味なのだろうか? 記事を書き進めながら、この謎の解明にも合わせて取り組みたい。

 

 

普通の人々が普通に日常生活を送るときに普通に感じている「時空」。

その時空を越えたところで、シンクロニシティがどのようにして発生しているのかを、考えていた。

 ただ、判断がつきやすいのは、日航123便の墜落事故原因が公式発表の「圧力隔壁の損傷」などではなかったことで、竹下登が首相在任時に交わしたプラザ合意への、宣戦布告すれすれの凄まじい「圧力行為」だった可能性が高いことだ。

(…)

 「事故」当時日本航空に在籍していて、弾かれたように「真実が未来を拓く」ことを伝えようとする団体を立ち上げた佐宗邦皇は、この日航123便「墜落」事故の真相に言及した直後、暗殺めいた急死を遂げた。 

 自分は日航123便「墜落」事故を「第二の敗戦」と呼んでいる。どんな敗戦も悲惨だ。この検索結果に、ひりひりするような痛みを感じずにはいられない。犠牲者はまだ生きていて、必死に助けを求めていたにちがいない。

日航機 二度焼き - Google 検索

日航123便が墜落したのは、群馬県上野村で、当時の村長は黒沢丈夫だった。経歴の重なり具合に、故知れぬ因縁を感じずにはいられない。

 事故現場になった群馬県上野村で、事故の対応から犠牲者の慰霊に心を砕いたのが、2011年に亡くなった元村長の黒沢丈夫氏でした。海軍兵学校出身で零戦パイロットだった黒沢氏。航空事故防止を誰よりも願った黒沢氏の思いをたどります。

 旧海軍の航空隊参謀だった黒沢氏は、戦時中は零戦に搭乗。敵機の銃撃が機体に命中したこともありました。「飛行機が不足で特攻隊員は命じられなかった」といい、終戦を大分で迎えます。

 しかも、墜落したときの日航機の機内情報誌「Wing」には、黒沢丈夫の記事が掲載されていたという。常識的な因果関係がないことを知りつつも、日本航空はこのシンクロニシティーにどこか気味の悪さを感じて、雑誌を回収したのだという。

 戦時中、20歳前後だった三島は、日本の神々しい復活を説く大本教を、「邪教」だとして冷淡に退けた。その四半世紀後、大本教の分派で「神の国」日本を説く「生長の家」の谷口雅春に、三島は面会を申し入れている。「自分の行動を理解できる唯一の人物」だと考えて、割腹自殺を決行する一週間前、どうしても逢いたくなって不意の訪問をしたのだという。

 何を伝えようとしているかわかるだろうか。生まれる前に「どうしてもこのことをやり遂げたい」 と神々に懇願した「ミッション」は、この世に生まれて記憶がすべて消えた後も、きっと形を変えて何度も何度も、その人の眼前に出現するのだ。 

何度も何度も形を変えて現れる「今生の自分のミッション」。冒頭、元零戦パイロットの記事を載せた機内誌とともに、日航機が彼が村長を務める村へ墜落したシンクロニシティーに触れた。「日の丸の翼の墜落場所ぎりぎりのところで生きること」が、黒沢丈夫のミッションだったのにちがいない。

自分のミッションが何なのか、この一年半で朧気ながら見えてきた感がある。その全貌が判明しても、公言すべき種類のことでもないと思うので、たぶんどこにも何も書かないだろう。

ただし、ここ半月くらいの「試練」の様態から判断すると、たぶん「恐怖の克服」という小例題を解かされているような気がする。幼い頃からジェットコースターに乗るのは平気だったし、自分をいわゆる「怖がり」だと思ったことはない。

しかし、この記事を書いているときに、「恐怖」という感情がどれほど人間の可能性をスポイルしているかに思い至って、これはいつか書かなくてはならないのではないかと感じた。 

 記憶をもとに核心となっていた心理機制を書き出すと、この七点になるだろうか。

  1. 社会から完全に隔離する。
  2. 生理的欲求である食事や排泄や睡眠を許可制にして、人々に洗脳しやすい状態を作る。
  3. 暴力やレイプや電気ショックなどの加害行為で、人々を恐怖させる。
  4. 人々の間に序列を創り、言いがかりを付けて、その序列を頻繁に入れ替える。
  5. 上の序列の人間から下の序列の人間への加害行為を奨励する。
  6. 3.4. によって人々の連帯を分断し、完全で長期的な支配を可能にする。
  7. 1.2.3.4.5.によって、人々に人々を殺させ、殺した人々に罪悪感と無力感を植えつけて、さらに支配を強化する。

もうやめてほしい。そんな声も聞こえる。自分もこんなことを書きたくて書きたいわけではない。

こんな犯罪でなくても、これに多少なりとも近いことは、社会のいたるところで起きていて、そのような心理機制の1つ(上のリストでいう5.)を丸山真男は、「抑圧の移譲」(自分のストレスを弱い者へぶつけてはけ口にすること)だとして、峻烈に批判した。そこに日本の敗戦の原因があるとして。 

1.~7. まで、すべて「恐怖による支配」一色だ。「恐怖」の二語を口にしたものの、今晩は怖い話をしたいわけではない。私たちが、それが恐怖だと気づかないうちに恐怖している心理機制が、どれほど人間の可能性をスポイルするかを考えてみたい。

例えば、「マイルド版恐怖」とも言える「不安」。不安への対処が上手くない人々はたくさんいる。

最近、スピリチュアリズムへの言及が多いせいで、「オカルト狂い」との蔑称をぶつけられてしまいそうだ。固定観念は権威が作るもの。権威を重んじるべきだという固定観念を権威に造られてしまっている人々向けに、権威ある肩書のある著者による、全然権威的でない優しさあふれる本を紹介してみたくなった。 

 本家の Attitudinal Healing の本が街一番の本屋さんになかったので、「生きづらさ」に直面している人々向けの本を買った。30分で読了。よく読むと、随所に深い知見が生きているのがわかる。

 「怖れ」というのは、普通に言う怖れだけでなく、「ぽかぽかとした温かいこころ」以外のすべてを意味する、と思ってください。

 これこれ。恐怖によって部分的にスポイルされていない感情は、かなり少ないと考えるべきだ。主観的評価と客観的評価を分別せよと説いた後に、強烈な公式が登場する。

主観的評価=客観的評価+怖れ 

 これは「自分による自分への評価」と「他人による自分への評価」にかかわらず、遍在しているのだという。くすくす。しかし、人はどうしてあんなにまで自分への評価の高低に固執するのか。「他人からの評価がないと生きていくのが怖い」と告白しているようなものではないか。その恐怖を棄てよ。ほとんど評価されないままでも、立派にタフに生きている人々はたくさんいる。

悩んでいる人向けのこの本がとても良いと感じたのは、「自己肯定感を持ちなさい」とはどこにも書いていないことだ。「ポジティブ・シンキングに切り替えなさい」とも書いていない。

客観的指標から、自分の劣位を認めなければならないこともあるし、エネルギーが不足している人へ向けて、多くのエネルギーを必要とする思考法を要請するのも酷だろう。水島広子が推奨するのは、「自己効力感」を取り戻すこと。

ちょっとした他人への親切、ちょっとした奉仕。困っている人に道を教えたり、道端のゴミを拾ったりといった他愛のない行動が、自分の「心の姿勢」を変えていくのだという。ほんの少しであっても、「良いことをした」という認知が自分の気持ちを変え、自分の自分に対する感情を、より好ましいものに変えられる。自分で自分を変えられることを知る。それを「自己効力感」というのだそうだ。

誰かに認められたくてする行動ではない。誰にも見てもらえなくてかまわない。最も精神的に生きづらさを抱えている人が、たとえ誰も見ていないところでも、ひとり利他的行動をすることが、その人を救う。この部分の記述に、自分はいたく感動してしまった。 実践してみたい気持ちになった。

悪夢障害 (幻冬舎新書)

悪夢障害 (幻冬舎新書)

 

いま解かされているらしき「恐怖の克服」という小例題。自分で恐怖を棄てたつもりになってから、以前より霊感が冴えるようになった。ただしもともとが未熟な霊感なので、人生の指針として依存できるほどのものではない。

自分が恐怖の感情とともに記憶している悪夢が二つある。

幼い頃、高熱を出すたびに、何度も同じ悪夢を見た。その悪夢の中で、自分は街路樹にされようとしていた。蒸し暑い夏の昼間に、雨まで降っているのに、小さな穴をあけられた生温かい泥濘の地面に、自分は埋め込まれようとしていた。重機か何かの先で身体や頭を挟まれて、穴にねじこまれそうになるのだが、全身が痛くてしようがない。何しろ、穴が自分の身体には小さすぎるのだ。「無理だよ、無理」と高熱の小学生は悪夢の中で叫んでいる。

ずっと後になって、なぜ高熱を出すたび、小学生の自分がそんな悪夢を見たのか、はっと気づくことがあった。

  • 胎内記憶を持っている…33%
  • 誕生記憶を持っている…21%

たぶんあの悪夢は私の「誕生記憶」の再現だったのだ。予定日より半月も早く陣痛が来て、難産の末に生まれた第一子だったと聞いている。子供の頃、ちょっとだけ精神的外傷を背負っていたのかもしれない。

もう一つの悪夢は、路上に倒れている自分を自分で見下ろしている悪夢。倒れている方の自分の頭から、赤い蛇が這い出てくる。赤い蛇に見えたものは、よく見ると流血の赤い筋で、自分は飛び降り自殺したらしい。自分の「遺体」から少し離れたところで、自分は宙に浮かんだ状態で、それを見下ろしている。「まだ温かい」と空中に浮かんでいる方の自分が呟いている。

この「まだ温かい」という言葉が脳裡にこびりついていることもあって、自分は自殺に踏み切らなかったのだと思う。なにがしかの力で、飛び降りても死にきれない予感がしてならないのだ。

高校時代に初めて書いた戯曲は『憂いの街』といって、飛び降り自殺する主人公が飛び降りてから「着地」するまでの数秒間が、果てしもなく引き延ばされて、その時間的な隙間にタイムパラドックスが仕掛けられて、飛び降り自殺した少年を永遠に宙吊りにしたまま劇が終幕するように書いたと思う。この悪夢を見ることはほとんどなくなった。

 なぜ、すでに克服した二つの悪夢の話をしたのかというと、実は後者の悪夢をモチーフに書いた『憂いの街』が、ダンテの『神曲』の「煉獄」の別名から着想を得たものだったのだ。

神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る。この三界が、神秘主義者スヴェーデンボリのいう地獄界、精霊界、天上界に対応している。仏教の知識を付け加えると、煉獄=精霊界=幽界という等式が成り立つことになる。

何を言いたいのかおわかりだろうか。高校生の自分が書いた処女戯曲『憂いの街』は、やがてスミレさんと会うことになる「幽界」に照準したものだったのである。幽界とは、私が遭遇体験をしたスミレさんの住まう世界で、現世と重なる形で存在している世界のこと。少年時代の自分が、2017年の自分と至近距離でつながっているのを感じる。

今から30年近くも前の現実とのシンクロニシティ。こういう奇跡的な瞬間に、私たちが信じている「時空」が、かりそめのものにすぎないことが感じられる。

 シンクロニシティに遭遇する頻度は、自分とハイヤーセルフとの同期の精度を表しているとも聞く。バシャールも強調するように、ハイヤーセルフとのつながりを太くするために最も有効な行為のひとつが、「恐怖の排除」なのである。 

 絶対にどこかの心理学系の啓発書に載っていると思っていた。検索した限りではなさそうなので、自分の意見を書いておくと、恐怖の排除に有効なのは、恐怖や不安が占めている場所をトレードオフの関係にある対立感情で埋めることだ。

その感情とは、何だろうか?

その感情とは感謝だ。人は恐怖しながら感謝することはできない。水島広子風に言うと、「ぽかぽかとした温かいこころ以外のすべてを感謝の気持ちで満たすこと」。そうなったとき、その人の可能性を最もスポイルする怖れや不安は消えているはずだ。

最近なぜだか、大学時代に見た夢の遊民社の芝居をよく思い出す。お、思いがけず、You Tube 上に落ちていた。

『半神』は、結合双生児を切り離す難手術で、なぜか消えてしまった双子の片方を捜索する話。個人的には、夢の遊民社時代の野田戯曲の頂点だ。小劇場演劇であり、かつ、野田秀樹ワールドのことだから、「時空」は激しく入り乱れる。8:21から、行方不明の双子の片方を探して、自分も行方不明になっていた認知症の老数学者が、死んだ双子の片方を抱擁している場面が忘れられない。

「謎っていうのかい? この子供は?」

「それは子供です」

「子供っていうのかい? この謎は?」 

別段、自分に注がれた母親の愛情が少なかったとは思わない。世には凄惨な生い立ちを背負っても逞しく生きている人々がたくさんいる。難産の誕生記憶ごときを、精神的外傷に数えようだなんて思わない。

けれど、ああいう記憶は子供には必要かもしれないと思う。幼い子供が抱きがちな恐怖や不安を、誰かが一心に皮膚接触をして消し去ってくれるような抱擁が。

何だか今晩は自分のことを話しすぎたような気がして、気恥ずかしい。皮膚接触でなくとも、自分にはそういう経験が確かにあるのだ。母親以外にも、生かしてくれてありがとうとお礼を言うべきかなりの数の方々が。

自分が、何とか執拗な恐怖の襲いかかりに打ち勝って、数々のシンクロニシティや霊感に愛され始める場所へ辿りつけたのは、その方々のおかげだ。誰もがこうなれること、だれもが「半神」となれることを、忘れずに強調しておきたい。今も、これからも「半神たちが素敵」だ、きっと。

たぶん数十年先、自分が息を引き取ったあとも、自分の身体は不自然なくらい永いあいだ、温かいままだろう。

本当にありがとうございました。