あれ、おキャスぃな、忘れずにいると胸が痛い

昔は寿司が大好きだった。急速冷凍して遠隔地で美味しく解答できる技術ができたときは、胸を躍らせたものだ。「キャス冷凍」という呼んだので大丈夫だろうか。CAS冷凍を使った町おこしでは、島根県の沖合にある隠岐の島が有名だ。

この記事で少しだけ言及した高級スーパーのページでも称賛されている。 

この技術は、まさにフレッシュなまま、海の幸を運ぶ技術だ。通常の冷凍だと、ゆっくり表面から冷えていく間に細胞がこわれ、本来の風味や食感が損なわれやすいが、CAS冷凍は違う。言われなければ、冷凍されたこともわからないほどの仕上がりだ。

 (…)
「とれたての白イカは、こんなに透明なんです。時間の経過とともに、どんどん白くなり、味わいが変わっていきますが、CAS冷凍なら、透明感の残るイカをお届けできます」(ふるさと海士/社長補佐役の奥田和司氏) 

おかしいな。イカした書き出しだと悦に入りながら、透明なイカについて書き継ごうとしていて、どこか違和感があるのに気づいた。何かがおキャスぃのだ。確かに、今晩はキャスについて書くつもりだったのに。

 現在非公開にしている記事も含めれば、ほぼ毎日ひとつ、240記事くらい書いてきたのではないだろうか。さすがに書くべきことが尽きてきたので、そういうときの祈りの儀式を行った。すると「フォースとともに歩みなさい」という声が聞こえた。『スターウォーズ』の台詞だ。

そうか? 見つかった! 

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

 

 キャス・サンスティーンは、いつのまにこんなに売れっ子になったのだろう。オバマ大統領時代にホワイトハウスの情報規制問題局の局長に就任したり、スターウォーズを法学者として語る本を出したりと、大人気のようだ。

 これはもう新しい映画を創るくらいのクリエイティビティが必要な気がする。Challenge には「挑戦」以外に「難題」という意味がある。高度技術社会におけるリスクを、どのように「熟議空間」に展開していくかを考えていたのだ。

 そのきっかけは、低線量被爆のリスクがICRP基準の100倍以上あることを示す最新研究に接したことだった。数冊読んでいくだけで、「科学的基準」と呼ばれるものが、どれほど杜撰でいい加減な作られ方をしているかが見えてきた。『胎児と乳児の内部被ばく』で被爆研究の最新動向を紹介した長山淳哉は、近著で『薬害エイズ事件の真相』を追いかけている。

薬害エイズ事件 - Wikipedia

事件の概要は wilkipedia でご確認いただきたい。印象に残ったのは、国際的な薬害エイズ事件の広がりの中で、エイズ特別調査団のメンバーだったドナルド・フランシスが放ったこの台詞だった。 

(…)製薬企業は明らかに私たちが提供した情報のすべてを理解していました。

 問題は、私たちが実際に勧告したように、文字通り何百万ドルにも値する製剤の仕様を中止する意志があるか、それとも、その製剤を引き続き使用する、あるいは少なくとも使用されることを容認するのか、ということです。その決断をする際、そこに営利の追求がじゃまをしていたことは明らかです。結局は、製剤を使用していた人たちすべてを殺してしまうことで、製剤企業は販売市場を失くしてしまったことを考えると、実に皮肉なことです。人道的あるいは倫理的な面からだけではなく、もう少し長期的な観点から現状を判断していれば、このような決断は決してしなかったことでしょう。

(強調は引用者による) 

薬害エイズ事件の真相

薬害エイズ事件の真相

 

「最先端の科学的知見」に見えていたものがやっていたのは、せいぜいこの程度の乏しすぎる知性の発揮なのだ。同じことは、日本の薬害エイズ事件の渦中にいた安部英医師にも当てはまる。押収された安部英の日記には、「トラベノール来り。金を収めないことをいう。絶対に優位は与えない」という製薬会社との生々しいやりとりが記録されている。トラベノールは汚染された非加熱製剤を流通させた後、加熱製剤に切り替えた。自ら担当医として血友病患者二名の壮絶なエイズ死に立ち会っておきながら、或る製薬会社から収賄後(との疑義を多くの人々に持たれた時期以降)、クリオ製剤批判と非加熱製剤擁護へ180度態度を豹変させたのには、乏しすぎる知性しか働いていなかったと言えるだろう。そうでない自分には関係のない話だが、良い年齢をしてああまで金への妄執があるのなら、せめて職業倫理にかなう側の製薬会社から収賄するという選択もあったのではないだろうか。

 長山淳哉は、二審が維持されていれば、安部英医師は有罪になっていただろうと推測している。

 長山淳哉のこの本の中では、後景に置かれている指摘だが、どうしても気になってしまった現代の現実がある。それは、科学技術が高度化し、専門分化が進むにつれて、専門家の数は少なくなり、薬害エイズ事件でもそうだったように、買収されて歪められてしまう状況が現出しやすいことだ。

環境問題、反核・反原発運動への意識が高まった80年代のヨーロッパで、ベックは新時代のリスクの諸相が、脱国家的であることに警鐘を鳴らした。チェルノブイリ原発事故ひとつとっても、その影響や被害や補償の範囲は国民国家を優に超えており、従来の国家的枠組みでの対処が困難であることが明らかになったのである。

云うまでもなく、リスクの脱国家化はグローバル化によって進行していったが、しばしば指摘されるように、それが「福祉国家の不可能」、あるいは「ポスト福祉国家」をめぐる社会問題へも発達していったことに、人々の関心はさほど向いているとは言えない。例えば、アメリカの非中間層向けのローンの破綻から始まった世界的不況によって、多くの労働者が職を失ったとき、アメリカ以外の国家がそれを事前に防遏できたとは考えにくい。避けられず押し寄せてきた不況の大波に、わずか弥縫策を打つことくらいしか、できなかったのではないだろうか。 

社会の思考―リスクと監視と個人化

社会の思考―リスクと監視と個人化

 

ベックの言葉でいうと「個人化」。福祉国家は寿命が尽きたのだ。もはや自らの生活の安全を守るためのリスク管理を国家にゆだねることはできず、剥き出しの個人が対処せねばならなくなったのが「リスク社会」時代だと言えるだろう。

では私たちはどうすれば良いのか?

それはライフ政治を活性化させることにあると、どこかに書いた。ライフ政治の具体像を探そうと思って、ベックの著作を当たったが、さほど鮮明に「ライフ政治の場」を思い描けていないようだ。そこで、キャスの登場となるわけだ。 

最悪のシナリオ―― 巨大リスクにどこまで備えるのか

最悪のシナリオ―― 巨大リスクにどこまで備えるのか

 

ウルリッヒ・ベック『危険社会』以来の社会の高度な複雑性に対して適切に対処するには、「専門家以外の人々が予防原則を採用すること」への寛容さを持つことだと、私は考える。

勘で上記のようにどこかに書いた。さほど外れてはいないが、少し修正したい。予防原則は、一般人が専門知を持たないがゆえに採用を支持されるものではなく、専門家でさえ技術の高度さゆえに明確な定見を持てないがゆえに、その採用が支持されるものなのだ。

最初にサンスティーンのことを知ったのは、「サイバー・カスケード」というネット上のモブ現象を表した知見だった。熟議空間での議論の両極化を強調したりもするが、オバマについて実務をこなした経歴もあるほどだから、サンスティーンの模範解答はバランスの取れた現実的なものだった。

たぶんポイントは3つある。

  1. アメリカやフランスや日本は予防原則に消極的、他のヨーロッパ諸国は積極的と言われる。後者における、予防原則がその根底的な曖昧さのまま支配的になる風潮を、抑制しようとしている。最大情報化と合理的判断に基づいて、予防原則と費用便益分析の重なる領域を見出そうとするのである。
  2. 二点目は、専門知を持たない大衆による「不合理な行動」を一種の「社会的費用」として容認していることだ。人間が合理的に行動する生き物でないことを証明した行動経済学の知見がふんだんに採用されている。
  3. 三点目は、熟議民主主義を重点化していることだ。その熟議空間では専門家が事実を提供し、事実を巡る価値については民主的決定がなされるのが理想的な熟議空間らしい。これについては、楽観的すぎてお行儀が良すぎるとの印象だ。薬害エイズ事件にも如実に表れているように、わずかな数の専門家が、未買収の信頼できる存在であり、常に事実を提供してくれるとは限らない。 
恐怖の法則: 予防原則を超えて

恐怖の法則: 予防原則を超えて

 

3.は、上記の著書の監訳者の示唆する通り、設計次第で熟議空間そのものが特定の政治性を帯びるのは間違いないので、「その熟議空間を誰がどのように再帰的に設計するのか」という問題が残るのである。

まさか、国にまかせて良いわけもあるまい。

タウンミーティング小泉内閣のもとで平成十三年五月十六日に二十人程度の体制で担当室が設置されると発表され、以降、百七十四回開催されてきたとされている。膨大な国民の税金が投入されてきたと考えられるが、その大半がやらせのタウンミーティングだったとの指摘もある。このようなやらせのタウンミーティングは、表の看板を偽り、国民に対する詐欺的行為と言わなければならない。これまでのタウンミーティングに予算・国民の税金をどれだけ投入してきたか明らかにし、百七十四回のタウンミーティングのうち、やらせのタウンミーティングについては、前官房長官はじめ責任者が費用を弁償返還すべきだと考えるが、見解を伺いたい。

やらせのタウンミーティングにおける安倍晋三前内閣官房長官の責任に関する質問主意書

とはいえ、そのような理想的な熟議空間が適切に設計され、日本の津々浦々に出現する日が来るとまでは、楽観的になれない自分がいる。これは、この国に散らばった真実追及者の方々の無償の努力や情熱や連携に支えられていくしか、道はないのではないだろうか。独立系の草の根ジャーナリズムでなければ、まともな情報や知見が得られないことに多くの国民が気付き、主流でないオルタナティブなメディアにこそ、私たちがより豊かに生きる活力源があると信じられる時代を、共に創っていかなくてはならないのではないだろうか。

そのための最初のヒントは、実は「記録することと記録させること」にある。

薬害エイズ事件でも、結局このような国民を莫迦にした「忘却劇」が演じられた。

 弁護団は厚生省に対して、一九八三年当時の薬害エイズに関係する生物製剤課の決裁書類を裁判所に提出するよう求めた。(…)これに対して、厚生省はどこにも確認できなかった、かつてあったのか、廃棄されたかどうかもわからないと回答してきた。それだけでなく、弁護団が存在するというのであれば、その具体的な根拠を示せとまで言ってきた。  

薬害エイズ事件の真相

薬害エイズ事件の真相

 

 つい最近も、私たちは小粋な「忘却劇」を目の当たりにさせられて、厭な気分にさせられていたところだ。森友記録「廃棄」の佐川氏、国税では「管理徹底」を指示:朝日新聞デジタル

〈仕事がやりにくくなるので、早く辞めてくださるようにお願いします〉──国税庁長官の罷免を求める署名1万706筆のなかには、現役税務署職員によるそんな恨み言もあったという。集められた署名は、8月21日に財務省に提出された。矛先を向けられた国税庁長官は、前・財務省理財局長の佐川宣寿氏だ。

 森友学園の国有地払い下げ問題を巡り、国会で「記憶に残っていない」「記録は破棄した」と繰り返した結果、7月5日付で国税庁長官に“栄転”。露骨な論功行賞でよほどバツが悪いのか、佐川氏は長官就任会見すら開いていない。

 こういった愚行の数々を記録すること。その記録の数々から、愚者たちの悪巧みの足跡を浮かび上がらせること。元を辿れば、透明なイカと同じくらいスケスケで見え見えの悪巧みなのだ。仔細に目を凝らせば、おキャスぃところだらけなのが、すぐにわかるはず。

試されているのは、情報を次々に伝播させて記録していく私たちの拡散力と、その痕跡から「原初事実」を復元する私たちの推察力だろう。あと数年で引っくり返せるかもしれない。希望を棄てずにいよう。