来たか、有事。(銃声が轟く)
新書のランキングをチェックすることが多くなった。
自分が贔屓にしている私的新書大賞2017の『知ってはいけない』は、先月25位。現在の日本が直面している難問の背景を解明したという意味では明らかにトップなのに、どうして9位の『応仁の乱』に勝てないのだろうか。日本人の読書傾向はよくわからない。
100位くらいまで見ると、すでに読了済みの新書がゴロゴロ並んでいる。自分の注目の新書の中で、最高順位は6位の河合雅司『未来の年表』だった。
未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)
- 作者: 河合雅司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/06/14
- メディア: 新書
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1.66から2.00以上へ。少子化抑止に真剣に取り組んで成功した実例も、海外にはある。
「今だけ、金だけ、自分だけ」の機会主義的拝金主義から遠く離れた場所で、この国が蘇った生気に満ち、微笑みを絶やさず暮らす人々の中に、第二の原節子の美しい微笑みがリアルに存在することを、ふと想像してみる。そのような映画を見てから死にたいと本気で思う。
未生の将来世代のプライマル・スクリーム(原初の叫び)に耳を傾け、憲法上の「平等」をしっかりと握りしめて、この国の「東京物語」を滅ぼすことなく紡ぎつづける責任が、私たちにはあるのではないだろうか。
日本国憲法第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。
およそ半年前に書いた記事。この時期くらいから、「学術的に難しいことを書いておけばOK」というアカデミシャン・バイアスから離れて、日本の普通の人々に届きやすい文体を模索し始めた記憶がある。アカデミシャンの世界も場所によっては複雑怪奇。『吾輩は猫である』を書いた漱石が猫であったとしても、別に自分はかまわないニャン。
今晩、少子化問題を調べているうちに、またしても「リアルにヤバイよ」という頭痛が兆してくるのを感じざるをえなかった。頭痛の種になったのは、この新書の特異な主張に負うところが大きい。
基本的には、18世紀の人口論者であるマルサスをベースにして、日本には日本特有の一定の「人工容量」があり、そのガラスの天井に突き当たると自然に人口は減少し、減少期が長く続くと、自然に人口は回復するというものである。著者は、少子化対策をすればするほど、日本の「人口容量」が下がるので、人口は減少するという奇説を主張している。 自説がマルサスの主張の一部と合致するから、その正当性を考慮せよという主張も、常識人に頭痛薬の場所を探させるのに十分な奇特さだ。
日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書)
- 作者: 古田隆彦
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/05
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少子化対策に成功したフランスでは、19世紀末からマルサス主義への批判が高まり、家族手当などの社会的施策によって、合計特殊出生率を1.66から2.0まで引き上げることに成功した。調べても調べても、古田隆彦の言うような「フランスが少子化対策によってますます少子化を助長した」とか、「少子化促進政策によって逆に少子化に歯止めがかかった」という史実は見つからなかった。専門家でもない自分にもうっすらとわかりはじめたのは、少子化対策とは少子化の対策であるという揺るぎのない事実だ。
そもそも、なぜ1798年発表のマルサス『人口論』を、半可通はああまで崇拝するのだろうか。マルサスの主張が該当したのは、当時の18世紀のアメリカや1960~70年代の発展途上国の人口急増くらいだろう。
一種の義務感から駄洒落を交えると、「マルクスが目を丸くするほど、マルサスは悪さする」と、古くから世界各地で言い伝えられる通りなのである。
さて、人口削減計画の実施劇場として全米各地に作られているFEMAキャンプ。自分も記事に書いたことがある。
あれあれ。2013年、アメリカ国民をぶち込む場所だという公文書が漏洩してしまったようだ。リンク先には、FEMAにぶち込んだアメリカ国民を生物兵器に感染させた後、埋葬する「FEMA棺桶」の動画がある。嗚呼、何というディストピア。
ルーズベルトが大統領に就任した直後、1933年から34年にかけてアメリカではJPモルガンをはじめとする金融資本の大物たちがクーデターを企てて失敗したが、ウォール街にとって好都合なことに、ドイツが降伏する直前、1945年4月に急死した。
それ以上に大きな変動は1960年代から70年代にかけて引き起こされている。1963年11月22日に平和の戦略を掲げるジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されてからデタント派が粛清されたジェラルド・フォード政権までの期間だ。ネオコンが台頭してくるのはフォード政権の時である。
そして1980年代から国家改造が本格化している。まず国内を収容所化するCOGプロジェクトが開始され、ソ連が消滅した直後の1992年には世界制覇を目指す戦争を始めると宣言するウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成されている。このCOGプロジェクトとウォルフォウィッツ・ドクトリンが現在、アメリカ支配層の基本戦略になっている。
(強調は引用者による)
テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない―アメリカによるテロの歴史
- 作者: 桜井春彦
- 出版社/メーカー: 三一書房
- 発売日: 2005/09
- メディア: 単行本
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(ブログ主の著書。レビューで絶賛されている)
東西冷戦の終結後、極東から見ると、アメリカの次の仮想敵国は「日本の経済力」となった。しかし、多正面作戦の常時遂行を国是とするアメリカでは、同時に、アメリカ国民を収容所に入れ、軍産複合体のみを潤して世界の人々を殺戮する「人口削減計画」を発動し始めたのである。
その背景には、人口削減計画の最大の根拠となったマルサス『人口論』という聖典があった。19世紀の遺物だったはずのマルサスは、1960~70年代の発展途上国の人口動態でのみ輝きを放ち、1%グローバリストたちの奸計を正当化する口実になったのだった。彼らの頭の中では、マルサスはこう翻訳されていた。
食糧生産の増加は算術級数的だが、人口の増加は幾何級数的なので人口の増加に対し、食料の供給は確実に不足する。その結果、すでに富める強者たちが貧しき弱者たちに富を収奪されかねないので、飢えや貧困や悪や犯罪や疫病や飢饉や革命や戦争といった人口減少操作により、弱者が滅びるよう人口調整をしなければならない。
マルサスの予言は見事に外れた。「食糧生産の増加は算術級数的だが、人口の増加は幾何級数的」という根拠の判然としない数学的措定が、そもそも間違っていたのだ。人口は確かに急増したが、食料生産も急増した。
結果的にマルサスが果たしたのは、1%グローバリストたちが現在の約70億人を約10億人に減らしたがっている「人口削減計画」の不吉な呼び水としての役割だけだった。
ところで、1%グローバリストによる「人口削減計画」では、現在の世界人口に比例して、人口が定率削減されるわけではない。各民族に割り当て数があり、それはすでに石碑に示されているのだという。日本人の割り当て数を、ぜひとも主流メディアの動画の 7:05 から確認してほしい。日本の人口は現在約1億2000万人。果たして何十万人くらい割り当ててもらえたのだろうか。
やはりゼロか。
とうとう2005年に日本の人口はピークアウトした。首尾よく「人口削減計画」を成功させたアメリカは、いつくらいから日本の人口削減に取り組んでいたのだろうか。
自分の認識では、80年代の中曽根政権の日航機墜落事故+プラザ合意(竹下蔵相)の頃からではないかと考えていた。しかし、そこは戦勝国アメリカ。しっかりGHQの頃から「人口削減計画」を遂行していたことを、河合雅司に教えてもらった。
実は、一世紀以上前から行われてきたフランスの少子化対策は、近現代史における「人口戦争」との戦いだったと位置づけることができる。1870年の普仏戦争で敗れ、第一次世界大戦では英米の支援を得て辛うじてドイツに勝利したフランスだったが、当時のフランスの兵役年齢男子の人口は、ドイツの6割程度しかいなかったという。
「人口≒国力」の擬似等式が成立する以上、少子化対策はフランスにとって「戦時」の急務でもあり、「産めよ殖やせよ」を掲げた戦前の日本も、日中戦争に端を発する少子化の進行を食い止めるのに必死だったというのが「人口戦争」の史実だったようだ。
当時、「人口戦争」を日本人がどう捉えていたかを、河合雅司はこう説明している。
多くの読者にとって「人口戦」とは聞き慣れない言葉であるかも知れないが、戦前・戦中の新聞や書物にはたびたび登場する。その定義は(一)相手国の人口増加を停止し、殲滅すること、(二)相手国の国民の活力を弱め、質的悪化を企てること――の二点に集約される。その手段は必ずしも相手国の市民を虐殺することではない。むしろ多くの場合、経済封鎖などによって出産期にある女性や小さな子供の健康面に影響を与え、あるいは結婚や出産をためらわせる思想を持ち込み、普及させるといった間接的な形で実行に移される。
GHQは、戦後のベビーブームによる人口爆発が、日本の共産主義化につながることを警戒していた。そこで、きわめて用意周到な形で、日本人の産児制限策を密かに遂行した。ナチス優生学の誹りや連想を避けるために、GHQは何と、日本人の産児制限活動家をオルグして政治家にし、産児制限を可能とする議員立法をさせたのである。
全然知らなかった。ほとんどの日本人が、占領軍による何とも隠微な「人口戦争」に負けていたことを、いまだに知らないのではないだろうか。
それにしても不思議だ。「日本の論点」について続けて書いているだけなのに、気が付くと、必ず何らかの形の「敗戦」の話になっているのだ。『永続敗戦論』の射程は、極東の島国では、こんなにも長大で広範だったということ。負け犬ソングが頭の中でぐるぐる回ってしまう。
政治家たちが一向に実行できない少子化対策について、説得的な処方箋を出している人がいたので、紹介しておきたい。
アメリカの経済学者のベッカーなどの理論によると、先進国の出生率を上げるには、次の4つの要因を政策的に操作しなければならないという。
- 世帯の収入
- 子供にかかる生活費
- 出産や子育ての間に女性が職を離れることの機会費用
- 高い学歴や教育体験を生み出せる教育費
これらの4つの費用をOECD加盟国が政策的に操作した結果、どのような政策的効果が得られるかが、計量分析によって明らかになっている。
- 家族給付は出生率を押し上げる。
- 保育サービスの充実などの現物給付をGDPの1%増やすと、出生率を0.5押し上げる効果がある。
- 教育費の公的補助は出生率を押し上げる効果がある。
- 一人あたり実質GDPが上がると出生率を押し上げる効果がある。それは同時に出産や育児の機会費用も押し上げるが、少なくともこの30年間、その負の作用を上回る効果があることがわかっている。
- 4.が高まると2.の効果が薄れる相関関係があるので、4.が高まった国は1.を引き上げる傾向がある。
日本経済研究センターの岩田一政は、15年計画で、保育所などの整備を中心とした現物給付にプラスGDP0.9%、現金給付にプラス0.6%を支出するよう提案している。それによって、出生率1.8への到達がかなりの確率で期待できるというのである。
国家存亡の危機。静かなる有事。
呼び方はいろいろあったとしても、国家としてやらねばならないことのすべてが、すでに明らかになっている。
わかっているのに、どうしてやらないの? 田布施はどこにあるどこからきた外国人の集落なの?
それを実現できる政治家がいるとしたら、それは売国政治家ではなく愛国政治家であるにちがいない。それを実現できる政治家がいないとしたら、政治的実権を握っているのが売国政治家ばかりであるのにちがいない。今この国の政治状況の中にも戦争があり、敗戦があるような気がしてならない。
「保育園落ちた。日本死ね」という怒りに震えた子育てママの発言が、少し前に話題になった。売国政治家たちによる「故意の不作為」のせいで、少子化対策として最大の効果があることが判明している「現物給付」の欠乏に晒されたのだから、怒りは尤もだというべきだろう。
しかし、悲しいことに、「日本死ね」と悪態をつけるほどに日本が生きていた時代の象徴として、その発言が思い出される日が来ないとも限らない。
河合雅司は現在も話題をさらいつづけている新書の中で、2017年の約1億2000万人を基準にして未来の日本の人口の推計結果を示している。
100年後は? →約半分の5000万人
200年後は? →約1/10の1300万人。
西暦3000年には? →日本の全人口は2000人。
「村」が「町」になるには、通例5000人の人口が必要とされている。日本は真の意味でのムラ社会へと回帰する道を歩んでいるのだ!、などと冗談を言う気にもなれない。2000人になる日より数百年早く、外国に侵略されて、日本はなくなっているにちがいない。
「人口戦争」の定義は、(一)相手国の人口増加を停止し、殲滅すること、(二)相手国の国民の活力を弱め、質的悪化を企てること、だった。
来たか、有事。
そう声に出して言ってみると、まるで自分が高校生の頃大好きだった刑事ドラマの掛け合いのようだ。
危ない、危ない、と呟きながら、それでも日本が好きで、「日本死ね」と言えない自分は、上目遣いで空を見上げながら、甘えた子供の声音で、こう訴えかけてしまう。
神様、日本死んじゃうよ。
(日本の最高のBabyたちが「We are the only one」と歌っているのを聞くと、少しほっとする。彼女たちが乗っているのはバシャール・トライアングルだろうか)