笑う門のリュグツカ

20代後半、ヤクザイル先輩に「バカ王子」と渾名をつけられていたことは、上で話した。一緒に働いていた会社をそれぞれ辞めたあと、一度だけ電話がかかってきたことがある。耐久性の高い日本の中古車をキャンピングカーに改造して、海外へ輸出する仕事をしているのだと話していた。海外のどこですか?と訊くと、こう答えた。

ニュージー

 「ディズニーランド」を「ディズニー」と省略するのは聞いたことがある。しかし、「ニュージーランド」を「ニュージー」と略すのは一般的なのだろうか。調べてみた。

80年代のニュージーランドには、「英国」や「米国」のように「乳国」という漢字の略章を広めようという動きがあったらしい。

テレビニュースや新聞などで「首相、今年3度目の乳訪問」、「牛肉取引、乳と摩擦」という訳のわからない見出しがつけられたかもしれない。 

しかし、「ニュージー」が使われている様子はなかった。ヤクザイル先輩独自のその略称を聞いて、最初に思い浮かんだのは、高校時代に大流行していたこのアルバム。日本人にはわかりにくい文脈で、なぜかカウボーイ映画に結びついていた。 

New Jersey

New Jersey

 

きっと、日本人の男っぽさが任侠映画へ至るように、アメリカ人の男っぽさはカウボーイ映画へと至るという文化的特性があるのだろう。あのクリント・イーストウッドだって、カウボーイ映画で役者をやったり監督をやったりして、キャリアの大部分を築いたのだ。

カウボーイ映画を何本か見たことあるが、日本人にはわかりにくいところがある気がした。ああいう荒くれ者の男たちが集まって、今にもつかみかかりそうな剣幕で「そのやり方じゃあ、牛は動かねえ」とか、「牛の乳の出が悪くなったらどうするんだ」と怒鳴り合っているのは、外国人から見るとどこか可笑しい。

ま、まずい。また乳牛に話が戻ってしまった。引き返すことにすしよう。何とかして、身体を半身にしてでも、前に進まなくては。

NEW JERSEY といえば、ココ・シャネルの偉大な業績を忘れてはいけない。 コルセットのような固い拘束具ではなく、新たに柔らかなジャージー素材を女性服に持ち込んだのだ。

今はシャネルの絢爛豪華なブティックを訪れても見えづらいが、シャネルには男性の欲望の化身であるコルセットの拘束から、女性を解放した偉大な功績がある。

  1. 締め付けられた女性の肉体を解放した、ジャージー
  2. スカートから女性を自由にした、パジャマルック
  3. 全ての女性に香水を、シャネルNo.5
  4. 階級の垣根を取り去った、リトルブラックドレスとコスチュームジュエリー
  5. 女性の両手を自由にした、シャネルバッグ
  6. 女性の社会進出を後押しした、シャネルスーツ 

    https://www.cinematoday.jp/page/A0005528

フランス人のココ・シャネルに、10年間の沈黙期間があるのをご存知だろうか。対独協力が原因で、彼女は10年間スイスに亡命することを余儀なくされたのだ。

 一方で、シャネルはドイツの国家保安本部SD局長ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将と懇意になった上に、ゲシュタポの高官のハンス・ギュンター・フォン・ディンクラージ男爵の愛人になることで、仕事もせずに愛欲にまみれた生活を送った上に、様々な恩恵を受けて暮らした。さらにシャネルは反ユダヤ主義者であり、またドイツの諜報活動機関であるアプヴェーアのコードネームを与えられた工作員でもあった。

ココ・シャネル - Wikipedia 

 ファッション業界から消えていた「空白の10年間」がなかったら、終戦直後のフランスで、彼女の創造性はどのように花開いていただろうか。その充実した復興期の10年間は、ココ・シャネルの人生に何を付け加えただろうか。そのような想像も尽きないが、ココは想像上の創造ではなく、「n」をシャネルに付け加えて、話を前へ進めたい。「Chanel」に「n」を付け加えると「Channel」になる。「海峡」とも訳せる英語になる。 

美しい冬の海峡を前にして、「バカ王子」の「莫迦」をどうやって返上するかを考えながら、ずっとこの駅のことを調べていた。あそこには飛鳥山いう名の丘があったから。

けれど、この道も違っていたようだ。何とかしてこの迷路から脱出したい。引き返さなくては。重い足取りで引き返していると、スーパーでよく聞いた懐かしい曲が流れてきた。

なるほど、そういうことか。アレを食べれば頭が良くなるのか。紆余曲折があって、時間はかかったけれど、解決の糸口に辿り着けたようだ。今晩は海と魚について書くことにしよう。 

魚はどこに消えた?―崖っぷち、日本の水産業を救う

魚はどこに消えた?―崖っぷち、日本の水産業を救う

 

というわけで手に取ったこの新書は、大充実の満足本だった。

著者は20年以上世界の水産業の最前線でバイヤーを務めていた経歴の持ち主。日本で水産業というと、低所得化と高齢化の進んでいる斜陽産業のイメージが強い。しかし、実はそれは日本の世界的な一人負けのせいであり、世界の水産業は成長産業なのだという。

正直言って、この勉強になる情報満載の新書を読んでいて、国辱的な気分になった。日本の水産業を所管している官僚たちは、何をしているのだろうか。読後に誰もが同じ感想を持つのではないだろうか。

漁業のABCすらわかっていない。

そう言い募る読者もいることだろう。ただし、ここでいうABCとは「Allowable Biological Catch(生物学的許容漁獲量)」のこと。

日本は排他的経済水域の広さは世界第6位。戦後は世界一の水産国だった。その転落のメカニズムはきわめてシンプルで、以下のようなワンパターンの悪循環が、日本の津々浦々で繰り広げられてきただけのことだった。

好き放題の乱獲→魚が減って獲れなくなる+円安で買い負け→日本人の魚食が細る=「売れない、獲れない、安い」の三重苦 

1976年に200海里漁業専管水域を設定するまで、日本の遠洋漁業船は文字通り7つの海を胯にかけて、すいすいと泳ぎ回っていた。その世界一の水産大国とニュージー(ヤクザイル先輩、この略称使わせていただきます)の対決が滅法面白い。

「はるばるきたぜ函館」どころの距離ではない。夏には雪国になるほどサブちゃんな南半球のニュージーランド沖に、遠路はるばる日本漁船が出現したのは、1950年代後半のこと。

当時の日本の年間漁獲高は7000万トン。それに比べて、わずか5万トンだったニュージーは、日本の漁業技術のレベルの高さに驚き、殊勝なことに、学びたいようとの魂の叫びを日本人に伝えて、大洋丸に共同で乗り組んだ。

やがて、200海里規制が国際的に普及すると、すぐさまニュージーはTAC(「漁獲可能量」、やがてITQ「個人漁獲割当量」へ進化させた)をすぐさま定めて、先進的な日本漁船と合同事業という形を取った。それによって、自国の水産資源を守り、かつ自国の水産業の保護と発展にも成功したのである。

 上の新書の筆者である片野歩は、この記事でも、日本の水産庁がTACを7魚種しか指定しないことに、批判の筆を振るっている。 

 日本のTAC対応魚種は(…)僅か7魚種(サバ類、アジ、イワシ、サンマ、スケトウダラスルメイカズワイガニ)しか設定がありません。(…)水産白書によると、「緯度が高い北欧と異なり魚種が多いためにTAC設定魚種を増やすことは難しい」というのがその理由の一つのようです。しかし、南北は別にして、日本とほぼ同じ緯度(南緯40度前後)のニュージーランドでは98種類もTACが設定されています。米国は実に漁獲対象の全魚種(528種)にTACを設定する方針です。ノルウェーでは24種にTACが適用されています。

(…)

 TAC魚種を増やさず、そのたった7魚種でさえも実際に漁獲できる数量よりかなり多く獲っていることから、「世界第6位の広大なEEZを持つ日本は国連海洋法を十分に遵守していないのでは?」と指摘された場合に、果たして反論できる立場にあるのだろうかと筆者は心配しています。漁業で成長している諸外国に、遵守の有無も含めて客観的に指導を仰いで問題点を指摘してもらい、それを改善していくことが重要なのではないかと考えています。 

(強調は引用者による)

いつのまにか、世界一の水産国から、基本問題も解けない落ちこぼれになっちゃったみたいだ、頑張ろうニッポン。人生死ぬまで勉強だ。「学びたいよう」との意欲と責任を決して忘れてはならないし、事実、ニュージーに当時最先端の漁業を教えた「大洋丸」は、現在「第八大洋丸」にまで後継船を伸ばしつつ、漁業の進化を生涯学習中だ。

それにしても、官僚が水産行政で不作為を重ねているうちに、見事にお株を奪われてしまったものだ。日本が先進水産国から学ぶべきものは、TACとITQをきちんと定めた上で、ハイテク漁業機器を導入することなのだと片野歩は言う。

VMS(衛星通信漁船管理システム)と漁獲自動計量器。

VMSでどの漁船がいつどこで漁をしていたかを一元管理で記録して、漁獲を不正操作できない自動計量器で記録する。鯖が ça va. していなかった、つまりは上手くいっていなかった事例を、上記の記事ではこう説明している。

 日本の場合は、最も漁獲量が多い魚種の一つであるサバで、2011年、2012年と食用比率は僅か7割程度である一方、価格が安い餌用の比率は約3割もあります。ノルウェーの場合は、2011年、2012年そして2013年も価格が高い食用比率は99%以上です。当然2014年以降も同様の見込みです。日本は漁業で儲かっている国々と異なり、漁業者が競争して獲るやり方であるため、分かっていても価値の低い魚を獲らざるを得ない仕組みになってしまっていることが問題なのです。

 成長すれば価格が高くなるサバを3割も餌にするというのは、日本がサバを輸入しているような国々にとっては理解できないことです。

(強調は引用者による)

 タクシーに例えれば、すべてのタクシーがどこを走っているかを把握して記録し、すべての売り上げが自動計算されるだけのこと。かつてタクシー近代化センターを抱えていたタクシー業界では、当たり前すぎるほど当たり前の話だろう。「まったく難しい話ではない」と冒頭に書いたのは、このためだ。

 この新書にもし続きの白紙があるとしたら、自分なら、2020年の東京オリンピックで金メダルが期待されているレスリング少年のことを書いてみたい。 

現在高校二年生で、その名前に自然が満ちている森川海舟少年が、或る意味では日本の自然を復活させる鍵を握る人物なのだ。気迫あふれるタックルで相手を薙ぎ倒すのが得意なのだとか。

日本が、森川海舟少年と同じくらいの鬼気迫る勢いでタックルすべきなのは、「森・川・海」の一体化した流域管理だ。

耕作放棄地や管理放棄林が遍在する過疎の山地は、森そのものだけでなく、川を氾濫させやすくし、海をも荒廃させてゆく。

 「山」が荒廃の一途をたどり、日光が届かない林床に下草も生えず、地力が低下し保水力を失った林が野鳥の声も聞こえない「沈黙の林」と化している。こうした問題は、中流域、下流域に多くの問題をもたらしている。「山」の荒廃は、川や海の自然環境に大きな影響を及ぼし、赤土汚染による海岸の磯枯れ、カキ、ホタテなどの成育不良、都市水害や渇水の増加など下流域の漁業者や都市住民などの〈生産と生活〉に大きな影響を及ぼしている。  

山・川・海の流域社会学―「山」の荒廃問題から「流域」の環境保全へ

山・川・海の流域社会学―「山」の荒廃問題から「流域」の環境保全へ

 

 (「森・川・海」の循環をわかりやすくイラスト化したもの)

https://www.env.go.jp/water/heisa/satoumi/common/morikawaumi.pdf 

 網走川流域は、漁業だけでなくオホーツク有数の農業生産の場でもあり、河川沿いの多くの土地では大規模な畑作や畜産が行われている。流域での農業生産のあり方は、流域内を通過する水の質・量に大きな影響を持っている。したがって、流域・沿岸域全体で品質の高い付加価値のある生物生産を行うためには、農業と漁業の連携・調和が非常に重要となる。
 今、網走川流域では上流の津別農協と下流の西網走漁協・網走漁協が同じ地域生態系を基盤として生物生産に取り組んでいることを共通認識としながら、連携してより環境低負荷型の生産を行うことで、流域・沿岸域環境の保全を図り、かつ生産物の高付加価値化を目指す取り組みが行われている。両者間ではこれまで幾度にも渡る話し合いの場が持たれ、相互理解が深められてきた。

http://www.nodai.ac.jp/journal/research/sonoda/1005.html

東京農業大学上記のように話題になっているように、網走川流域の畑と川と海、つまりは農業と漁業が手を結ぶまでには、簡単には乗り越えられない溝があった。網走湖流入する土砂やオホーツク海沿岸に沈降する土砂が、漁場を狭めていたのである。幸いにして、流域の農家たちは有機農業や有機酪農や減農薬への関心が高く、定期的な話し合いの末に、流域保全の「共同宣言」にまで漕ぎつけたのだという。

魚つき林の概念は江戸時代からあったものと考えられています。当時の文書には、魚附場、小魚蔭林、魚隠林、魚著山、魚付林、魚寄林、網代呂山、魚附山、海辺魚附除山、海上網代など様々な記述をみることができます。こうした林を禁伐にした藩もありました。 農商務省水産局「漁業ト森林トノ関係調査」(明治44年)にも、沿岸に鬱そうとした森林がある場所は好漁場があり、森林の荒廃した場所では魚が近づかなくなった事例が多く述べられています。 

http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/tamenteki/kaisetu/engan/ 

「森は海の恋人」は今に始まった話ではないのである。 私たちを取り囲んでいる自然がすべてつながっているという当たり前の認識から、守るべきもの守るために私たち自身がつながっていく行動をとっていくのが、いかに自然な展開だとは言えるだろう。

[改訂増補] 森里海連環学: 森から海までの統合的管理を目指して

[改訂増補] 森里海連環学: 森から海までの統合的管理を目指して

 

もう少し魚の話を。 

昨日、可愛らしい女子高生に「ししゃもになりたいんです」と打ち明けられた。妊娠願望の告白かと思ってドキっとした。けれど、大学へ進学して、趣味で音楽に打ち込みたいという話だったのだ。

この地で大学時代に音楽に打ち込もうというのなら、魚食は欠かせない。

こちらの寿司店の入り口には、大学時代にアルバイトをしていた Superfly の女性ボーカルが板前のご主人と仲良くおさまっている写真が飾られている。彼女はここで働きながら、必死に音楽に打ち込んでタマシイレボリューションに至ったというわけだ。

スネオヘアー」や「スキマスイッチ」など。おっと思わせるアーティスト名も21世紀には少なくない。「ししゃも」願望のある彼女のために、アーティスト名として成立するシンプルな魚の名前を探してみた。

第一貫、思い浮かんだのは「ネオンテトラ」。遮光された暗いライブハウスで光り輝きそうなので、ぴったりだと思ったら、同じことを考えたバンドがすでにいたようだ。

となると、独創的で神々しい「リュウグウノツカイ」なんかはどうだろう。たぶん略称は「リュグツカ」になるのだろうな。

と書いたところで、「第一貫」の漢字を間違っていたことに気付いた。「笑福寿司」の話をしたばかりなので、誤字はそのままにしておこうか。

笑う門には福来る 

 笑っていられないようなハードな日々が一年半くらい続いているけれど、「笑う門には福来る」という諺の信憑性自体は疑ったことはない。

いつか自分にやってくると信じているいくつかの「福」の中に、「リュグツカの新作アルバム」があったら嬉しいなと思っている。「割と本気」で。