ベビーピンク色の斜陽の国

検索すると、やはり「Denny's」を「ディナイズ」だと勘違いしている人がいた。Denyには「否定する」という意味がある。否定してはいけない。Denny's の入口では、今でも「デニーズへようこそ」と歓迎してくれているはずだ。

20代後半、四谷のデニーズで支払いを待っている列に、ぺー師匠の奥様がいらっしゃたので、話しかけた。電波少年出演時の質問をしたら、気さくに答えてくれた。世界で最もピンクなセレブとお話しできて、光栄だった。(私の誕生日は1月16日です)。

あれ? どうして「パー師匠」と書かずに「ぺー師匠の奥様」と書いてしまったのだろう。自分の無意識の心の動きがよくわからない。ひょっとして、シニフィアンの連鎖がつながって「ペンション」について書きたがっていたのではないだろうか。

そう思い立って、自分の無意識がどんなペンションに行きたがっているのか、検索をかけてみた。

全国人気ナンバーワンはこのペンションだそうだ。料理も露天風呂も絶賛されている。自分の知る限り、この旅行サイトの口コミで夕食4.7というのは、驚異的な高評価だろう。 

ただ、個人的に、まだ平常心でズワイガニを食べられる自信がない。味は大好き。けれど、蟹をはじめ、世界のさまざまな事物に思い出を作ってしまったので、その思い出で胸がいっぱいになって、きっとどうしたらよいかわからなくなるような気がするのだ。

長いあいだ悲喜劇の渦中で目隠しされていると、精神の平衡を保つのも大変だ。さしあたり、近未来の夕食メニューとしては、ズワイガニは deny したいところだ。

困ったことになった。「ペー師匠」でも「ペンション」でも書けなくなった。もはや「pension」について書くしかないのかもしれない。

pension とは年金のこと。「日本の年金制度は事実上崩壊している」という巷間の通り相場の発言が、どの程度本当なのか調べてみたい。

孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本 (朝日新書)

孫は祖父より1億円損をする 世代会計が示す格差・日本 (朝日新書)

 

  政治権力を持つ老人世代が、政治権力のない孫世代や曾孫世代へ向かって、「(本当は自分達の建設利権を潤すためなのに)わしらがお前らのために道路やダムをたくさん作ってやったぞ、予想外に金がかかったがのう」「(本当は自分たちの世代を利する不公平なものなのに)『百年安心』の社会保障制度も、わしらがおまえらのために作っておいたからのう。お前らは払うだけは払ってくれよ」と呼びかけるのは、「わしわし詐欺」でしかないと断じる。それはそうだろう。そのせいで、将来世代は一億円以上の借金を背負って生まれてこなければならないのだから。この酷すぎる凄まじい事態を、世代会計の創始者コトリコフは「財政的幼児虐待」と呼んでいる。もちろん、「財政的幼児虐待」の世界トップランナーは日本だ。

上の記事で書いた「世代会計」は、90年代以降に発展した新しい学問だ。上記の新書よりも早い2003年に、世代会計の第一人者コトリコフの理論を用いて書かれた年金改革本がとても良い。野口悠紀雄も近著『2040年問題』で、「年金問題が世代間戦争の問題であることが理解されていない」ことを問題視していた。国民全員が利害関係者なのに、これほど議論が空転している領域も珍しい。 

年金大改革―「先送り」はもう許されない

年金大改革―「先送り」はもう許されない

 

 上記の良書は15年前の出版だから、「予言」がどれくらい当たっているかを検証しながら楽しめる。驚いたのは、巷間言われる「日本の年金は賦課方式であることが問題なので、積立方式へ移行すべき」という主張自体は支持できないことは知っていたが、その前提までもが間違っていることである。

賦課方式と積立方式は、じっくり研究してみれば、第一印象ほどの感覚的優劣は生じないはずだ。このサイトの説明がとてもわかりやすい。

  • 年金制度では賦課方式と積立方式という方式があり、賦課方式はその年の社会保険料や税金でその年の年金を支払う方式で、積立方式は社会保険料や税金を積み立てて将来の年金の支払いを行う方式です。
  • 賦課方式は少子高齢化に弱い、世代間の不公平感が生じることがあるなどのデメリットがある一方で、積立方式はインフレに弱い、資産運用リスクを受けやすいといったデメリットがあります。 

世界各国で積立方式より賦課方式の方が多いのは、年金制度を設立した初年度に財源を確保しやすいからだ。積立方式を機能させるには、莫大な公的資金の注入がない限り、数十年かかってしまう。国民の福祉を早く実現するためには、賦課方式にメリットがある。同じ理由で、賦課方式から積立方式への移行も、きわめて難しい。

問題を整理しなければならない。日本の年金制度が本当に純然たる賦課方式なら、直面する最大の問題は少子高齢化問題(だけ)となり、国力に直結するその問題への国民の意識が高まるので、むしろ望ましい。

ちなみに、積立方式の直感的な優越性に学術的根拠がないことは、世界銀行のレポートを批判したビーティーとマクジリブレーの批判によって、ほぼ完全に論破されている。 

信頼と安心の年金改革

信頼と安心の年金改革

 

 問題は、日本の年金制度が完全に賦課方式ではないことである。賦課方式の部分に莫大な積立金運用をプラスした「修正積立方式」であることに、西沢和彦は注意を喚起する。そして、それが「方式」とは呼べないほど不確定なものだと断じるのである。

それは、賦課方式の諸外国と違って、日本には147兆円(2003年)もの積立金が存在することだ。同年の東証一部の時価総額は237兆円。高度成長期の国民が貯めた「貯金」が、いかに大きいかがわかる。しかし、遺憾ながら「貯金がたくさんあるなら安心」では、まったくない。その「国民の貯金」を狙っている狡賢い奴らが、たくさんいるのだ。

議論が不十分なもう一つの理由は用語の混乱である。(…)積立金という言葉から一般的に連想するのは、現役時代には所得の一部を貯蓄に回して積み立てておき、老後にはその積立金を取り崩して生活費に充てるというものだろう。(…)

 ところが、厚生労働省の定義はわれわれ国民の常識とは異なる。積立金は取り崩すものではなく、将来にわたって残高を積み増し、そこから得られる運用収入のみを給付に充当することを厚生労働省は想定しているのである。(…)その性格はむしろ(…)「基金」に近い。

 あれ? 「国民の貯金」を勝手に引き出して、厚労省官僚はこっそり財テクに耽っているみたいだ。

スウェーデンでも積立金を運用しているが、運用機関の複数化による競争、運用実績に応じた給付などの制度的工夫によって、国民的合意のもと、「国民の貯金」が透明きわまりない運用をなされている。 カナダでは入念な制度設計によって、運用組織が政府から独立している。

 東証一部の60%ともなる巨大な「国民の貯金」を目の前にして、省庁の中の省庁が指をくわえてみているはずがない。財務省厚労省から「国民の年金」の多くを分捕って、財政投融資という形で特殊法人地方自治体に融資している。「分捕って」なんて、口が悪いって? その融資がどうなっているかというと…

土居丈朗や星岳雄の研究によると、「特殊法人地方自治体などの財投機関に隠れた損失を一掃し、それらの事業すべてを継続するために補助金を注ぎ込みつづければ、国民負担の総額(いわば隠れ損失)は(現在割引価値に換算して)最低七八兆円にのぼると推定される」(日本経済新聞)のだという。「国民の貯金」は、実は「官僚たちの財テク失敗」で半分くらい消えている可能性が高いらしいのだ。いやはや、凄い国だ。

西沢和彦の主張のうち、「予言」が見事に的中している部分を見つけた。

 政府という投資主体が株式などを投資対象として市場で運用を行うことには、政治リスクや市場のかく乱という問題が付きまとう。積立金運用における政治リスクとは、公的年金積立金が(…)保険料拠出者の利益追求のために運用されるのではなく、株価低迷時の株価浮揚など他の目的に利用されることを指す。 

この予言から約15年後、日本の積立金の「政治リスク」はグロテスクなほどの規模に膨れ上がっている。「国民の貯金」が政治に私物化されて、どんどん溶けていっているのだ。 

 現在の株価水準が続けば、'15年度の運用利回りはマイナス5%にもなりかねない。政府は、安倍政権になってからGPIFは30兆円超の利益を出したと強弁するが、これはGPIFの資金を株式市場に注ぎ込んで株高を牽引した「自作自演」に過ぎない。

 円高株安でアベノミクスが逆回転を始めれば、含み益はいとも簡単に吹き飛んでしまう。リスクを大きく抱えた以上、被害は甚大で'30年よりもっと前、10年後にも枯渇する可能性さえある。

(…)

 国民の老後資金を株式市場に突っ込んだのは、アベノミクスを政権の御旗に掲げた安倍内閣の思惑からにすぎない。相沢教授が続ける。

 「安倍内閣は株価を維持することが支持率の生命線と化した『株価連動内閣』なので、こうしたことが行われたのでしょう。

(…)

 市場が変動することで積立金が大きく上下する状況は、公的年金の運用として到底正常とは言えません。少なくとも、運用の方針を大きく転換するときには、国民の承認を得るべきでした」

(…)

 世界経済に奇跡でも起きない限り、年金は減っていく。絶望的な老後が、あなたを待ち受けているかもしれない。 

 65歳以上の人口が2040年くらいまで増加しつづけることを、野口悠紀雄は「2040年問題」と呼んでいる。2010年と2040年を比較すると、労働力人口は約1500万人(23%)減少する。全製造業者数は2015年で約1000万人。したがって、日本のモノづくり産業全体の1.5倍の仕事が、ほぼ確実にこの国から消えることになる。

いつもの野口悠紀雄なら、読み応えのある数多くの日本の成長戦略を提起してくれるのだが、さすがに元気の出そうな話はあまり書かれなくなった。もちろん、それは著者の問題ではなく、日本の産業構造や経済競争力の問題なのだ。 

 この種の「日本衰亡論」や「永続敗戦論」を、このブログでずっと書いてきた。欧米には数多くいるプレッパーと呼ばれる種族が、日本には少ない。ひょっとしたら多くの人々が真実を知らされずにいて、心の準備も家族を守る準備もできないまま、危機に晒されてしまうのではないだろうか。そんなお節介な心配に追いかけられるように記事を書いてきたが、自分自身の仕事環境だって、もう危機的だ。

日本をめぐる本を百冊以上読んできた。たぶん、フリーエネルギーの開発が急速に進捗するような「ブレイクスルー」がないと、この国にもう起死回生のチャンスは残っていないだろう。この国がこんな国になってしまったことが淋しい。

決して日本を deny したいわけではないのに、ピンク色の肌で生まれてくる新世代の子供たちに、「日本へようこそ」の歓迎の声をかけづらいのだ。生まれた瞬間から、一億円以上の借金を背負わされているのだから。

これまで書いてきた記事で非公開にしているものがたくさんある。時間を見つけて、少しずつアップしなおしていきたい。どれかが誰かの心に響けば良いと思う。