この時空では恐怖に惑わされない軸を

自分>妹>弟の三人兄弟で育った。妹が弟に姉貴風を吹かせたがる瞬間がある。

弟が小学校高学年になっても「ラピュタ」のカタカナが書けなくて、友人の前で何度も質問してきて恥ずかしかった、という話を妹がする。すると、弟は自分が赤ん坊だったとき、母の寵愛を一身に受ける生まれたての弟に嫉妬して、妹がギューッと首を絞めてきた話をする。といっても、妹も分別のない幼稚園前だったはず。

加害者と被害者を生み出しそうな「家庭の危機」を救ったのは、私だった。人命救助は初めて。お盆や正月に集まると、たいていわいわい言い合いながらその話になるので、二人は仲が良いのだと思う。両親は長子も末子も優遇しなかった。三人それぞれに与えられた平等権を享受して、自由と放任の家庭環境で育った兄弟だ。

私が初めて救った生命が、今や脳外科医となって人命救助の最前線で奮闘しているのが、誇らしくもあり、どこか不思議な気分もある。弟は私や妹と比べて、小学校高学年でカタカナが下手なほど、全然勉強ができなかったのに。

医学部生時代には空手部主将だった弟。「兄弟で文武両道」を家族紹介でよく使ってきた。しかし、最近になって、弟が『銃・病原菌・鉄』を読んだりしているのを知った。「ラピュタ」をカタカナでそつなく書けるようになっただけではない。五時間の開頭手術をこなしたり、英語の論文も読みこなしたりしているそうだから、バランス上、兄貴としても贈ってもらった「筋肉本」に目を通しつつ、ジム通いを始めなければならないとの思いに駆られた。今も毎日のように通っている。筋肉好きの弟はうっとりとして「お兄ちゃん、筋肉は裏切らないから、ゲッツしちゃいなよ」と会うたびに執拗にオルグしてくる。

このような三人の育ちをひとことで言うなら、『ギューッ、平等権、ゲッツ』ということになるだろうか。 

弟の兄貴評は「こんなところで終わる人じゃない」だそうだ。Thanks. 嬉しいよ。 最近小耳にはさんだのが「マヨネーズ関係について、兄貴の主張がエスカレートしたら、強制入院が視野に入る」。そいつは No thank you.で頼む、弟よ。

ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は無類に面白い本だ。出版社の紹介文の冒頭の問いからして、読書好きの興味をそそらずにはおかない。

銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか? 彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか? 否、と著者は言う。

上記の問いの答えは、ぜひとも本書をあたって確認してほしい。ひとつだけ重要事項を拾い上げておくと、168人のスペイン軍が4万人のインカ軍を征服できたのは、大陸から持ち込まれた病原菌のおかげだった。スペイン人は、家畜と共生する西欧文化を長く維持してきた結果として、病原菌への抵抗力を遺伝的に持っていたのだった。天然痘がスペイン人には感染しないのに、インカ人だけが集団感染して続々と死んでいく様子は、インカ軍の士気を大きく奪ったという。168>40000≒1>200 の逆転ビッグゲームの主役は、病原菌だったのである。

『銃・病原菌・鉄』から受け取るべきメッセージは、現代の人々が本質化して考えやすい生物学的決定論や民族学的決定論を厳しく退けている点だろう。地理的環境的要因が、かくまでも大陸別の独自文化の基礎となり、大陸間の支配 / 被支配をも決定づけていたことを、誰が知っていただろうか。アーリア人の生物学的優越性などというナチスの迷妄の対極に、この記念碑的大著は聳え立っているのである。 

 昨年夏に出版された『昨日までの世界』も面白い。『銃・病原菌・鉄』で一万三千年のロングスパンを扱ったダイアモンドは、この本では600万年に観察スパンを延長して、新たな人類史を紡ぎ出している。600万年のうち、現在の人類の文化的パースペクティブが共有されたのはわずか1.1万年。つまり、『昨日までの世界』とは、残りの598.9万年の長い長い人類史を表している。その「昨日までの世界」に、人類が学ぶべき点が大くあるというのだ。

読みどころは、上巻の前半だろうか。世界中の伝統的社会の文献調査と、ニューギニアでの実地調査から、ダイアモンドは伝統社会における規範を抽出していく。友人、敵、見知らぬ他人、子供、高齢者、そして戦争。伝統社会がこれらの存在をどのようにマネジメントしていったかを、単なる懐古趣味ではなく、進化適応論的アプローチで見ていくところに、本書の眼目がある。

いわば、私たちの社会観や倫理観のベースになっている1.1万年の色眼鏡を外して、598.9万年の長大な進化の歴史から温故知新しようという試み。 このブログの記事では、進化心理学について書いたこの記事につながっている。589.9万年の人類史には、とんでもない叡智が眠っているかもしれないということだ。 

(追記:急いでいる人はゴチック部分だけでも、一読を。面白い本です)。

上の本はいま手元にないので、基礎的な知識で概説すると、行動経済学などでお馴染みの「人間の行動の非合理性」は、人間の知性が足りないせいで非合理なのではなく、一見非合理に見える行動にも、長期的な生存の可能性を高める互恵性原理が働いていることが、最新の脳科学の研究で明らかになりつつある

その互恵性原理を賦活しているのが、意識下で自動的に作動している(互恵性原理を阻害する)合理的利己主義者検知モジュールと、合理的利己主義を放棄するための「感情」なのだというから驚きだ。感情は自然発生的にアプリオリに人間に備わっているものではなく、「生き残り」という至上命題を果たすためのツールとして、人間にインストールされているプログラムというわけだ。

「感情的な人間は損をする」と巷間よく言われる合理的な損得勘定は、実はハズレで、長期的に見れば互恵性原理支持者の方が生き残る確率が高く、だからこそ、互恵性原理を賦活する無意識の自動処理モジュールや損得勘定を越えうる感情が、生得的に埋め込まれている。進化心理学はそう語る。

 さて、ジャレド・ダイアモンドの近著には、「人類の未来」という副題がついている。どこかで見かけたなと思っていたら、彼自身もインタビュイーとなっている『知の逆転』シリーズの第三弾に同じタイトルの本があった。 

知の逆転 (NHK出版新書)

知の逆転 (NHK出版新書)

 
知の英断 (NHK出版新書)

知の英断 (NHK出版新書)

 
人類の未来 AI、経済、民主主義 (NHK出版新書)

人類の未来 AI、経済、民主主義 (NHK出版新書)

 

 タイトルがつながっているだけのことはあって、「知の巨人」たちの物の見方にも共通性があることがわかる。とんでもない遠視力の持ち主なのだ、彼らは。ダイアモンドが600万年なら、ユヴァル・ノア・ハラリは40億年だ。未来学者カーツワイルへの質問には40億年遠視力を持つハラリが登場し、ダイソンの発言の解説にはカルダシェフ・スケールが登場する。

 カルダシェフ・スケール(…)とは、ソ連天文学者ニコライ・カルダシェフが1964年に提案したもの。(…)。文明レベルを、それぞれの文明がテクノロジーの進歩によって手に入れるエネルギーのスケールによって、タイプⅠ、タイプⅡ、タイプⅢに分けている。「ダイソン球」はタイプⅡ文明に属する。人類は現在まだ地球が持っているすべてのエネルギーを制御できるところまで行っていないので、タイプⅠ文明にも達していない。アメリカの天文学者カール・セーガンによると、人類は今のところ「0.7文明」くらいにあるとのこと。

 気宇壮大な話がどんどん出てきて、自分が構想していることや悩んでいることが、酷くちっぽけなものだと感じられてくる。大学生が読む新書としては、最高の三冊のはず。最先端の知に触れることができ、社会の急激な変化(技術的失業の可能性)も確認でき、しかもインタビュー形式なので読み飛ばせる。ところが、地元の国立大学図書館になかったりするから不思議だ。本のことをきちんと知っている人が、少ないのかもしれない。読み始めたら、面白いんだけどな。 

ウォールデン 森の生活

ウォールデン 森の生活

 

ちなみに、ダイアモンドは地理学の教授だが、元々は医学博士。進化生物学、人類学、考古学、遺伝子学、分子生理学、分子生物学、生物地理学、環境地理学、言語学の知見が、著書で生かされている。この列挙だけでも、21世紀の「知の巨人」の学際的なスケールの大きさがわかろうというものだ。そのダイアモンドが若い読者向けに推奨しているのが、ソローの『森の生活』。英米系の本の中では、これを愛読書に挙げる人は多いどこか神格化された思想家だ。

自分は毎晩一夜漬けで書いているし、ピューリッツァー賞受賞のような煌びやかな宝飾用ダイアモンドとは違って、仮に同じ材質でも「工業用」だと自称している。ダイアモンドを真似して、「病原菌が大陸を渡った話」について語りたくなったけれど、スケールはずっと小さい。しかし、日本人が知っておくべき、恐ろしく闇の深い話。 

七三一部隊の生物兵器とアメリカ―バイオテロの系譜

七三一部隊の生物兵器とアメリカ―バイオテロの系譜

 

 副題に「バイオテロの系譜」とあるように、敗戦後、日本軍の通称「七三一部隊」の実験データが、海を渡って米軍に引き渡されたことを証し立てている労作だ。野田正彰の序文にあるように、元々はイギリスのテレビ局の取材チームに、翻訳者というより共著者として参加した西里扶甬子が、石井四郎率いる生物兵器部隊の全員に接触してインタビューを取っている。これも凄い本だ。

 本書によって、敗戦後の東京で、昭和天皇の戦争責任の免責と並行して、七三一部隊の免責が取引されていたことが分かる。天皇の免責は、共産主義への防御壁として日本を再編するために利用できる、そうトルーマンマッカーサーが考えたためだった。同じくアメリカ軍は、将来の細菌戦争に備えて、石井部隊のすべての関係者を免責し、彼らの存在を他国に知られないようにする必要があると考えたのだった。ソ連に日本の細菌戦のデータを渡してはならない、そのためには石井ら七三一部隊関係者を起訴してはならない。(…)

それでは、アメリカが石井たちから得た、他国に知られたくなかった貴重なデータとは何だったのか。それは、人体実験による正確なデータつきのいくつかの結論であったようだ。最も強力な生物兵器炭疽菌であること、それは大量生産が可能で、芽胞の形で持ち運び可能であり、耐久性が高く、致死率は80~90%であること。ペストはペストノミとして生物兵器にすることができ、広域に伝染させるのに有効であること。(…)などなどであった。

(強調は引用者による)

 では、七三一部隊の人体実験データは、海を渡って米軍の手中に落ちたあと、どうなったのか。 

バイオテロと医師たち (集英社新書)

バイオテロと医師たち (集英社新書)

 

そして筆者は、その炭疽菌テロが連続して引き起こされるのを目撃し、種々の細菌別にバイオテロにどう対処すべきかを縷述していくのだが、読みどころは何と言っても最終章。炭疽菌事件の謎」と題された章だ。

(…)やがて9.11+炭疽菌連続テロの狂乱が沈静化してマスコミが理性を取り戻し始めると、冷静な犯人追及の機運が盛り上がった。

そのような理性的な追及に抵抗するかのように、政府筋はロシアやイラクアフガニスタンなどの外国を「容疑者」に仕立て上げようとするが、政府発表や主流メディアに盲従しない米国民やこの筆者の Fake News 選球眼も確かだった。さまざまなディスインフォメーションをかいくぐり、筆者はひたひたと歩んで真相へと迫っていく

辿りついたのは、フォート・デトリック陸軍感染症研究所。この施設で、生物兵器禁止条約批准後も、CIAとともに炭疽菌の開発や研究が内密に続けられていたことが明らかになったのである。

フォート・デートリックとは、旧日本軍731部隊の人体実験の成果を収奪して、引き継いだ機関だ。しかも、禁止条約批准後の生物兵器開発が隠されていたのは、その条約に違反するからだけでなく、同じく人体実験をしていたからだ、という内部告発まである。フォート・デートリックは炭疽菌テロの捜査が及びそうになると、まるで証拠隠滅を図るかのように、研究用炭疽菌を綺麗に焼却してしまった。 

ここまで、つまり「人体実験データ」の行方については、すでに書いた。気分が悪くなるので、書かないでおいたこともあったのだ。データではなく「人体」はどこへ行ったのだろう?

もう明かしてしまおう。自分は早稲田大学の第一文学部を卒業した。学部があったのは戸山キャンパス。本部キャンパスから、やや新宿寄りの戸山町の校舎に通っていた。その頃、人を憂鬱にさせる事件の話を先輩から聞かされた。戸山キャンパスのすぐ隣にある国立感染症研究所の土地で、忌まわしい事件が持ち上がったのだという。ネット上に記録が残っていた。

1989年7月、この周辺の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の建設現場から、大量の人骨が発掘された。新宿区は、形質人類学の権威である佐倉朔・札幌学院大学教授(元国立科学博物館)に鑑定を依頼した。

 この鑑定報告書によると、大部分は頭骨とその破片で、62体分、全個体数としては100体以上と推測した。大部分はモンゴロイド(アジア系の人種)だが、「特定の人種に同定することは不可能」で、「かなり異質な集団に由来する個体が混在」するという。しかも、「10数個の頭骨に、ドリルによる穿孔、鋸断、破折などの人為的な加工の痕跡」があった。「そのうちには、脳外科手術の開頭術に類似するもの6例、中耳炎の根治手術に類似するもの2例等があり、これらは頸部で切断された死体の頭部に対して実施されたもの」と書かれている。
 頭骨に切創、刺創、銃創の疑いのあるものを認め、四肢骨にはいろいろな部位をノコギリで切ったものが多い、としている。さらに、脳、眼、頸部などの軟部が残されたものもあった、という。

 この報告書から推定すれば対象は、本来多いはずの日本人ではなく、モンゴロイド、つまり中国、朝鮮などの人々、ということになる。正当な手術痕であれば、銃創などはあるまい。戦場の死者の遺骨なら、ノコギリの切断痕があちこちにあるというのも解せない。
 そんな疑惑が、この地にあった防疫研究室での生体解剖や、旧満州731部隊から届けられた「資料」ではないか、という印象を与えた。

 その疑惑を明らかにしようという市民団体が動いた。厚生省、新宿区が、遺骨の引き取り手も特定できない以上、焼却・埋葬する意向を見せたことから、焼却差し止め訴訟が起こされた。ただ、国会での追及に、山下徳夫厚相が1992年に厚生省が調査に取り組むと発言、各方面の聞き取りやアンケートによる調査が始まった。
 2001年6月、厚労省は人骨由来の調査結果を発表した。

 旧医学校関係者239人を対象に調べて、144人が回答。うち21人はなにも知らなかったといい、23人が回答を寄せた。おそらく核心を知る幹部だった者は答えないだろうし、回答を寄せた者も推定伝聞にとどまった。

(1)医学校、防疫研究室などには多数の標本が保管されていた 
(2)戦場遺棄の中国兵戦死体の中から頭部戦傷例を標本として持ち帰った 
(3)教官から「研究に戦死体が必要で、軍医学校に送れ」といわれた 
(4)関東軍馬賊討伐をし、処刑による斬首のものが送られた

 などだが、中には「昭和15年ハルビンからドラム缶に入ったホルマリン漬けの生首が届けられた」「外国人の薬品漬けの首、かなり重いものを、かなりの数を30人くらいで暗い所内からどこかに車で運んだ」という2例もあった。 

(強調は引用者による)

 自分が『心臓の二つある犬』という小説の中で、繰り返し「アスファルトを剥がせば焦土」という詩句を反復したのは、このような学生時代の体験が投影されていたのかもしれない。「もはや戦後ではない」は嘘だ。それは戦勝国にのみ、口にすることを許された言葉なのかもしれない。敗戦後に、戦犯となることと引き換えに占領軍に生かされた亡霊たちが、まだ帝都を彷徨っているような気がするのは、私だけだろうか。

「え? 気分が悪くなる話はやめてくれだって? そうだね。素直にやめることにするよ。国立感染症研究所だって、今やインフルエンザなどを研究する国家機関に変わって、国民に貢献しているに決まっているもの」

「ちょうど冬本番。身近で役に立つインフルエンザの話でもしては?」 

 わかったよ。要望に応える柔軟性が身上さ。いま最も気になっているインフルエンザ記事を紹介しよう。情報を媒介してくれたのは In Deep。和訳もお借りしている。

 Flu Vaccine Increases Your Risk of Infecting Others by 6-Fold, Study

インフルエンザウイルスの感染経路に関して物議を醸す可能性のある医学的研究に関する論文が米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表された。この新たな研究では、現在のシーズンおよび、その前のシーズンにワクチン接種を受けた場合、接種を受けた対象者から排出されるインフルエンザ・ウイルス粒子のエアロゾル排出量が 6.3倍に増加したことが明らかになったのだ。

(…)

しかし、ワクチンがインフルエンザを予防するという宗教的理念が、その正統性を支持することができなくなったらどうだろうか。これについては、実際に数百の例があり、多くのワクチンの意図しない副作用が、その利点を上回ることを示す医学論文は 500近くとなる。

(強調は引用者による)

インフルエンザの語源が「influence(影響する)」から来ていて、略称が「flu」だということは知られている。しかし、インフルエンザ・ワクチンが、インフルエンザの流行自体を広げている可能性が高いことは知ったら、人々は軽く flu えるほど驚いて、ワクチンへの認識が、より現実的となる方向へ影響されるのではないだろうか。

しかも、さまざまなワクチンのうち、効果よりも悪影響の方が多いことを示す医学論文が、500以上もあるという事実を、私達はどう考えたらよいのだろうか。 

調べれば調べるほど、憂鬱になってきた。こういうときにこそ、世界的作家が多用するあのひとことを呟いておくべきなのだろうか。

やれやれ。

 いや、今晩は別の方法で切り抜けることにしようか。このような恐怖を含む情報に翻弄されないように、自分の中にある軸をしっかり定めておかねばならないのにちがいない。ほら、何て言ったっけ、あの大事な軸。『ギューッ、平等権、ゲッツ』だったかな。いや、『銃・病原菌・鉄』の著者。そう、ダイアモンドだった! 

そう思いついて、ネットをいろいろと調べてみたが、うまく見つけられなかった。たぶん上の砥石は全然違うと思う。時間を見つけて、またの機会に必ずきちんと調べてみたい、という固い決意を身体の中で縦の軸にして、握っているペンの軸は横にして、この記事を終えることにしたい。