いつかその声を聞けると思イタイ

どれほどの軍勢に攻め込まれても、気持ちだけは強く持って行ぐんぜよ。

 とは、坂本龍馬の名言だったと思う。そんなこんなで自分はグンゼの肌着を愛用していることもあって、「BODY MILD→BODY WILD」化計画を実践すべく、昨年末からジム通いを続けている。

かつて空手部主将で、現在脳外科医の実弟が「お兄ちゃん、信じなよ、筋肉は裏切らないから」と慰めてくれた通りのことが起きている。筋肉量もホルモン・バランスもはっきりとバケラッタ感じがするのだ。

というわけで、プチ・バケラッタを祝して、今日は自分の人生史上空前の「男らしさ」エピソードから始めたい。

自分が高校三年生だった頃のこと。時計は0時を回っていた。二階にある自分の部屋で勉強をしていると、一階のリビングで高校一年生妹が悲鳴をあげるのが聞こえた。誰かに助けを求めている時に出す大声だった。

痛い! 痛い! 痛い!

妹は女子高生だ。とっさに頭に浮かんだのは、妹が数人の暴漢に襲われている図。あまつさえ、がたがたと家具や床が揺れているような音までする。

判断に使える時間は、数秒しかなかった。暴漢たちは刃物を持っている可能性が高い。自分の部屋には、武器になるような飛び道具はない。小学生時代に使った小さな野球のバットがあるだけ。それでもいい。ブンブン振り回してやろう。そう思った。

二階から、階段を一段飛ばしで駆け降りた。「お前ら! 通報したからな!」と叫びながら、バットを振りかざしてリビングに駆け込んだ。

ところが、何ということだろう。リビングには妹しかいなかったのだ! リビングの真ん中にある炬燵に下半身を潜り込ませて、妹は寝ていた。眠ったまま依然として「痛い! 痛い! 痛い!」と大声で叫んでいた。

高校生の私はすっかり気が抜けて、少年野球用のバットを取り落として、床にへたり込んでしまった。妹はまだ叫び声をあげながら、寝返りを打とうとして、炬燵の木枠に腰をぶつけたりしている。

可哀想になったので、私は妹を起こしてあげた。妹は炬燵の中でうとうとと眠っているうちに、両脚が攣ってしまい、それでも目を覚まさないまま、夢の中で必死に助けを呼んでいたのだった。

妹はあちこちで平気で眠るので、時々事件を起こす。「悪夢から救い出してくれてありがとう」と妹は私に礼を言った。私は妹の大殿筋軸と大腿筋軸のストレッチを手伝ってあげた。それから階段を上がって、少年野球用のバットを、元あった場所へ戻した。

 じゃじゃ馬の妹は、南国へもアフリカへも兄の自分より先に旅をしていて、モンゴルの平原で馬を乗り回すほどの乗馬好き。神経の太い豪胆な活発さがあるので、涙脆くて繊細な自分とは正反対の性格だ。

 修学旅行先で撮ってきた写真の中に、バスの車中で、中学生の妹がいわくありげな表情で瞳を閉じて、唇にポッキーをくわえている一枚があった。てっきり、ポッキーを異性同士が両端から食べ始めて、キスすれすれのスリルを楽しむゲームの光景かと思いきや、妹はバスの車中で深い眠りに落ちて、揺さぶっても起きなくなったらしい。悪戯で口にポッキーを差し込んでも目覚めなかったので、あえなく写真の被写体になってしまったのだとか。

 「男らしさ」をアピールするつもりが、いつのまにか妹の面白話になってしまった。彼女のポテンシャルは凄いな。いつかプロデュースしたいくらいだ。

さて、話題が次から次へ飛んでいる上記の記事に、レクサスへの言及があったので、最近見つけたこのニュースを思い出した。 

 海外子会社配当の非課税制度が導入されたのは、2009年です。それまでは、海外子会社からの配当は、源泉徴収された税金分だけを日本の法人税から控除するという、ごくまっとうな方法が採られていたのです。それが2009年から、配当金自体を非課税にするという非常におかしな制度が採り入れられたのです。

 そして、トヨタは2009年期から5年間税金を払っていないのです。まさにトヨタが税金を払わなくて済むために作られたような制度なのです。 

グローバリズム下で、どのような世界的連携体制を構築して、課税逃れの抜け穴を潰していくかは、以下の記事で調べたつもりだ。

そこでも言及した下記の新書は、充実した内容ではあったものの、アメリカのシンクタンクが作ったランキング表をそのまま使ったせいで、「日本の実効税率が世界有数の高さだ」という都市伝説を補強してしまった部分があるのは残念だ。日本初のグローバル企業は、どんな情報源にあたっても、38%もの高い実効税率では、決して納税していない。1%グローバル企業の身を利する税制優遇措置の実態を、時間ができたら、もう少し調べてみたい。

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http://businessroundtable.org/sites/default/files/Effective_Tax_Rate_Study.pdf

<税金逃れ>の衝撃 国家を蝕む脱法者たち (講談社現代新書)

<税金逃れ>の衝撃 国家を蝕む脱法者たち (講談社現代新書)

 

 けれど、日本人がトヨタから学ぶ点はまだまだ多くある。何といっても、あの「元素変換」の研究の最前線にまで、自前の研究所で追いつこうとしているフロンティア・スピリットは素晴らしい。自社の製品に生かせるかどうかもわからない基礎研究でも、トップクラスの研究力を持っている。 

それに、トヨタ財団は地域社会プログラム助成事業で、人身売買の実態解明の研究にも、資金を拠出している。 世界各地へに輸出される自動車に乗るのは、顧客リストを飾りがちな「先進国の男性」だけでなく、もちろん女性や子供たちも含まれ、発展途上国も当然含まれているという顧客目線の広さを象徴しているのだろう。流石というべきか。

 JNATIPの関連著書の中では、中高生でも読めるように書かれたこの本が、とてもバランスが取れていた。 

世界中から人身売買がなくならないのはなぜ?

世界中から人身売買がなくならないのはなぜ?

 

 まずは、人身売買の範囲を広く捉えることが大事だ。2000年に採択された議定書で、ようやく人身売買の基本三要素である「目的、手段、行為」が明確に定義された。

  1. 目的:「搾取」(他人の売買からの搾取、性的搾取、強制労働、奴隷(類似)状態、臓器摘出など)
  2. 手段:「(半)強制」(暴力、威嚇、脅迫、詐欺、誘拐、弱みへのつけこみ、親の買収など)
  3. 行為:上記の「搾取」的目的と「(半)強制」的手段による、人間の募集、運搬、移送、売買など。

 そして、日本はというと、国際的に「人身売買受け入れ大国」の汚名が轟いているのだそうだ。90年代に「奴隷」女性たちが結託して「看守」女性を殺害する事件が相次いだため、現在は管理スタイルが変わったのだという。

より巧妙に「女性たちが逃がさない程度」に自由を与える、ソフトな形態の管理の人身売買が主流をしめています。しかし女性に課される架空の借金は以前にもまして高額となり、また人身売買業者・風俗業者・暴力団が混然一体となって女性たちを搾取して巨額の富を得ている構造は変わりません。

 (トヨタ財団は下記の本も助成している) 

人身売買と受入大国ニッポン―その実体と法的課題

人身売買と受入大国ニッポン―その実体と法的課題

 

 「人身売買」なんて遠い国の遠い悲惨話でしかない。そんな勘違いをしている人がいるかもしれない。米国務省による「人身売買報告書」では、日本の「外国人技能実習生制度」が、人身売買の一つの形態だと指摘されている。

これからの日本でますますbuzzっていくはずだ。検索をかけると、「奴隷制度」との悪評や残酷物語で検索結果リストが埋まってしまう。 

国連が同制度の実態を調査したとき、実習生たちはこう説明したという。

婦人服の縫製を学べると聞いて来日しましたが、実際はクリーニング屋で朝8時半から12時まで働き、パスポートを取り上げられ、はじめの半年は休みがなく、手取りは月5万円でした。

 他にも、『世界中から人身売買がなくならないのはなぜ?』から拾える事例は、悲惨極まりないものが多い。日本でこんな酷いことが行われているなんて。

  • 長期間の低賃金労働(時給300円~500円)
  • 高額な住居費などの天引き
  • 逃亡抑止のためのパスポート没収や強制預かり貯金
  • トイレに行くたび罰金
  • セクハラや強姦

 実は、自分は中国人の技能実習生と何度も話をしたことがある。法定研修の日本語教育を母が担当していたので、母が自宅へ招いた実習生たちと、一緒に食事をする機会が何度かあったのだ。母は日本語教育のボランティア団体に属していて、有償で研修を請け負っていたのだが、実習生の中国人にはそのような機微はわからない。つらいことや苦しいことを聞き出そうとしても、話には乗ってこなかった。8畳のワンルームに4人で暮らしているのだと聞いた。

最初の数年は、仲良くなった中国人実習生の結婚式に呼ばれて、喜んで上海旅行へ出かけていた。けれど、いろいろと複雑な背景事情があったらしく、母は実習生を自宅へ呼ばなくなった。それでも、年に何回かは覚えたての日本語で書いた葉書が届くのだった。

そこにはたどたどしい字で、「日本人の中で先生のことが一番好きだから、もう一度会いたい」と書いてあった。どんな労働環境で働いていたのかは知らない。裏から伝わることを恐れていたのだと思う。職場の悪口を書いてよこした葉書は、一通もなかったと母は話していた。いずれにしろ、日本語研修が終わって、職場へ送り出されたあと、その中国人が好きになれる日本人が一人もいなかったことは、確かだったようなのだ。

コンビニが技能実習生を受け入れできるよう、制度を改変する動きがある。もし、コンビニのレジで働いている技能実習生を見かけたら、自分は必ず話しかけるようにしようと心に決めている。あのとき返事を出せなかった技能実習生に、もう一度返事を書き直すつもりで。

 ヘーゲルラカンに説得的な反駁を加えながら、バトラーが目指したのは、おそらく文字通りの、そしてそれ以上の意味を生み出す「ポスト・オイディプス」だったにちがいない。小説や演劇は、そのジャンルの特性上、常に規範的統制よりも連鎖的逸脱の方向から豊饒を紡ぎ出してくるのである。

上の記事で書いたこの部分は、逸脱的なジェンダーが連鎖して、文化的豊饒を生み出すというまとめにした。

ただし、現実社会で起きているのは、ジェンダーの不平等は次々に連鎖して拡大していく不幸な現状だ。フェミニズムの学術書の中では、グローバリズム下でジェンダー不平等性が連鎖していくさまを、この本以上に的確にとらえた本はないと思う。 

 稲葉奈々子による「移住の商品化と人身売買」という論文では、結論部分もきわめて妥当だと思う。

自分の言葉でまとめ直したい。被害者自身が、被害に遭わないように、被害から立ち直るように主体性を持ったり、それをサポートしたりすること以前に、国家やブローカーや業者などの被害者以外のプレーヤーの役割を見直して是正することも確かに大事だ。しかし、被害者が、出身国でのジェンダー不平等性と日本でのジェンダー不平等性を背景に、国際移動という法の支配が及びにくい場所を通過することで、「被搾取存在」に作り上げられるプロセスこそが「人身売買」なのだ。禍根は、根にあるジェンダー不平等性なのである。

このようなフェミニストたちの慧眼は、お隣の論文、澤田佳世による「超少子社会・台湾の「男性か」する出生力とジェンダー化された再生産連鎖」でも遺憾なく発揮されている。少子社会における社会現象として、とても面白いことが書いてある。アカデミシャン風の論文文体が苦手な人もいるかもしれないので、簡略化してまとめてみたい。

 台湾は家父長制的家族主義の強い国 → NIES少子化→社会で勝ちやすい男児優先出産が強まる(男 / 女比=1.1~)→ 台湾人男性の結婚難+台湾人女性の社会的地位の向上(威張った男たちとは結婚しないワ)→ アジア外国人女性の「輸入」→ 台湾の結婚の2~3割が国際結婚に → 台湾社会のマイノリティゆえさらに男児優先出産が強まる(男 / 女比=1.22)→ 国際結婚による「新台湾之子」への優生学的差別が発生!

 上記の「人身売買」の「目的」「方法」「行為」をまとめていたとき、こんな悪いことをやっている男たちは、きっと罰が当たるに違いないと感じていた。

或る意味では当たっているのではないだろうか。社会でのジェンダー平等性を確保できない国は、悪循環がトッドまることを知らず、衰退する運命にある。どこかで同じ話を聞いたことがないだろうか? 

 上記の地図の「高出生率」と「低出生率」との間にある「気圧の谷」を、家族類型分析の世界的権威であるトッドは、(もちろん地理的なものではなく)、ズバリ文化的格差だと結論付けるのである。「高出生率」の国々は自由主義的で個人主義的、「低出生率」の国々は権威主義的な社会や家族制度を持つ国々だというのである。

まいったな。実はほぼ毎晩、結論を決めずに、調べたり読んだりしながら書き上げている。今晩も一流のアカデミシャンと同じ圏域の結論に達してしまった。

最近、多分野の本を斜め読みしているうちに、気付いたことがある。専門分化による各分野の高度化が壁になってしまうので、個人が世界観を正しく把握するのはますます困難になっているという話は、(事を出版環境の優れた日本に限定すれば)、嘘なのではないだろうか。一定のスキルを積んで、一定のエネルギーを注力すれば、知的エートスを共有できるアカデミシャンたちとなら、ほぼ同じ場所までついて行けるような気がしている。リベラル・アーツ万歳!だ。

お、いま暗号が届いた。散漫に見えないように、全体を有機的に関連づけよ、という要望のようだ。がってん、承知の助。

 かつて人身売買で日本に連れてこられ、解放後に日本に定住しているフィリピン女性は、「人身売買で架空の高額借金を背負わされていたときも辛かったが、解放後に日本人から受けた差別的なまなざし実際の差別の方がつらかった」と語ったそうだ。

リベラルアーツ (≒教養)の辞書的な定義は、 「学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ」なのだという。もう一度言おう。「心の豊かさ」。

フェミニストたちが口にする言葉のうち、最も自分が好きなのは、「個人的なことは政治的なこと」だ。これが「心の豊かさ」に直結していると自分は考えている。自分だって清廉潔白な人生を送ってきたわけではない。偉そうなことは言いたくない。ただ、個人的な人間関係の場面で、本当に自分が大切にしている諸価値を心の豊かさを用いて発揮できるかに、その人の真価がかかっていると思うのだ。そして、この旅にはきっと終わりはない。

個人の言動で国が変わるなんてことは考えにくいけれど、半径nメートルなら確実に変えられる。例えば、今晩書いた人身売買を成立させている諸要素にバイバイすることで、日本が「美しさと慈しみの国」に少しでも近づいて、訪れた外国人が、こんな風に驚嘆の声をあげるのを、いつか聞けたら嬉しいな。

居たい! 居たい! 居たい!