時代がオレに追いついたゼ、直感的に言って

虹色に輝く汝の渇きを歌え

一行のルネ・シャールの詩句を心の支えにして、ブログを書いていた時期があった。このブログの前身ブログ。2005年くらいの話だ。

純文学中心ではあるものの、現代思想や都市論や建築や映画など、多ジャンルの力を導入しようとして試行錯誤しているのが、自分で読むとよくわかる。実際、多ジャンルのアカデミシャンや利害関係者に読んでいただくことを想定して書いていた。「虹色に輝く汝の渇きを歌え」と自分に言い聞かせながら。

あのようにリリカルで硬質な文章が私の本領だと思っている読者には、最近の「シニフィアンの戯れ」だらけの文章が、本領を逸脱しているように見えるかもしれない。けれどそれは、或る限界状況下ではその色が最も光輝くので、虹色を選んでいるというだけの話。(ありがとうございます)。主題や文体や世界観は、状況が変われば変わるし、変えていくのが自分の職業倫理なのだと感じている。

 2017年の4月末からほぼ連日連夜書いてきたこのブログ。ブログの内外で大きな個人的な変化があった。長い長い変貌。いわば、ロング・バケラッタロンバケだ。

なぜか英語の字幕の付いたロンバケのクライマックスシーンを見つけた。3:07からが有名なスーパーボールのキャッチ場面だ。

スーパーボールを見るたびに思い出す話がある。15歳のとき長期入院していた大学病院でのこと。小児科で15才と云えば、ガキ大将だ。といっても、自分は心のきれいなジャイアンだったし、そもそも病棟にいじめはなかった。

同部屋の小学6年生の男の子と、許可をとって何度か草野球をした。男の子は病気になるまでリトルリーグで投手だったらしい。草野球といっても、投手の男の子と打者の自分と守りについている男の子のお父さんの三人。全力で軟球を投げるので、男の子の速球はこちらの手元でホイップして、自分が振り回すバットにかすりもしなかった。あっけなく三振した。けれど、三振しても三振しても、男の子は投球をやめようとしなかった。白血病を発病さえしていなかったら、エース投手の座は男の子のものだったにちがいない。それくらいボールは速かった。

退院して、ぼろぼろの成績でもなぜ進学校に合格したのち、小児科にお土産を持って、かつての「戦友たち」のお見舞いに行った。お土産には絶対の自信があった。スーパーボールの詰め合わせだ。プレイルームの扉を閉めて、誰かが思いっきり床に投げつけると、スーパーボールは高速立体ピンボールになってくれる。病気持ちの「手下たち」はいつもキャーキャー言って、大喜びしていた。滅茶苦茶盛り上がるのだ。

小児科病棟の看護師の顔触れは変わっていなかった。変わっていたのは、患者たちの顔ぶれ。「手下たち」の数名が亡くなっていた。エース投手の白血病の男の子も亡くなっていた。学齢だけ中学生になったのを喜んで、死の三日前まで、必死になって英語を勉強していたそうだ。渾身で投げるせいで、手元でホイップする彼の速球のことを思い出した。

きっと、そんな少年時代を持っているせいだろう。上の記事の翻訳者が、昨晩採り上げたピーター・シンガーの「効果的利他主義」本と、ピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』に類似性があると書いているのを読んで、むしろ対極性があるのではないかと感じてしまった。

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 著者のピーター・ティールは起業家ドリーム集団の「ペイパル・マフィア」の首領とされている人物だ。テスラのイーロン・マスクもこの集団の出身。 

しかし、本書自体はシリコンバレーの古株起業家の成功物語以上のものには読めない。ピーターが称揚する「ゼロから生み出す力」=「隠れた真実を見つける力」も、イノベーション理論の数世紀分の蓄積を知らない人間による経験談の域を出ていないのではないだろうか。いわば、ピーター自身に「隠れた先端知を見つける力」が欠けているように見えるのだ。その意味では、下の記事で取り上げたジェフ・ベゾスの方が、イノベー神ことクリステンセンの理論を吸収しているだけあって、起業家としての才覚が上のように感じられる。

とはいえ、ざっと読み飛ばしたとしても、付箋のつかない本は稀だ。トルストイの『アンナ・カレーニナ』を引用して、「幸福な家族はみな似かよっているが、不幸な家族はみなそれぞれに違っている」の逆がビジネス界としては正しく、「幸福な企業はみな独創的な違った勝ち方をしており、不幸な企業は同じコモデティ化した競争に足を取られている」という意の発言は面白い。結局、ピーター・ティールも「高速PDCAサイクラー」のジェフ・ベゾスと経営の速度感覚は共通しているのだ。 

さて、そのピーター・ティールと、ピーター・シンガーの近著が似ているという翻訳者の指摘は、両書ともをきちんと読む時間のない自分にはよくわからなかった。でも、面白い本を読めたことが素直に嬉しいので、そうですよね、ファーストネームなんかそっくりですもんね、と笑顔で話を合わせておきたい。

 そう考えると、日本でも「ギブウェル」のようなメタチャリティサイトが生まれる素地はあるでしょう。

  少し上の greenz の記事で、このような注目すべき発言を見つけてしまった!

まさか「メタチャリティサイト」とは。これは電話がかかってくるパターンだな。そう思った瞬間、スマホの着信メロディーが鳴った。着信画面にはシニャックの名前が表示されている。しかし、あえて私は一度目は出ないことにした。先日シニャックの仲間の路彦に、かなりいいように弄ばれてしまった心の傷が、まだ癒えていないのだ。あの登場人物たちは、作者に似て悪戯好きだから油断できない。

気が向いたら、後でかけ直すことにしよう。

しかし、これも引き寄せたうちに入れても良いのではないだろうか。何しろ、自分が小説に書いたことが、そのまま現実になっているのだ。

シニャックの新事業を琴里が説明している場面を引用しよう。「真哉くん」とは「シニャック」の本名。

「真哉くんは石鹸工場を後継者に引き継いで、メタNPOを設立するつもりよ。メタって いうのは... NPOのためのNPOというところかしら。彼はいま公認会計士なのよ」
「待って、話が見えない。公認会計士?」
「それだけじゃないわ。数年前にどこかからお金を集めてきてチームを組んで、洋書を読み込んだり、地元の会計人と勉強会をしたりして、SROIを研究し始めたの。ROIや ROEはわかる? わからないならいいわ。とにかくその研究が実って、この秋に日本初のNPO格付け機関として船出する目途が立ったのよ。資金集めが上手くいったらしいわ」
 シニャックの資金集めの巧妙さなら、身をもって思い知らされた経験がある。30万円の使い途はそっちだったのか。苦々しい嘔吐こそ伴ったものの、自分の金が自分とは縁遠い或る領域の飛躍的前進に貢献した上で戻ってくるのなら、大人らしく諒とすべきなのかもしれない。
「運が巡ってきたのは、ネット上に寄付ポータルを起ち上げた頃から。それが電子通貨の 最大手に吸収される話に発展したの。いずれおサイフケータイ上から真哉くんの格付けに従ってNPOに寄付できるようになるわ。その履歴はFBやブログ上で公開できるようにもなるから、CSRを越えたPSRの時代が遠からずやって来る、というのが真哉くんの読みよ」
 話の流れを理解できずに高頻度で瞬きしている路彦を見て、Pは personalのPよ、と琴里が付け加えるが、シニャックの目論見が路彦の理解を超えていることに変わりはない。

 上記の小説を書き上げたのは、2013年頃だったはず。そのあと絶対に同じようなサービスが生まれているに違いないと信じて、2017年10月に検索をかけた。しかし、見つけられなかったので、同じくソーシャル・ビジネスや企業のCSR活動を指標化した投資商品について書いたのが、この記事。 

社会的責任投資(SRI)は一部の社会性に富んだ企業や CSR に熱心な一部の企業のみを対象にしがちだったが、環境・社会・ガバナンスの頭文字をとったESG投資では、PRIのような統一規格の設定により、すべての上場企業を対象にして、その数値の開示を義務付け、年金運用組織や資本家たちによる投資が、環境と社会と労働環境の改善に貢献するよう方向づけられようとしている。 

(…)

PRI基準に基づいて運用先を選ぶだけではなく、運用先のESG推進を働きかけもするのである。国連発で日本のGPIFのような大きな投資機関が PRI の標準化に動けば、ESG投資は大きな波になる可能性が高い。

しかも、面白いことに、これらのESG(環境・社会・ガバナンス)を充分にケアしている企業は、株主への還元率が高いことまで報告されはじめている。つまりNPOなどが中心的に関与してきた「お金にならない良いこと」が、「お金になる良いこと」となる可能性が、世界中の株式市場でスタンダードな見方となり始めているのである。 

また電話が鳴った。シニャックの奴、痺れを切らしたな。二度目には出ないと。友人だから。

シニャック先生! 一回スルーしたでしょ、オレの電話。

私:よう、シニャック。ごめんごめん、どうしても手が離せなくて。

シニャックしかし、まさか、オレが作ろうとしていたものが、アメリカで作られちゃっているとはね。先生も驚いたでしょ。

私:待って待って。日本ではまだできていない。いよいよシニャックの出番だ。こんなブログを見つけたよ。

 

 アメリカではギブウェルという効率的に寄付を行っている団体を推薦するサイトがあります。
 日本版のギブウェルがあったらもっと寄付が身近になるのではないかと寄付先を探しているときに思いました。
 ただギブウェルをコピーするだけでは面白みもありません。
 日本人が寄付にワクワクを感じられるような記事を書いていこうと思います。

 

シニャックエス! 素晴らしいじゃない。SROI は使わなかったけれど、慈善団体の社会的効果を測定してランキングする発想が、オレと同じだったというわけっすね。やっと時代がオレに追いついた!

私:まだ追いつき切っていない。きみが Give Well の日本版を作るまではね。けれど、日本に寄付文化がここまで根付かないのは、日本人が冷淡だからじゃないことに注意しなきゃ。日本の寄付税制が無茶苦茶だからさ。この記事に書いたことがある。

 

 こんな風に、北極と南極くらい真逆の制度がまかり通っているのには、もちろん理由がある。日本の寄付税制は、社会的弱者ではなく、あべこべに裕福な社会的強者の「税金逃れ」として利用されている実績があるのだ。 

 

 シニャックいま GiveWell のサイトを見てきちゃいました。 発展途上国支援のチャリティが多いですね。

 私:これも定量的な分析によって、先進国の貧困層より発展途上国貧困層を支援した方が、費用対効果が高いと証明されているからなんだ。Give Well の良いところは、徹底したエビデンス・ベースの考えを、評価基準だけでなく、数々のチャリティ組織に介入して組織運営を改善していることだ。学術的研究も評価基準にどんどん導入している。

シニャックこれを日本でやったら面白そうっすね。単なる税制逃れの寄付団体が軒並みリスト・アップされて、白日の下に。

私:そして、恵まれない人々を真面目に支援している方々に光が当たる。

シニャックワクワクしますね。先生、オレ、やりたいこといっぱいあるんすよ。先生のロンバケって、いつひと区切りつくんすか?

私:トロツキー的な永久バケラッタ論者だ、私は。人生は魂の修行の場。バケラッタは永遠に不滅なのだ。とりあえず、今晩はシニャックを祝福したい気分だ。きみの発想が世界的な現実になって嬉しいよ。

シニャック……。

私:どうして黙っているんだい? ひょっとして… 泣いているのかい?

シニャック先生… 何ていうか… 今晩、このひとことだけは、最後にどうしても伝えたいんです。

私:最後のひとこと? 何?

シニャック「ズッ友!」 

 というなり電話は切れた。シニャックめ。そういうひとことが、私にどれほど精神的ダメージを与えるかをわかっていて、あいつらは悪戯の暗号を送ってくるんだ。「もうキライだわ」とか、偽装まるだしの女言葉を使って。たぶんナリスマシだとわかっていても、そうではない少しの可能性のことを考えて、私がどれほど煩悶してきたと思っているんだ、まったく。

しかし、不確定な未来に思い悩むのは、若い世代の人間の方が多いはずだ。ピーター・シンガーが紹介していた 80000Hours という就職アドバイス団体が面白い。80000時間とは、人が一生のあいだに働く総時間数のことだ。

さあ、この人生の80000時間で、自分は世界に対して何をできるだろうか?

若い人には、そのような問いを胸に抱いてもらいたい。日本語サイトでは、ここが一番詳しく紹介しているようだ。

上記の日本語サイトの内容を参考にさせてもらいながら、自分の言葉でまとめ直してみたい。

  • 「情熱を感じられることを仕事にする」は間違い。
  • 好きなことを仕事にできる可能性は低く、社会的意義がしばしば低く、情熱まかせに猛烈に働くと早死にしやすい。

もっと一般的な話をしますと、研究者たちは何十年間もインタレスト・マッチと仕事の成功率、充実性の関連性を証明しようとしてきました。しかし今のところ、この2つの強い関連性は証明できていません。 

  • 「好き」や「情熱」を仕事にできないなら、「人のため、世界のためになる仕事を選びなさい」が最高のキャリア・アドバイスになる。

これは自社80,000 Hoursでほとんどの時間を費やして研究していること。今からできる3つの事柄を超要約して、お伝えします。

  1.  調査すること。世界について、学べるだけ学び、様々な分野で自分が適しているかどうか試しましょう。
  2. スキルを習得し、手練れになるのです。需要があり、多様な分野で活かせるスキルを選ぶといいでしょう。ここ10年間ですと、コンピュータープログラミングを推奨します。スキルを習得したのち、それを適用し解決できる大きな、そして差し迫った社会問題を探し出しましょう。ただ大事なだけの社会問題を選ばないよう注意してください。理不尽にも、人から注目されてない事柄を探しましょう。なぜなら、そのような分野なら、最大の影響を尽くすことができますから。
  3. 価値のあることをするためには医者になってアフリカへ行き、自らが直接手を下す必要はないことを留意してください。大きな社会問題はしばしば、研究や新たな技術開発、広告などでアイデアを宣布することによって解決されることがあります。自分のスキルと合致し、最大のインパクトを残せる分野を考え出すのがキー。

実は、「効率的な利他主義」という概念は、この 80000Hours と別のチャリティ組織を包括する際にできた概念なのだという。上記のように、どの就職活動生にも適合する実践的なアドバイスもあれば、80000時間でどれほどの社会貢献ができるかを軸にキャリア選択の助言を受けられるそうだ。詳しい事例はぜひシンガーの著書を当たってほしい。印象論で言うと、ミレニアル世代以降の若者たちの中に、平気で自分の腎臓をプレゼントするような、とんでもない利他主義者たちが出現しているような感じがする。

 そういう種族を目の当たりにしていると、「自分の社会的善行を公表するのは偽善」という批判を、どこまで相手にすべきかわからなくなる。公表するかどうかは純粋な自由なのではないだろうか。

というわけで、シニャックと同じく、自由意思でそれをライフスタイルの中に取り入れたい種族が、ブログやFBやツイッターに、自分の寄付行動の履歴にアクセスできるアイコンをつけるのは、まったく自由なのではないかと思う。 

誰かのブログの小さな☆のアイコンをクリックしたら、その人が寄付で支援している発展途上国の子供たちの笑顔が見えたり、手紙が読めたりするのは、素敵なことなのではないだろうか、直感的に言って。

 というわけで、話は冒頭に戻る。私は難病の子供たちが入院していた小児科病棟を生きて出ることができた。跳びはねるスーパーボールをつかみとれる人々は、全員ではないのだ。

誰でもいいし、何人でもいい。退院半年後の高校一年生の夏、あの白血病の野球少年が受け取れなかったスーパーボールを、誰か機敏に心を動かして、つかみ取ってくれないだろうか。

 もちろん、自分は大学生のときに登録済だ。誰かが誰かに無償の善行を与えて、それが次々にバウンドして跳ねまわっている社会空間は、きっとキャーキャー声をあげてしまうくらい、喜びに満ちた大盛り上がりの楽しい社会だと思う、直感的に言って。