銀色の裏地を探して

ずっと心に月が懸かっている。

こんなにも長い間、月が心で輝きつづけていると、不意に胸が苦しくなったり、わけもなく涙ぐんだりしてしまう。

何とかして、あの唯一無二の月の輝きを心穏やかに味わえるようにならないかと、本を探していた。最近、街一番の本屋さんの「精神世界」の書棚の前によく立つようになった。そこでこんな本を見つけた。 

ほんとうの自分が目覚める! 月の習慣

ほんとうの自分が目覚める! 月の習慣

 

 とてもわかりやすく書かれた詩情のある良い本だった。ただ、読んでいるうちに、どうも私とは、「月」の定義が異なっているのではないかと感じてしまった。

私の「月の習慣」は、例えばこんな感じ。

  1. 卵は必ずサニー・サイド・アップ(目玉焼き)に調理する。
  2. その目玉焼きにはお醤油をかけていただく。

…などなどだ。他人が読んでも、どこがどう月なのか、わからないのも無理はないと思う。

けれど、『月の習慣』の中で見つけた「インスピレーションやアイディアは湯船の中で感じ取るべし」という記述には、我が意を得たりという思いだ。時には、湯船の中で眠ってしまうほど長期滞在して、降りてくるインスピレーションたちと戯れる習慣を持っている。

というわけで、今晩は『探偵は湯船にいる(仮)』という懸案の映画の構想を、少しでも進められたらと思って、これを書き始めている。

さっそく『探偵はBARにいる2』を見直した。 

画面からどうしても漂ってくる予算規模の少なさは、邦画の宿命。致し方ないだろう。出来をどうこう言う以前に、こういう映画を嫌いになれないのが自分の感性だ。ネタバレしつついうと、ありがちなメロドラマであっても、かつて貧しい兄妹が住んでいた廃屋の映像なんかに、どうしても心が動いてしまうのだ。製鉄所労働者向けの集合住宅が、良い感じに年季が入っていたのも、印象的だった。

つまり、恋愛の高揚感も、言語的自己表現も、恋愛映画のような言語的体験によって、脚本家当人の苦痛と観客の苦痛とを緩和したり、別の快感に置き換えることに、原初的な出発点があったということだ。

昨晩の「ラブコメ史上最高傑作」を、自分が手放しで称賛できなかったのには理由がある。主人公の子供三人とマイホームつきの人生が、離婚話で「ミドルエイジ・クライシス」に陥っても、そのミドルエイジまですら順風満帆ではなかった下層階級の人々の「連続クライシス」を知っているので、共感しにくいのだ。

その観点から見ると、親に捨てられた兄妹のうち、兄の献身的労働が妹の大成功を下支えしていたという映画を裏支えする美談は、描き方の巧拙は置いて、嫌いになれない感じだ。

ただし、個人的には『探偵はBARにいる2』は、暴力シーンが多すぎるような気がした。市内電車と並走する軽トラを使ったアクションシーンは面白かった。しかし、その5倍量くらいはある暴力場面のすべてが本当に必要だったのかは、この種の映画にあまり親しまない自分には、よくわからなかった。世界は未知に満ちている。

 人口190万人の札幌は、映画映えする街だ。巨大繁華街ススキノ、スキージャンプ台、酪農の馬小屋、室蘭の製鉄所……。ロケハンしながら構想を練ると、きっと楽しいことだろう。

対して、『探偵は湯船にいる(仮)』は、人口50万人の松山市でのロケハンとなる。道後温泉は当確としても、映画映えするロケ地を見つけるのは難しそうだ。

ビーバップハイスクール』の主役は、やがて社会人になって、かなり「あぶない」二人の先輩ができ、おそらくテレビドラマ史上、最も多く「先輩!」という台詞をいう俳優に成長した。 

松山ロケがあったのは自分の高校時代。女子たちは大騒ぎをしていた。「後輩」刑事役が松山入りしていないことを嘆いている事情通の女子もいた。刑事ドラマのその回で初めて披露された挿入歌は、いま聞くと懐かしくてたまらない。「ふざけた…ことは一切…ごめんだ」の部分は、今でも時々冗談じみた返答をするときに使ってしまう。

上の記事で、80年代の松山市が、人気刑事ドラマのロケ地となったことを書いた。効果的に使われていたのは、松山城とロープウェイ。この二つも『探偵は湯船にいる(仮)』では、ロケ地当確だろう。 

秘密戦隊ゴレンジャー大全集―ジャッカー電撃隊

秘密戦隊ゴレンジャー大全集―ジャッカー電撃隊

 

これを記憶している松山人は、ひょっとすると自分だけかもしれない。スーパー戦隊シリーズの嚆矢となった「秘密戦隊ゴレンジャー」は、実は唯一松山ロケを敢行しているのだ。

自分は学生時代に脚本を書くための資料として、上記の『秘密戦隊ゴレンジャー大全集』を買い込んで研究した。書きたかったのは、カレー好きで肥満している黄レンジャーの一途すぎる桃レンジャーへの片思い。

ちょうど、冴えない中年男が美女に恋する『仕立て屋の恋』を、黄レンジャーと桃レンジャーに置き換えて、描いてみたかったのだ。

当然のこと、黄レンジャーの片思いが実ることはない。それもそのはず、彼の黄色いマスクは「一方通行(進入禁止)」を表しているからだ!

しかし、ひょんなことから、黄レンジャーがその芝居全体の「鍵」を握っていることが判明する。いわば、カレー好きな彼は「keyレンジャー」だったというわけ。そんな筋立ての野球部ものの戯曲だったような記憶があるが、「できれば忘れたい過去」の引き出しの中に入れっぱなしなので、うまく思い出せない。 

 『秘密戦隊ゴレンジャー大全集』には、松山城石手川ダムでロケをしている写真が掲載されていた。

「日本の城5選」に選ばれるほどの松山城で、ゴレンジャーのカラフルな5人が、天守閣で決めポーズをとっている写真には、シュールな興趣が満ちていた。 

『探偵は湯船にいる(仮)』の主人公は「坊ちゃん探偵」になりそうなので、上の漱石パロディー文学も読み直しておきたいところだ。

ちなみに『吾輩は猫である殺人事件』の作者は、今から20年前に私の莫迦話に付き合ってくださった方。話しやすい面白い人だったように記憶している。 

莫迦話で申し訳ないが、この手の話を興奮気味に本物の作家にしたこともある。

1998 FIFAワールドカップ日本代表 - Wikipedia

W杯予選中、日本代表のツートップはカズと城だった。カズはW杯直前にメンバーから外され、ほとんどの国民がそれを「死刑宣告」のように聞いて、同情を寄せた。メンバーを外されて、髪を白金に染め直したカズを見て、一夜にしてストレスのあまり総白髪になったとかいう悲痛なデマが流れるほどだった。当時のカズは31歳。カフカ『審判』のヨーゼフKと同い年だ。

「城とKのツートップなんて、不条理文学にとっては夢のような布陣ですよ。これだけで『優雅で感傷的な日本サッカー』が書けるんじゃないですか?」 

主役が「坊ちゃん探偵」となると、悪者たちの銃口に囲まれて身動きできなくなる場面が瞬時に思い浮かんでくる。というのも、「坊ちゃん探偵」自身は銃を持たない丸腰であるにちがいなく、それは『坊ちゃん』の冒頭で高らかに宣言されているからだ。

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。

夏目漱石 坊っちゃん

おそらく 「坊ちゃん探偵」が呼び出されるのは、松山市の隣、今治市菊間の石油備蓄基地だろう。日本に10しかない石油備蓄基地の夜景は、この界隈では目立った美しさがあるのだ。とりわけ、下の写真は露出具合が抜群で、構造物を縁どる銀色の輝きがとても綺麗に撮れている。

f:id:amano_kuninobu:20180315163819j:plain

(画像引用元:http://www.pictame.com/media/1456540271503238578_18866870

拳銃を内ポケットに秘めた荒くれ男たちが「坊ちゃん探偵」を呼び出すとしたら、この工場のふもと、男を野生化させる満月の晩にちがいない。と、ついついまた月に連想を戻したりしながら、まだ筋書きもろくに決めていない映画や小説の構想を考えている湯船の中が、自分の至福の「月の習慣」だ。

自分が風呂に入っていると、チクセントミハイのいうフローに入っていけるのかは、もう少し研究してみたい。

「So do I.」 

「え? その『So』は『そう』と訳す英単語ですね。あなたも風呂に入ると、そうなるってことですか?」

「爽」

「……」

 実は、「幸福の習慣」の研究者が、「爽」で幸福を生み出すプロジェクトを、2017年6月に展開した。

「爽ハッピーベンチ」は、幸福学研究の第一人者・前野隆司教授の「上を向くと幸福度が上がる」という研究に則り、プロダクトデザイナー太刀川瑛弼氏による開発されたベンチ。ベンチに座って背もたれに寄り掛かると、背もたれ自体がたわみ、自然と上を向くことができる構造になっている。現代社会の窮屈さから束の間でも解放される、頭が空っぽなひとときを提供したいという想いから作られたもので、日本国内の企業など、様々な場所に設置されることが決定している。 

 座った人々が単に伸びをして、上空を見上げられるベンチだというだけではない。このベンチの設計には、最先端の心理学の研究成果が生かされているのだ。 

心理学フロンティア (キーワードコレクション)

心理学フロンティア (キーワードコレクション)

 

 このブログでは、これまで社会心理学進化心理学について、たびたび言及してきた。上の最先端の心理学の領域では、建築心理学やリスク心理学や交通心理学などの項目も観られる。今朝、知人に教えてもらったナリ心理学が掲載されていなかったのは残念。改訂版が出たら、また確認してみたい。

私見では、ナリ心理学の核心概念である「カルピス」とは、仏教的概念である「カルマ」を「梵我如一(≒至高のピース状態)」へ溶融させることを表象していると推定できる。ただし、どの学術書にも掲載されていなかった。アカデミシャンぶるのが得意な自分としては、その「名声」を失うのが怖いので、判断を保留にしておきたい。 

(同じタイトルの記事をサルベージ)

さて、恋愛映画の研究中に、恋愛映画の「keyレンジャー」となるべき「自己拡張」が描かれていないのが不満だと、この記事に書いた。

 簡単に言うと、人間は基本的に自己拡張の欲求を持っているので、自己拡張の達成を「快適だ」と感じる。恋愛相手と、新しい経験、新しい対話、新しい価値観、新しい創造などを共有することによって、自己拡張と快適さが得られ、感情が大きくポジティブになる。この経験とポジティブネスこそが、恋愛なのだ。  

ところが、文脈の定め方が少し間違っていたようだ。最新のポジティブ心理学が視野に入っていなかったのだ。

正確には、「恋愛で自己拡張してポジティブになる」のではなく、「ポジティブになることで、恋愛を含む自己拡張が実現する」と因果関係を逆にして把握すべきようなのだ。

1998年に創始されたまだ若いポジティブ心理学の書物では、創始者セリグマンの弟子であるバーバラ・フレドリクソンの本が、とても面白かった。 

ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則

ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則

 

書名だけを読んで 、よくあるポジティブ・シンキング自己啓発書だと勘違いしないでほしい。

バーバラ・フレドリクソンは社会心理学者。「3:1」というポジティブネスとネガティブネスの最適比率は、厳密な研究結果から算出されたものだ。正確には「2.9013:1」だったという。

f:id:amano_kuninobu:20180315213157j:plain

 上記の図は、「高」パフォーマンスチーム、混合チーム、「低」パフォーマンスチームの3つの仕事チームの行動をグラフ化したものだ。縦軸の「感情の拡がり」がポジティブ度を表している。「探求」は創造性、「弁護」は防衛的な自己弁護だと考えてよいだろう。

この蝶に似た軌道の軌跡は、複雑系の研究ではよく見られるものなのだそうだ。グラフの特徴を、自分の言葉も使いつつまとめてみたい。

  • 「高」パフォーマンスチームの軌道は同じところをなぞっていない(カオス的アトラクタに近い形)ので、常に新しくクリエイティブなことがわかる。
  • 混合チームの軌道は、縦軸のポジティブ度がやや小さく、軌道からクリエイティビティがあまり感じられない。しかも、レジリエンス(精神的回復力)も低いので、会議でネガティブな何かに直面すると、リミットサイクル(閑軌道)に陥って、他者批判と自己弁護の嵐になってしまう。
  • 「低」パフォーマンスチームの軌道は、混合チームがスタックした閑軌道のみを行き来するにすぎない。固定点アトラクタという静止点で、完全にスタックしてしまった状態だ。 

 こういうグラフを見せられると、縦軸のポジティブ度がチームの生産性にはきわめて重要であり、「ポジティビティが人間を「拡張ー形成」する」というフレドリクソンの主張にも説得力が感じられる。実は、上記のグラフはフレドリクソンの共同研究者のロサダによるビジネス・チームの分析だ。 

 フレドリクソン自身はこの研究を個人化したデータを集め、社会的な成功者が「3:1以上」、それ以外の人々が「3:1以下」という結果を導出している。

さらに、感情調査に定評のある心理学者ゴットマンは、夫婦の感情力学の中に、「結婚継続パターン」と「離婚崩落パターン」があるという分析を明らかにした。「結婚継続パターン」は、何と驚異の「5:1」、一方、「離婚崩落パターン」は「1:1」未満だったという。ポジティビティが人間関係を「拡張ー形成」するのに、いかに重要かを物語ってやまない研究結果だ。 

実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス (PHP新書)

実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス (PHP新書)

 

  どうもポジティブ心理学という名称が良くない。自己啓発ポジティブ・シンキングとい同一視されてしまう。現場の研究者たちもそのような危惧を抱いているらしく、上記の「爽ハッピーベンチ」の共同製作者は、こんな学問棲み分け図を描いてくれている。

f:id:amano_kuninobu:20180315232111j:plain

きちんとした学術研究なので、実証心理学と臨床心理学が関わっているのはわかる。面白いのは、チクセントミハイの主導する「フロー状態」の研究と、今や大流行のマインドフルネス(瞑想)が、ポジティブ心理学に含まれていることだ。

下記の記事を参考に、もう一度文字ベースで、チクセントミハイの「フロー理論」を復習しておこう。

目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキル[技能]とチャレンジ[挑戦]のバランスが取れたぎりぎりのところで活動しているとき、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を「フロー」と呼ぶことにした。

 

これはまさしく、バシャール流のワクワク原理主義とほとんど同じだ。もう少し正確に言うと、チクセントミハイの4条件のうち、バシャールは「明確な目標」と「迅速なフィードバック」をカットしている。それは、私の勘で書き進めるなら、その二つが不要だというのではなく、「結果」に関わるその二つが、しばしば「恐怖」という有毒な副作用を生みがちだからなのだろう。

では、心理学や行動科学の分野で、40年以上にも渡って注目を集めつづけているフロー理論は、最終的にどの位相へ到達したのだろうか。

(…)

驚いたことに、チクセントミハイは、「フロー」を思いっきりでっかい二つの物に結びつける。

「進化」と「全存在」である。私流にまとめよう。

  1. 「悪魔」の語源は「切り離す」という意味のギリシア語に由来する。人生でフローから切り離されることこそが「悪魔的」なのだ。
  2. 「悪」は「エントロピーの増大」に似ている。例えば、個人が協業よりも利己的行動を選べば、エントロピーと悪が増大する。 
  3. しかし、私たち個人は物質的社会的文化的文脈においてのみ、唯一無二の個人になれるので、全存在のネットワークに責任を負っている。
  4. その全存在のネットワークが、或る目的をもって進化しているとする目的論的進化論が、学会に出現し始めた。
  5. 「善」とは人間の意識を進化させるエネルギーであり、進化と利他的な意識を同一視できる人は、全存在の中のフローとなれる。

これをまとめるのには少々苦労した。というのも、科学的根拠がまだ得られていない新しい主張に説得力を持たせようとして、チクセントミハイがかなりアクロバティックな論理接続を連続させているからだ。

一方で、フロー理論が到達した最後の場所(「進化」と「全存在」)が、スピリチュアリズムにおける「アセンション」と「ワンネス」に酷似していることも、また事実だろう。空海の『十住心論』を研究した時にも感じたことだが、多くの人々が同じような「最終図」を語ろうとしているのではないだろうか。

マインドフルネスについてはスティーブ・ジョブズに関連させて、この記事で書いた。ひたすら懐かしい。

ジョブズには、自分が共同創業したアップルという会社を、その頑固さと自己中心性ゆえに追い出されてしまった伝説がある。 そして業績不振に陥ったアップルに請われて復職し、斬新な製品を次々に打ち出す革新性と創造性を武器に、アップルを嘘のように蘇らせた辣腕伝説もある。そのような目まぐるしい混乱に満ちた双極に拠れる心を、しかし、ジョブズ上記の林檎のように透明なままに保つことができた。それが仏教への傾倒や瞑想によってだったことは、よく知られている。

ジョブズの仏教への傾倒の源流を辿ると、大学生時代のカウンターカルチャーへの耽溺にぶつかることになる。ボブ・ディランジャニス・ジョップリンマイルス・デイビスなどの音楽に加え、LSDなどのドラッグを摂取し、大学は半年で辞め、東洋哲学や神秘主義の本を読み耽った。

アップルを追い出されたあとにつくった会社で、ジョブズがその宗教指導者に任命した乙川弘文は、世界でも最も有名な仏教僧の一人となった。英語での禅の古典『禅マインド ビギナーズ・マインド』の鈴木俊隆もアメリカでは著名だが、乙川弘文はその弟子にあたる。

(…)

今やすっかり「シリコンバレー発」として喧伝されている「瞑想=マインドフルネス」の効用は、実は日本の仏教に由来していたということだ。

 乙川弘文は大乗仏教に帰依していた、仏教の宗派上の差異を捨象すると、こんな不等式が成立することも、最近の記事で確認した。 

どの学問分野の先端に立っても、バシャーリアンの知見が生きてくる未踏のフロンティアが広がっているように見える。今晩も、不等式の連なりを確認しておこうか。

 

ガブリエル≒ニーチェ<ミチオ・カク<三島由紀夫≦仏教≒バシャール 

おやおや。まるでブラックホールへ吸い寄せられるかのように、すべてがスピリチュアリズムの領域へ引き寄せられていくように見える。

ポジティブ心理学の旗手であるバーバラ・フレドリクソンは、ポジティブネスの黄金比を研究したのち、どちらの方向へ向かったと読者は予想するだろうか?

LOVE2.0  あたらしい愛の科学

LOVE2.0 あたらしい愛の科学

 

 ここまで強調してきたことから、私が特に友人であるハーヴァードの精神科医ジョージ・ヴァイラントに共感していると知っても驚かれないでしょう。彼は成人発達の専門家で、霊性を定義しています。  

「霊性」の原語はもちろん spirituality だ。 ヴァイラントにはこの邦訳がある。

 ハーバード大学による50年以上かけた「成人発達の研究」から、思いこみや推測ではない真実の老いが明かされる。思春期から老年期までの生涯にわたる追跡調査の結果、「幸福な老い」の決め手は、遺伝子や富や人種ではなく、個人のライフスタイルの選択であることがわかった。すなわち、知的才能や両親の社会階級ではなく、社会的能力“心の知能指数”こそが「生き生きとした老い」をもたらすのだ。

●「健全な老い」をもたらす7つの要因●

  1. 非喫煙者か、若いころに喫煙をやめていること
  2. 適応的対処方法(成熟した防衛機制)
  3. アルコール依存症がないこと
  4. 健康的体重
  5. 安定した結婚生活
  6. 適度の運動
  7. 高学歴  
50歳までに「生き生きした老い」を準備する

50歳までに「生き生きした老い」を準備する

 

 バーバラ・フレドリクソンは、さらにこう続ける。

彼の2009年の著書『Spirityual Evolution』では、彼は冷静とポジティブな感情を同一視し、これらの状態はあなたを他者や神と繋ぐ物で、長い時間を掛けてあなたが叡智と成熟に到達するのを助けてくれると述べています。簡単に言えば、彼は「愛は私の知る限り最も短い霊性の定義である」と述べます。

再確認しておくと、フレドリクソンは「感情の科学」を研究する社会心理学者だった。それが、ポジティブ心理学の次の著書では、あっけなくスピリチュアリズム全開の領域へ研究対象を移してしまったのだ。

そこで引用されている成人発達研究のヴァイラントにしても、代表作『Aging Well』の直後に、『Spiritual Evolution』(霊性の進化)という著作を発表している。ハーバード大学のメディカルスクール在籍だから、日本のカウンターパートは東大医学部教授ということになるだろう。そのような「社会的権威」の持ち主たちが、悠然とスピリチュアリズムの領域に足を踏み入れて、研究成果を発表しているのだ。

f:id:amano_kuninobu:20180310184913j:plain

10~15年遅れではあるものの、ヴァイラントと同じく、日本の医者たちも
スピリチュアリズムの領域で探索を始めた。しかし、公平に見て、日本の社会の一般人の間では、スピリチュアリズムを非権威的なものとみなす偏見が強すぎると言えるだろう。 

 では、歪んだ視野を意味する「偏見」状態を改善するためには、何を見つめれば良いだろうか。

上記のようなバシャール三角形の「輝かしい銀の縁どり」を見よ!というのは冗談だ。

いつのまにか、自分が首をあちこちへ向けて、見えない何かを探し求めているのは、カーティスのように、blue out 直前の青に溶け入ってしまいそうなハチドリを見つけて、その鳥で傷ついてしまうのを恐れているのか、いや逆に、青いハチドリを追い求めているのか、それとも、何もわからないまま、そのハチドリを追えば「月の二つある世界」から脱け出せるという予感に堰き立てられているのか。すべてが、刻々に濃さを増していくほとんどブルー一色の中へ、塗り込められるように溶け入ってしまい、何もかもがわからない。

2017年7月26日。今から約8か月前に、自分はブルーきわまりない気分で、ブルーにまつわる事物ばかりを集めて、文章を書いていた。

今晩もちょっと疲れているみたいだ。それでも、サニー・サイド・アップで始めて、ポジティブ心理学を経由させたこの記事で、同じ Chet Baker の楽曲のうち、最も明るい歌詞の曲を引用できそうなことが嬉しい。

夜の闇のどこかで、銀の縁どりが光っているのが見えたような気がして、そこまでいけば解放されるにちがいないと信じて、ぐっすり眠れそうな気がするから。

Look for the silver lining
Whenever a cloud appears in the blue
青空に雲が現れたときは
銀色の裏地があるか探してごらん

Remember somewhere the sun is shining
And so the right thing
To do is make it shine for you
忘れないで 太陽がどこかで輝いていることを
だからやるべきことは
自分のためにその太陽を輝かせること


A heart full of joy and gladness
Will always banish sadness and strife
胸いっぱいの楽しみと喜びがあれば
いつだって悲しみと争いをかき消してくれる


So always look for the silver lining and try to find
The sunny side of life      

だからいつでも銀色の裏地を探して
人生の明るい面を見つけてごらん