北の魂がつくっていくハウス

 原発用地内ほぼ中央に個人の土地が存在し、そこに毎日人が通い、郵便が日に100通届き、全国から週に何組か人が訪れる。そこがあさこはうすである。
 このような状況での原発着工は世界に例がない。
 たった一人の女性が農地売却に応じず、想像を絶するような圧力に屈することなく戦い、事業者である電源開発は計画変更を余儀なくすることになり、少なくとも着工を4年間遅らせた。
 そしてこの孤独な戦いは娘に継がれながら今も続いている。

(…)

 2001年町長、町会議員などが毎日のようにあさ子のお宅を訪れた。2月26日から3月30日までの間に25回通ったという。
 2002年 熊谷あさ子用地の買収を依頼された2名の男が交渉に失敗。使い込みがばれることを恐れた狂言強盗事件をたくらむが失敗。非合法な買収計画が表ざたになる。

(…)
 2005年10月 原子力安全委員会は第二次公開ヒアリングを開催
 同年 あさ子は農地に住み生存権を盾に戦うことを決心。建設に協力してくれる地元業者がいないために、自分でログハウスキットを購入して娘厚子と二人で建設した。この時本人たちではできない屋根周りの処理、防水などをこっそり手伝ってくれた職人がいるらしい。
 2006年 熊谷あさ子 ツツガムシ病で急死 享年68歳
 実際に「あさこはうす」への引っ越しの準備中だった。
 ツツガムシ病はダニの幼虫から感染する風土病だがこの40年間津軽で発生例がなかった。
 また適切な対処で早期回復する。厚子によると近所の医院で風邪と誤診され解熱剤を処方されたことが原因となっている。 

暴力と謀略のきな臭さが感じられる。

調べてみると、ゼロ年代の始め、2002年の現象だったらしい。東京のテクノキッズたちの間で大流行したハウス曲があった。その名も「ムネオハウス」。元々は、北方領土の有効施設の入札に、政治家が裏工作をしたという疑惑ニュースが発端だった。

 この政治家の周辺にも、謀略と暴力の影が落ちていると報道されていたことを、10年代の日本国民はもう忘れてしまっているかもしれない。 真相は闇の中だ。

青森や北海道のキタノ話に暴力と謀略が絡んでいるので、思わずこの映画を思い出してしまった。

異国情緒趣味というのは、どの国にもあるものだ。ヨーロッパには、北野武独自の殺人と沈黙を多用する手法に心酔するキタニストがたくさんいる。

暴力と謀略が嫌いなせいもあって、そういう匂いを濃厚に漂わせているものに、自分はシンパシーを感じにくい。あるいは、容赦なしの打ち込み音だらけのハウス・ミュージックが、どちらかというと苦手なのも、それと無関係ではないかもしれない。

以前、こう書いたことがある。

ここで紹介した heavenly voice の持ち主 Kirsty Hawkshaw を最初に知ったのは、彼女が King Crimson をカバーしたときのこと。アルバムを買った記憶はあるが、典型的な天使らしい容姿とは異なるベリーショートとユーロビート全開の打ち込み音が、自分からは遠いところにあるように感じた。すぐに忘れてしまった。今から四半世紀ほど昔の話だ。 

Kirsty Hawkshaw の歌声が天使的なのは疑いないとしても、オーガニックな音作りが好きなこともあって、ハウス系の打ち込みには辟易してしまう。彼女のアルバムの中で愛聴しているのはこの一枚だけだ。 ただし、これもリズムセクションは打ち込み。

O.U.T.

O.U.T.

 

一曲目は、彼女のとんでもない音域の広さを堪能できる佳曲。高低差がありすぎて耳がキーンとなる瞬間に何度も遭遇できる。

天使的ヴォイスの持ち主でありながら、低予算のせいでいろいろとおかしなことをさせられているのが可哀想だ。地下鉄での女豹ウォーキングは発想が安直。2:36からのケチャップかけすぎのジャンクフード好きは、どういう必要性があって出演しているのだろう? PV 製作に巨額の出資をしたので、記念出演の機会にあずかったとか?

というわけで、何となくハウスミュージックを敬遠しがちな自分は、むしろハウスミュージック以前の音楽シーンに、興味を引かれてしまう。といっても、それは70年代のクラブシーンなので、実体験したわけではない。流行の呼び名は「ノーザン・ソウル」だった。

時代はビートルズストーンズの全盛時代。あらゆるラジオをロックが席捲している中、ひと昔前のアメリカ北部の黒人ソウルが、イギリス北部のマンチェスターのクラブで鳴り響いていた。だから鍵言葉は「ノーザン・ソウル」と呼ばれる。この場合の「北」とは、方位磁石が差す方角という以上に、中心から離れた「周縁」という意味合いがあった。

アメリカ北部の黒人ソウルは、プレスリービートルズなどの白人ロックの影に埋もれて、すっかり忘れられていた。それが、どうしてイングランド北部のマンチェスターのクラブで、大々的な流行を見せたのだろうか。

もちろん「中心のロンドン」の向こうを張って、「周縁のマンチェスター」がレア音源の誇示に走ったという側面はあるにしても、その経済的下部構造を忘れてはならない。忘れてしまっては、マルサスが悪さするのと同じくらい、マルクスが目を丸くすることだろう。経済という下部構造が、社会という上部構造を決定する度合いは、100%ではないにしても、決して無視できないのである。

大量の黒人ソウルのレコードがマンチェスターに流れ込んできたのは、実はマンチェスターにある新興産業が生まれたからだった。それはコンピュータ産業。コンピュータの父とも言われるアラン・チューリングらが、マンチェスター大学の黎明期のコンピュータ Manchester Mark I の開発に成功したのだった。新コンピュータの市販化により、マンチェスターに工場労働者が増え、ナイトクラブの遊興費が膨らむと、そこで流れるレコードが売り切れ始めた。慌てて、アメリカから直輸入したレコード群の中に、やや時代遅れのノーザン・ソウルがあったというわけだ。

この大量の輸入レコードに裏打ちされたムーブメントが、曲の有名度とは逆にレア度を競い合う、現在のDJ文化の源流になったとも言われる。DJたちはレア度を競うだけでは飽き足らず、レコードの文字情報を消したりして、ボードリヤール的な音源の「起源の消去」にも積極的だった。

自分がむしろ気になるのは、首都ロンドン対抗のマンチェスターの周縁性と、ビートルズストーンズ対抗のひと昔前の米北部のソウルの周縁性が、「北」という記号で重なったことだ。最先端産業が呼び返した「周縁」から帰還した放蕩息子は、「中心」的体制への異議を唱える。その最高傑作が、この反戦歌ではないだろうか。 

 

ジョン・レノンの「Imagine」などと並んで、反戦歌7選にもランクインしている。

こういう「北の魂」をもった周縁からの抗議者を、私たちは文化全体のどの文脈に位置づけるべきだろうか。私は「北の魂」に「暴力への抵抗」の意志を読み取りたい。

 イングランド北部で「ノーザン・ソウル」ブームが吹き荒れていたのと同じ頃、マルコムXとキング牧師が暗殺された。暴力も辞さずに差別撤廃を目指した過激派のマルコムXが暗殺されるのはわからないでもない。しかし、非暴力不服従ガンジーを受け継いだキング牧師が暗殺されるのは、アンフェアな印象を感じる。

しかし、たとえ一切の暴力的手段を使わなくとも、憎悪や暴力が発生する原因を、キング牧師自身が生前に明快に説明していた。憎悪や暴力の原因は、恐怖にある、と。 

汝の敵を愛せよ

汝の敵を愛せよ

 

 [人種差別は] 優先的な経済的特権の喪失、社会的地位の変動、雑婚、新しい状況への適応などに対する非合理的な恐怖に支えられている。

キング牧師は、その恐怖を克服する手段を、直視、有機、愛、信仰の4つに求めている。しかし、人類が人種差別に代表される「恐怖」を完全に克服するまでの道のりは、果てしなく遠そうだ。

同じ「キング」という固有名詞を媒介に、時代は90年代へと飛ぶ。そこでも人種差別が恐怖に根差していることが、まざまざと明らかになる。

 1991年、キングさんは高スピードのカーチェースの末、4人の白人警官に木製の警棒で50回以上殴打され、スタンガンを当てられた。警官らは過剰な暴力を振るったとして起訴されたが92年4月29日に無罪となり、これをきっかけにロサンゼルスでは数日間に及ぶ暴動が発生。50人以上が死亡し、およそ10億ドルに上る損害を出した。

 群衆が店舗を襲って略奪をはたらき、建物に放火し、市民同士の暴行事件が相次ぐ中、キングさんは暴動3日目に会見。弁護士の準備していた原稿から逸脱して自分の言葉でこう語った。「皆さん、私が言いたいのはこれだけだ。みんなでうまくやっていけないか? うまくやっていこうじゃないか」 

You Tube の動画を見ると、これで暴行罪が成立しなければ、何が暴行罪になるのかという印象だ。しかし、裁判で白人警官たちは無罪になってしまった。驚くのは、その判決プロセスだ。陪審員がすべて白人となる地域へ移管されたのも不自然だが、これだけの証拠があれば、どこでも有罪になりそうなものだ。

しかし、白人警官たちが無罪を勝ち取ったのは、上記と同じ動画が、警官側が攻撃されかねない状況にあるとする弁護側の主張が通ったからだったのだ。当時のLA社会には、白人警官たちの暴力と、それに対する黒人社会の反発があった。そこに人種抗争があれば、互いが互いに恐怖をエスカレートさせる素地はあると言える。

[ロス暴動が起こる] その潜在的要因として、ロサンゼルスにおける人種間の緊張の高まりが挙げられる。アフリカ系アメリカ人の高い失業率、ロサンゼルス市警察(以下「LA市警」)による黒人への恒常的な圧力、韓国人による度を超した黒人蔑視、差別に対する不満などが重なり、重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会に渦巻いていた。そこにロドニー・キング事件のLA市警警官に対して無罪評決、ラターシャ・ハーリンズ射殺事件における韓国人店主への異例の軽罪判決が引き金となり、黒人社会の怒りが一気に噴出して起きた事件であるといえる。

ロサンゼルス暴動 - Wikipedia

 実際、日本でも、一般の人々がホームレスの住人を恐怖することがしばしばあるが、ホームレスの住人は住人で、一般の人々をとても恐怖している。このような未解消の恐怖から、暴力や憎悪が生まれてしまうのである。

 LA社会の人種差別問題では、アカデミー脚本賞を受賞したこの映画が、とてもうまく観客を考えさせてくれる。 

ミリオンダラー・ベイビー』の製作・脚本を担当したポール・ハギス初監督のヒューマンドラマ。アメリカ・ロサンゼルスを舞台に、様々な人種や階層の人々の怒りや哀しみ、憎しみ、喜びなどを多彩な登場人物たちによって描く。第78回(2005年)アカデミー賞作品賞脚本賞編集賞の3部門受賞。

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 例によって、ネタバレ満載で少しだけ言及するので、未見の方は注意されたい。

実は、人種差別を主題としているのに、この映画は人種差別反対ではないのだ。複雑な筋が交錯するこの映画で、唯一の殺人事件は、人種差別を毛嫌いするLAの新米白人警官によって引き起こされる。人種差別意識のない彼は、非番でのドライブ中、ヒッチハイクしてきた若い黒人男性を乗せてやる。ところが、黒人男性がポケットから飾り物を取り出そうとしたのを、銃を取り出そうとしているのだと勘違いして、射殺してしまうのだ。

黒人男性が取り出そうとしていたのは、銃ではなく、聖クリストファーの像だった。聖クリストファーとは、旅のお守りとして、旅人が携えたり、乗り物に据え付けられることが多い聖人だ。

互いが互いを恐怖するような場所では、人種差別を嫌っていても、恐怖で人を殺すこともありうる。しかし、その苦しみに満ちた社会を、人々が旅していかねばならないことを示唆して、映画は終わる。 

パートナー暴力: 男性による女性への暴力の発生メカニズム

パートナー暴力: 男性による女性への暴力の発生メカニズム

  • 作者: ミッシェルハーウェイ,ジェームズ・M.オニール,Michele Harway,James M. O’Neil,鶴元春
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2011/09/09
  • メディア: 単行本
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では、暴力の原因はどこにあるのか。人種差別を越えて、普遍的な暴力の原因を探ったこの本は、女性から男性への怒りがそうさせたのか、異様な完成度を誇っている。

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 仮説だけでも13も列挙されたリストの中で、とりわけ自分が注目したのは、仮説8だ。

男性の未確認、未表出の情動(たとえば、怪我、痛み、恥、罪、無力、依存)が、女性に対する怒り、激怒、暴力となって表出される。(PH&TH)

社会生活で劣位を感じている男性が、傷ついた自尊心を回復するために、女性に暴力を振るうケースは少なくないだろうと感じていた。「男→女」へのベクトルを取り外せば、それは「仮想的有能感」を得るための暴力だとも言えるだろう。 

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

 

 驚いたことに、男性の無意識にある恐怖や恥や無力感が暴力の原因の中心であり、それが女性への暴力という最悪の形で表出されているようなのだ。

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 そして、その種の暴力が女性や子供などの弱者へ向かいやすいことにも、明確な傾向性が見て取れる。幼児期に暴力を受けた子供たちの、「心の冷え」は相当なものだ。幼児虐待を扱った本の中では、この岩波文庫が素晴らしかった。 

子どもと暴力――子どもたちと語るために (岩波現代文庫)

子どもと暴力――子どもたちと語るために (岩波現代文庫)

 

幼児虐待によって深刻なPTSDを背負った子供は、どのようなプロセスを経れば回復していくのか。食欲などの最低限の生理的ニーズが満たされたあと、心理学者のマズローが強調するのは、子供たちに「安心」を提供することだという。

アメリカの先住インディアンの中には、 子供が思春期になると、たった一人で大自然のなか数日を過ごさせる部族があるそうだ。大人社会の中で、ではなく、大自然の中、というのが面白い。この経験によって、自然との一体感を感じられた子供は、「安心」する力が高まるのだという。

虐待児童たちの回復プロセスは、この「安心」に始まり、否定され無価値だと感じてきた自分に「自信」を取り戻すプロセス、そして健全な世界観を回復して自分の感情や考えに基づいて「自由」に選択していくプロセスが必要になるのだという。

よく言われる虐待の世代間連鎖は、33%なのだという。残りの 2/3 は、幼児期に虐待を受けてもその暴力による傷を克服して、新たに自分の子供を育てられる大人になる。一度は冷えた「北の魂」が、社会へと帰還して、問題点を克服する大人になる。

社会から暴力による苦痛を少しでも多く取り除くことも重要だ。けれど、厳冬期をくぐり抜けた魂の成長物語だって、この社会に少しでも多くあっても良いのではないだろうか。そういう魂が、新たに幸福なハウスを形作っている場面を想像しながら、今晩は筆を擱きたい。

そう書きつけた次の瞬間、幻聴が聞こえた。

「あさこはうす」、「ムネオハウス」、「ハウス・ミュージック」、「ノーザン・ソウル」、「暴力への抵抗」と書いていたこの記事は、ひょっとしたら、この幻聴を耳にするために書いてきたのかもしれない。

ハウス!

声の方を振り向いても、暗い夜が垂れこめているばかり。けれど、もう「くぅん」とは鳴かなかった。声を見失って、野良犬になってしまってもかまわない。方角が北でもかまわない。そこにハウスがなくてもかまわない。

そう自分に言い聞かせながら、私は足早に夜の闇の中へ分け入っていった。