エッセイ「燃えあがる皿、皿、皿」

 誰もが高校生だったのだから、通じやすい昔話は話してしまえばいい。

 今では信じがたいことに、かつてのぼくは高校三年生で、17歳だった。授業はたいてい退屈だったので、ノートの片隅に詩や脚本の断片を書き込んでは、夢想していた。誰にだって、そういう青くさい思春期はあるだろう。

シュルレアリスムダダイズムの新奇さに目を奪われるような未熟な目で、世界を眺めていた時代。図書館の書棚で『ダダイスト新吉の詩』を見かけるたびに、懐かしさがこみあげてくる若き日の思い出がある。

皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
(…)
皿を割れ
皿を割れば
倦怠の響が出る 

 英語の授業中、巡回してきた先生に、「おやおや、回転寿司ですか?」とからかわれたことがあって、確かにぼくはノートの片隅に、その漢字を縦に並べて書き込んでいたのだった。I先生はその文字を見間違えたらしい。

血血血血血血血血血血血血血血…

繰り返すが、17歳だった。血気盛んで、文学への目覚めと人生への目覚めと性への目覚めに同時に襲われていた疾風怒濤の季節。「情熱」とか「血潮を滾らせて」とかいう言葉が好きだった。

 I先生は、生徒のネームカードをトランプのようにシャッフルして、授業に関係のない質問をすることがあった。

「さあ、お題は大学へ行ったらしたいこと」

 カードをめくられた誰かが「サークル活動」だと答えた。自分が当たった。勉強以外の質問で当たると、何だか嬉しい。ごく短いひとことで、教室を温めるエスプリを披露できるからだ。

「燃えるような恋がしたいです」

 ぼくはそう答えた。地方都市の高校の教室は牧歌的なので、この程度の発言で、少しばかりの女子のくすくす笑いは獲得できる。ただし、17歳は貪欲だ。もうひとこと欲しくなるのだ。

「先生は大学時代にどんな恋をしたんですか?」

 この質問ひとつで、さらに教室は空気がほどけるのがわかる。I先生は即答してくれた。

「燃えたねぇ。実に、燃えた」

 と言ったところで言葉に詰まったのは、それ以上の細目は教室では話せなかったからだろう。

 と、ここまでの記述は、ほぼ実話通りだ。ここからも実話だから、話の落ちが見えやすいのはご勘弁いただきたい。

 或る朝、始業前に日向ぼっこをしていた級友が、こんな不安を口走った。昨晩、サイレンの音がうるさくて眠れなかったのだという。その級友はI先生の近所に住んでいた。そして、その不安が現実のものかを確かめるために、職員室を覗きに行ったらしい。

「I先生、休みだって」

 I先生と新妻の新居が全焼したことが、翌日伝わってきた。天麩羅鍋から目を離したのが原因らしかった。ローンの残ったマイホームの全焼はキツいな、と友人たちと語り合った。

 数日後、火事の始末をつけて再登校したI先生は、それまでとは別人のように張り切って、英語の授業をしはじめた。言葉数も声量も冗談の数も増えて、教室は以前より盛り上がることが多くなった。

 こういう妻の庇い方もあるのだなと思った。奥さんの知らないところで、ますます頑張るようになったI先生のことが、ぼくは好きだった。ただし、アンチの生徒もいるにはいた。

 卒業まで最後の数か月という段階になって、I先生はぼくに独特の表現能力があることに気付いてくれたらしい。最後の授業でアンケート用紙を配ったあと、ぼくだけを名指しして、「きみのような生徒が書き残した言葉を、後年振り返るのがとても楽しみだ」という意味の言葉をかけてくれた。

 今でも天麩羅屋や串かつ屋で小皿が積み上がっているのを見ると、「血」が誤読されて「皿」になり、「燃えるような恋」という自分の願望が、どこかおかしな文脈に接続されて、再チャレンジの情熱を燃やすI先生の姿につながった実体験を、どうしても思い出さずにはいられない。

 残念ながら、最後の授業のアンケートに自分が何を書いたかを、ぼくはすっかり忘れてしまった。忘れてしまったのは、その内容よりはるかに鮮明に、アンチの友人が学級日誌に書き込んだひとことが、忘れがたく記憶に刻まれているせいもあるだろう。

 I先生が再び学校に通勤してきた日の学級日誌に、アンチの友人は、ひとことこう書いたのである。

今日は久しぶりのI先生の授業だったので、みんな燃えた…

 

 

 

 

 

(本文とは関係ないものの、本日インスピレーションが降りてきて、泣きながら聴いた歌に和訳をつけます)。 

You with the sad eyes
Don't be discouraged
Oh I realize
It's hard to take courage
In a world full of people
You can lose sight of it all
And the darkness inside you
Can make you feel so small

悲しそうな目をして
落ち込まないで
よくわかる
勇気を出すのは難しい
世界には人々があふれていて
完全に見失ってしまうこともある
心の闇のせいで
自分がとても卑小な人間に見えることもある

 

But I see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow

だけど私には
あなたの本当の色が見えている
内側から輝いてる
その光が見えるから
あなたのことが好きなの
だから怖がらずに見せて
あなたの本当の色を
本当のあなたは
虹のように輝いている

 

Show me a smile then,
Don't be unhappy, can't remember
When I last saw you laughing
If this world makes you crazy
And you've taken all you can bear
You call me up
Because you know I'll be there

だから笑顔を見せて
暗い顔をしないで
あなたの笑ったところを
思い出せないくらいずっと見ていない
この世界があなたをおかしくさせて
もう耐えられなくなったら
私を呼んで
私はあなたのそばにいるから

 

And I'll see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow

だけど私には
あなたの本当の色が見えている
内側から輝いてる
その光が見えるから
あなたのことが好きなの
だから怖がらずに見せて
あなたの本当の色を
本当のあなたは
虹のように輝いている 

 

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