短編小説「ワイン越しに二重に見えるもの」

 こういうことを書くと、私より年上の女性たちは、目を尖らせて私を睨みつけるにちがいない。私は26歳で、一日に何度も鏡を見るほど自分の顔が好きで、おまけに結婚適齢期の男性のほとんどが、私の顔を好きらしかった。

 デートの誘いは引きも切らなかったので、いつのまにか男を見る目が養われていった。そして或る晩ひとりで物思いに耽っているとき、どうしても気が付かねばならないことに、とうとう気付いてしまったのだ。私の美貌に惹かれて近づいてくる男に、中身の詰まった男がほとんどいないことに。

 それが中身のない26歳の自分を映し出している鏡のように感じられて、私は悲しかった。

 その晩、私はワインのラベルのフランス語をじっと眺めた。数年前に、得意げにラベルの読み方を教えてくれた男がいた。ここに書いてあるピノ・ノワールというのが、葡萄の品種だぜ、とか。ノワールは黒という意味。私は自分の人生の先行きが、月のない夜のように真っ暗な気がして、そのワインひと壜をからっぽにした。

 ひとりの朝が来た。26歳の女は忙しい。早朝、私に会いたいという34歳の商社勤務の男性がいるというメッセージが届いていた。差出人の女友達の友人ではなかったが、来栖心桃という私の珍しい名前を見つけて、彼女のところに先にメールが来たらしい。どうしても私に会いたいのだという。「くるすこと」と呼ぶ私の名前も珍しいが、珍しい名前の女に会いたいという男も珍しい。

 何となく興味を引かれた私は、女友達からもらった彼のSNSのリンクを踏んだ。男は商社勤務で中東や中南米の貿易を手掛けているらしい。短髪で日焼けした男の顔は、美男子ではないが精悍だ。一流商社勤務で独身。私の食指は動かなかったものの、男が35歳になるまで、どうして世の女性が放っておいたのだろうとは感じさえるような風貌だった。そして、男の謎めいたレアな名前好き。……

 私は好奇心をそそられたので、男と会ってみることにした。

 待ち合わせたレストランの入口で、私は男と初めて顔を合わせた。サプライズ効果を狙って、女友達には私の写真を送らないでほしいと伝えてあった。男の顔を識別できる私の方から声をかけた。

 26歳で鏡に映る自分の顔を見るのが好きな私にとって、男と初対面のときは一番楽しい。たいていの男は、私を見るとご馳走を見るような嬉しそうな顔をする。そしてすぐ、目を逸らして、大人の男を取り戻す箸休めの瞬間を作るのだ。

 ところが今晩の34歳の男は、私の顔を見るなり、何かが沈んだような落胆の色が顔をよぎった。そして、初対面の挨拶のあと、さっそく不躾な質問を飛ばしてきた。

「あの、失礼ですが、本当に26歳ですか」

「サバを読んでいるように見えます? 若さには自信があるんですけれど」

「いえいえ。これは失礼しました。34歳くらいならいいなと思っていたので」

 私はそれを聞いて、すぐに今晩デートの誘いに応じたことを後悔した。あきれてしまった。同級生好き! 年上の男として、若い女をリードしていく気概すらないなんて。

 ところが、直後に失礼を率直に詫びると、男は食事中の会話を巧みにリードし始めた。海外を飛び回っているせいで、どの国のどの文化にも通暁していて、世間知らずの20代の女を感心させる小噺を。会話のあちこちで披露してくれる。

 面白かったのは、砂漠に呑み込まれたイランの或る街の話。砂漠自体が遊牧民集団なのだと男はウィットを利かせてきた。砂漠は定住地を離れて、まとまって移動してくるので、防砂壁は風でやすやすと越えられ、防砂林を植えてもたちまち枯れてしまう。その街が砂漠が住まう新たな領土になる。すると、定住していた人々は砂漠となった街を棄てる。街から移る。それは砂漠が伝染ったとも言えて、住人たちの多くが駱駝を従える遊牧民になるのだそうだ。

 男が注文したワインがやや遅れてテーブルに届いた。特に意味もなく乾杯したあと、私はワインのボトルの首をつかんで、ラベルを自分の方へ向けた。

ピノ・ノワールのワインなんですね」

「あれ? ワインに詳しいの? ごめんね。チリ産の安いワインで」

 確かに、港区のスノッブなレストランでコース料理を奢ってくれる割には、男が選んだのは、リストにあるうちで最も安いワインだった。

「全然。私お酒はあまりよくわからないし、酔ったらますますわからなくなっちゃうから」

 たぶんこの台詞が、酒のある席で26歳の女がいうべき最高の台詞だと思う。知識を教えたがる男の本性、女の身体を支配したがる男の本性をくすぐっている台詞だから。

 ところが男は、ワインにまつわるスノッブな蘊蓄や、女を口説きにくる恋愛話へは踏み込まず、自分の小学生時代の話を始めた。そして… その話が、私の24年間の人生の中で、最も心を惹かれる話だったのだ。

 

 …どうして、あなたと食事している席で、安いチリ産のワインを選んだか? しかもピノ・ノワールの赤を? これにはちょっとした話がある。今日きみを食事に招待した理由も、同じ話の中にあるので聞いてほしい。

 話は小学校の頃に遡る。ぼくが9歳の小学校三年生のとき、近所に同級生の女の子がいたんだ。朝は、集団登校。帰りは、その女の子と放課後一緒に帰る日々だった。ランドセル以外に重いトートバッグがあったら、代わりに持ってあげたりもした。10才だったけど10才なりに、その子を守りたがっていたんだ。

 ところが… 初夏のある日、その女の子は忽然と姿を消した。

 いつもなら隣のクラスのぼくを待って、一緒に帰る約束だったのに、その日に限って、彼女はぼくに何も言わずに、一人で小学校を出たのが目撃されていた。そして、警察が周囲一帯の捜索を始め、マスコミが大々的に報じても、その女の子は見つからなかった。週刊誌は「神隠し」だと騒ぎ立てた。あれから、25年近くたっているけれど、彼女はまだ見つかっていない。行方不明のままなんだ、現在34歳になった来栖心桃ちゃんは。

 …え? …そうだったんだね。…ご両親はやっぱり名前を付けたあと、後悔したりもしたんだ。…珍しいのに、そっくり同じ名前だもんね。…気にしない方がいいよ。…偶然だから。…ふふふ。…待ってよ。…まだ話には続きがあるから。

 子供が神隠しに遭ったあと、残された人間たちが一番困るのが、「行方不明」という特別な被害状況だ。生きて帰ってくれば万々歳だし、悲しいことだけれど、犯罪に巻き込まれて生命がないなら、お葬式をして気持ちの整理をつけられる。自分が家族になったつもりで考えてもごらん。行方不明なら、どうやって気持ちの整理をつければいい?
 ぼくは近所の心桃ちゃんが消えてから、ずっとその行方不明の残酷さについて考えていた。このピノ・ノワールのチリ・ワインに出逢うまで。

 …いや、。…ワインの酔いなんかで、気持ちを整理したわけじゃない。ちょっと固い話をしてもいいかい。チリでピノと言えば、70年代80年代のチリを暴虐な圧政で支配したピノチェト大統領を、誰もが思い浮かべる。ノワールは、 …そう。「黒」だから、「暗黒時代」を呼び起こすことになる。チリの近過去を知る人々にとっては、ピノチェトの暗黒時代をよみがえらせる毒入りワインというわけだ。

 ほら、いま再生している曲の歌詞を見てほしい。80年代にスティングがピノチェトの圧政に抵抗するために作った歌。この部分の歌詞はこう訳せる。

Mr. ピノチェト
おまえは苦い穀物の種を蒔いた
お前を支えているのは外国からの資金
いつかその金の流れは止まる
死刑執行人の給与は消え
銃器を買う金も消える
消えてしまった息子と踊っているお前の母を
想像できるだろうか? 

 最後の二行は「暴君のおまえはもう死んでいる」と仄めかしているわけだけど、孤独なダンスを踊らなければならなかったのは、ピノチェトに抹殺された被害者の家族たちの方だった。この曲が歌っているクエカは、ピノチェト退陣の翌日、実際にチリの追悼行事で踊られたダンスだ。

 行方不明者の「遺影」と一緒に被害者たちが踊った場所は、チリの国立スタジアム。17年前に数千人が拷問され、数百人が処刑されたのと同じ場所。気分が悪くなるに決まっているから、どれほど酷い拷問が行われたかは話さない。ただ、遺体は原形をとどめないやり方で粉砕されたらしい。その結果、千人以上が行方不明者となった。

 ところが、暴虐の限りを尽くした独裁者に手錠をかけたのは、その行方不明者たちだったんだ。

 ピノチェトたちは手抜かりがなかった。拷問や殺人に法的な恩赦特権を与えて、闇から闇へ葬ろうとした。ところが、過去の殺人はきっちり恩赦にできても、行方不明者は厄介だ。現在も行方不明の人間は、現在も犯罪被害を受けていると推認可能だからだ。結局、ピノチェト最高裁控訴されるところまでいった。

 生きている可能性もあれば、死んでいる可能性もある。行方不明者の二重性が、踏みにじられていたチリの正義を、泥濘の中から引き上げたことになる。

 そういうわけで、話は10歳のとき神隠しに遭った幼馴染の女の子に戻る。ぼくはいつからか、彼女が生きている可能性もあり、死んでいる可能性もある二重性の中で生きれば、どこかから光が差してくるんじゃないかと思って、生きてきた。その希望の光のひとつとして、今ここでこうして、きみと話しているというわけさ。長い話を聞いてくれてありがとう。

 

「だから」と私は、長い清聴のあいだに乾いたかすれ声で訊いた。「だから、同じ来栖心桃のという名前の私に、会いたがったということですか」

「そうさ。きみで三人目。10年かけて、3人しか見つからなかった」

 私は素直に目を瞠った。私と同じ名前なんて、珍しすぎて小耳にはさんだことすらない。
「珍しい名前だから、私で最後かもしれませんね」

「いずれにしろ、あと半年で『捜索活動』は辞めるつもり。35歳いっぱいでね」

「どうしてですか?」

「女性だから結婚していたら姓が変わっているだろうし、それにもう疲れたんだ」

 そこまで言うと、男は何を見るともなく横を向いた。私は男の精悍な日焼けした頬に、疲労の色を読み取った。男の肌に沈着した色素から、男がもう若いとは言えない年齢であることを私は実感した。

「そんなに熱心に『捜索』したんですか?」

「いや、心の隅に懸かっていただけかな。疲れてしまったのは、難しい大学に無理に勉強して入ったり、難しい会社に無理して就職したり、難しい部署で無理して頑張ったり、そういうことの繰り返しだったから。でもそれも、ぼくが生きている可能性の方に賭けていたからなんだ。彼女はどこかに生きていて、探せばいつか会えるかもしれない。生きている場合に、会ってもらいやすいように、こっちが、今度こそはしっかりしておかなきゃって。小学生が持つトートバッグよりは、はるかに重い負担だったけどね」

「恋ではないけれど、心の支えだった、ということですか?」

「心の支えというより、心の欠落かな。仲の良かった女の子が忽然と消えるというのは、10才の小学生にはタフな体験だ。心の空洞が待ちわびた朗報で埋まらないなら、とにもかくにもなんでもいいから、自分の刻苦勉励で埋めてしまおうという感じ。根拠はないけれどね。なかなか他の人には理解してもらえないと思う」

 そこまで言うと、男は自分の話が生み出した感傷を吹き飛ばすように、破顔一笑した。

ピノ・ノワールのチリ・ワインから、とんでもないところまで話が飛んじゃったね」

 朗らかな笑い声で、テーブルの上の重く固まりそうだった空気を元気よくかき回すと、男は私に丁重に礼を言って、勘定書きを持って店の出口へ向かった。

 私は女友達が迎えに来るからと嘘をついて、レストランのディナーテーブルに残った。

 悲しいことだけれど、私より8歳上の来栖心桃ちゃんは、もうこの世にいないことだろう。生きているはずないという常識的悲観に、生きているかもしれないという無根拠な楽観を重ねて生きていくこと。行方不明者の「遺影」と手を取り合って、相手を生きているかもしれないものとして共にダンスしつづけること。

 男の言う通り、それはきっと人生に希望を生むものなのにちがいない。

 というのも、もう会えないにせよ、男はその終わらない孤独なダンスの数億回のステップの中で、彼の人生に刻苦勉励という灯をともしつづけて、揺るぎない社会的地位をつかんだのだから。そして、夫婦別姓が世界で最も少ない国で、もうすぐ新しい人生を拓くのだから。

 この世界はなかなかどうしてうまくできている。私は26歳で世界を達観したようなほろ酔い気分になって、グラスを傾けた。そして、ピノ・ノワールの最後の一杯を飲み干した。

 

 

 

[参考文献]

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する

ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判―もうひとつの9・11を凝視する