e(i)zo と言えないヘヴィーな農業問題

懐かしく上の記事を読み返した。好きなギタリストにランデイー・ローズを挙げたのは、偏愛する様式美のテイストが強いこともあるが、旅先で遊覧飛行に搭乗してそのまま墜落死した夭折のイメージに惹かれているだけなのかもしれない。ギターの弾けない自分には、心酔するギタリストはいない。

高校の同級生のギターキッズたちのうち、半可通はヌノブクロって格好いいよなと真顔で吹聴し、ギターマニアはこぞってラウドネスのアキラ・タカサキに夢中だった。

空前のハードロック・ブームの中、自分は e(i)zo 周辺が好みだったような記憶がある。のちにアニメタルの帝王となるハスキーボイスの eizo と、北海道の悪餓鬼たちが全米デビューを果たした ezo。後者のデビューの経緯がなかなかに振るっていた。

確か、ボーカルのマサキがファニーフェイスを隠すため?、顔にメイクで隈取りを入れていたら、それが元祖フェイスメイク・ロッカー KISS の目に留まったのではなかっただろうか。 人生は本当に何が起こるかわからないものだ。

明治 メルティーキッスフルーティー濃いちご 56g×5箱

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(写真は自分が一番最近味わった KISS ) 

KISS のジーン・シモンズのプロデュースで出した全米デビューアルバムは、かなり格好いい出来で、聴き込んだ覚えがある。惜しむらくは、ギタリストが Shoyo ひとりだったこと。アイディア豊富で個性的なメロディーも奏でられるのに、そのせいでリフを刻んでいる時間が長すぎる気がしたのだ。

携帯電話もインターネットもなかった80年代、雲の上の存在に見えた アメリカン・ロック界のお歴々も、最近は日本の女の子たちとじゃれ合っている姿をよく見るようになった。個人的には、世代を越えて、祖父母と孫が遊んでいる光景が大好きなので、微笑ましい限りだ。上の KISS とモモクロの競演だけでなく、BABY METAL とジューダスプリーストの競演にも、ひとりぼっちの部屋から拍手喝采してしまった。

ここからは今日の話。気晴らしに楽しいことをしたいなと感じていて、TSUTAYA に映像を探しに出かけた。すると… と書いたここまでで、あいつの言葉遊びのセンスも落ちたものだとか、ジャッジするのは金輪際やめてくれないだろうか! 何しろ、人よりちょっと繊細にできているんだからな!

まさか、そんなわけないだろう。「e(i)zo」から「映像」へつなぐだなんて、TJ(テキストジョッキー)にあるまじきダサさだ。本当は…

あれ? どうしようと考えていたんだっけ?

まずいな。忘れてしまった。猛抗議して対決姿勢を鮮明にしたのに、闘う武器がないなんて、何という失態なんだ。思わず道端にしゃがんで、草を見つめてしまった。森の中でゴリラに遭遇したら、草を食べるふりをするといいと聞いたのだ。雑草に手で触れていると、ふとレイチェル・カーソンの言葉が思い出された。

鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固いつぼみのなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘が隠されています。自然が繰り返すリフレイン――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。 

DDT廃絶に力を尽くした環境運動家の草分けは、ディープ・エコロジストにも似た自然との限りない共生感を感じられる女性だったのだ。

最近読んだ本の中で、ドビュッシーの『海』にカーソンが卓抜な解説をつけていた。そういえば、『沈黙の春』という書名は、春なのに鳥の鳴き声がないことに気付ける耳の繊細さに由来していた。レイチェル・カーソン再評価の意気込みで、いつか再読してみたい。

実は、上記のカーソンの引用は孫引きで、TSUTAYA から借りてきたものだ。まさか TSYTAYA の店舗内にカーソンの著作がレンタルされているとは! でも、いろいろ比べてみたけれど、日本の農業のグランドデザインを語らせたら TSUTAYA さんが第一人者だな。ファーストネームは e(i)zo ではなく eiichi というらしい。 

そうそう。今晩は「もしも10年代に宮沢賢治が生きていたら、どんな本を書いているか」が隠しテーマだ、とか言いつつ、隠しもしなかったのは、まさか80年代の和製ハードロッカー e(i)zo から、TSUTAYA を経て、農業へつなげる自分の TJ ぶりが、クールに感じられて仕方ないからだ。誰も真似できないだろう。誰も真似したがらないだろう。 

共生と提携のコミュニティ農業へ

共生と提携のコミュニティ農業へ

 

 蔦谷栄一によれば、彼の提唱している「コミュニティー農業」とは、

  1. 生産者 ⇔ 消費者
  2. 農家 ⇔ 住民
  3. 農村 ⇔ 都市
  4. 人間 ⇔ 生物や自然

上記4つの関係性を、持続的に循環させていく農業の総称なのだという。

ベースにあるのは、フードマイレージ削減運動や地産地消の考え方だ。ちなみに、地産地消は経済的なだけでなく、地元の旬の食材を食べることが健康にいいとする「身土不二」のメリットもある。「身土不二」を広めたマクロビオティック創始者については、上の記事で書いた。

 

お、自分がイギリスで最も注目している都市・ブリストルの動画を拾えた。人口50万人クラスの中規模都市なのに、レストラン・オーナーまで環境意識が高いし、何より若い頃に聞き惚れたトリップホップの発祥地だ。

上の動画で面白いのは、食材だけでなく、レストランの椅子や木皿に地元産の木材を使っていたり、テーブルクロスを環境に優しい方法で洗濯したりしているところ。地産地消は食べ物だけにとどまらない。

一見「コミュニティー農業」と聞くと、農業だけの問題のように聞こえるが、林業やエネルギー産業も含めて、地域社会全体の循環をデザインすることに主眼がある。農業の「6次産業化(1次産業×2次産業×3次産業)」というバズワードも、地域社会の産業横断的な循環を作っていく文脈で捉え直すべきだろう。

実はコミュニティー農業については、「なないろ農場」を中心に、自分も上の記事を書いたことがあった。アメリカの CSA やフランスの AMAP はコミュニティー農場の代表例だ。日本で最大の成功をおさめた「なないろ農場」の実態を、もう一度書き出しておきたい。

  1. 年会費制かつ前払いなので、経理作業を簡略化でき、キャッシュフローを改善できた。
  2. 有機栽培が、技術的困難がさほどなく、安全でおいしい野菜を生産できることがわかった。
  3. 農場運営の工夫や効率化により、市場よりやや割安で野菜を提供できるようになった。 
  4. 出荷場をカフェ「なないろ食堂」に改装し、そこで余った野菜や形の悪い野菜を調理して、食品ロスを減らせた。
  5. 持ち込み企画に応えて、地域の音楽バンドや合唱団などの発表会を開き、コミュニティーが生まれるようになった。
  6. 自ら企画して、講演会やドキュメンタリー映画の上映会や料理教室などの情報発信の場にできた。
  7. 他県の優れた農産物の共同購入組織としても機能するようになった。
  8. 一人暮らしの「孤食」が厭な人が集まって、食材を持ち寄って共同調理する食事会が開かれるようになった。
  9. 希望者有志に農地レンタル(トラスト)をする事業も好調。
  10. 朗読会やこども囲碁教室や吊るし雛をつくる会などのコミュニティーの場となった。
  11. 失業者向けの就労支援関係の人々、貧困児童向けのこども食堂、身体障碍者や精神障碍者の園芸療法の場として、現在もしくは今後、活用されることとなった。
  12. 農業生産法人として株式会社化できた。
  13. 地域通貨を発行することができた。
  14. 社会福祉事務所と連携して、失業者などを受け入れる「農福連携」型セイフティ・ネットとなることができた。

 書き出していくと14項目になった。筆者は受け継いだ家業を45歳の時に辞めて、15年でここまで漕ぎつけたのだという。ちょっとここまでの成功例というのは考えにくい。筆者が自身の仕事を振り返って、「この農場で育った一番のものはコミュニティです」と繰り返すのも納得できる。宮台真司のいう「『近接性(プロキシミティ)』によって正の循環を回して生活世界を回復する」というのは、こういう実践例を言うのだと思う。

蔦谷栄一の視野も、もちろん農業以外にまで及んでいる。山形の酒田市鶴岡市界隈の寿司文化を称賛しているのに目が留まった。地元特産の農産物や海産物を積極的に打ち出した食事処が多いのだとか。農家の人々が自分が栽培した枝豆を持ち込んで、その場で茹でてもらって酒のつまみにしたりもするらしい。鶴岡や酒田が安くて美味い魚をたらふく食べられる寿司どころだというのは初耳だった。

このように産業横断的に循環する地域社会を作るためには、農協という組織だけで済む話にはならない。しかし、農協が管轄する農業の分野だけでも、「経営努力」が足りないという声も少なくない。対米自立型保守である自分は、感情的な農協バッシングに加わるつもりはさらさらないが、農協の機能を強化するという種類の改革案になら、賛成してみたい。

日本の農協には流通構造上の問題点があるとは、多くの識者が指摘するところだ。農家から流通コストだけ徴収して、農産物の変動リスクは農家が負うしかない仕組みになっている。その結果、零細農家が多く残存することとなり、農家も農協も政府の補助金に依存しやすい体質になっている。

一方、EUの農協はどうなっているかというと、農協が主導して徹底的に六次産業化(生産→加工→販売→輸出)を進めるのだ。農協の首脳陣は大企業並みの経営能力のあるビジネスマンで占められるらしい。競争原理と合理化の導入はお手の物。農協自身がきわめて競争力の高い組織集団となっているらしい。

ただ、日本の農協の改革案を口にすると、グローバリスト系の農協解体派と同じだと誤解されて、とんだ呉越同舟になりかねない。とんでもない。 

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

 

 いや、本当にとんでもない話が裏にあるのだということを、この著書に教えられてしまった。

同じ著者の近刊はほぼ読破してきた。それらの中では、最も輝いている本のように思える。 

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 ピケティー・ブームもあって、資本の過剰流動性グローバリズムが危険きわまりないことに、経済史的な裏付けがあることを、人々がようやく知りはじめたのがこの数年の話だろう。あの分厚くて難解なピケティーを読まなくても、三橋貴明が引用してくるグラフを見れば、一目瞭然なことがある。

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ああ、なるほど。近年、また貧富の格差が世界主要国で広がってますね! 問題ですね!

 きみの目は節穴かい? ちくわを覗いたら、向こうに夢の世界が見えるのかい?

 大事なのは、時系列に順に見て、左の山が第一次グローバリズム、谷底が国民経済学、右の山が第二次グローバリズムとなっていることだ。これはわかりやすい。

 第一次グローバリズムを終わらせたのは、二度の世界大戦だった。国民を挙げての総力戦を戦うには、国民のための社会福祉政策が不可欠だったからという説明も、実に明快だ。いわば、グローバリズムとは「戦前」を取り戻す悪策なのである。 

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

 

今晩は時間がなくなってしまったので、残念ながら、詳しく書いている余裕がない。

ひとつだけ、自分が吃驚してくらっとよろめいてしまった記述を紹介しておこう。

農協と全農の違いは、組織関係では「全農>農協」、資本関係では「全農<農協」となっているようだが、この話にそれほど厳密な区別は必要ない。

全農の子会社に全農グレインという穀物輸入会社があり、本社を輸入元のアメリカに置いている。アメリカやその意向を受けたグローバリスト系政治家たちが、どうして「農協の株式会社化」を推進するのか。

実は、農協の株式会社化はダミーの論点であり、「本丸」は株式会社化によって全農グレインを買収することなのだと三橋貴明は説明する。全農グレインは先進的な会社なのだ。ニューオリンズに世界最大級の船積み施設を持ち、各農家と個別契約して、配合飼料などの分別管理まで実施している。

では、カーギルなどのグローバル企業も全農グレインを買収するのではなく、自社の生産管理を進化させればよいではないか?

残念ながら、答えはNOだ。それでは秘密目的を達成できない。

カーギルは全農グレインの技術が欲しいのではなく、株式会社化したあと買収した暁には、むしろその技術を捨てたいのだ。どうして先進的管理技術を捨てたいのか?

少し立ち止まって、この問いの答えを一緒に考えてほしい。きっとがっくりきてしまうことだろう。

答えはこうだ。

世界的に見て、全農グレインが「遺伝子組み換え作物でない農作物」を安全確実に調達できるほぼ唯一の調達先だから!

スーパーで売っている醤油や納豆のラベルには、「遺伝子組み換えでない」と明示されているものが多い。その安心を可能にしているのは全農グレインであり、独立国としての食料安全保障のために、全農≒農協が株式会社化されずに守られているからなのである。グローバリスト系政治家たちによる感情誘発的な農協改革案は実に危険だと言わなければならない。

食料の安全保障については、自分も何度か記事に書いてきた。

(↑戦後の日本にアメリカが小麦を売り込んだ戦略について↑)

(↑ジャズ喫茶論から遺伝子組み換え食物反対へ↑)

(↑趣旨法廃止反対と日本の種を守る↑)

さて、農水省の官僚は種子法を廃止する理由として、花粉症に効く米の開発を理由の一つに挙げたらしい。民間ニーズへの対応は民間でやればよいだけで、それが食料安全保障上の国民財産を全廃する理由になるはずない。種子法廃止以前だって、寿司に合う米や牛丼に合う米など、外食産業はコメの品種の選定や収量の確保に成功してきたのだ。

三橋貴明の『日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム』には、「眩暈がする」とか「日本は狂っている」とかいう表現が頻発する。未読の人には過激な言葉に聞こえるかもしれないが、自分はまさしく同感だ。おい、このままだと本当に危ないぜと、熱いシャウトを吐き出したくなるのは、この国の危機的状況に、どこかロック魂を揺さぶられているからかもしれない。

いや、轟音のようなロックを聞いて、頭を振りたい気分になっているわけではない。むしろ、のどかな農村の昼下がり、コミュニティー農業が成功して、人々が集まる農産物直売所で、ご老人たちが楽し気に田舎言葉を交わす光景を見てみたいのだ。

えーぞう (ezo)

ええぞう (eizo

そんな相槌を交わしながら、三世代の地域住民が集まって、交流している場面は美しい日本の風景のひとつだろう。果たして、日本の農業は再生できるのだろうか。

冒頭で紹介した e(i)zo の鍵言葉はここへ逢着する。

EZOのギタリストはグリーンカードを取得して、アメリカで寿司職人をしているらしい。そのシャリにどんな品種のコメを使っているのかは不明だが、できれば日本産のコメであってほしい。彼が考案した巻き寿司には、バンド名と同じく日本の地名が冠されているからだ。