大冒険へは薔薇を連れて

澁澤龍彦種村季弘など、西欧と日本との「交通」が乏しかった頃に、先駆者としてディープなフレンチ文化情報をもたらしていた先人たちがいる。

澁澤龍彦責任編集のいかにもそれらしい『血と薔薇』という雑誌には、三島由紀夫を始め、ひと癖もふた癖もある多くの文化人たちが結集していた。 

血と薔薇コレクション 1 (河出文庫)

血と薔薇コレクション 1 (河出文庫)

 

 ここで話した吉岡実も詩を寄稿していたはずだ。

そのような『血と薔薇』周辺の翻訳者として、澁澤に次いで著名なのが種村季弘。自分が高校時代に愛読していた『迷宮としての世界』を翻訳したのも種村季弘だ。さぞかし怪異で妖艶なエロスを湛えた小説が好きなのだろうと想像していたら、おすすめの恋愛小説はボリス・ヴィアンの『日々の泡』だそうだ。意外にも可愛らしい。

ボリス・ヴィアン伝説」という社会通念が、この極東の島国にまで届いている。

ヒロインの胸に睡蓮が根を下ろしてその花を咲かせるせいで亡くなる悲痛な恋愛小説『日々の泡』の作者。自身も心臓の持病を抱えていて、心臓病みなのにトランペット吹きで、自分の小説を原作にした映画の試写中に心臓発作で亡くなった。……

しかし、それは伝説に過ぎず、素顔のヴィアンは没落した元上流階級出身。悪ノリ好きの少年っぽさが抜けない雑文家で、悪戯を仕込んだ雑文をファッション誌や音楽誌に書き飛ばしていたことは、上記の記事に少し書いた。

大切なことは二つだけ。どんな流儀であれ、きれいな女の子相手の恋愛。そしてニューオーリンズの音楽、つまりデューク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。

あまりにも有名な『日々の泡』の冒頭にすっかりやられてしまった人は、翻訳当初の日本にも多かったらしい。自分もその口で、デューク・エリントンの周辺を視聴してみたが、アメリカ南部の泥くささが鼻について、自分の耳には合わなかった。文化情報のトランサクションが少なかった当時、おそらくヴィアンにとって、あれはパリから見た「外部」であり、エキゾチシズムの対象だったのだろう。

では当時のフランス内部には何があったのか? それは、一にも二にも、サルトルしかありえない。雲泥の「社会的格差」がありながら、ヴィアンは実際にサルトルボーヴォワールと交流を持っていたのに、それでも悪戯坊主時代の悪癖は抜けなかったようだ。先の記事でも、少しだけこう書いた。

こんな調子で「嘘つき君」という架空の人物を登場させて悪ふざけを書いていたら、あのメルロ=ポンティに怒られて、由緒ある文芸誌上から連載わずか数回で「嘘つき君」は追放されてしまったのだとか。 

 そして極めつけは、『日々の泡』。登場する二組のカップルのうち、メイン・カップルは女の子の胸に睡蓮が咲いて夭折。サブ・カップルの方は、男の子がフランスの国家的英雄のジャン・ソール・パルトル(錯字法で命名したサルトルのパロディ)の「思想」ではなく「偶像」に入れ込みすぎて、全財産をパルトルの直筆原稿や万年筆やマッチなどで使い果たし、破産してゆくことになる。

心臓病と没落と。

シュールな恋愛小説の傑作として名高い『日々の泡』は、意外にもヴィアンの自伝的要素の強い小説なのだ。サルトルは自分が目をかけてやった雑文書きの小説に、フランス社会の自分への熱狂が「戯画」化されているのを読んで、どんな感想を抱いたのだろうか。 

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

 

 しかし、文化的熱狂はしばしば巨人サルトルのような「個」へと向かいがちだが、おしなべて文化というものが、一人の「個」ではなく「状況」に決定されていることを読み取らねばならないのは確かだ。フランスの戦後におけるサルトル、日本の戦後における吉本隆明が、「個」がどうだったというより、そのような状況論的布置のもとで、巨大な台風のような波及力を持っていたことの方が重要だ。

たとえば、あのフーコーですら、処女作『狂気の歴史』の時点で、すでにサルトルへの対抗的な陣地取りを志向していたことを、どれくらいの人々が知っているのだろうか。 

冷めないうちにペスカトーレを平らげておくと、ペスカトーレがしばしば誤解されるのは、ピカール流の作者還元型批評の後に台頭した「新批評」に、二つの大きな対立する流れがあるという事実を、不見識な批評家や研究者が見分けられないせいだ。ペスカトーレ=ナラトロジー(=物語論記号学)という等式は成立しない。

これについては、ミシェル・フーコーが「記号学と解釈学は不倶戴天の敵同士」という意味の言葉で「新批評」の様態を、うまく言い表している。自分もこの記事で同じ内容に言及した。やや文脈をつかみにくいかもしれないが、蓮実重彦の批評が説話論(≦記号学)の領域ではなく、解釈学の領域にあることを部分的に強調している。 

 

 おそらく以下の記事であのモンスター書評に接して熱狂的な蓮実ファンとなった読者からは、また蓮実重彦かよ!という歓喜に似た溜息が洩れるにちがいない。

I wasn't born yesterday. いつも蓮実頼みでは心もとない。少し多めに本を読んできた身として、今晩は、日本ではほとんど読まれていないらしいジョルジュ・カンギレムという固有名詞を書きつけておくことにしようか。

 カンギレムがフーコーを見出した、と書くと、その功績が発見者としてのものに限定されすぎる嫌いがある。初期のフーコーが、カンギレムに近いところから出発したと書いた方が正確だろう。カンギレムの経歴自体もかなり面白い。構造主義の源流にいながら現在では異端に見えるバシュラールの後任教授となったことも異色と言えるが、その昇進の功績が「医学」の博士論文だったという点では、他に類例がない。

強いて挙げるとすれば、フーコーの『狂気の歴史』ということになるが、その『狂気の歴史』の博士論文の審査教授が他ならぬカンギレムだったのである。

要点は、上記の拙記事の引用文で記した「記号学と解釈学は不倶戴天の敵同士」という部分が、フーコー(もしくはカンギレム)の頭の中にだけある二項対立ではなく、ヨーロッパの往時の哲学思潮を二分する潮流だったところにある。

 一つは、構造・合理性・科学の哲学。もう一つは、感覚・経験・主体の哲学。

前者の先駆者がカンギレムであり、その科学における非ヘーゲル的な進歩史観のいくつかを、後にフーコーが「系譜学généalogie」へ発展させたことはよく知られている。

では、後者の代表は? これは、一にも二にも、サルトルを措いて他に考えられない。いわば、サルトル対抗側のカンギレムーフーコーの系譜に、構造主義の端緒があったことになる。

注目したいのは、それが哲学だけでなく医学の分野にもまたがっていたことだ。かつて人文諸学の隆盛期に、大学の一部が「文学部」という名を冠するほどに、文学や現代思想がその領域を牽引していたのは、それらに多分野へ波及しうる包括的な領域横断性があったからだ。

今や「文学部」という名前は、「グローバル教養」や「リベラル・アーツ」などの別の名前に取って替わられるようになった。そればかりか、「文系学部全廃」のような暴論まで、有力政治家から飛び出す始末。現在の日本にある状況は、政治的、経済的、社会的、文化的、すべての観点から、とんでもなく悲惨としかいいようがないものだ。以前からその兆しのあった反知性主義によって、私たちが失いつつあるものは何なのだろうか。

自分をカンギレムやフーコーになぞらえるつもりはさらさらないが、医学分野への言及という文脈では、自分の2つの記事への「逆風」が強いように感じられて、不思議な気分になってしまう。

 記事のポイントは複数あるが、どれも医学的成果を参考にしているつもりだ。根拠ある主張が、どうして根拠のない批判に晒されなくてはならないのだろう。

ここで再注目したいのは、「(放射能や電磁波によって傷ついた)遺伝子の傷が親から子へ遺伝するのか」という大問題だ。

原発運動の盛んなドイツでは、市民が運営するラジオ局が大きな役割を果たしてきたと言われています。活動家たちはその放送を使って原発の問題を告発し、一般市民にも問題意識が共有されました。このように、行政や企業から独立し、市民独自の視点で情報を流す【非営利/独立/オルタナティブ/コミュニティ】のメディアは世界中にたくさんあります。こういったメディアが、豊かで、より民主的な社会を形成する役割を担っているのです。

 上記のような素晴らしい趣旨で活動している非営利団体の記事を見つけた。

放射能被害はなぜ隠蔽されるのか~フェルネクス博士 | OurPlanet-TV:特定非営利活動法人 アワープラネット・ティービー

 動画のキャプチャを元に文字を起こしてくれているのは、こちらのブログ。

先進的な研究を紹介しましょう。

チェルノブイリ周辺の森に生息していたノネズミを調査したところ-

遺伝子に、様々な損傷が見つかりました。

高線量地域でも低線量地域でも影響がありました。

100倍の違いでも同じ現象が見られるのです。

遺伝子システムの被曝はどのレベルでも有害です。

深刻なことに、世代を経るごとに影響が強まっていました。

ノネズミの研究は継続していて現在、22世代目になっています。

その間、遺伝子の異変は増え続けています。

動物の場合は、子が子宮内で死ぬケースが多いです。

人間の場合も-

被曝した親の世代よりも子どもたちの方が病気にかかっています。

チェルノブイリでは、事故処理で多くの人が被曝しましたが-

その子供たちは、親以上に遺伝子上の異変が見られます。

そして、孫たちの世代ではさらに異変が増えています。

未来の世代のことが本当に心配されています。 

キャプチャの画像に映っている少女の姿に、胸ぐらをつかんで揺さぶられるように、心が動揺してしまうのを感じた。顔のサイズが通常の少女より大きく見えるのは、ほぼ間違いなくステロイド系のクスリの投与によるものだろう。

実は、15歳の時の自分にも、同じ系統の薬を投与しようかという話もあった。そこは思春期の少年らしく強硬に抵抗して、アスピリン系のクスリを処方しつづけてもらったのだった。

あの少女のような副作用をもった子供の話は、年少の友人のえみりんに話しかける形式で、ここに書いた。

 30年前のぼくが15歳で大学病院に入院していたとき、やっぱり泣き叫ぶ子たちは実際にいたんだ。家に帰りたい、どうして帰してくれないのかって。泣き叫んでもどうしても帰宅させてもらえない子もいて、たぶんその子たちは二度と家に帰れない運命だった。それくらい難病の進行した子供たちだった。

 入院中は時間があり余っている。大学病院を探検するのって、楽しいんだよ。よく訪問者用の白衣を着込んで、ベビーベッドが集められた病室へ入って、難病の赤ん坊たちを眺めて過ごしたもんだ。

 ステロイドを投与されたせいで、顔も身体も数倍に膨れ上がった5歳くらいの赤ん坊もいた。あの子はたぶん30歳になっても赤ん坊のままだったと思う。ひときわ大きなアクリルケースの中にふんぞりかえって、たぶん一日中寝ているだけの数年間を生きてきた。アクリルケースの両側には、おむつ交換できるように手を差し入れる口が開いていて、ぼくはよくそこへ手を突っ込んだ。赤ん坊の手のひらをくすぐってあげたかったんだ。くすぐると、膨れ上がったムーンフェイスの真ん中に集まっている目や口が動いて、本当に嬉しそうに笑っている顔になるんだ。病気で何もわからない赤ん坊でも、自分の皮膚に触れられるのがあんなに嬉しいもんなんだね。自分の皮膚に接触してくれる愛情をあんなに求めているもんなんだね。

  一日中眠っているのに、くすぐると笑顔になる赤ん坊たち。えみりん、でも、そんな難病の赤ん坊が集められた病室を訪れる親は、数えるほどしかいなかったんだよ。これは本当の話。チェルノブイリ事故でできた「遺棄乳児院」の話をこの間どこかでした。あれと似たような光景を、30年前のぼくは見ていたのかもしれない。悲しいことに、今後のこの国では、どこにでも転がっているありふれた話になるんだろう。 

 15歳のとき、数か月後に生きた姿で病棟を抜け出したとき、医者になろうと決意した。医者になって、あのような見棄てられた子供たちを少しでも減らしたいと痛切に感じたのだ。その目標へ向かわなかったのは、自分が文系の資質の持ち主だったこともあるが、自分よりはるかに勉強の苦手だった弟が、苦労に苦労を重ねながら医者を目指しつづけ、脳外科医になってくれたことも大きい。

大学病院には精神科もあったので、当然屋上には自殺を防止するため高い防護柵が張りめぐらされていた。これでは、屋上から紙飛行機を飛ばすことはできない。屋上の一角、大人がやっとよじ登れるような梯子があるのを見つけて、屋上屋を架すがごとく建っている給水塔によじ登った。登ってみると、そこには柵も何もない。強風が吹けば転落死するかもしれない。そう思うと足が竦んだ。震える足で地面をしっかり踏みしめて、青空へ向けて紙飛行機を飛ばした。

真下へ墜落するもの紙飛行機もあれば、大学病院の敷地外まではるばる飛んでいく紙飛行機もあった。稀に、イカルスのように上昇気流に乗って、あれよあれよという間に太陽の周りにある眩しい光域へと昇っていき、遠ざかる機影がそのまま光の中へと溶け入ってしまうこともあった。「手下たち」は高所の恐怖でうずくまりながらも、口々に歓声を上げた。闘病仲間たちが次々に死んでいくので、自分たちもこの病院の敷地から永遠に出られないかもしれない可能性に、誰もが怯えていた。

恐怖と希望と。太陽へ溶け入って消えていった紙飛行機を、そんな相反する感情を抱いて、自分も含めた難病の子供たちは見つめていたように思う。

15歳の時の長期入院。屋上で見つめていた空の光へ溶け行っていく飛行機。医者になろうという志。

弟の研修医時代の逸話を織り込みながら、小説のこの部分を書いていたとき、青空のもとで上昇気流に乗ってどこまでも飛んで行った飛行機のことを思い出した。

 専門知識を縷説しようとした路彦の眼前を、旧世紀のプロペラと車輪の付いた単葉機が掠めて飛び去ったような気がしたのは、人工心臓を発明した冒険家のことを思わず連想したせいだろう。かつて「翼よ」と呼びかけたリンドバーグの発明品である人工心臓は、その灯が絶えることなく発展的に継承されて、日本でも今や埋め込み型のそれが、移植までの過渡的装置(ブリッジ・デバイス)として、厚労省に認可されている。 

心臓移植

心臓移植

 

 今の自分がどこいるのかもわからない。どうしたらよいのかもわからない。自分のことがわからないままに、他人への願望を書きつけずにはいられない。

 大西洋横断にも似た「大冒険」をしようと思うのなら、長い道程のあちこちで、横断したり迂回したりしなければならないのは、自然なことだろう。

その冒険のさなかでも、例えば人工心臓の開発を志すような、苦しんでいる人々を助けたいと自然に思える公益貢献動機を忘れずにいてほしい。胸ポケットにあるハンカチに刺繍された薔薇のように、心に刻んでおいてほしい。

そんな願いを自分より若い人々へ向かって、届くかどうかもわからない紙飛行機にして、ここから飛ばすことを許してもらいたい。