はてなブログに投稿するのは数年ぶり。
放置してあったこの場所に重要記事を置いたのは、アメブロで創価工作員に虚偽通報されて、公開停止にされてしまったから。
出版予定タイトル『尾崎豊を暗殺したのは創価+後藤組だと推認できるこれだけの状況証拠』の通り、調べればザクザク状況証拠が出てくるのだから、もう結論は出ているようなもの。
創価工作員たちは、首を洗って待ってろ。
ところで、尾崎暗殺解明本の出版前草稿①〜⑧には虚偽通報をしなかった創価工作員が、なぜこの⑨にだけ集中的に公開停止工作をしたか、読者の皆さんにはわかりますか?
そうなんです。
日本のジャーナリストが誰も報じないので、きちんと調べておきましたよ。
この⑨の記事が、26年間の自公連立の原点にあったのが創価→後藤組の「暗殺依頼ビデオ」だったということを、説得的に記述した平成史に刻むべき重要記事だったからです!
またしても創価工作員によって公開停止圧力に晒されたら、またしても別の場所にアップするだけ。
真実は自由になりたがっている。真実から逃げることはできないんだよ。
まもなく99円のkindle出版で大拡散する予定の『尾崎豊を暗殺したのは創価+後藤組だと推認できるこれだけの状況証拠』草稿は、以下のリンクから順を追って読むことができます。
ぜひご一読を。
それではこの章の本文を書いていきます。
*
8. 自公連立の「汚れた絆」の原点はおぞましき「暗殺依頼ビデオ」
生前の尾崎豊が発表した最後のシングル曲は「汚れた絆」だ。
その曲は、二人三脚で駆け抜けた『月刊カドカワ』人脈の見城徹/鬼頭明嗣との男の友情が、時と状況の移ろいにより色褪せたものの、それをその風化も含めて肯定して受け入れ、共に輝き続けようと歌った尾崎豊らしい私小説的シングルだ。
暗殺の直前に発表されたその「汚れた絆」が、尾崎豊暗殺と深く関わる形で、その数年後から四半世紀も、日本の政治の中心で権力の源泉となりつづけるとは、誰も予想しなかったに違いない。
本稿を書いていた2025年10月、高市早苗が日本の憲政史上初の女性首相となった。
愛国派の国民の中にはタカ派の高市を声高に推す声が多いが、戦後史最大の偽装保守政治家だった安倍晋三を縮小再生産した「偽者」の後継者だと、ぼくは見ている。(後段でその判断根拠を含めて詳述する)。
高市早苗首相誕生そのものより、政権交代時に情報強者の日本国民を震撼させたのは、公明党の斉藤鉄夫代表が中国の呉江浩駐日大使と面会した直後、自公連立政権からの離脱を決めたことだった。
中国が「鶴のひと声」で与党政権を瓦解させるほど、もはや中国が日本を間接侵略している実態を隠さなくなったことが、高市早苗政権誕生のニュースそのものより重要だったと言うべきだ。
(ちなみに、中国共産党が創価公明を「戦友」と呼ぶのは、媚中の創価公明が外国人参政権法案を全党最多の29回も提出するなど、中韓の日本間接侵略の先兵として、最大の売国行為をして「共闘」してきたからだ。売国奴たちめ)。
だが、そのような「朝鮮カルトの売国公明党」と「CIA資金で結党した自民党」が野合した連立政権が26年間で途絶えたという戦後史の大きな節目を迎えたにもかかわらず、日本のジャーナリストや記者から「自公連立政権の原点となったあの暗殺依頼ビデオを振り返ろう」という声が出ることはなかった。
日本は「ジャーナリズムのない不幸な国」だ。
記者やジャーナリストですら、「創価学会が後藤組に暗殺依頼をした現場が盗撮されていて、その暗殺依頼ビデオが水面下で政局となり、創価側が保身のため平身低頭して自民党にすり寄ったため自公政権が誕生した」という史実を、知りさえしないのだ。

自公連立を主導したのは、自民党側が元内閣官房長官の野中広務、公明党側がのちの公明党最高顧問の藤井富雄だ。
元々は不倶戴天の敵だったこの二人が、どうしてのちに「ノーさん」「フーさん」と仲睦まじく呼び合うほど、手のひらを返してがっちり手を組む「野合」の自公連立をやってのけたのか?
事情通は、そこで「密会ビデオ」が鍵になったと語りたがるだろうが、創価幹部が後藤組組長と密会しただけなら、週刊誌の片隅を騒がせるだけで、仇敵だったはずの自公が手を組んで26年間も政権を支え合う「蜜月」とはならなかっただろう。
恥ずべきことに、一部の日本のジャーナリストは、重大事件について断定することでその断定によって起こる余波を恐れて、臆病にも遠回しな言い方でお茶を濁したがる傾向がある。
ぼくは、あれを「密会ビデオ」ではなく、「暗殺依頼ビデオ」と呼ぶべきだと考える。そう呼ぶべき内実が、確かに、あのビデオには存在するからだ。
では、戦後史上二番目に重要な「後藤組→創価学会の追い銭目的脅し」の推移を、当時の政界裏事情に精通したジャーナリスト魚住昭の「野中広務『権力二十年戦争』」(『月刊現代』04年2月号)と『週刊現代』97年11月22日号を中心に、適宜解説を補いながら、時系列に沿って整理していこう。
1993年秋
1970年に創価学会が宮本顕治共産党委員長宅を盗聴した事件について、自民党の野中広務が「現職の郵政大臣・神崎武法(公明党)が関与していたのではないか?」と国会で追求する。公明党と創価学会の「政教一致」問題も槍玉に上がる。
元創価の裏工作リーダー・山崎正友弁護士が犯した宮本顕治共産党委員長宅盗聴事件について、電波を所管する当時の郵政大臣の神崎武法は無罪とは言えない。
「盗聴がバレそうになった時、神崎は困った顔をして『下手に動くより知らんぷりしているほうがいい』という意見にうなずいていた」と山崎正友は法廷で証言した。事件当時現職検事だった神崎武法は、犯人隠避を犯していたのである。
1995年9月
反創価活動をしていた朝木明代東村山市議が、数多くの謎を残して、ビルから転落死する。
①転落した朝木明代は裸足。なぜか靴がどこからも見つからず、裸足でビル屋上へあがった臭路も残っていなかった。(→屋上まで運ばれて投げ飛ばされた?)
②事件当日、朝木明代の鍵が紛失していたが、転落したビル2階の焼肉店店員が「店の裏に落ちていた」と警察に届け出た。東村山警察署会計課(→なぜ?)が遺族に取りに来るよう電話。名札もついていないのに、なぜ朝木明代の紛失した鍵だとわかったのか?(→警察もグルでは?)
(ちなみにその焼肉店店主の韓国人は翌96年総選挙中に心不全で急死(→口封じ?))
③警察はなぜか遺族に連絡せず、朝木明代の顔のわかる刑事をわざわざ派遣して、勝手に警察だけで身元確認をした。なぜ?(→警察もグルでは?)
④司法解剖鑑定書には「朝木明代の両上腕内側部に皮下出血あり」と記載。これは「他人と争った跡」と法医学的に認識される状況証拠なのに、警察は事件性なしと早々と結論。なぜ?(→警察もグルでは?)
⑤転落死事件の約一年後、事件の担当検事(創価信者)が、実娘・朝木直子の住む埼玉県東村山市諏訪町から徒歩10分の地に、山梨県から引っ越してきた。監視目的なのか、被害者に不安を感じさせる事案だ。なぜ?(→検察もグルでは?)
朝木明代市議が自殺偽装殺人で闇に葬られたのは、高知県の反創価団体「ヤイロ鳥の会」の招聘で、反創価講演をする予定の二日前だった。ちなみに「ヤイロ鳥の会」所属経験のあるぼくは、主宰のT氏から「ビル屋上に暴力団員二人がいたことまではわかっている」と聞かされている。
言うまでもないが、すでに報道のある伊丹十三監督暗殺事件でわかるように、自殺を偽装して暗殺する犯行手口は、創価+後藤組のお家芸だ。
1995年秋
国家公安委員長・野中広務の主導で、宗教法人の監督と規制を強化した宗教法人法の改正が行われる。
1995年12月
創価学会の藤井富雄が後藤組組長の後藤忠政と密会している現場を盗撮したビデオが、何者かによって自民党に届けられる。ビデオの中で藤井富雄は、イニシャルで5人の名前を挙げ、「この人たちは(世の中の)ためにならない」という言葉で、暗示的に暗殺を依頼した。
反創価界隈では、すでにイニシャルの5人(K、S、S、O、A)が特定されている。
K: 亀井静香(反創価の急先鋒だった自民党議員。08年には創価学会の集団ストーキングについて国会質問した)
S1: 白川勝彦(94年に亀井静香とともに「憲法20条を考える会」を発足して、創価公明の政教一致を猛批判)
S2: 島村宜伸(「憲法20条を考える会」の幹事長を務めた反創価色の強い自民党議員)
O: 乙骨正生(反創価ジャーナリストの第一人者で、反創価雑誌「Forum21」の編集長)
A: 朝木明代東村山市議(創価脱会者の支援などをしていたが、すでに三ヶ月前に暗殺依頼が実行され、闇に葬られていた)
1995年12月
「暗殺依頼ビデオ」の分析により、藤井富雄→後藤忠政へ暗殺が依頼され、亀井静香が創価+後藤組に生命を狙われていることが確定したので、警視庁が亀井の警護を増強し、亀井の車は常に警視庁の警護車両二台に挟まれて移動する騒ぎになる。
しばらくして、野中広務が「暗殺依頼ビデオ」を「見たでえ」と亀井静香に通告。
さらにしばらくして、自民党議員の村上正邦が「野中がひと仕事したみたいだな。あのビデオで信濃町(創価学会)をやったみたいだぞ」と側近に洩らす。
これらの事実により、「暗殺依頼ビデオ」のことを陰謀論というレッテル貼りでは退けられないことがわかる。
「暗殺依頼ビデオ」が十分に信憑性の高い暗殺計画だったと警視庁が判断したからこそ、亀井静香の警備は増強されたのだ。
ビデオ映像は不鮮明で、取り沙汰された5人はイニシャルに過ぎなかったのに、「暗殺依頼ビデオ」の何が警視庁をそこまで動かしたのか?
それは、ビデオ内でAのイニシャルを挙げられた朝木明代東村山市議が、実際に自殺を偽装して暗殺されてしまった可能性が高いと、警視庁が判断したからに他ならない。
暗殺はほぼ確実な事実なのだ。
1996年2月
京都市長選で自民党選挙対策総局長だった野中広務の依頼を受けて、創価学会関西長・西口良三が自民ら相乗りの候補を支援。そのおかげで共産党候補に競り勝つ。
この京都市長選の自公共闘が、のちに26年間続く自公連立の端緒となる。
不倶戴天の敵だった野中広務の依頼通り支援をした理由を、創価幹部は「野中さんに対する恐怖心があったからです。このまま野中さんと対立を続けていたら、この先、何をされるかわからないと怖がって手打ちをしようとした」と解説した。
野中広務自身も「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と述懐している。
メディアやジャーナリストの預かり知らぬ場所で、野中広務がどのようにして創価幹部たちを恐怖させ、すり寄るしか選択肢のないような「あのビデオでやった」「叩きに叩く」を実行したのか、あいにく記録はどこにも残っていない。
だが推論は難しくない。
これらの情報群の布置から、当時の野中広務が「あのビデオでやった」「叩きに叩く」で使用できたカードのうち、創価公明を「怖が」らせるに足る存亡の危機となりかねない決定的に強力な攻撃カードとは、「創価が後藤組に暗殺を依頼し、実際に朝木明代が暗殺されてしまったことを日本中に公表すること」以外にはありえない、と合理的に推認できるからだ。
不倶戴天の敵同士だった自公が手のひらを返して手を組んだ「野合」の自公連立は、創価→後藤組への「暗殺依頼ビデオ」が元だったのだ。
ここで「暗殺依頼ビデオ」にまつわる根底的な疑問について確認しておこう。
<疑問>
創価幹部の藤井富雄が後藤組に5人の暗殺を暗示的に依頼した現場を、誰がどのような目的で盗撮し、誰がどのような目的で自民党に届けたのだろう?
この疑問の答えは、創価幹部自身の特殊行動が、見事にわかりやすく説明してくれた。
1996年初頭
創価の裏工作のリーダーだった藤井富雄が、暗殺依頼をした後藤組だけではなく、山口組五代目・渡辺芳則組長の右腕と呼ばれた中野太郎・中野会会長と密会していたことが判明。
「暗殺を依頼した後藤組からの脅しに苦しみ、序列上位の山口組から後藤組を抑え込んでもらおうとしたのでは?」という線で、警察関係者は密会の背景を読んでいる。
前章で、あらゆる手を使ってギリギリまで脅しを仕掛けて、「搾り取れるだけ搾り取る」をやり続けようとする後藤組の「追い銭目的脅し」の手口を読者は学んだ。
後藤組は、創価が自分たち暴力団に裏仕事を依頼した事実までも平気で世に公表して、「追い銭目的脅し」をかけるのである。
同じシノギ術として、後藤忠政自身が、創価側が暗殺依頼をしてきた時点からすでにその現場を盗撮させており、その「暗殺依頼ビデオ」をわざわざ組員の手で、当時政敵として創価公明を厳しく批判追求していた自民党に届けて、「追い銭目的脅し」を仕掛けていたと考えるのが妥当だろう。
それ以外の利害関係で、上のように事態が動く可能性はきわめて考えにくい。
創価幹部も、後藤組自身が暗殺依頼現場を盗撮して自民党に届けることで、創価公明へ「追い銭目的脅し」を仕掛けてきていると読んでいたからこそ、序列上位の山口組直系へ泣きついて、その激しい脅しの攻勢を止めてもらおうとしたのだ。
創価幹部が泣きついた通り、実際に、序列上位の山口組から後藤組に創価への脅し攻勢をやめるよう指示が下りたかどうかは不明だ。
だが、指示とまでは行かなくとも、そういう「泣き」が創価側から入った情報自体は、後藤組の耳に入ったに違いない。
後藤組から創価幹部の藤井富雄の元に「返事」が届く。
1997年10月 後藤組に暗殺依頼をした藤井富雄の隣宅で、時限爆弾により、鉄製門扉が爆破される。数日前に通信社に「公明党本部を爆破する」との電話があったことと、爆発物の分析により過激派によるテロの可能性が低いことから、何者かが藤井富雄へ何らかの威嚇を行ったと考えられている。
前章で、恐喝罪の構成要件に引っ掛からないよう、暴力団が「カネを払え」等の金品要求の文言を一切使用しない代わりに、「私の心を踏みにじるような問題」などという暴力団特有の遠回しの婉曲言語を常用することを確認した。
犯罪実行上、時限爆弾を多数仕掛けて、公明党本部ビルを物理的に完全爆破することは、きわめて困難だ。
実際に時限爆弾を仕掛けられた場所は、藤井富雄の隣宅勝手口であり、爆破規模も鉄製門扉が吹っ飛ぶ程度。
「公明党本部を爆破する」という事前予告の衝撃度に比べると、可愛らしい小爆破に過ぎなかった。
では、脅しを仕掛けた犯罪組織は、口先だけの臆病者だったのか?
否。
「公明党本部を爆破する」も暴力団特有の婉曲言語なのだ。
その脅しは、本部ビルを時限爆弾で物理的に完全倒壊させるという意味ではなく、「創価が後藤組に暗殺を依頼して朝木明代東村山市議を暗殺した」という事実を、実行犯の後藤組が「暗殺依頼ビデオ」などの状況証拠を自らリークしてマスコミ報道させて、公明党を政党まるごと吹っ飛ばすぞ、という政治的な意味でのギリギリの脅しだったと読むべきだろう。
その読みが、これまで分析してきた後藤組特有のシノギ術と、ピッタリ符合するからだ。
では、公明党の死活問題となったこのギリギリの脅しに、創価はどのように応じたのか?
「暗殺依頼ビデオ」で脅しをかけてきた不倶戴天の敵の自民党・野中広務に平身低頭してすり寄り、滅私奉公的な選挙協力を貢ぎ始めた創価幹部なのだから、同じく「暗殺依頼ビデオ」で脅しをかけてきた後藤組にも、山口組直系への「泣きつき」が効かなかったと悟った時点で、おそらく大幅譲歩して大量のマネーを支払ったのに違いない。
このようにして、創価→後藤組の「暗殺依頼ビデオ」は、不倶戴天の敵だった自公を思いがけず連立させる「汚れた絆」を生み出し、後藤組のギリギリの「追い銭目的脅し」を通じて、「汚れた金」で後藤組を肥大化させ、平成史の闇に隠れている重要な結節点を作り出したのだった。
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尾崎豊は他殺だと確信しており、創価妻・創価・後藤組が関与している可能性にピンときた人は、拡散をお願いします!