2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「火花」を読む

芥川賞受賞作品の歴史に照らせば、又吉直樹の『火花』は、池澤夏樹『スティル・ライフ』や辺見庸『自動起床装置』などと同じ「先輩もの」の系譜を継いでいる。不思議だったり、どこか深い考え方をしたりする一歩先を行く先輩の背中を追って、主人公が内省を…

「ぼくたちの失敗」を明日へつなげて

当時ニュースで流れていた王子様の話や獣医学部の話につなげて、獣ープリンスーノートルダムー東京都庁舎ー丹下健三ーハンカチ王子などの話題の間を飛び回って、今治という街について書いた。 その今治という都市名を、思いもかけない場所で目にして驚いた。…

魂込めたパスをつなごう

中学校までサッカーをしていた。その総決算ともなるべき中3の最後の大会を、私は或る大学病院の病室で迎えた。思えば、生徒会長としての激務や、反抗期で衝突続きだった父親との軋轢が、難病発病の要因だったのかもしれない。試合当日、レギュラー番号のつい…

「東京物語」を紡ぎつづけるために

ジョン・レノンのことを調べていたとき、ジョンが幼少時の精神的外傷をさらけ出したような歌に出会って、少し当惑を感じた。実の父が蒸発し、母が他の男と暮らし始めたのは、小学生になるかならないかのことだったらしい。両親に捨てられた複雑な生い立ちが…

沈められた鰐のためのハミング

昨晩調べものをしていて、ハチドリと話せる人がいるのを見つけた。 まだ言葉の喋れない1歳過ぎの子供でも、一緒に遊んでいると、言葉が通じているような感覚がすることがある。老人がハチドリを招き入れて、孫と一緒に遊んでいるかのように、心底楽しそうに…

blue out 直前の探し物

ここで分析した2014年出版の『九年前の祈り』は、「タイトル買い」で手に取る気になって、この記事で読み込んでみた。 2014年の9年前は、2005年。ちょうどこのブログを書いていた頃だ。せめてあのとき、「月が二つある世界」から抜け出せていたら、全然違う…

トウフ・ガナッシュにうってつけの日

カフカの『変身』は、作家の伝記的事実に照らせば、「お金にならない文学ばかりにかまけて、この穀潰し虫!」という家族からの罵倒に由来する。 罵倒句にもいろいろあるが、「死ね」とか「死んでしまえ」なんていう殺伐とした文句が飛び交っているのを見かけ…

見よ。あれらに触れよ。

とりとめのない連想を追っているうちに、ふと我に返ると、波のように連動して押し寄せていた連想のつながりがすっと引いていって、波打ち際に磨かれたガラス片が残るように、ひとつの語句だけが残ることがある。 「甘い手紙」という言葉が心に残っていて、な…

貴重な虚構のためのホッチキス

こういうことを話すと、現代の若者たちは信じられないという顔つきになるのではないだろうか。 自分が大学生の頃には、携帯電話はなかった。 より正確には、とびっきり高価だった当時の携帯電話は少数の青年実業家たちだけの持ち物で、彼らは弁当箱より大き…

痛みの数だけ敗北を抱きしめて

この記事で Femme Fatale の好例として毬谷友子の名前を挙げた。ツイッター上でおてんばに飛び跳ねたかと思うと、夜の舞台では妖艶な猫に化ける感じ。連想が跳ねて、もうひとり、無数に女を演じ分けて飛び跳ねる素敵な「毬」のことを書きたくなった。 『千と…

批評のリーチはどこへ届いているか

歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。 有名なマルクスの言葉には、続きをつけておく必要がある。「三度目以降は悲喜劇として」。歴史は何度でも反復する。ただし差異を伴って。 しばしば「時を越えて同一物が繰り返し回帰する」と…

屍を越えて旅する覚悟

昨晩「誤配可能性」について触れたこともあって、書き落としていたことがあったのを思い出した。太宰治「女生徒」の原型となった少女を救ってさしあげねば。 この記事で、台湾人の「博士」の助けを借りながら、「女生徒」は、太宰治が川端康成へ、「贈答品+…

白い砂漠に咲く向日葵

白いシーツにくるまってゆっくりと眠りたい。そんな欲求を抱きつつも、白いシーツのような砂漠を見るために旅に出たい。 瞼のうらにあの絶景を思い浮かべて、そう思うこともある。 レンソイス・マラニャンセスとは、マラニャンセスの白いシーツという意味ら…

「遅すぎるチョコ」がずばぬけてさびしい

ずばぬけてさびしいブルーな気持ちにさせる噂がある。 不正な招致活動が暴かれて、東京オリンピックが中止になるかもしれないという噂が、一向に絶えることがないのだ。 私は、ブエノスアイレスの国際オリンピック委員会(IOC)会場で、2013年09月8日未明(日本…

「九年前の祈り」を読む

チ、チ、チ。 舌打ちをしているのではない。「九年前の祈り」は三つの異なる色をしたチが、縦糸や横糸になって織りなされている小説なのだと思う。おそらく純文学を読み慣れていない人なら、主人公のシングル・マザーさなえが、どうしてこうまで「血」を通じ…

密猟者たちから生き残るための「犀角」

(結婚+ナルシシズム)の解答を出されて犀の一日である ふと萩原裕幸の秀歌が頭をよぎったのは、どうしてだろう。 「ニューヨークの文豪」の話には続きがある。大江健三郎の小説のどこかで、ニューヨークのホテルで三島由紀夫と会って、安部公房の話をした…

「芽が出ず」なら mega-death

とてもつらく、とても幸せな日々が続いている。何度か自殺の誘惑にかられた。そしてそのたびに生きていることの大切さと喜びをかみしめるのだ。 気のせいなら良いのだが、間章が限界に近い精神状態で書いたこれらの言葉が、最近どういうわけか、やけに身に染…

モディとハルキのあいだに薔薇を置けば

英語の if を意味する日本語にはいくつかバリエーションがあって、「もし」「もしも」「もしや」くらいが相場だろうか。「もしや」はやや古めかしい感じがして、どれくらい古いと感じるかというと、武者小路実篤が長い名字を短縮して「ムシャ」と呼ばれてい…

女神からの電話を待ちながら

きっと好きなことを好きなように書いているように見えるのだと思う。 しかし、このブログのここまでの記事には、さまざまな制約があって、①フルタイム勤務の傍ら1日に1エントリ書く、②(そうする必要があるので)純文学や文芸批評の専門分野で卓越性を顕示す…