掌編小説「祝言橋では虹鱒が釣れる」

 白波の立つ太平洋を背にすると、妙子の村のある平地は、猫のひたいのように狭い。内陸を見晴るかすと、すぐ近くから丘陵が立ち上がり、壁のような峻厳な山地が立ちはだかる。その先には穴を穿ったような盆地があるので、海から川を遡ると、平地、山地、盆地、山地と、激しい山谷線のグラフができる。

 妙子が村の川で釣りをするとき、橋からしか釣り糸を垂らさないのはそのせいだ。上流と中流下流で天気が異なるので、こちらが晴れていても、濁流がどっと降りてきて、堤防すれすれまで削っていくことがある。

 妙子が釣りを始めたのは、数えで17歳の夏だった。村に唯一ある朱塗りの大きな橋のたもとで、妙子は許婚と待ち合わせていた。ところが、何日そこで待っても男が来ないので、気も狂わんばかりとなった妙子は、釣りで気を紛らわせて待つことにしたのだ。

 男は皇居のある都の側から、朱塗りの大橋を渡って、妙子の村へやってくるはずだった。陸軍士官学校に入学したばかりの烈士だったので、戦局悪化の折り汽車が停まっても、徹夜で踏破して辿り着く男にちがいない。敗戦が色濃くなると、都から流れてきた不穏分子によって、朱塗りの大橋のたもとが爆破された。村人は手分けして川舟を出した。そういう不測の事態のせいで、男が約束に遅れているだけ。妙子は自分にそう言い聞かせた。

 ふた月で橋は元通りに修復されたが、男はまだ妙子に逢いに来なかった。妙子は新旧の木色差の鮮やかな修復後の橋に、父の手製の小椅子を出して、また釣り糸を垂れるようになった。1945年の夏、ヤマメやフナしか釣らない妙子の釣り竿に、大物がかかった。釣り上げると、魚が激しく暴れたので、妙子は大魚を愛おしげに抱きしめた。虹鱒だった。夏の陽に身の光沢がきらきらと光った。妙子は喜びの叫びを上げたが、虹鱒が苦しそうに口をパクパクさせているのを見ると、急に悲しくなった。針を外して川へ返してやった。返したあとになって、あんまり綺麗な虹鱒だったので、神様の化身のようにも思えた。「あれは吉兆だよ」と誰かが妙子に教えた。

 戦争が終わっても、男の戦死記録はどこにもなかった。妙子は晴れやかに微笑んだ。「あなたの生命を守る」と燃える目で誓った男が、自分を置いて先に死ぬとは想像できなかった。妙子の勘は当たったのだ。その証拠に、村の朱塗りの大橋で釣り糸を垂れると、虹鱒が何度もかかるようになった。そのたびに、針の返しで痛まないように、妙子は魚の口から丁寧に針を外してやった。女の腕の中で、虹鱒は口をパクパクさせた。「村の川に虹鱒が増えはじめた」と、誰かが言った。

 それから数年間、上流の山の天気が変わって濁流が押し寄せる日を除いて、妙子は橋から釣り糸を垂れつづけた。妙子と同じ餌と竿を使っても虹鱒が釣れないので、やっかんだ村人が悪い噂を流した。「戦争で許婚の男を失った妙子が、気が触れて釣りしかしなくなった」という噂だった。

 気の毒がった母親が、東京から名前のある霊能者を汽車で呼んだ。霊能者は妙子の話をすべて聞くと、「その虹鱒こそがあんたの待ち人じゃ」と告げた。戦時中に橋が落とされて、深夜に徒歩で渡河していた男が中州で休んでいたところ、急な濁流で押し流された。婚約者を残して死ぬに死ねない男は、姿を転じて虹鱒になって、妙子に逢いに来たのだ。

 霊能者の鑑定を聞くと、妙子は嫣然と笑って「私もそう思っておりました」と答えた。何度も竿にかかる虹鱒が、いつしか同じ魚体だと気付いたのだという。しかも数か月前に釣ったとき、パクパクさせている虹鱒の口が「もうすぐ逢える」と喋ったのが聞こえたと妙子は語った。「私はあの人のお力を信じておりますの。虹鱒になれるくらいなら、また人間に戻って逢いに来てくださるわ。きっともうすぐお逢いできます」

 その数日後、村にほど近い高山地帯で大きな地滑りが起きたので、鉄砲水のような恐ろしい勢いで、石や木が混濁した土石流が、村を削って貫通した。朱塗りの大橋と妙子も一緒に流された。

 水害がおさまったのち、新しく近代的な橋を架けるかどうかで村議会は紛糾したが、橋の色が祝言に似つかわしい朱の色でなければならないことでは、村人たちは匆々に一致した。

 

 

 

 

 

蜜柑・尾生の信 他十八篇 (岩波文庫)
 

 芥川龍之介「尾生の信」との競作(43字×43行)。男と女の両サイドの動きを描き入れることと、「生まれ変わり」の奇譚の力が、掌編全体に生きるよう配慮しました)。