地球を永遠に割り切らない生き方

そしてそのとき、アップルパイからアップルを引き去ったあとのπに、こちらがうまく調整した事情を掛け合わせれば、円面積のごとき中身の詰まった円満な関係が生まれることにまで、相手は思い至ってくれるだろうか。

どこか割り切れない思いをしている。どうして自分ばかりがこんな目に逢うのだろう。どんな具合に調整して「事情」を掛け合わせても、円満な解決にいたらないのだ。本当に自分が悪いのだろうか。悪いのなら、教えてくれないだろうか。割り切れない思いが心に残ってしまう。

割り切れない思いが乾燥して砂漠になってしまうことだけは避けたい。そう思いながら、昨晩の上の記事で、都市中心部から中小の食料品店が撤退して、フード・デザートを生み出していると言及したのを思い出していた。

地方都市の中心部に住む自分の周辺でも、似たような感触がないではない。少し郊外ならうじゃうじゃあるスーパーが、自分の近所には一軒しかないのだ。その一軒も、クリーニング受付カウンターから売り場が見渡せるので、何となく行きにくくなってしまったのだが、それは個人的な話。

ただ、産直市場系のお店がいくつか店を出してくれているおかげで、生鮮食料品には困らない。日曜日の午前中には、野菜や山菜をアーケード街の路上に積んで、定例産直市をひらいてくれる人々もいる。隣県の高知、自分が大好きな仁淀川の周辺から、ぐるぐるの山道を走って、毎週駈けつけてくれているようなのだ。

まだ自分の住む町では、ドーナツ化現象のドーナツの真ん中に、食の砂漠は広がっていないようだ。ということなら、安心して話題をドーナツ盤へ変えられる。

自分が生まれて初めて音楽プロダクツを買ったのは、小学校六年生のとき。歴史的名曲の「ワインレッドの心」で、何と、シングルのドーナツ盤だった。

小六のくせに、大人びたラブソングを愛聴している兄に憧れを抱いたのだろうか。年長組だった弟が、幼稚園で「ワインレッドの心」を歌うと、20代の保育士さんたちに大受けだったらしい。幼稚園生の分際で「今以上それ以上愛される」存在になったらしいのだ。

お兄ちゃんって、凄い曲を持っているんだね!

弟は尊敬のまなざしを兄の私に向けた。まあ、そうかな。最近披露された上のフラメンコギター・バーションも凄いぜ。心に悲しみがあって、ひとりでに、淋しガロう、淋しガロうとしてしまうときは、下のウィスパー系のアコースティック・バージョンがいい。

というわけで、今晩も順調に話題はガロ・ワインへと辿り着いた。

E&Jガロは世界最大の家族経営ワイナリーで、下の動画の左の女性が創業者兄弟の孫娘らしい。

世界最大というだけあって、IBM と提携して、意欲的に IT 技術を導入していることでも知られている。アメリカを代表する AI 農業の先駆的時例なのだ。 

この動画にうまくまとめられていた。ワイン畑の灌漑システムを、IBM のエンジニアがつきっきりで IT 制御した。天気に合わせて水撒きや施肥の量とタイミングを、葡萄畑の畝ごとに自動制御したのだ。

すると、水の量は75%になり、収穫量は20~30%増加し、味も良くなったというのだ。このブレイクスルーはワイン業界で注目を集めた。:というのも、業界で永らく信じられていた「ブドウの質と量は反比例する」という経験則を打ち破ったからだ。AI 農業では、収穫するブドウの質も量も同時に改善できるのだ。

日本にも同じような事例がある。

もともと農場経営のイノベーションに関心が高く、トヨタ生産方式を逸早く導入した HATAKE カンパニーは、畑を IoT 化して得られるデータ群を、全国各地の栽培に生かしている。  

(…)センサーは畑に設置して、そこの地温、気温、湿度、日射量、灌水量を計測できる。これまでの試験では、種をまいてからの地温を積算した値が一定になると、収穫の適期を迎えることがわかった。これにより、茨城県だけでなく岩手県大分県でも、地温を計測して、収穫の適期を予測できるようになる。 

 AI 農業を最も積極的に進めている先進地は、佐賀にある。佐賀といえば、クラスの半分以上が同じ床屋さんを利用していて、残り半分はお母さんに切ってもらうことで有名だ。(http://j-lyric.net/artist/a000737/l001f1b.html

しかし、今や時代は変わった。畑に現れる害虫を、農家のお母さんが駆除するのではなく、ドローンが誘蛾灯を垂らして、自動駆除してくれるのだ。これは凄い。

佐賀で、世界一の速さで AI 農業が進んでいるのは、官産学の連携が、どこよりも機動的に進んでいるからだ。短期的にすでに見えているのは、労働時間の二割減、農産物の売り上げの三割増だそうだ。中長期的には、佐賀は「世界一の農業ビッグデータ地域」を目指しているという。

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上記の県歌によると、かつて佐賀をPRするキャッチコピーは「さがをさがそう」だったらしいが、それが「差がつくさが」に変わる日もそう遠くないような気がしてきた。素晴らしいのだ、新技術導入の意識の高サガ。 

スマート農業バイブル~『見える化』で切り拓く経営&育成改革 (映像情報MOOK)

スマート農業バイブル~『見える化』で切り拓く経営&育成改革 (映像情報MOOK)

 

さて、AI 農業の先進的な事例集としては、現時点で最も面白く読めるのは、上記の新書で間違いないと思う。ほぼ同じ事例がカラー写真多数で掲載されている上の「バイブル」も、実際の農業従事者にはためになると思う。収穫成功率が40~80%のイチゴ収穫ロボットの事例も掲載されている。

日本の農業問題で自分が気になっているのは、進取の気性に富んだ High IQ の IT 精通者が、しばしば日本の農協を「補助金で甘やかされた世間知らずの怠け者」であるかのように批判することだ。

バカっていうやつが一番バカ。田舎者っていうやつが一番田舎者。

そんなつまらないことを言いたいわけではない。その悪口レッテルが、端的に事実ではないことを、情報強者はずっと前から知っているのだ。

ひとまず、ひとくちワインを飲んで気持ちを落ち着けようか。飲むべきワインは赤ではなく「知ろう!」

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日本の農業分野への補助金は、国際水準から見て、著しく低いのが事実なのだ。事実から目を背けないで!

では、どうして事実でない「農協バッシング」が、メディアを通じて流布されつづけてきたのか。上のグラフの引用元であるこの本が、農協をめぐる問題を最も鮮やかに浮き彫りにしている。 

亡国の農協改革

亡国の農協改革

 

同じ著者による下の警告の書が、素晴らしい仕上がりだった。どうして事実でない農協バッシングが横行するのか、戦慄の裏事情を、私たちにわかりやすく教えてくれている。

対米自立型保守である自分は、感情的な農協バッシングに加わるつもりはさらさらないが、農協の機能を強化するという種類の改革案になら、賛成してみたい。

日本の農協には流通構造上の問題点があるとは、多くの識者が指摘するところだ。農家から流通コストだけ徴収して、農産物の変動リスクは農家が負うしかない仕組みになっている。その結果、零細農家が多く残存することとなり、農家も農協も政府の補助金に依存しやすい体質になっている。

(…)

ただ、日本の農協の改革案を口にすると、グローバリスト系の農協解体派と同じだと誤解されて、とんだ呉越同舟になりかねない。とんでもない。 

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

日本を破壊する種子法廃止とグローバリズム

 

いや、本当にとんでもない話が裏にあるのだということを、この著書に教えられてしまった。 

(…)

ひとつだけ、自分が吃驚してくらっとよろめいてしまった記述を紹介しておこう。

(…)

全農の子会社に全農グレインという穀物輸入会社があり、本社を輸入元のアメリカに置いている。アメリカやその意向を受けたグローバリスト系政治家たちが、どうして「農協の株式会社化」を推進するのか。

 

実は、農協の株式会社化はダミーの論点であり、「本丸」は株式会社化によって全農グレインを買収することなのだと三橋貴明は説明する。全農グレインは先進的な会社なのだ。ニューオリンズに世界最大級の船積み施設を持ち、各農家と個別契約して、配合飼料などの分別管理まで実施している。

 

では、カーギルなどのグローバル企業も全農グレインを買収するのではなく、自社の生産管理を進化させればよいではないか?

 

残念ながら、答えはNOだ。それでは秘密目的を達成できない。

 

カーギルは全農グレインの技術が欲しいのではなく、株式会社化したあと買収した暁には、むしろその技術を捨てたいのだ。どうして先進的管理技術を捨てたいのか?

 

少し立ち止まって、この問いの答えを一緒に考えてほしい。きっとがっくりきてしまうことだろう。

答えはこうだ。

 

世界的に見て、全農グレインが「遺伝子組み換え作物でない農作物」を安全確実に調達できるほぼ唯一の調達先だから!

 

スーパーで売っている醤油や納豆のラベルには、「遺伝子組み換えでない」と明示されているものが多い。その安心を可能にしているのは全農グレインであり、独立国としての食料安全保障のために、全農≒農協が株式会社化されずに守られているからなのである。グローバリスト系政治家たちによる感情誘発的な農協改革案は実に危険だと言わなければならない。  

農協問題について、日本で最も見識の確かな三橋貴明は、明快にこう断言している。

筆者が知る限り、日本国民の「主権」に基づく食料安全保障強化を農協なしで構築する方法は、この世に一つも存在しない。 

これに反論できる農協解体論者の発言を待ちたい。

日本の農協に「補助金で甘やかされた世間知らずの怠け者」というレッテルが貼られて、負の印象操作がなされているのは、国民を分断して、「国民農業」を解体した上で、モンサントなどのグローバル企業が「食の支配」を強めるため。古典的すぎるほどわかりやすい「分割統治」策なのだ

「分割して支配せよ」というフランスの国王ルイ 11世の言葉に由来する支配,統治技術の一つ。統治者が被統治者間の人種,言語,階層,宗教,イデオロギー,地理的,経済的利害などに基づく対立,抗争を助長して,後者の連帯性を弱め,自己の支配に有利な条件をつくりだすことをねらいとしている。過去の植民地経営,支配にしばしば用いられ,イギリスのインド統治はその典型とされる。現代でも,国際政治の分野だけでなく,国内における選挙 (都市票と農村票の分離) ,労働組合 (第1,第2組合の分裂) の対策など,対立の契機を含んだ集団の制御に適用できる。

(強調は引用者による)

では、私たちはどうしたらいいのか。いや、簡単には考えはまとまらない。気分は淀んだブルーだ。

おそらく日本の政治家や論客たちに、もっと「仁」があれば、上のように「麒麟」が舞い降りてきて、この国の見通しが美しく澄み渡った「仁淀ブルー」になるのに。

いや、特に根拠はないが、「生きている三橋貴明」があと二人弱いれば、かなり情勢は好転するような気もするのに……。 

HANNARI(はんなり) (生八つ橋 4色詰め合わせ 20個入)

HANNARI(はんなり) (生八つ橋 4色詰め合わせ 20個入)

 

とりとめもなくそんなことを感じたのは、いま休憩につまんでいる甘味が、はんなりとした「生八ツ橋」だったからかもしれない。美味しい甘味が目の前にある間は、手が止まらないし、愚痴も止まらない。

困ったな。IT を農業に生かしつつ、同時に、既存の農業組織も生かす方向性はないものだろうか。

そう悩みながら、はんなりとした気分で、あちこちの本をめくっていると、その方向性が見つかった! 方向性が見つかったというか、もうプロジェクトは動き出していて、基礎作りが始まっている。はんなりしたも同然、つまり、半分成功したも同然じゃないか。 

ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業

ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業

 

ブログ読者の中で記憶力の良い人は、この著者の名前を覚えているかもしれない。

超優秀なIT環境の設計家である神成淳司は、2007年の時点で、近未来をこう予測する。もちろん的中している。

 

神成: 最終的には、大多数の人間は、現実世界と仮想世界の状況を、分け隔てなく利用するという状況になると思います。直感的にわかりやすい例を挙げれば、車の中からフロントガラスを介して外の景色を確認した際、その景色の中に、まったく違和感なく、コンピュテーション化されたモノが存在する。そのモノを、我々は現実のモノと分け隔てなく活用できる。

 

この「予言」は、4年後にカロッツェリアのARナビによって、実現された。 

世の中は凄い人がいるものだ。ITアーキテクチャの先端にいた研究者は、今や日本の農業を立て直す大潮流の中で、最も正しく方位磁石を示す設計家になっていた。

その方向性とは、もちろん副題にある「ITと熟練農家の技で稼ぐ」だ。分割統治にやすやすと分割されず、逆につながる動きを生み出そうとしているのが、方位磁石の確かさを感じさせる。

 最初に着手したのが「データの標準化」です。内閣官房IT総合戦略室が関係府省と連携して、それまで産地や作物ごとに異なっていた農作業や農作物の名称、温度や湿度などの環境情報などについて、用語の統一とデータの標準化を行いました。プロジェクトのスタートから約3年が経過し、ようやくその目処がついたところです。

 

 第2段階として取り組んでいるのが、「農業データ連携基盤(データプラットフォーム)」の構築です。ITベンダーや農機メーカー、関係府省など産官学が連携して異なるシステム間でデータ連携を可能とし、気象や土壌などのオープンデータや企業の有償データも提供するプラットフォームで、2017年中にプロトタイプの運用を開始する予定です。

先の事例で、佐賀が「世界一の農業ビッグデータ地域」を目指していたのを、覚えているだろうか。

すべてのものがオンラインでつながる IoT 化の次に待っているのは、間違いなくデータ解析の技術争いだ。さっそくデータ・サイエンティストという新職業が世に出ータことも、早耳の人は知っていることだろう。 

改訂2版 データサイエンティスト養成読本 [プロになるためのデータ分析力が身につく! ] (Software Design plus)

改訂2版 データサイエンティスト養成読本 [プロになるためのデータ分析力が身につく! ] (Software Design plus)

 

 神成淳司が鋭いのは、熟練農家と非熟練農家の間にある10倍の収入格差を、データの収集と分析で縮められるとする着眼だ。

日本の就農人口の平均年齢は 66.8才。続々と現れる新技術に踊って見せるのが、IT 技術者の仕事ではない。

現在いる熟練農家の暗黙知(職人技)のデータを収集し、その形式知にセンサー大国日本が配備していく無数のセンサー・データを関連づけていくこと。そのビッグデータを国家主導でプラットホーム化して、農業をする誰もがアクセスできるように共有すること。それが、日本の農業を持続可能にする「最初のゴール」として設定されている。

「どこかのひと握りの先進的な農業法人が稼げればよい」では、この国の農業は崩壊してしまうからだ。

でも、熟練農家がノウハウを提供したら、自分の競争優位が失われてしまうのでは? 

第一感、浮かんでくるそんな疑問にも、神成淳司はきちんとした答えを用意している。

日本の農家たちのビッグデータを、知的財産権として保護する体制を整えようとしているのだ。彼の鋭い批評眼は、三橋貴明とはまた異なる視点から、日本のパプリカ栽培のビッグデータが、システム提供元のオランダの会社に収奪されている現状に、警鐘を鳴らすのだ。

そしてその逆側に立って、日本の熟練農家の暗黙知が知的財産として保護されれば、それを適切な条件で活用して、海外の農業生産を大きく向上できる可能性にも言及する。

多くの農業問題の本が、日本の農業には国際的な潜在競争力があると鼓舞する言葉を書きつけている。それは事実だし、事実が広まるのは悪いことではない。

けれど、世界人口の急増に追いつかない世界的な食料不足を考えると、(グローバリズムは論外だとしても)、食料問題を単純に国境で区切って良いのかというためらいは残るのだ。日本の食料自給率がきわめて低い日本にいたとしても、そのような世界の農業と食料生産を豊かにする可能性を織り込みながら、国内問題に取り組む姿勢には感嘆を感じずにはいられない。

冒頭に書いた「割り切れない思い」を自分が持て余しているのは、間違っていたような気がしてきた。国内でも分割統治によって割り切られることなく、国際的にも割り切った自国中心主義のみを生きるのではなく、地球を割り切らない生き方がありうるのかもしれない。

それが、あまりにも困難で、あまりにも遠大な道にちがいないにしても、せめて円満な真円を生み出すための世界的努力が、円周率のように途切れずつづいていくことを願いたい気持ちだ。

 

 

 

ルンバのリズムでシティー!

セリーヌなら、逃亡の旅を『城から城』と言うだろう。自分も追われるように日々「図書館から図書館へ」移動している。それだけの生活なのに、やけに街角で年少の友人たちに会う。

上の記事に登場してもらったメロンパンアイスの女の子とか、「ラヴじゃこ天」ラブの女の子とか、他にも数人とばったり会ってしまうのは、天の配剤なのだろうか。皆が元気そうなのが嬉しい。

本当はちょっとしたアイスクリームでもご馳走してあげたいのだけれど、あいにく財布の中身が四桁を切る日々が続いている。またどこかで、それまで元気で。

いくら窮乏状態にあっても、「俺がme」な自分軸をしっかり維持していれば、何とかなるさ。そう信じていると、確かに午後のティータイムは何とかなった。自宅のフードストッカーから、オリガミが見つかったのだ。しばし、コーヒータイム。 

 BGMはこの曲が良さそうだ。

自分が生まれる前の曲。そういえば、個人的な「双数姉妹」好きを生かして、ロシアでザ・ピーナッツが流行している記事も書いたことがあった。

 

確かに、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」のカバーに吸い寄せられるように、隕石が眩い光を放ち、視野を横切っていく。

ロシアでは、半世紀ほど前に東京特派員が持ち帰ったザ・ピーナッツの数曲が、今でも国民的な人気曲になっているのだという。 歌番組でも皆がハッスルして踊っている。  

珈琲のおともに desert でもあればよいのだが、と呟いたとき、デザートを勘違いしていることに気付いた。「s」がひとつのデザートは「砂漠」という意味の英単語だった。 

フードデザート問題―無縁社会が生む「食の砂漠」

フードデザート問題―無縁社会が生む「食の砂漠」

 

暗い。

どれくらい暗いかというと、歌唱とキャラクターがぴったりハマっているこのカバー曲くらい暗い。知られているように、「食の砂漠」は都市でも巻き起こっているのだ。 

今日は数年ぶりに農学部大学図書館へ向かった。そこに、フードデザート(食の砂漠)問題を農林水産政策研究所が論じた報告書があったからだ。

あれ? こんなに分厚い大判の二分冊なのに、まったくソリューションが書かれていないのは、どうしてなのだろう? 最も対策について積極的に進言しているのは、上記の著者である岩間信之だ。積極的に進言したとはいっても、こんな感じだ。

 問題解決の糸口は何かと、これは私ごときがどうこう言えるような問題ではないです。非常に難しい問題で、しかも根が深く、いろいろな問題が重なっていますので、1つ解決すればそれで済むという話ではどうやらなさそうだということが私の感想です。ただ、その中で1つ、希薄化されていると言われていますけれども、コミュニティの活性化というのも重要なのではないかと思っています。http://www.maff.go.jp/primaff/kanko/project/attach/pdf/120330_24sup1_1_06_02.pdf

「腰が引けている」とはこういうときに使う慣用句だろう。官僚のお膝元に呼ばれて、緊張してしまったのかもしれない。

「言えば、癒える」だぜ、本当の自分を出しちゃいなよ、とは、最近の自分がよく投げかけてもらっている助言だ。イギリスの研究論文に最も精通している著者なら、フードデザート対策先進国のイギリスで、大型店舗の出店を規制緩和したのち慌てて規制を再強化したら、フードデザートが改善した事実に、本に書いてある調子で言及するべきだろう。

内気な思春期男子にかけがちな声、「告っちゃいなよ!」「決めどころでは、男らしく行かんと!」という言葉が思い浮かんできたのは、カント研究者はやはり違うとの思いを新たにしたからだった。

「効果的な利他主義者」のムーブメントが流行していることは知らなかった。

(…)

昨晩、騙されて腎臓提供を強いられる人身売買の話をしたばかりだ。まさか、ボランティアで腎臓を提供するブームがアメリカで来ているとは!

ここから、倫理学の話をしたい。西洋の倫理学は次の3つの潮流に文類できる。

 

徳の倫理学(Virtue ethics)
功利主義倫理学 (Utilitarian Ethics)
カントの義務論(Kantian Deontology)

西洋倫理学の3つの伝統:Three core functions of Western Tradition of Ethics and Ethical Studies

  

自分の気質はさておくとして、「カントの義務論」はもう流行ることはないだろうな、と感じていた。「定言命法」という一種の絶対的な命令なのだ。

 

君の意志の格率が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。

 

ちょっと暑苦しくはないだろうか。これでは、テーブルの上のお菓子を好きなだけ食べられなくなってしまう。実際、哲学者のバーナード・ウィリアムズは、人間は「宇宙の視点」を持てない日常生活に属する生き物だと主張して、カント的義務論を批判した。

 

ところが、上記の記事で自分が推した徳倫理学に続いて、カント的義務論のブームが来ているのだという。正確には、カント的義務論をベースにした「効果的な利他主義」が広まりつつあるらしい。その種族が利他行為をする理由は、徳倫理学に深い関わりのある愛や共感からではない。「宇宙の視点」から見た理性だというのだ!  

宇宙視点のスピリチュアリズムの興隆と「効果的な利他主義者」ブームが同時に発生しているのは、偶然ではなく何らかの相関関係があるからだと、自分は考えている。

「決めどころでは、男らしく行かんと!」というカントで結ばれる定言命法を果敢に実践しているのが、上の記事で紹介した杉田聡だ。カント研究者にして、カント主義実践者。「買い物難民」問題の最良の書は、現時点では下の新書で決まりだ。 

昨晩の上の記事で、簡単に概要を紹介した。

買い物難民問題を、上記の規制緩和と関連付けて論じているジャーナリズム本は、恐ろしいことにこの著者によるものしかない。

飲食料品店が最も多かった1982年と比べると、2009年にはほぼ半減している。半減だ! それは全国平均値にすぎず、群馬県渋川市では飲食料品店の数は1/4に減ったという。1/4!

日本の風景が変わってしまったはずだ。買い物難民は、日本国民の約1/10。全国に1000万人をはるかに超える難民がいるのだという。 

頭の切れるアカデミシャンが官僚の作文を読むと、「東大話法」の馬脚が鮮やかに現れてくる。基本線は、このブログの中心主題である「永続敗戦論」にある。

 今日の事態を生んだ本質的な要因とは何か。アメリカ政府は、一九八〇年代末から、「日本位は大店法があるからアメリカ資本が日本の市場に入り込めない」などと主張してきた。だが自民党政府は、その実両者にどれだけ優位な関連性があるかどうかも満足に検討しないまま、アメリカ政府の要求を受け入れて(というよりうのみにして)、大店法に対するなし崩し的な規制緩和に乗り出す方向を決め、そして九〇年代に規制緩和を実際に強力に推し進め、ひいては大店法に引導を渡した。そして、これを担ったのが経産省(かつての通産省)なのである。 

 もちろん、経産省はその非を一切認めようとせず、買い物難民が1000万人を超えた事態に対して、「少子高齢化だから」とか「モータリゼーションが進んだから」とか「中小の飲食料店に競争力がなかったから」とか、副次的な要因を列挙して、国民を煙に巻こうとしている。

その「煙」の代表例が、経産省の報告書におまけで書き加えられたコラムだ。コラムは「規制緩和による大型店の大量出店は、中小の飲食料店に何の影響ももたらさなかった」(!)という研究を取り上げている。どのロが言うのか。

しかし、その研究では「大型店」と「中小小売店」の定義を恣意的に操作して、実態としては「大型店」と「大型店」を比較して「影響はなかった」と結論しているのである。官僚作文のテクニックは相変わらず凄まじいぜ! 開いたロが塞がらない、と書いた「ロ」が「口(くち)」として検索されないよう、カタカナにすり替えるくらい凄まじい。

「火力発電」「水力発電」でも、「力」をカタカナの「カ」に置き換えて検索したら、原子力のときと同様にPDFファイルが多く表示されたとの報告もある。原発関連の検索に限らずに起きる現象、という主張だ。ただ、PDF文書の中身を読むと「当て字」で書かれた語句が見当たらず、検索結果で表示される見出しだけ一部文字が置き換えられているのは謎、という人もいた。

(強調は引用者による)

真っ当にも「大型店舗への規制強化」を唱える杉田聡は、好評の移動スーパーとくし丸についても、巨大流通資本がつぶしにかかる可能性を指摘している。鋭い着眼だと思う。

とくし丸の生命線は、「ドブ板」調査にある。買い物難民の住む地域を、元政治家らしく一軒一軒アンケートを取り、ルート選定とニーズ把握をした知的財産が、最大の企業価値なのだ。

その知的財産は、法的に保護されていないので、コストなしに模倣可能だ。しかも、とくし丸の涙ぐましい良心的ポリシー「半径300m以内に地元スーパーがある場所では営業しない」ですら、裏目に出る可能性がある。

巨大流通資本が本腰を入れて、地元スーパーの立地に関係なく、買い物難民にとってより利便性の高いルート選定をして、競合するとくし丸を追い落とすために、本部負担で価格競争を仕掛ければ、零細自営業者の移動スーパーはたちまち苦境に追い込まれるだろう。

このようなありうる悪夢を想定したとき、大型店舗を出店するなら、同時に周辺に(できれば地域住民と共同運営の)小型店舗の出店を義務付けるべきだとする著者の主張は、強い輝きを放っている。他にほとんど方法はない。他にほとんどないのに、そこに著者以外に問題意識が届く人がいないのは、淋しい限りだ。

「大規模店舗の出店を規制するべきだ」と同じ主張をしている識者の中に、元福島県知事の佐藤栄佐久がいる。その功績を記録した論文が見つかった。

福島県は、「広域のまちづくりの観点から特定小売商業施設を適正に配置するとともに、地域貢献活動を促進する」ことを目的として、2005年、大型店に対する出店規制の条例である「商業まちづくりの推進に関する条例」を全国で初めて制定している。 

http://www.dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9222371_po_vol_5_3.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 

ノーベル平和賞受賞者とは別人。しかし、元福島県知事の佐藤栄佐久の方が、日本を蝕んでいる病巣をより鮮明に国民に印象づけたという意味では、功績が上だと思う。

何だか悲しくなってきた。どの分野を引っくり返しても「永続敗戦論」だ。

にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった

加藤治郎

ふと秀歌を思い出した。占領政策の新字新仮名で、日本国民が古典を失ったことを、旧字の「ゑ」を使って視覚的に印象づけてくる短歌。旧字旧かな世代は、2017年現在ほとんど生き残っていないだろう。ほとんどの国民は「ひどい戦争だった」ことも知らなければ、その「ひどい戦争」が永続していることも知らないままだ。

こんな現実におさらばしたい気がして、福島の隣県の別れのバラードを聴いてしまった。

これが現実、これが本当だから、つらい。せめて、本ダけでも、希望のある物を読みたいと思っていたら、ホンダの明るい曲が流れてきた。

CITY! 小学校の頃に遊んだムカデ・ウォークの記憶がよみがえってきた。そうだ、CITYだ!

というわけで、今晩は『買い物難民をなくせ!』の先に、私見では「都市農業」と「IT農業」が見えているという話をしたい。今夜はシティー農業の巻。 

シティ・ファーマー: 世界の都市で始まる食料自給革命

シティ・ファーマー: 世界の都市で始まる食料自給革命

 

著者のジェニファーはカナダのフードライター。実は、スローフード運動を深く受容した料理研究家の中に、優れた都市論の持ち主がいることが、日本でも証明されている。 

スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 (光文社新書)

スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 (光文社新書)

 

 むしろ面白いのは、イタリアの小さな町を取材し終えた著者が、幾分かの主観を交えながらスローシティーを作り上げるのに必須の8項目を列挙しているところだろう。

  1. 交流の場をどんどん増やそう。
  2. 魅力的な個人店は、意地でも買い支えよう。
  3. 散歩をしながら地元のあるもの探しをしよう。
  4. ゆっくり歩いて楽しめる町を育てよう!
  5. どうせやるなら、あっと驚く奇抜な祭りを!
  6. 水がただで出てくるありがたさを今、噛みしめよう!
  7. エネルギー問題は長い長いスパンで考えてみよう。
  8. そろそろ、人を惹きつけるような美しい街を創ろう。

ここにしかない固有の場所、この場所で生きていく固有の人々、徒歩の速さで見える風景、歩けば歩くほど新発見が生まれること、人々同士が話し合う場があること、多様性が次々に生まれること、巨大システムに依存しないこと。

自分なりにキーワードを拾っていくとそんな感じだろうか。 

英語が聴ける / 自動生成英語字幕を読める人は、下の動画が彼女の主張をうまく要約している。原題の「Food and the City」は全米大ヒットドラマをもじっているのだろう。

ジェニファーの本の中で面白いのは、「食の変動」ムーブメントが三つの波で形成されているという見取り図だ。自分の言葉に直しつつ、まとめてみたい。

1. フードマイルで食をローカルへ→スローフード運動へ(第一波)

日付は1992年11月なのだそうだ。フードマイルの提唱者がテレビ出演して、流れが生まれたのだという。フードマイルは今や日本の中高生の教科書でも取り上げられている。

スローフード運動については、食のグローバル化への抵抗運動だという点を、必ず理解しておきたいところ。

1986年、ローマ中心部に「マクドナルド」が出店することに対して起きた反対運動が原点。安い輸入品やグローバル企業に「食」を委ねず、地元の農家から食材を直接買うことなどで地域経済を守る活動を続ける。それが伝統の文化や暮らし方を守ることにもつながると考える。

2. 地産地消の波及が食料品業界を変えて「消費者」は「共同生産者」に

地産地消が世界的なブームになったために、食品業界ではなく消費者が食品選択の主導権を取るようになった。

スローフードは、おいしく健康的で (GOOD)、環境に負荷を与えず (CLEAN)、生産者が正当に評価される (FAIR) 食文化と、食の生物多様性を守っていく社会運動です。


スローフードでは、消費者という言葉ではなく「共同生産者」という言葉を使います。自分たちの食がどのように生産されるのかという情報をきちんと得ることで、生産する人々を積極的に応援することで、私たちは生産プロセスの一部となります。つまり、知識を持ち違いのわかる消費者は生産プロセスの最終地点に立つ、共同生産者です。

http://www.miyazaki-aya-slowfood.jp/wp-content/themes/slowfood/images/slowfoodguide.pdf 

3. 世界人口の2/3が都市住民に→「都市計画に食料生産を内包せよ」

2008年に初めて、世界の都市人口が地方人口を上回った。2030年には世界人口の2/3が都市人口となる。そこで、都市計画や都市政策を、食料生産も含めて再設計する必要が出てきたのだ。

 

ジェニファーが取り上げているヨーロッパの事例を、かなり楽しんでしまった。

世紀末の1999年、パリ市街にゲリラ農家が出現したのだという。彼らは殊勝なことに、都市の虫食いの穴になっていた空き地に、無許可で農作物を栽培しはじめたのだ。このゲリラ的農地化がパリ市に認められて、彼らは公認の「コニュニティー・ガーデン支援団体」になったのだ! こうしてパリの都市農業は盛り上がり始めた。

日本人にはわかりにくい感覚かもしれないが、ヨーロッパには都市は国家のものではなく、住民のものだという意識が強い。スクォッターという不法占拠系のアクティビストについては、下の記事でこう言及した。

ではヨーロッパに目を転じよう。饗庭伸は、都市の虫食い状の低密化に抵抗して、周辺住民が空き家を社会資本の生まれる場として再活用すべきと主張していた。人口増加の鈍化が数十年早かったヨーロッパでは、 そのような空き家を社会資本が「占拠」する現象が横行していることも、知識として頭に入れておくべきだろう。

 

この映画では、スクォッター(英: Squatter, 独: Hausbesetzer)の活動を大きく取り上げています。スクォッティングとは日本ではあまり聞きなれない言葉ですが、60年代に始まった社会運動の一つで、(大抵の場合は不法に)都市の空き家を、政治的メッセージの発信やアート・文化活動などのために、自分たちの「ねじろ」に作り変えて住み着く事を指します。

(…)

アムステルダムのスクォッターは占拠した空間をアトリエ、ギャラリー、飲み屋、ライブハウス、舞台などに作り変え、独自の文化を発信してきました。映画を見ていくと、スクウォッターのこのような活動が、グローバル資本主義に飲み込まれていく都市空間に抗い、人々が自由に使える空間を確保するための運動としての側面がある事が浮かび上がってきます。

興味深い点は、そもそもは不法占拠をベースにした運動だったにもかかわらず、現在ではスクォッティングのポジティブな側面を行政や市民が認めていることです。アムステルダム市議員(労働党)の女性は次のように語ります。

「我々は明確にスクォッターの規制に反対している。スクォッターの活動は、人や物を傷つけない限り、都市にとってむしろ歓迎されるべきものだ。」

 ジェニファーが取り上げているロンドンの事例も、とても面白い。

ロンドンに建築を学びに来たアレックス・スミスは、ディベロッパーが中心部の土地をズタズタにして地域住民を追い出したり、死亡事故を起こしたりしていることに憤りを感じて、再開発予定地域に抗議の不法居住を始めたのだ!

そして、ロンドンの青果市場で屑野菜を無料で仕入れて売った。そして、わらしべ長者のように、仕入れと販売のサイクルを大きくして、有機食品販売店を起ち上げたのだ。

For a year before starting Alara I had been living in Tolmers Square with out using any money at all, as this seemed the only moral position to take to oppose this,

 アララを開店する前の一年間、私は1ポンドも使わずに、トーマス・スクエアに住んでいた。というのも、そうすることが、(巨大オフィスビル建設のためのビル取り壊しに)反対できる、唯一の倫理的手段だと思われたからだ。

アララ・ホールフーズの沿革のぺ―ジに、乱開発へ抵抗するために不法居住した過去が、数行だけ書き残されている。

今やロンドンのオーガニック系食品メーカーとして押しも押されぬ地位を得たアララ。都市農業の先駆者らしく、ロンドン初のブドウ畑で都市ワインを作っている。美女のパステル画をあしらったワインは、何と10日ほど前に、700のワインとのコンペで優勝したのだそうだ。都市で作られた農産物や加工食品は不味いは、文字通りの都市伝説でしかなかったようだ。

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(画像引用元:Alara Cellars: Wine Meets Fashion – WineFashionista

もう少しジェニファーの面白い報告事例を紹介したいところだ。

けれど、結びの文章を読んで、豊かな取材をこなしてきた彼女が、次世代の都市農業のあり方や意義について、やや本筋を見失っているように感じられたのが気になった。

たぶんほぼ同年代だし、大学時代にフランス文学を研究していたのも同じ。その誼で、勝手に応援メッセージを送ってみることにしたい。

ジェニファーは、この取材を始める前、以下のような問題意識を抱いていたという。

  1. どうして都市農業が急に盛り上がってきたのか。
  2. 都市でどのように食料自給が進んでいるか。
  3. 都市の食料問題はどのように進んでいくか。

残念なことに、その答えはわからなかった。

こんな面白い本を書いておいて、そんな淋しい結論を書かなくてもいいのに。

2. は豊富な事例研究で提示済み。よく読むと、3.の答えが1.だ。ということは、1.の「どうして都市農業が急に盛り上がってきたのか」に答えれれば、ジェニファーの当初の問題意識は解決したことになる。

都市農業の興隆を、フード・デザート問題の逆だと考えると、大切なことを見失うことになる。フード・デザートは食料が買いにくいだけでなく、買物難民たちの健康を低下させ、そこで育つ子供たちがまともな食育を受けられなくなる。

確かに、都市農業が充実すれば、フードデザートは縮小し、買物難民たちの健康や食育は向上するだろう。

それ以上に重要なのは、顔の見える「食住近接」の共同体の中で食や利益や人間関係を循環させることで、次の三つを生み出せることだ。

1. 巨大システムに振り回されなくなること

ジェニファーの言うように、化学肥料を投下した「緑の革命」は持続可能性がなく、遺伝子組み換え作物は危険すぎるし、巨大アグリ企業に支配されてしまう。(原発と同じく)、モンサントのような独占支配型の巨大システムに依存すると、住民は抵抗できずに極限まで搾取されてしまうリスクがある。(モンサントは世界のすべてのタネを独占しようとしている)。

実際、不法占拠から始まったパリのコミュニティー・ガーデンでは、市場であまり流通していなかったフランスの在来種の農作物が栽培されるようになった。地元特有の農産物を、地元に根差した住民が守ることで、巨大システムから自律できるのだ。スローフードとは、そのような政治的抵抗運動なのだ。

2. 顔の見える人々と安全安心の人間関係を作れること

地域社会の安全安心が薄らいだのは、流通している物の作り手と受け取り手の顔が見えなくなったから。両者が顔を合わせるくらい、評判を共有できるくらいのサイズ感で物やサービスが循環すれば、地域社会の信頼と安心は高まる。

3. 豊かさやリスクを自治できることの喜び

ベックの『リスク社会』に顕著なように、テクノロジーの高度化と専門分化が進むと、一般人にはそのテクノロジーのリスク評価ができなくなる。頼るべき少数の専門家も、御用学者だったり買収されていたりするリスクがある。

となると、地域社会の住民に必要なのは、リスク評価できない巨大システムに支配されるリスクを減らすことになる。自分たちの目と頭の届く範囲、顔の見える範囲で、生活世界を回していくことが、最上の安全策なのだ。そして何より、生活世界を自治可能 self-governable に近づけていくことは、私たちに豊かさやリスクを選択する喜び、その選択肢を新たに作る喜びを与えてくれる。

 おそらく、この三点を主軸に都市農業の意義を考えていくと、それがいま急速に盛り上がっていきつつある理由が、わかりやすいのではないだろうか。充分に調べずに憶測で述べると、3. の自治の喜びに言及している本は少ないように思う。

いかがでしょうか、ジェニファー? 

え? いきなりお返しに、水着で喜びのダンスを披露してくれたの? いきなり素敵な展開で、ちょっとびっくりだな。でも、喜んでくれたのなら、ぼくも嬉しいよ、ジェニファー!

とか、ひとり冗談を言いながら、二杯目のコーヒーを飲んでいると、動き出したらしいぜ、読者のみんな。

フード・デザート問題において、今晩紹介したひとつ目の鍵は、都市農業だった。ふたつ目の鍵は、IT農業。この記事一曲目のコーヒー・ルンバを聞きつけたらしく、除草ルンバがここまで完成しているらしい。

明日はこの国の未来に希望を見出せるだろうか。

この国のひどい永続敗戦状態に、「ゑゑゑゑゑゑゑゑゑ」といちいち疲れた声で相槌を打ちながら、動き回っている除草ルンバのリズミカルな動きをじっと見つめていた。どこか一文字でも「るん」という希望のオノマトペに読み替えられないだろうかと考えながら。

 

 

 

 

波が「来た」のか「終った」のか

昨晩のジョン・ケージの記事で、幻の鮭とも呼ばれる鮭児について書くのを忘れてしまった。昔は寿司好きで、寿司となるとパクパク食べるので、寿司ザウルスの異名をとるほどだった。

3.11以降、自分の寿司好きは閉店してしまった感じだが、鮭児はまだ一度もいただいたことがないので、口に運んだときには、飛び上がるような鮭児事件になるにちがいない。

という言い忘れた駄洒落を、ふとハイヤーセルフが思い出させてくれることがあるのは、大変ありがたい。けれど、駄洒落を思い出させて、私に何をさせたいのだろうか。いくら考えてもさっぱりわからない私は、今日も彷徨える駄洒落人 Stray Dazyarer なのだ。

けれど、海の日も近いことだ。いつものジャジーでブルーな大人のバラードより、真っ青な海と空に彩られたロックを聴いてみたい。そう思っていたら、シャケ up baby な感じの、爽やかなロックンロールが蘇ってきた。

「サーフィンUSA」を懐かしい思いで聞きながら、最近ショックを受けたことを思い出していた。私が心の中で秘かにインテリ美人ショッカーと読んでいるジャーナリストが、意外な企業を推薦しているのを目にしたからだ。ショッカーといっても、悪者というわけではない。 

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 
ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 

3.11東日本大震災に関連して、ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を呼び込んで、恐ろしい謀略の可能性について書いたことがあった。ピンと来た人は、下の記事を最後まで読んでほしい。

そんなインテリ美人ショッカーが、世界一サーフィン好きの会社の経営者へ向けて、序文を贈っているのには、どこかショッキングな感触があった。けれど、読み進めてみると、とても良い序文だ。

 ジャーナリストとして、私は、多国籍企業に与しない。パタゴニアなど「グリーンな」企業であっても、である。グローバルサプライチェーンについていろいろと調べてきた結果、社会的意識がどれほど高い企業にも、表に出てこないだけで汚れた部分がある。本社さえ知らない秘密があったりすることを私は知っているからだ。アウトソーシングが増えると、どうしてもそうなってしまう。そもそも問題の根幹には我々の経済体制があるわけで、一企業が高潔でもさしたる違いなど生まれるはずがない。

 

 けれど、この良書を推薦することに私はなんの懸念も感じない。なぜなら、本書は、一企業を変えようというだけの試みではなく、地球規模で生態系が直面している危機の根源にある消費文化そのものを変えようとしているからだ。こういう試みは大変に珍しい――『ブランドなんか、いらない』を世に問うて以来、20年間も企業のグリーンウォッシングを調べてきた私が言うのだからまちがいない。  

新版 社員をサーフィンに行かせよう―――パタゴニア経営のすべて

新版 社員をサーフィンに行かせよう―――パタゴニア経営のすべて

 

自分の会社を「アクティビスト企業」と自称するだけあって、 環境保護活動にはとびっきり熱心なパタゴニア。 

 ただし、ここまで注目を集めているのは、書名通り「社員をサーフィンに行かせよう」が会社の方針だからだ。

社員を好きに遊ばせておいて、経営が成り立つのだろうか? 誰もが書名を見ると、第一感、そう思うことだろう。

実際に、パタゴニアの経営の実態を見ると、それほど突飛なことが行われているわけではない。

人材登用の基準は、①協働しやすい人、②アウトドアが好きな人なのだという。登山用品を売っているのに、自己顕示欲が強くてマウントしたがる種族はNGなのだそうだ。会社なのに、なるべく山や自然に浸っていたい人を集め、その友人知人を集めるのも、特徴的だ。

実際、トップのイヴォン自身も、一年のうち半年は、世界中の自然を歩き回って過ごすのだという。もちろん、そのような根っからの自然愛好家たちが、自社製品の最も優秀なモニターであることは言うまでもない。

だから、大きな波が立ちあがる日、綺麗なパウダースノーが降る日、社員たちはフレックスタイム制度を最大限に活用して、自分の好きな野外活動に打ち込むことが許されるのだ。

趣味に打ち込める労働環境を提供することは、さらに兼業のプロ・スポーツ選手たちが、どんどん社員になってくるというメリットまでも生み出す。その社内アスリートたちが、自社製品の企画開発で圧倒的な「現場力」を発揮するという仕組みなのだ。

通読して感じたのは、フレックスタイム制度や社内託児所の充実など、やっていることは決して新しくはない。しかし、(厳格な環境理念とともに)パタゴニアを輝かせているのは、アウトドア好きの社員たちが、趣味で自社のアウトドア製品をどんどん使って、イノベーションを巻き起こしていく好循環だ。

見ようによっては、これは古いようでいて、きわめて新しい。その分野が大好きな消費者、その分野に精通した消費者を取り込んで、製品の開発を加速させるやり方は、昨今花ひらきつつあるオープン・イノベーション・システムとまったく同じなのだ。

まずは、「世界で起きている変化」。

  1. 製造やビジネスのプロセスに関する知識や知見が普及した
  2. 製造が低賃金の地域に移っている
  3. 商品のライフサイクルが極端に短くなっている

この中では特に1.が大きい。TQM(総合的品質管理)やSCM(供給連鎖管理)やCRM(顧客関係管理)などが、高度情報化によって、世界の誰でも簡単に行えるようになった。これは先行者より追随者を円パワーする結果になった。つまり、生産の現場でも消費の現場でも、先進国側の技術優位性より発展途上国側のコスト優位性が勝りはじめた。

 

チェスブロウの提示する「解決策」はこの4つ。

 

これもこの10年くらいあちこちで見かけた要素だ。ということは、彼の主張が、現在の世界の変化を上手く捕捉しているということでもある。

  1. ビジネスをサーヴィスとしてとらえ直す
  2. 顧客との共創関係を構築する
  3. オープンイノベーションを加速する
  4. ビジネスモデルを変換する 
オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する

 

 しばしば、不要な消費物は「売らない買わない」の反消費主義とされるパタゴニアは、アウトドア用品産業の特殊性を生かして、このオープン・イノベーションの前段階をクリアしたことでも、重要な歴史的事例だと言えるだろう。ここも大事。

ここも… と書いた瞬間、まだビーチボーイズの「Kokomo」が流れていることに気付いた。音楽評論家の中山康樹らの選ぶベスト10には入っていなかったものの、これも個人的に好きな曲だ。

どうも、自分は Bon Jovi 好きだと思われているフシがある。「17才のときに聴いた音楽は生涯愛聴することになる」なんていうジンクスを教えてもらったりもした。ところが自分の場合は、16歳のときに好きだった女の子が John を好きだったので、熱心に聞くようになったというのが、思春期らしい実情なのだ。(よ、他人軸!)

別れてからもどういうわけかそのロックバンドが気になって、英詞を研究していると、「俺が死んだあと、本当の俺なんかすっ飛ばして、奴らが作るだろう映画のことを考えている」なんていう自己愛あふれる歌詞に出逢ってしまった。

自分の映画が作られると想像するなんて、とんだナルシストだな。しかも薔薇づくしかよ。

と、思春期の自分は肩をすくめてしまった。その30年後に自分が似たような映画と薔薇の文脈を紡ぐとも知らないまま。

いやはや、人生は何が起こるかわからない。

何が起こるかわからないと言えば、ドラマ「ビーチボーイズ」の主題歌にその Bon Jovi のギタリストが参加して、声量豊かな熱唱を聞かせてくれたときも驚いた。

このドラマには、妹分役で「四国の奇跡」と友人が呼んだ女優が出演していたのではなかっただろうか。人口約70万人の高知県出身だったので、一部には彼女は「高知の奇跡」との呼び声もあったはず。

彼女がにきびにクレアラシルを塗っている頃からファンだった友人は、自分の住む愛媛県と一体化させるために「四国の奇跡」と呼びたがった。

だって、四国は一つの島なんだぜ!

確かに、そうではあるが。

その高知の林業に関係する記事も書いた。

香川に関係する記事も書いた。

ところが、四国はひとつの島なのに、徳島についてだけ、語るのが遅くなってしまった。

というわけで、先日知人宅近くで見かけた「とくし丸」について、まとめてみようと思う。

さっそく駄洒落を思いついたのでニコニコしながら書こうとしたら、すでに本家に先を越されていた! 2秒で反射的に思いついたのに、駄洒落競争で負けてしまうと、ビーチ・フラッグで負けたときのように悔しい。次は1秒を目指したい。

 

 この度、セブンスター石井店・石手店を拠点に移動スーパーをスタート致します。(5月1日スタート予定)現物を「見て・触って・感じて・選んで」お買い物が出来る移動スーパーです。

 

 とくし丸=篤志丸。篤志(とくし)=志の熱いこと。社会貢献事業や、公共の福祉に熱心なこと。分かりやすく、親しみやすく、覚えやすく。そんな願いを込めて、このネーミングにしました。

 

 かわいいデザインと楽しい音楽の車が皆さんの街に走ります。只今、訪問先を募集致しております。同時に移動スーパー「とくし丸」を、個人事業主として取り組む販売パートナーも募集致しております。(2015.03.20)

 

新着情報|株式会社セブンスター

移動スーパー「とくし丸」を創業したのは、リクルート勤務を経て、徳島市議会議員を三期つとめた村上稔。議員時代には、国の大型公共事業を問う住民投票条例の制定に尽力し、吉野川可動堰工事を中止に追い込んだ実績がある。

上の記事で、日本で最も起業家精神にあふれた会社について書いた。

なるほど。こういう計算式か。

リクルート社員の起業家精神」×「地方の政治家」= 「とくし丸」

  1. 全ての品につき10円を利用者が負担(サービス継続のため受益者も応分の負担を)
  2. 地元の小さな商店を守るため、その半径300メートル内では営業しない
  3. 販売員は地元出身者にする。

基本ルールは上の三つ。2. の地元スーパーと共存しようとする姿勢が光っている。

他に注目したいのは、移動スーパーの運転手を個人事業主化していることだ。車両は一台300万円。それを個人で買い入れて、提携スーパーに車両を持ち込む。

運転手を個人事業主化すれば、地方のスーパーへ依存することはないので、提携スーパーがスムーズに増える。この仕組みで、運転手 / 提携スーパー / とくし丸本部の win-win-win 関係が成立しているのだ。 

買い物難民を救え―移動スーパーとくし丸の挑戦

買い物難民を救え―移動スーパーとくし丸の挑戦

 

 日本でいう「買い物難民」問題は、海外では「フード・デザート(食の砂漠)」問題と呼ばれている。命名したのはイギリス政府。簡単にまとめるとこうなる。

  1. 都市郊外に大型店舗食料品店が進出
  2. 都市中心部の中小の食料品店が廃業
  3. 交通手段の乏しい都市中心部の住民の食生活と健康が悪化。
  4. 大型食料品店の進出を条例で規制 
都市のフードデザート問題―ソーシャル・キャピタルの低下が招く街なかの「食の砂漠」

都市のフードデザート問題―ソーシャル・キャピタルの低下が招く街なかの「食の砂漠」

 

 注意してほしいのは、日本の買い物難民問題は過疎地域だけではなく、都市部でも起こっていることだ。

そして、その背景も日本とイギリスとでは同じ。日本では、90年代の大規模小売店舗法規制緩和と廃止がその直接の原因だ。

90年代に日本が曲がり角を曲がったという印象は、多くの人々の間で共通している。しかし、その下り坂の印象を、阪神淡路大震災オウム真理教事件に結びつけてしまう人が多い。事件や事故の記憶は強烈だからだ。おそらくそこでは、利用可能ヒューリスティックという認知の歪みが起こっている。 

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

 

日本の風景が変わって「ファスト風土化」したのは、90年代の規制緩和が主因だったのだ。日本語ブログ群には、そのあたりの事情があまり残されていない。

 大店法の廃止も日米構造協議でアメリカ政府から突きつけられて受け入れたのでしょうが、その為に地方の商店街がシャッター通りと化してしまった。

 

1992年以降、日本の各地には巨大ショッピングセンターが次々と建設されて、地元の人たちは大都会と変わらぬ消費生活が送れるようになりました。まさにアメリカ的なライフスタイルが出現したわけですが、地域住民は自動車で買い物に行くようになった。駐車場も完備して都心のデパート並みの品揃えがあるのだからとても便利だ。

 

その反面では駅前の商店街は駐車場施設もなく、駅前スーパーや百貨店は規模も小さく閉店が相次いだ。

(…)

このような現状は「ファスト風土化する日本」という本によって明らかになりましたが、巨大ショッピングセンターの登場は地方の地域社会を破壊してしまった。強者にとっては便利で豊かな生活が出来るようになりましたが、老人や子供にとっては車が利用できず歩いて生活が出来る生活基盤がなくなってしまった。 

買い物難民問題を、上記の規制緩和と関連付けて論じているジャーナリズム本は、恐ろしいことにこの著者によるものしかない。

飲食料品店が最も多かった1982年と比べると、2009年にはほぼ半減している。半減だ! それは全国平均値にすぎず、群馬県渋川市では飲食料品店の数は1/4に減ったという。1/4!

日本の風景が変わってしまったはずだ。買い物難民は、日本国民の約1/10。全国に1000万人をはるかに超える難民がいるのだという。 この新書は面白そうなので、買い物難民を救うべくタウン・サーフィンする篤志家たちの情熱に近い温度で、時間を取ってブック・サーフィンすることにしたい。

 文芸批評で? 現代思想で? 自分が凄いところを顕示したいという欲望は、自分にはほとんどない。文芸批評や現代思想で、それなりに結果を出したの状況が動かないと見るや、自分は領域をどんどん横断して、自分なりに「日本の難点」の研究を重ねていった。

はっきり言って、この国の先行きに、とんでもない困難が待ちかまえているのは確かだ。

その困難を思うとき、ビーチボーイズの「サーフィンUSA」で始まったこの記事の結びにうってつけなのは、片腕の女性サーファーだろう。 

 

アメリカ人のプロサーファーのベサニー・ハミルトンが5 月31日、ワールド・サーフリーグのフィジー女子プロで、3位に入賞した。BBCなどが報じた。

 

ハミルトンは2003年、13歳のときに出身地のハワイで、サメに襲われて左腕を失った経験を持つ。夢あきらめなかった彼女は、練習を再開しプロサーファーとなった。2015年3月には、男児を出産している。

(…)

ハミルトンは、試合後のインタビューで「私の経験が、若い女の子たちが夢を追いかけて、素晴らしい大人の女性になる手助けになればと思っています」などと語った。

 

「腕を失ってからも、将来やりたいと思っていたことを、全部できています」と彼女は付け加えた。「若い子たちには、自分の気持ち次第で何だってできると感じてほしいです」

 

 自分が一番好きなビーチボーイズの曲は「Surf's up」。解釈しようと思えば、「サーフィンは終わった」というのも自然な読みのひとつだ。

しかし、13歳の彼女が、サーフボードに腹這いになってパドリングをしていて、左腕を鮫に食いちぎられたとき、彼女は「サーフィンは終わった」とは絶望しなかった。

彼女には、「Surf's Up」が「波が来た」と聞こえたのだ。

再びサーファーとして輝きを取り戻すと、3位になった大会でのインタビューで、「腕を失ってからも、夢はすべて叶っているので、若い子たちには、気持ち次第で、何でもできると信じてほしい」という意味の言葉を、実話として残してくれているのが嬉しい。

偶発的な困難に直面しても、意志と希望とをもって立ち向かうなら、道は開かれるのだということを、彼女は片腕の身体で身をもって、次の世代の子供たちに教えてくれているから。

彼女の美しい生きざまが、大好きな「Surf's up」の歌詞と交響して、この曲を忘れがたいものにしてくれたような気がしている。Thank you so much.

 

 

 

 

 

(歌詞のうち好きな一連だけ訳してみた)

A diamond necklace played the pawn
Hand in hand some drummed along, oh
To a handsome mannered baton
A blind class aristocracy
Back through the opera glass you see
The pit and the pendulum drawn
Columnated ruins domino

 

Canvass the town and brush the backdrop
Are you sleeping?

 

Hung velvet overtaken me
Dim chandelier awaken me
To a song dissolved in the dawn
The music hall a costly bow
The music all is lost for now
To a muted trumpeter swan
Columnated ruins domino

 

Canvass the town and brush the backdrop
Are you sleeping, Brother John?

 

Dove nested towers the hour was
Strike the street quicksilver moon
Carriage across the fog
Two-Step to lamp lights cellar tune
The laughs come hard in Auld Lang Syne

 

The glass was raised, the fired-roast
The fullness of the wine, the dim last toasting
While at port adieu or die

 

A choke of grief heart hardened I
Beyond belief a broken man too tough to cry

 

Surf's Up
Aboard a tidal wave
Come about hard and join
The young and often spring you gave
I heard the word
Wonderful thing
A children's song

波が来た
さあ潮の流れに乗ろう
おいでよ 一緒に波に乗ろう
きみがくれた若くてはじける感じ
言葉が聞こえる
素晴らしい言葉が
子供たちの歌う歌だ

 

Child, child, child, child, child
A child is the father of the man
Child, child, child, child, child
A child is the father of the man
A children's song


Have you listened as they played
Their song is love
And the children know the way
That's why the child is the father to the man
Child, child, child, child, child
Child, child, child, child, child
Na na na na na na na na
Child, child, child, child, child
That's why the child is the father to the man
Child, child, child, child, child 

小鳥たちのさえずりは刑事事件の外で

オースターの『偶然の音楽』に上の記事で触れたとき、久々にジョン・ケージを聴き返したくなった。1950年を境に、ケージは現代音楽家のケージになったと言われる。偶然性や不確定性を作曲手法に取り入れてからのケージは、ひたすら前衛的だ。

物心ついた頃から、支持政党が甘党な自分は、1950年以前のケージが好きだ。晩年、或る舞台でサティーの楽曲使用許可が降りなかったせいで、サティをそっくり踏襲して急ごしらえした楽曲もある。 

 そうなったのは、私がひどくサティを好きだからなんです。この作品は厳密にサティの『ソクラテス』のメロディーラインを、ときには伴奏も含めてなぞっている。私のサティに対する愛着はたぶん非難されるべきものでしょう。でもどうしようもないんです。 

ジョン・ケージ小鳥たちのために

ジョン・ケージ小鳥たちのために

 
CHEAP IMITATION(紙ジャケット仕様)

CHEAP IMITATION(紙ジャケット仕様)

 

 それを聴いても尚、1950年以前のケージの方が、サティーの叙情性と幾何学性の奇妙な婚姻状態に近かったような気がするのだ。

(↑坂口安吾が日本にサティを紹介したことなどは、この記事に書いた。↑)

(↑サティの「ジムノ・ペディ」を小道具にして数時間で書いた短編。推敲したい。↑)

あまり知られていないジョン・ケージのアート作品を紹介しておこう。芸術家たちとの直接交流の多かったケージは、間接的にミース・ファン・デル・ローエマルセル・デュシャンの影響も受けていた。

ミースはガラス建築で有名なバウハウス系の建築家で、ガラス建築のリレーをした上の記事に書いたことがある。デュシャンの代表作はご存知「大ガラス(正式名称:「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」)」。

となると、現代音楽家ジョン・ケージによる「マルセルについては何も言いたくない」という下の作品が、どのような芸術上の文脈に置かれているかがわかってくる。その饒舌なタイトルづけはデュシャン由来に違いないだろうし、「マルセル」のファーストネームも「プルースト」ではなく「デュシャン」で間違いないだろう。

 

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(画像引用元:Not Wanting to Say Anything About Marcel: An Artwork by John Cage » Norton Simon Museum

そんな前衛芸術家どまんなかのケージは、いつも微笑を浮かべている温和でユーモラスな性格だったらしい。遊び心や好奇心も旺盛で、60年代の終わりに、早くもコンピュータによる電子音楽の作曲に取り組んでいたことは、早すぎて「事件」だったとさえ言えるだろう。

いわば、そこには電気仕掛けのケージ事件があったわけだが、刑事事件だとまではいかなくとも、評判がウナギのぼりの電気仕掛けの事件を最近知った。

驚きの声を共有してもらえたら嬉しい。

あ、電気ウナギがツイートしている!  

といっても、ツイッターの英文は水族館職員による創作。電気ウナギのミゲルくんが水槽の中で電気を発すると、それをセンサーが検知して、自動的にツイッター投稿がなされる仕組みのようだ。

 ツイートの中には、「日焼け止めクリームがサンゴ礁を破壊する」という警告のような意識高い系のさえずりがあるので、自分の中でのミゲルくん好感度はウナギのぼりだ。

水中で電気を飛ばす生物も面白いが、水中で磁気を受ける生物も興味深い。

Current Biologyに研究結果を発表したノースカロライナ大学の生物学者ケネス・ローマン氏は、「アカウミガメは生まれた後に大西洋や太平洋を単独で横断し、また戻ってくるという驚くべき特性を持っています。アカウミガメが戻ってくるのは生まれた付近の浜辺か、その浜辺に非常によく似た磁場を持つ浜辺です」と述べています。

この記事には載っていないものの、同じ研究者がわかりやすい実験をしていたのを思い出した。Time誌だった。

    Sea turtles, for example, don’t use the field simply to tell north from south. According to experiments led by Kenneth Lohmann, a professor of biology at University of North Carolina, Chapel Hill, they are actually born knowing a magnetic map of the ocean. Newly hatched loggerhead turtles in the populations Lohmann studies journey 8,000 miles (12,900 km) from their hatching beaches around the Atlantic Ocean to reach feeding areas, and if they don’t keep right on track, they do not survive. Lohmann learned early on that the turtles could sense the Earth’s magnetism: he found that hatchlings from the Florida coast, which normally swim east in darkness to start their migration, swam the other way when they were put in a magnetic field that reversed north and south. That got Lohmann thinking that the turtles’ long-distance navigation might be linked to their being able to respond to whorls and quirks in the planetary field they encounter along the way.

 

    To study this, he and colleagues collected baby sea turtles a few hours before they would have left the nest on their own and put them in pools surrounded by magnetic coils. The coils were designed to reproduce the Earth’s magnetic field at specific points along the turtles’ migration. Reliably, the young turtles oriented themselves and swam in the direction relative to the magnetic field that, had they been in the open ocean, would have kept them on course. Lohmann has tested this with 8 different locations along their route, and in each case the turtles head in just the direction required to get them to their destination. The turtles may not know where they are in any big-picture way—as Lohmann says, they may not see themselves as blinking spots on a map—but they have inherited a sense that should they feel a particular pull from the magnetic field, well, better take a right.

簡単に自分の言葉でまとめたい。

  1. 実際にウミガメが大海の磁場の地図を頭に入れた状態で生まれてくることは間違いない。
  2. 赤ちゃんウミガメをプールに入れると、発している磁気に合わせて、泳ぐ方向を変えた。
  3. ウミガメは、自分をナビ地図の中を進む自車のように認識しているのではなく、地磁気に引き寄せられる力を感じているだけなのかもしれない。

あんな可愛らしい赤ちゃんウミガメに、生まれつき大海の地磁気の地図が備わっているとは、生命の神秘を感じずにはいられない。

ところが、21世紀とは、かつて「神の領域」だった領域を、人類が切り拓いていく時代だ。

地磁気を感じて移動する生物が、「量子もつれ」を使って情報処理していることが分かってきた。

鳥類に限らず、一部の哺乳類や魚類、爬虫類、さらには甲殻類や [ゴキブリなどの] 昆虫も含む多くの生物は、地球の磁場の方向を感知して移動の手がかりとしている。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の物理学者Klaus Schulten氏は1970年代末に、鳥類の目の中では、地磁気を感じ取る未知の生化学反応が起こっており、鳥類はそれを頼りに移動しているとの説を唱えた。

同じ Wired の記事を引用して、このブログでも記事を書いた。

上の記事の日付が2011年。世界にまだ数十人しか研究者のいない量子生物学の発展は、最先端の量子物理学と、最先端の生物学を見事に結び合わせてしまった。

 

 しかし半世紀にわたる分子生物学の徹底的な研究によって、生体分子の構造が、DNAやたんぱく質のなかの一個一個の原子のレベルに至るまで驚くほど詳細に描き出された。そうして前に説明したとおり、量子の開拓者たちによる鋭い予測が、かなり遅ればせながらも裏付けられた。光合成系、酵素、呼吸鎖、遺伝子は、一個一個の粒子の位置に至るまで構造化されていて、それらの粒子の量子的運動は実際に、我々を生かしている呼吸、我々の身体を作っている酵素、あるいは地球上のほぼすべての生物有機体を作っている光合成に影響をおよぼしているのだ。


量子力学の世界では、さまざまな論争が絶えなかった。その道を先導して切り拓いたはずのアインシュタインシュレディンガーは、量子力学が次々にシーンを塗り替えていくにつれて、否定派に回ってしまった。実際、アインシュタインは「量子もつれ」を「不気味な遠隔作用」と呼んで、真剣に相手にしようとしなかった。

 

様々に分岐していく量子力学の学問の道が、どんどんもつれていく……。

 

しかし、マラソンの折り返し地点に似た重要な転回点を、誰もが回ることはできたのではないだろうか。その転回点の名は「量子生物学」。私たちの人体も含めて、動物や植物などのすべての有機体が、量子的働きで動いていることが判明したのだから。眼前に未踏の処女地が開けていることがわかったのだから。

この量子生物学に近いところから、面白い情報が出てきた。出所はなぜかまたブリストルだ。水中の電気、水中の地磁気の次は、花と蜂の電気だ。

Although it's known that flowers communicate with pollinators by sending out electric signals, just how bees detects these fields has been a mystery – until now.

花が(ハチなどの)花粉媒介者に電気信号を送ってコミュニケーションを取っていることは知られているが、ハチがどうやって電気を検知しているのかは謎のままだった、今までは。

May: Dancing hairs alert bees to floral electric fields | News | University of Bristol

 記事の最初から、大事なことがさらりと書いてある。ハチの体をおおう繊毛が、花から送られてくる電気信号を感知しているという発見より、花がハチに電気信号を送っていたという前段階の発見の方が、ビッグニュースなのではないだろうか。

あの NATURE 誌も、ブリストル大学のダニエル・ロバートの研究を引用して、花とハチの間に、電気的コミュニケーションが成立していることを報告している。ハチが花の蜜に魅かれるのは、花の色や香りよりも、花がどのような電気信号を送っているかだったのだ。

華のある女性が誠実なら、ますます魅力的に見えることだろう。

花々は素敵だ。花々が蜂に電気信号を送るときのやり方は、まさしく「オネスト経営」そのものなのだ。

Dr Heather Whitney, a co-author of the study said: “This novel communication channel reveals how flowers can potentially inform their pollinators about the honest status of their precious nectar and pollen reserves.”

共同研究者のホイットニー博士は「この新しいコミュニケーション回路は、花が花粉媒介者に、貴重な蜜や花粉の残りの状態を、どうやって正直に伝えているらしいかを、明らかにしているんです」

Professor Robert said: “The last thing a flower wants is to attract a bee and then fail to provide nectar: a lesson in honest advertising since bees are good learners and would soon lose interest in such an unrewarding flower.

ロバート教授は言う。「花が一番やりたくないことは、ハチを引きつけたのに蜜を与えないことです。もしそうしたら、そんなケチな花には、学習能力の高いハチはすぐに見向きもしなくなることが、花が正直に宣伝する理由なのです」

 何と、花はハチに対して、相手の利益の多寡を正直に伝えようとするのだ。

花々というのは、姿かたちが美しいだけでなく、心までも美しいのか。

 その感想は少し間違っているかもしれない。大事なのは、ハチは花から蜜を取り、花はハチに受粉を手伝ってもらうというように、花とハチが利益共同体であり、共同進化してきたことだ。言い換えれば、長期的に利益共同体でいるには、「信頼ベース」のコミュニケーションが必要ということだろう。そんなことまで、野に咲く花々は、私たちに教えてくれるのだ。

人間の脳の研究が難しいのは、(癲癇患者などの例外を除いて)、めったなことでは開頭手術が行えないこともあって、それぞれの部位の動きを数値化しにくいからだ。 

量子力学で生命の謎を解く

量子力学で生命の謎を解く

 

その意味では、「量子生物学」の分野が、動物たちの「量子もつれ」つきの複雑で精妙なコミュニケーションを解き明かして、生命の神秘を解明していく近未来は、さほど遠くないような気がする。

妹が飼っていたインコは、身体を撫でてやると、口を少し開けて目を細めたものだ。動物たちにも人間と同じく感情はあり、同じく脳を働かせて生きている。相手が動物や昆虫や哺乳類だからといって、「マーマルについては何も言いたくない」と花形研究者を気取るのはクールじゃないだろう。

確かに、「量子もつれ」はほとんど偶然に見えるし、不確定性に満ちている。けれど、その未来が明るいのは間違いない。世界に数百人しかいないこの分野の研究者たちに、草サッカーをしているときのような明るい声援を送りたい。

早朝の自然の中で、小鳥たちが口々に囀っている音楽を聞くのが好きだ。それと同じく、偶然と不確定性に満ちた音楽を確立したケージが、「小鳥たちのために」という副題のインタビュー集を持っていることを思い出そう。

ケージが追いかけた音楽は、鳥を閉じ込める cage の外で、小鳥となって飛び回っていた。量子力学と不確定性と生命の神秘を追い求めていく私たちの未来も、cage の外にあることだけははっきりしていることだろう。

 

 

 

虹色に輝く汝のマリオを歌え。

タイ北部チェンライ郊外のタムルアン洞窟に閉じ込められていた少年ら13人全員の救出が7月10日に完了した。

(…)

洞窟に閉じ込められたのは、同じサッカーチームに所属する11~17歳の少年12人とコーチを務める男性(25)。

6月23日、洞窟に入ったが、大雨の影響で大量の水が洞窟内に入り込んで浸水した。少年らは引き返せなくなり、約4キロ奥にとどまることを余儀なくされた。

明るいニュースが飛び込んできたので、少し心が緩んだ気がした。 

マリオ&ルイージRPG1 DX - 3DS

マリオ&ルイージRPG1 DX - 3DS

 

ちょうど昨晩「類似論客」について考えていたので、マリオの話につながったのがちょっとしたシンクロだ。少年たちが洞窟に幽閉されていた17日間、あのチリでの69日間の鉱山内幽閉を耐えたマリオから、激励のメッセージが届けられていたのだ。激励した側も、全員救助のニュースを聞いて、躍り上がって喜んだという。

くじけるな! 地下にいる12人の少年たちとその家族に祈りを捧げ、力を届けたいと思います。タイ政府当局が可能な限りの尽力をすれば、救助は間違いなく成功します。神様のご加護がありますように。逆境にいる子供たち、そして家族の皆さま、一人一人に祈りを捧げます。

 

チリ・コピアポのサンホセ鉱山で救助されたマリオ・セプルベダより

チリでの事故は世界中の耳目を引いて、映画化までされた。

このとき、全員が69日間を耐えしのぶことができたのは、中心人物だったマリオ・セプルベダ(通称スーパーマリオ)の精神力にあるという見方が少なくない。映画化されたときには、ワイルド系俳優の代表アントニオ・バンデラスが演じた。

精神力がタフだったにちがいないと簡単に同意できるものの、「精神力」とはいったい何を指しているのかと問い直すと、答えは急にあやふやになってしまう。

スーパーマリオの精神力が素晴らしかったのは、ワーキングメモリが高かったからだよ。

そんな一節を見つけたので、ワイルドにBダッシュで走って調べてみた。

ワーキングメモリとは、心の作業机のこと。「短期記憶」に少し似ているが、記憶だけでなく、それを使ってする作業まで含む概念なので「作業記憶」と訳される。

自分もこれまで、他人に何かを教えるときは、相手のワーキングメモリのサイズ感を念頭に置いて教えてきた。

センター英語に頻出の文法問題では、「近い過去があったら、遠い過去には過去完了」「未来時点+『で』『までに』=未来完了」というように、テストの現場でワーキングメモリ上に呼び出せるよう独自に教える方が、上手い教え方だと信じてきたのだ。

その信念が間違っていたわけではない。ただ、ワーキングメモリという概念は、自分が知っているよりはるかに大きな概念だった。一般人が使う「脳」に近いような気さえする。

先にちょっと復習を。世代が新しくなるにつれて、IQが高くなっていく現象をフリン効果という。では IQ とは何なのか?

IQ = 結晶性知能(言語や一般知識)+流動性知能(パズルなどの新規問題解決能力)

流動性知能はレーヴン・マトリックス検査と相関性が高く、レーヴン・マトリックス検査はワーキングメモリ能力の相関性が高い。多くの研究者が言うように、IQ はワーキングメモリと深い関係があるのだ。 

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

 

しかし、話を早くするには、IQとワーキングメモリを別の概念だと考えた方がわかりやすい。 

脳のワーキングメモリを鍛える! 情報を選ぶ・つなぐ・活用する

脳のワーキングメモリを鍛える! 情報を選ぶ・つなぐ・活用する

 

 アロウェイ夫妻の共著本によると、IQ とワーキングメモリの間には面白い関係性がある。自分の言葉でまとめ直してみた。

  • ワーキングメモリが強いと学業成績は高くなる。
  • IQ が高くてもワーキングメモリが高いとは限らない。
  • IQ が高くても学業や人生で成功するとは限らない。
  • IQ は親や本人の経済力が影響するが、ワーキングメモリには影響しない。

こういう事情なら、教育問題の難題のひとつが片づいてしまいそうだ。簡単な話、経済格差の負の連鎖を止めたい左翼的両親の持ち主は、すべからく子供たちのワーキングメモリの開発にいそしむべきだろう。

だって、ワーキングメモリにできることは、こんなにもたくさんあるのだ。

  1. 情報に優先順位をつける。
  2. 重要なものごとに集中する。
  3. ものごとをすばやく考える。
  4. 賢くリスクを冒す。
  5. 勉強をスムーズに進める。
  6. 個人的な判断を下す。
  7. 新たな環境に適応する。
  8. モチベーションを維持し、長期的目標を達成する。
  9. 切迫した状況でもポジティブでいられる。
  10. 自分のモラルに従う。
  11. すぐれたスポーツ選手になる。

スーパーマリオことマリオ・セプルベダが昼夜もわからない69日間でやったことは、主として5つ。

救出されることを信じ、ジョークを飛ばし、清潔を保ち、つねに作業に没頭して悩みを寄せつけないようにし、脱出してからの楽しみを想像して、自分と仲間の精神衛生を保ったのだという。

上のワーキングメモリでできることのリストでいうと、2. 6. 7. 8. 9. が該当しそうだ。

ワーキングメモリを鍛えれば、人間の脳はどこまで進化できるのだろうか。ワーキングメモリの測定テストまで考案しているアロウェイはとても興味深い例を挙げている。

Working Memory Tests — Tracy Packiam Alloway, PhD

1. 「コードブレーカー」を使えば人間計算機になれる

コードブレーカーとは、例えば、一連の長い計算プロセスを区分けしてアルゴリズム化して、長期記憶にしまっておく技術のこと。簡単な計算式で示すと、こうなる。

57×6=(50×6)+(7×6)=342

この手法で訓練すれば、誰でも「83の9乗=186,940,255,267,540,400」を計算できるようになるのだそうだ。アルゴリズム化して長期記憶にいったんしまいこむので、ワーキングメモリがかさばって、フリーズすることがないからだそうだ。

2. 「ブートストラッピング」を使えば記号の暗記名人になれる

2002年のギネス記録では、シャッフルした54組のトランプ2808枚の順番を、暗記名人が暗記したという。記号と数字が示されているだけのトランプ54枚を、それぞれ登場人物化して、彼ら / 彼女らと順番に出会っていく旅行をイメージするのがコツだとか。

「記号+視覚イメージ+物語」を関連付けて、ワーキングメモリを回していくと、驚異的な暗記ができるらしいのだ。

3. チャンキングを使えばチェスの盤面を瞬時に暗記できる

チャンキングとは塊に分けること。チェスのそれぞれの駒の位置を覚えるのではなく、いくつかの駒の関係性をまとめて記号化して暗記すると、5秒間でチェスの盤面を暗記できるのだという。

そんなにも凄いことになるのなら、ぜひともワーキングメモリを鍛錬したいというのが、大方の人々の感想だろう。

残念ながら、ワーキングメモリは、脳トレゲームなどをしても、さほど向上が認められない。研究結果でプラスだと判明している訓練がいくつかある。

  1. 睡眠
  2. 瞑想
  3. 運動
  4. 整理整頓
  5. 創造
  6. 人との交流
  7. 自然に触れる

4.の整理整頓は意外だとしても、それ以外は「人間らしい生活」と人が云うときの漠然とした概念と、おおよそ重なっている。調べていて一番びっくりしたのは、3.の運動。具体的に言うと、裸足ランニングがワーキングメモリを大いに活性化することがわかっている。

裸足… ランニング… ?

何てワイルドなんだ! 事実、裸足ランニング最大の文献は、ワイルド界イチオシのあの曲をもじっている。

 

BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族

BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"

 

 裸足ランニングの先駆者が、こう高らかに宣言しているのが目を引く。

シューズがさえぎるのは痛みであって、衝撃ではない!
痛みはわれわれに心地良い走りを教えてくれる。
裸足になったそのときから、きみの走り方は変わるはずだ。

ワイルドだな! Body Mild を秘かに Body Wild へ矯正しようとしている自分も、すっかり触発されてしまった。

今日は図書館まで歩いて行ったのだ。といっても、初夏の灼熱のアスファルトを裸足で歩く気にはとてもなれなかった。

しかし、文献を紐解けば、かのレオナルド・ダ・ヴィンチも、「人間の足は、人体の骨の四分の一で構成される精妙な体重維持装置であり、工学の傑作にして芸術作品」だと考えていたのだという。

 裸足ランニングの実際の映像を見てみると、簡単なサンダルは装着しているようだ。伝説的なウルトラ・トレイル・ランナーのカバーヨ・ブランコの特集動画が見つかった。

全米ベストセラーとなった『Born to Run』の最後で、カバーヨは作者にこう語ったらしい。

「年を取って働けなくなったら、ジェロニモが解放されたらやったはずのことをやる」とカバーヨは言った。「渓谷の奥へと立ち去り、静かな場所を見つけて横になるのさ」カバーヨの言い方には、メロドラマめいたところや自己憐憫もなかった。あるのはただ、自分の選んだ人生ではいつか、最後の失踪が必要になるという認識だった。 

 2009年にこの本が出版されてからわずか3年後、カバーヨは本当に森の中で失踪してしまった。

渓谷から転落して、川の中で死体となって見つかったのだった。発見者たちは、その場でカバーヨを火葬したのだという。わずか三年で、自分の予言を自己成就してしまった形だ。生涯を通じて、野生の原野を裸足で駆けまわったネィティブ・アメリカンは、予言通り自らの身体を野生へと帰したのだった。

何だか、話が果てしなくワイルドになってしまったが、ワイルド話はあと少し続く。

アロウェイらによれば、持久走ができる哺乳類は人間だけ。人間は群れで走って鹿を捕獲することもできたはずだという。人間は汗をかいて放熱できるが、鹿はあえぎ呼吸でしか放熱できず、長距離を走っているとオーバーヒートしてしまうのだ。

人間が、身体の基本設計通りに長距離を走れば、ワーキングメモリも強くなる。このことは研究論文で証明されているのだという。脳を強くする方法は、きわめてワイルドな生き方に潜んでいるようだ。

困ったな。散歩や筋トレは好きだけど、ランニングは単調なので好きじゃない、とか言ったら、鹿られそうだ。鹿られるだけならまだしも、時折り地元の夜の繁華街で撮影している野人たちにニーブラされてしまうかもしれない。この世界は何が起こるか油断がならないから。

さて、今日のメインディッシュに考えていたのは最先端の脳科学本だ。監訳を日本の遺伝子研究の第一人者が務めている。村上和雄は、下の記事で紹介したことがある。

日本の遺伝子研究の第一人者が、遺伝子にオン/オフのスイッチがあることを発見していたとは。

(…)

実際の医学研究でも、笑いが糖尿病患者の血糖値を劇的に低下させたという論文を、厳しい査読を経て、サイエンス誌などに海外の医学研究誌に掲載したりもしている。笑いが免疫を高めるところまでは、医学的に到達しているのだ。

(…)

例えば、人間の遺伝子が全体の5~10%しか使われていないという事実、発ガンが「発ガン遺伝子オン+ガン抑制遺伝子オフ」の二つのスイッチングによって生じているという事実は、きわめて重要だ。この生死をわけかねないスイッチングを行っているのが、①物理的要因、②化学的要因、③精神的要因なら、そのどれもが重要であることも間違いないだろう。

心身医学の世界的最前線に立つチョプラ博士は、「ネガティブ感情が悪い遺伝子を活性化して、発がんなどを引き起こし、ポジティブ感情が良い遺伝子を活性化して、病気を遠ざけて若返らせる」と主張している。村上和雄が「長年取り組んできた考えに驚くほど近い」と驚嘆の言葉を書きつけるのも当然だろう。 

SUPER BRAIN

SUPER BRAIN

 

断言しよう。自分の知る脳科学の最前線は、この本の中にある。

今晩は時間が無くなったので、その最前線の論点をいくつかに絞って記しておきたい。

  1. 脳が意識を生み出しているのではなく、意識が脳を生み出している。
  2. この世界は私たちの意識が生み出したものであり、私たちはクオリア(感覚の持つありありとした質感)を通じて、世界を感じている。
  3. クオリアの研究者たちは、クオリアが「物質世界が当たり前には存在していないこと」を証明していくと推測して研究を進めている。
  4. 人は意識を変えることによって、どんあクオリアでも生み出すことができる。上手にクオリアを生み出すには、創造の源に近づかなければならない。

邦訳が出たのは2014年。脳科学の最先端が、完全にスピリチュアリズムとクロスオーバーしていることが、誰の目にも明らかなのではないだろうか。今やスピリチュアリズムが、科学的研究対象となったことは間違いない。

しかも、自分の想念でどんな現実でも生み出せると断言したあと、チョプラは「創造の源」に近づけば、現実創造はさらにうまくいくと述べている。

スクロールしてもらえばわかるが、これはワーキングメモリが「創造」を通じて強化できるとした事実と符合している。

この創造に、瞑想やランニングを組み合わせながら、脳トレや修行を重ねれば、ひょっとしたら星をつかめるかもしれない。あの楽し気な音楽に乗って、踊りながら虹色に輝くこともできるかもしれないのだ。

そういえば、自分の好きなルネ・シャールの詩句はこうだった。

虹色に輝く汝の渇きを歌え。

 

 

 

 

 

オオズに魔法がかかりますように

昨晩はどこか吹っ切れた気分になれたので、真夜中のドライブに出かけた。海岸沿いの好きな道で、かつてこの曲とともに、ひとり毎週ドライブしていたのを思い出せるほど、馴染みの道だ。 

神なび 新88カ所お遍路紀行

神なび 新88カ所お遍路紀行

 

 ところが、地元の霊能者のお墨付きのパワースポットは、先日来の大豪雨による土砂崩れのせいで、通行止めで辿り着けず。伊予のストーンヘンジともよばれる「白石ノ鼻」を、真夜中の海上で見つめたかったのに。

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(画像引用元:http://www.ritoumeguri.com/12200/

しょうがないので、「白石ノ鼻」の類似タレントを眺めていた。こちらも鼻筋がすっと通っていて綺麗だし、2018年度上半期のCM女王に輝くほどのパワースポットになっているのだそうだ。

(ちなみに、アイドルに疎い自分は、乃木坂と欅坂を混同して笑われたことがある。ただし、東京の坂には一家言があるので、淑女路線の乃木坂の対極に、セクシー路線に「最大傾斜」した「のぞき坂48」を結成することを提言したい)。

真夜中なのにライトを振っている交通誘導員に、港の前で引き返すように言われた。引き返すしかなかった。この記事で取り上げた高浜駅の横を通って、海沿いの駅で車を停めた。

この海沿いの駅は、最終回で視聴率32.3%を叩きだした国民的ドラマのロケ地だ。13:07から有名な「時刻表トリック」の別れの場面を見られる。思春期男子らしく、粋がってトレンディー・ドラマを遠ざけていた自分は、この名場面を初めて見た。

地元民の目で見ると、場面のつなぎの方向性がところどころ虚構化されているのがわかる。ヒロインの乗った電車は松山市街ではなく、なぜか広島へ行く港方面の電車だ。しかし、車窓の風景から判断すると、車内の撮影は松山市街方面の電車で撮られている。タイムリミットが近づいて、主人公が慌てて梅津寺駅まで走る場面は、梅の林の中を通ることはありえない。入場料を払って、遠回りしなければならないからだ。

不惑の年齢を過ぎた恋愛心理を知った目で見ると、女心を上手く描き出した別れの場面だと感じられる。

男はデータ重視で、女はイメージ重視。男は合理性重視で、女は感情重視。このコントラストが効いているので、女性の視聴者は感情移入しやすいのだろう。

脚本家の思う壺だと知りつつも、14:00以降の伊予の男の煮え切らなさには、心がダークみきゃんになってしまうのをとどめようもなかった。

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(画像引用元:https://www.pref.ehime.jp/h12200/mican-kanzume/darkmican.html

「駅で48分の電車まで待っているから、自分を追いかけるのなら追いかけてきて」とヒロインに言われて、本当に48分ぎりぎりまで考える男は、男としてなっちゃいないぜ。

あんな台詞を言われたら、男は傷ついた顔をして怒らなきゃいけない場面だ。

: どうしてだよ。どうして、あと30分も時間を取って、どこかへ行こうとするんだよ。そんな時間はいらないから、そばにいろよ。俺は今ここで言えるぜ。俺にはお前しかいない!

ルールやデータに従うことを望みがちな男に対して、女は男がルールを越えてでも自分を愛することを望みがちだ。どうしてそんなこともわからないのか。

追いかけてこない男に、ヒロインが未練を断ち切ろうとして、33分の電車で立ち去っていくのも当然だろう。駅のフェンスに結ばれたハンカチは、男を愛しているヒロインが、心で流している涙の象徴だ。

いけない、いけない。相思相愛の男女をどうすれ違わせるかが、ドラマの脚本家の腕の見せどころ。なのに、ドラマなのを忘れて、ついつい熱くなってしまった。

むしろ忘れてはいけないのが、ドラマの主人公が愛媛県松山市ではなく、南予大洲市の出身であることだろう。7:30くらいから、大洲での少年時代を、男はこう回想している。

: そいでさ、一年で一番俺たちが盛り上がるのが、台風の日なんだよ。

: 盛り上がるの?

: うん。この川なんかも決壊しちゃってさ、街中にサイレンが鳴り響いて、大人たちはみんな真っ青な顔してんだけど、俺たちはワクワクしちゃってさ。

: ふうん。

: 麦わら帽子なんか、ヒマワリにかぶせてさ、朝から晩まで駈けずりまわっていたんだ。

男のいう「この川」とは肱川のこと。ドラマでは他愛のない思い出話だが、数日前の豪雨で肱川は過去最高水位を記録したという。ニュース動画の道路冠水は控え目だが、検索すればはるかに水位の高い動画が見つかる。

市街地にある「大動脈」が床上浸水してしまったのも、衝撃度の高いニュースだ。大洲市は伊予の小京都とも言われる盆地の町。中心を走る56号線沿いに、生活用品を売る店が集中している。そこが床上浸水したとなると、例えるなら、サッカーの日本代表11人のうち8人が退場になったくらいの壊滅度なのだ。

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大洲市だけでなく、南予一帯に甚大な被害が出ているので、馴染みのある街が壊滅してしまった写真を見て、涙を流す知人もいた。一日も早い復旧を祈りたい。 

さて、大雨の被害と「類似タレント」で始まったこの記事は、自分の「類似論客」の紹介へとつなぎたいと思って書き出した。類似は主観的な判断なので、深読みはしないでいただけるとありがたい。ちなみに、これを書いている自分でも信じられないが、自分史を振り返ると「ディカプリオに似ている」とか「天使に似ている」とか、JKに言われたことがある。主観的印象論は人それぞれだ。  

 コミュニティー・デザイナーを名乗る山崎亮と、このブログの記事群に深い関わりがあるのだ。山崎亮の著書か経由で記事にしたのは、ブックガイド付きの充実した54の事例集のうち2つ。

 ソーシャルデザインは発展途上国だけに必要なものではない。私がお気に入りなのは、公衆電話ボックスをアートギャラリーにしたソーシャルデザイン。

 

 携帯電話の普及で不要になった電話ボックスを、電話会社がほとんど無料で地域住民に払い下げ、電話ボックスの中を「貸し切り写真画廊」にしてしまったのだ。 

 記事の中ほどまでスクロ―ルすると、QUEEN の名ギタリストのブライアン・メイも、このソーシャルデザインに賛同して、自身のお気に入りの写真を展示するギャラリーとして使ったのだとか。たかだかひとつの電話ボックスを生かしたことによって、そこが地域の観光名所となり、地元民の誇りの共有財産となり、地域経済も潤ったというわけだ。

 ソーシャル・デザインというと、最初は誰もが社会的なグラフィック・デザインを思い浮かべることだろう。その系統では、イ・ジェスキの反戦広告のブリリアントネスが光っているのは間違いない。

 

 上のようにの横長の長方形の反戦ポスターは、電柱に貼ると下のように銃口が自分へ向くようにデザインされている。そして英文も左右から貼り合わされて、この一文になる。

 

What goes around comes around.
自分がしたことは最終的に自分に帰ってくる

 

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広告で錯視によるインパクトを追及するジェスキらしい傑作だ。他に、手榴弾バージョンや戦車バージョンもある。 

残りは、特に意識していない問題意識の共有になるのだが、その数が半端ではない。

二人とも、というか、日本について考える全員が共有する出発点は、急速な少子高齢化と人口減少だ。

人口減少警告本三冊を斜め読みしたのが下の記事。河合雅司の問題意識が一番鋭い。ブログ史的に云うと、この記事から大衆の耳目を引くユーモアや言葉遊びを頻用しはじめた。

続くこの記事は、フランスの少子化対策の輝かしい成功の陰に、「人口≒国力」の国家間戦争があったことを指摘して、河合雅司の著書を足掛かりに日本の少子化の淵源がアメリカの占領政策にあるという「永続敗戦論」でまとめたもの。 

 現在、山崎亮の最重要の著書は、人口減少社会をどう豊かに生きていくかを示した『縮充する日本』だろう。

「参加」を鍵言葉にして、縮小していく都市を社会資本の充実で豊かにしていこうとする新書の主旨は、自分のブログではこの記事に近い。

 日本の各都市は、テクノロジーの進化に伴うスマート・シティ化と、人口減少によるコンパクト・シティ化の二つを、同時に進めていかねばならない。しかし、都市計画家という肩書の専門家をほとんど持っていないこの国は、あるべき都市像について、さほど多くの蓄積を持っていないように感じられる。新しい都市計画の立案とその実行は gdgd な緩慢さでしか進まないだろう。

 

 そう語るのは、都市計画に詳しい建築家の書いたこの本。一息で要約すると、 人口増加時代、日本の都市はスプロール状(虫食い状)に農地を都市化していったので、これから来る人口減少時代でも、都市はスポンジ状(虫食い状)に商業地や住宅地を低密化していくだろう。そのスポンジ状の穴のひとつひとつを、周囲の住民の社会資本とすべくコミュニティ機能を持たせた再開発をする(空き家再利用などの)スポンジ活用化が、長期間かかるコンパクト・シティ化の手前で進行するだろう、といった感じか。  

地元のアーケード街の再開発計画を枕にして、「多世代共生」「無縁社会」の鍵言葉で都市計画とコミュニティーを考えたのがこの記事。

そして、そのエリアマネジメントで重要視されるのは、成長期のような「商業施設としての最大収益化」ではなく、「社会資本と協働」だ。これらを施設完成によって供給するのではなく、街づくりそのものを通して培っていくことに、エリアマネジメントの主眼がある。

 

都市の再開発と社会資本が掛け算された領域を、一番短い言葉で呼ぶと「コミュニティ」ということになるだろう。

 

コミュニティは外的環境の変化に対応して、常に自身を変化させて、組み替えていかなくてはならない。コミュニティをどう変化させるかの方向性が、「多世代共生」というキーワードで語られることが多くなった。

 

その背景を語ることは、それほど難しくない。一つには、人口減少社会が単に人口が減っているだけでなく、凄い勢いで非婚化が進んでいることだ。「無縁社会」という言葉が流行したのは、2010年のこと。 

内閣官房オープンデータ伝道師の関治之(Code for Japan代表)に大注目して、彼の著書を待望しつつ、不正選挙を不可能とする投票計数機の開発を祈願した記事も書いた。公的機関のオープンデータへの注目は、まるかぶりだ。

これは以前から抱いている私自身の欲望でもある。彼の著書をどうしても読みたいのだ。

 

もしこのブログを読んでいる出版人の方がおられたら、「時代の最先端を行く」「実行力無限大」「実践経験豊富」「NASAで活躍なさった」「震災後の新しい生き方の体現者」関治之の新書をプロデュースして、世に送り出してもらえないだろうか。

 

愛読希望者でありながら、いきなり交換条件を提示してしまうようで恐縮だが、その出版によって関治之の真価が世に知られる幸福が訪れた暁には、彼主宰のハッカソンで、内閣官房オープンデータ伝道師の立場を最大限に生かしつつ、例えばブロックチェーン技術を用いて、選挙の投票計数機のソースコードが検証可能となるような「ベスト・ソリューション」を生み出してほしい。 

医療分野への住民参加という意味では、広島県呉市のデータヘルスの取り組みを紹介した。この事例はむしろ『縮充する日本』の第八章にあった方が良かったような気さえする。

昨晩「オープンデータ伝道師」という珍しい職業を見つけたので、どんな仕事をする職業なのか、調べてみたくなった。

 

すると、厳密にいえばオープンデータとは異なるものの、「各所に散らばっていた情報を標準化して集約し、データマイニングを通じて行政の向上を図る」という同じ方向性の取り組みをしている市が見つかった。それが、隣県なので何度も訪れたことのある呉市だった。

 

あれ? ネット上にはほとんど記事がない。実は、呉市はデータヘルス先進自治体なのだ。 

コミュニティデザインの源流 イギリス篇

コミュニティデザインの源流 イギリス篇

 

 山崎亮の著作を読んでいて良いなと感じるのは、背景にある社会思想のアカデミックな蓄積がしっかりしているところだ。彼が「師匠」と呼ぶラスキンの思想から、アクチュアリティーのある部分を引き出して、わかりやすくまとめている著作もある。

ラスキンから抽出した「人とモノの固有の価値を生かすこと、その仕事をする喜び」は反グローバリズムそのもので、時代の要請にぴったりと合った思想だ。

さらに、分厚めの『縮充する日本』で語られている事例研究の数の多さ、これまで踏んできた場数の多さが、山崎亮を信頼のおけるコミュニティー・デザイナーにしていることは間違いない。、最大限に広く取った同時代的視野から、衰退する地方都市の活性化を中心に、芸術祭や教育問題まで、よくぞここまで見聞を広めてきたなという研究蓄積への感動を感じさせてくれる。

日本では、今もこれからも、少子高齢化と人口減少と一億総シングル化が急速に進んでいる。ひとりアイディアソン・ランナーにも似た実力・経験ともに豊かな山崎亮が、次の四半世紀、社会のグランドデザインの方向性を打ち出していく中心となるのは、間違いないだろう。

もし自分が、その中心人物を遠くから見つめながら、その中心のそばにいくつか重要論点を書き加えることが許されるなら、①技術決定論への意識づけと、②グローバル ⇔ ローカルの二極への選択的アプローチの重要性だろうか。

山崎亮が参照しているシェアリング・エコノミーの参照項は、(有名な UBERAir bn b以外は)、wikipedia や 「伽藍とバザールLinux)」など、2016年の著作にしては、ひと昔のものに偏っているような印象がある。 

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

 
ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)

ウィキペディア・レボリューション―世界最大の百科事典はいかにして生まれたか (ハヤカワ新書juice)

 

それらの事例が古いから駄目というのではない。「wikipedia / Linux」と「UBER / Air bnb」の間に大きな差があることを、コミュニティー・デザイナーとして、いずれ視野に入れざるをえなくなると予想しているのだ。「wikipedia / Linux」がオンライン・オンリーなのに対して、「UBER / Air bnb」は都市に直結しているサービスだということだ。そして、付け加えるなら、「UBER / Air bnb」が外資の民間企業だという事実だ。

根拠のない外資脅威論を煽りたいわけではない。グローバリストたちが喉から手が出るほど欲しがっている外国国民へのラスト1マイルは、今や本当にすぐそばまで迫っている。

では、地方銀行はどうなるのか。昨晩も書いたように、地方銀行がどうなるというより、私たちの住む町全体、生活の基盤にある都市計画にまで、巨大企業は二度と引き剥がせない触手を伸ばそうとしている。

 

「アップル vs 日本の電機メーカー」の日本側敗戦の要因は、泉田の主張を自分の言葉で書き直すなら、市場をルールメイクし直して、日本が得意な市場(オフラインのハードウェア=モノ)を衰退させ、アップルが新たな市場(オンラインサービスとハードウェアによる新たなユーザ体験)へ移動したことだ。さらに、iPHONEの爆発的シェア伸長には、「下層採鉱」による通信インフラ整備との相乗効果があったことも見逃せない。

(…)

よう、AMIGO! 落ち込みたくなくて、無理に陽気を装って快活に話しかけてはみたものの、相手が私たちを尊重した友人になってくれるとは限らない。AMIGOとは、Amazon, Microsoft, Intel, Google の頭文字をとったアメリカ発のグローバル企業の総称だ。

 

それに、AMIGO と話しかける相手がいない場合だってある。 仮に Amazon にサービスプラットホームを奪取された場合、私たちの日常生活はこんな感じになりそうだ。

Amazon 購入商品を無人店舗 Amazon Go で受け取れる、なんていうありふれた話ではない。話は消費者の生活の利便性向上にとどまらないのだ。顧客とのインタラクティブ・フェイス(双方向性の高まったインターフェイスのこと。いま造語した)をどれだけ拡大できるかに勝負をかけられて、上記のような生鮮食品販売に Amazon が進出した場合、Amazon がさらに取引業者の業種を拡大できることがポイントだと、泉田良輔は言う。

 

Amazonクラウド上で各社の経理処理を提供した場合、仕入れや売上等の経営データが集約され、人工知能により(かつてトヨタの誇った)ジャスト・イン・システムをいともたやすく実現してしまう。当然のことながら、設備投資や資金繰りに対して自動ローン機能が付与されることだろう。

 

入店時のドア開閉も自動、顧客認識も自動、決済も自動、品揃え選択も自動。すべて、自動、自動、自動だ。

 

そうなったとき、地方銀行は太刀打ちできるのだろうか? 未来遠視力の高さ随一のテクノロジーアナリストは、そんな恐ろしい問いを問うているのである。 

「アップル vs 日本の電機メーカー」の日本側敗戦の要因は、泉田の主張を自分の言葉で書き直すなら、市場をルールメイクし直して、日本が得意な市場(オフラインのハードウェア=モノ)を衰退させ、アップルが新たな市場(オンラインサービスとハードウェアによる新たなユーザ体験)へ移動したことだ。さらに、iPHONEの爆発的シェア伸長には、「下層採鉱」による通信インフラ整備との相乗効果があったことも見逃せない。

 

ここでいう「下層採鉱」とはいま自分が作った造語だ。マルクスが、経済という下部構造が上部にある社会の諸要素を決定するとしたように、その市場を決定している基底層がある。垂直統合がゆっくりと崩壊し始め、上位層がオープン・サービス・マネジメントによって、解放されてしまったあとでは、より基底に近い下層を独占したものが市場競争に勝利することになる。

 

次の20年の名勝負になるだろう「Google vs トヨタ」では、泉田良輔はその「下層採鉱」が数層も下まで深化して、最終的に都市計画(!)にまで及ぶことになると主張する。自動運転車が安全に走るとかまだ走らないとか、全然そんなレベルの話ではない遠大な将来ビジョンを、 40歳代の GoogleCEO やテスラCEOやウォーレン・バフェットのような投資家たちが見据えていると警告するのだ。 

おそらく、地方自治体などの公共部門との連携は、コミュニティー・デザインが最も無難に成果を挙げられる領域だろうし、すでに成果も上がっている。

問題は、民間の領域に AMIGO な多国籍企業が進出してきて、都市の基盤部分を寡占しようとしはじめたとき、私たちがどうやって地域社会を守っていけるかという(グローバリズム下の)持続可能性を重視した社会デザインだと思う。

自分には明確なイメージが描けていないが、そこに農業や漁業や林業などの第一次産業が関わること、(オンラインのICT技術をフル活用しつつも)、地域内で資源や人材や労働を循環させるセミクローズなコミュニティー・デザインになることだけは、はっきりしているのではないかと思う。

信じられないことに、自分は連日連夜この記事を、集めてきた本をほとんど読まずに書いている。熟読してしっかりとした発言をしたいのだが、粗製乱造が目下の「使命」のようなので、批評眼に間違いやブレがあったとしたら、ご容赦願いたい。

 

 

あの歴史的名ドラマは見ていなかったものの、主人公が「カンチ」という名前だということは知っていた。最後に「ぼくの名前を呼んでくれよ!」とでも呼びかけて、

完治!

と、快気祝いへ持っていこうと思っていた。ところがドラマの原作を調べていると、「完治(カンジ)」という名前を駄洒落でズラして「カンチ」と呼んでいたらしい。他人の洒落に乗っかるのは、Stray Dazyarer として不本意だ。

急遽いまから、別の締め括りを考えることにしよう。

いや、正直に言ってしまおう。マリオとルイージの類似について駄洒落を書こうと思ったものの、あまりにもつまらないので辞めた。もう無理。

と、弱音をおずおずと差し出そうとした瞬間、インスピレーションが魔法のように降りてきた。

そうだ。エメラルドの都にいるオオズの魔法使いなら、志のあるミキャンの大器の人々に、災害の街が元通りになるような魔法をかけてくれるのではないだろうか。オオズの魔法使いが、真っ先にあの人たちの街に魔法をかけてくれますように。

そう祈っている自分は、あの名曲をもう一度耳にするだけで、気分が楽になれるから。

 

 

 

Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby
虹の向こうのどこか 空の高みに
ある国が浮かんでいる
昔 子守歌でそう聞いたことがある


Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true
虹の向こうのどこかに
空が真っ青で
本気で信じた夢が
本当に叶う場所がある


Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me
いつか星に願おう
すると目を覚ますと
わたしは雲を遠く下に見おろしていて
悩みのあれこれがレモンの雫のように
煙突や屋根の上へぽつりぽつりと溶け落ちていく
そういう場所でわたしはあなたとめぐりあう


Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?
虹の向こうのどこかへ
青い鳥が飛んでいく
虹を越えて飛んでいく二羽の青い鳥
そうならどうして、どうしてわたしたちが
二人で虹を越えられないことがあるだろう 

恐怖の襞をレース刺繍に編み直して

スイスのザンクトガレンへ行ってみたい気がしている。そこは何世紀も前から「手編み(!)」のレース刺繍が栄えた街で、街にある織物美術館で刺繍の歴史をひもといてみたり、ベッドルームのレース尽くしのリネン類を堪能したりしてみたい。

f:id:amano_kuninobu:20180709202518p:plain

(画像引用元:Design is fine. — Gros Point de Venise lace, 1651-1675. Textilmuseum...

そう書くと、いかにも少女趣味で気恥ずかしくなる。でも、こっそりこのブログの読者だけに打ち明けちゃおうかな。

レースの下着は一枚も持っていないよ!

ほっ。

全員が安心したにちがいないところで、記事を前へ進めることにしたい。

映画としては二流だったような記憶しかない。でも主人公の美少年ぶりは、群を抜いているから、どこかで跳ねるに違いないと思った。環境性能に魅かれて、プリウスを愛車にしているディカプリオの話だ。

あの美少年ぶりから約10年後、飛行機王ハワード・ヒューズを演じるなら、確かにこの人しかいないと思わせるハマりぶりだった。しかし、アカデミー主演男優賞は逃した。

上の字幕なしの予告編ではカットされているが、富と名声と美女を手に入れたアメリカン・ドリームの象徴だったハワード・ヒューズは、晩年になって強迫神経症を発症してしまう。

50年代にはラスベガスのホテルを本拠にし、一時はフラミンゴ・ホテルの一翼を借り切って生活をしました。1966年に発行されたジョン・キーツによる伝記 『ハワード・ヒューズ』には、フラミンゴ・ホテルでの生活の一端が、下記のように描写されています。

  • 自分の部屋の両側を空室にし、メイドのサービスを禁じた。
  • プライバシーを守るため、モラルが高いことで定評のあるモルモン教徒の男子学生を配置し、身辺を警護させた。
  • タオル、シーツなどは、それらの学生が本人の部屋の外に置いた。
  • 本人の希望に応じて毛布を持参した学生によれば、ハワードはそれを「細菌を防ぐために」と、窓にかけていたという。

小さなことが気になるあなたへ/OCDコラム>第14回

 ディカプリオは役作りのために、強迫神経症の患者と一緒に生活して、同じ症状になりきろうとした。ここが一流の役者の凄いところで、実際に似たような症状を発症してしまったらしいのだ。症状を消すための集中的なリハビリとセラピーには、三か月もかかったという。 

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)

 

ちなみに、恐怖や不安を(暴露療法以外で)半永久的に消せることが、脳科学の研究で判明している。

(英語の自動生成字幕のみ)

簡単に要約すると、恐怖や不安などの記憶を呼び出したとき、その感情の記憶は6時間くらい「柔らかい」のだという。「柔らかい」うちに、恐怖や不安に快適や幸福な様相と関連付けて「上書き保存」してしまえば、その記憶は更新できるのだという。

脳科学は人格を変えられるか』というタイトルは何とも刺激的だ。脳が解明されていけば、脳にAIアタッチメントが取りつけられて、人間とAIの融合が進んでいくにちがいない。

そんな持論を抱きつつ、同じ方向性の先を走っている先人たちをフォローしたのがこの記事。

イーロン・マスク流の「AI脅威論」に自分が共感できないのは、すでにテクノロジーと人間の融合が進行しつつあるからだ。

ところが、2014年に翻訳されたエレーヌ・フォックスの『脳科学は人格を変えられるか』は、「瞑想で脳の構造が変わることを脳科学が突き止めました」というものだった。脳を物理的に改変できるのは、瞑想などによる心の状態であり、脳科学ではなかったのだ。

調べてみると、原題は「Rainy brain, sunny brain」だったので、邦題が mislead だったか、自分がmisread したかどちらかだろう。ただ、個人的に、たまたま今日「あなたはレイニー・ブレインだから、世界のあらゆることに傷ついてしまうの」という一節が心に響いていたところだったので、(ありふがとうございます!)、一種のシンクロになったのが嬉しい。

本当は「That's depends!(状況次第です!)」と返答したいところだが、最近さすがに疲れてきたみたいだ。早く自分の心に太陽の光を招き入れたいところだ。

(折り紙でも簡単に作れるらしい)

おやおや。エレーヌ・フォックスの本には、このブログで何度か書いてきたことが含まれている。どうやら自分もいっぱしの「農家が苦痛」になれたということだろうか。と、「脳科学通」を誤変換しているようでは、まだまだか。

フォックスは「サニーブレインとレイニーブレインの黄金比は3:1」だとしている。ポジティブ心理学の知見を導入しているのだ。自分の記事はこちら。

書名だけを読んで 、よくあるポジティブ・シンキング自己啓発書だと勘違いしないでほしい。

バーバラ・フレドリクソンは社会心理学者。「3:1」というポジティブネスとネガティブネスの最適比率は、厳密な研究結果から算出されたものだ。正確には「2.9013:1」だったという。

フォックスはまた、こうも述べる。

環境が変われば遺伝子の発現度も変わり、脳が物理的に変化する。ならば、科学が検証した様々なテクニックで脳を再形成してやれば、抑鬱や不安症を治療して、人生を変える可能性があるかもしれない。

これは、日本の遺伝子研究の第一人者である村上和雄と同じ主張だ。自分はこうまとめた。

  • 思い切って今の環境を変えてみる
  • 人との出会い、機会との遭遇を大切にする
  • どんなときも明るく前向きに考える
  • 感動する
  • 感謝する
  • 世のため人のためを考えて生きる

遺伝子研究というよりは、自己啓発本に近い記述が並んでいる。しかし、実際の医学研究でも、笑いが糖尿病患者の血糖値を劇的に低下させたという論文を、厳しい査読を経て、サイエンス誌などに海外の医学研究誌に掲載したりもしている。笑いが免疫を高めるところまでは、医学的に到達しているのだ。

その先に並んでいる上記の6項目が、とても興味深い。それは根拠のない徳目リストではなく、医学的な状況証拠に満ちているのだ。

例えば、人間の遺伝子が全体の5~10%しか使われていないという事実、発ガンが「発ガン遺伝子オン+ガン抑制遺伝子オフ」の二つのスイッチングによって生じているという事実は、きわめて重要だ。この生死をわけかねないスイッチングを行っているのが、①物理的要因、②化学的要因、③精神的要因なら、そのどれもが重要であることも間違いないだろう。 

そういうわけで、今晩はフリン効果が脳科学の観点から「あり」なのかを、調べてみたくなった。フリン効果と新世代の倫理意識の高さが結びついているという仮説が、ずっと気になっていたのだ。

 ただ、シンガーのいう「効果的な利他主義者」が、フリン効果によって出現した新種族ではないかという説には、プリン愛に生きる男として、強い説得力を感じてしまった。

 心理学者のスティーブン・ピンカーは「論理的能力の向上は倫理力も向上させた」と述べているので、不断に続く人類の脳の進化が、かなり短期的に人類の倫理観を変えつつある可能性は充分にありそうだ。

 新しい世代のあなたが、新しい頭で、『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』が何かを、考え直してみてはどうだろうか。 

 自分も含めて多くの人々が、IQが生得的な知性であり、その値が不変だと勘違いしてリうのではないだろうか。IQは訓練や環境的要因でどんどん変化することが判明している。つまり、フリン効果は、20世紀中盤からの情報化社会の発達と社会の複雑さの増大によって引き起こされたと考えて間違いないというのだ。 

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

オーバーフローする脳―ワーキングメモリの限界への挑戦

 

 面白いのは、そのIQを訓練するコツとして、先ほども出てきた瞑想(マインドフルネス)に加えて、フロー体験が挙げられていることだ。

低すぎる場所にあるコントロール対象(自分が簡単にできてしまうこと)と、高すぎる場所にあるストレス対象(難しすぎて手の出ないこと)との中間に、夢中でワクワクしながら没入できるフロー対象がある。そこでフロー体験をしているときに、人間のワーキングメモリは向上していくのだという。

これはほとんどのアスリートが日常的に行っていることだろう。自らの身体の細部をどう連動させるかを 、簡単すぎず難しすぎずの範囲で追求するのが、アスリートたちのトレーニングの実態に違いない。 

実は、自分の本当の関心は、フリン効果の少し先にある。高度情報社会のせいで、後天的にIQが高まったという話は、わかりやすすぎるし、ドキドキが少なすぎる。ひょっとしたら、人類が集合的に遺伝子上の進化を遂げつつあるのではないかという仮説の方に、強く惹かれてしまうのだ。

(和訳は下記記事より引用させていただきました)

研究者たちは、アルコール分解を助けるためにヒトに通常存在するアルコールデヒドロゲナーゼ(ADH / アルコール脱水素酵素)と呼ばれる一群の酵素が、酵素活性を増加させる遺伝的変異を見出し、その代わりに「アルコール摂取に不利な物理的応答」をもたらすことを発見した。

この場合、アルコールが効率的に分解されないため、アルコールを飲んだ人は気分が悪いとだけ感じ、さらに飲み進めたりすることはなく、あるいは、アルコール依存症になるような飲み方となることもほぼなくなる。

この遺伝的変異は、1つの集団の中だけで見いだされたものではなく、4大陸のそれぞれ異なる場所の 5つの集団において観察されたもので、ここから、その変化が遺伝子上の遺伝的体質の産物であるとは考えにくかった。(※訳者注 / このことは特定の土地や民族の固有の遺伝とは関係ない可能性が高いということ)

 大学の研究者が丁寧に科学と非科学を分別しながら、有名なサルの芋洗い現象を解説している。

サルのイモ洗いは、アメリカの思想家ケン・キース・ジュニアが書いた『百番目のサル』という著作によって、本来とは違う形で世界の人々に知られるようになった。

いわく、日本の幸島で、イモを洗って食べる習慣がサルの間に広まった。99番目まで徐々に増え、ちょうど100番目にまで達したとき、不思議なことに、遠く離れた場所のサルたちが、いっせいにイモを洗うようになった。あくまで架空の物語で、事実ではない。しかし世界中でベストセラーになった。

本のテーマは核廃絶運動だった。人間の意識は共有し得る、表立って運動しなくても、深く思いをめぐらし、それを伝えていくことで、あるとき核は廃絶されると説いた。幸島のサルの物語は、そうした集団的意識をもとに反核運動を進めるシンボルとなった。 

動物生態学の研究を「非科学的」なフィクションに改変した『百番目の猿』は、80年代の著作だった。その象徴的な虚構が、10年代の末に、「科学的」な遺伝子研究によって傍証を得たのが面白い。

時に次元上昇とも言われる「人類の集合的進化」に、これからどんどん科学の解明のメスが入っていくことだろう。

少なくとも、自分の脳内にある恐怖や不安は、記憶を手編みで編み直すことによって消せることを、脳科学は教えてくれている。そうなら、私たちは自分を取り巻く世界を、さらに希望の光あふれるものに編み直すことだって、できるはずなのだ。

あたかも、悲惨きわまりない苦境を希望あるものに編み直そうとするかのように、民族に伝わる伝統の刺繍を続けているパレスチナの女性たちと、彼女たちを支援する日本のNPOの活動を、この記事で紡いできた文脈の締め括りの珠結びとしたい。

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2017年に訪れた時は、10年間完全封鎖が行われていたため、2001年から全く風景が変わっていませんでした。銃撃を受けていた後や紛争の爪痕があちこちに見受けられて、状況の変わらなさに心が痛みましたね。ガザ地区は、流通が制限されているので情勢によって左右されてしまうというのが今でも支援をする上で難しい点です。

(…)

「かわいそうだから」ではなく「素敵な商品だから」と刺繍の良さを感じて購入して欲しいです。

(…)

アメリカのエルサレムへの大使館移転により起きたパレスチナ人のデモへの攻撃により多くの死傷者が出る中、ガザの現状をより多くの人々へクラウドファンディングを通して知っていただける「伝える」ということにも大きな意味があるはずです。