ベスト・パートナーな椅子にしようっと

大連の郊外の或る橋を、花婿が花嫁を抱えて渡り切ると、二人は幸福に暮らせる。

そんなジンクスのある橋を、中国を旅行したときに通りかかったように記憶していた。検索してもすぐに出てこないということは、記憶違いかもしれない。 

さらば、わが愛?覇王別姫 [DVD]

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よく覚えているのは、カンヌで金獅子賞をとった映画が素晴らしかったので「京劇を見たい」と現地知人に希望したものの叶わず、「運動したい」との希望を叶えてもらって辿りついたゴルフ場でのこと。

ゴルフ経験はほぼゼロではあったものの、それなりに軌道を描いて小さな白球を飛ばしていると、アルバイトの女の子に中国語で話しかけられた。ジェスチャーから判断すると、もっと身体をかぶせて、ダフるのを怖がらずに打てと助言してくれているらしい。アドバイス通りに打ってみると、確かに白球は遠くまで飛んだ。

ナイス・ショット!

 中国人の女の子が明るい声をあげた。島国でも大陸でも、そういう瞬間の掛け声は同じらしい。彼女が「ファー!」という悲鳴をあげなかったのは何よりだ。

女の子は喝采を私に送ったあと、折り畳み式のディレクターズ・チェアに座った。

その緋色のナイロン製の椅子が、炎の曲線をあしらっていて、とても格好良かった。デザイン好きな自分は、白球の鮮やかな軌跡より、むしろその緋色の椅子の方をよく憶えている。

椅子に座っていると寿命が縮むという研究結果もある。世界一椅子に座っている時間が長い日本人のひとりとして、せめてどの椅子に座るかくらいはしっかり選びたい。どんな椅子にしようかな。そう呟きながら、椅子のカタログをめくっていた。

今朝起きてから、あなたの身体が一番多く接触した固体は何だろうか?

たいていの人は衣服が最初に来て、次に来るのが、椅子ということになるだろう。椅子の歴史を調べる機会が偶然過去にあったので、「椅子史」における2つのエポックメイキングな作品を学ぶことができた。どちらも1950年代初頭の作品。

1つは、アルネ・ヤコブセンの「アント・チェア」で、合板の成形技術の進化により、背もたれと座面を同じ板で成形できるようになった。いたるところでレプリカを見かける。おそらく世界でもっとも有名な椅子なのではないだろうか。

もうひとつがマルコ・ザヌーゾの「レディ」で、ウレタンなどの新素材の開発により、それまでの木椅子にはなかった革新的な座り心地の柔らかさを実現した。

上の記事で言及したシングルチェアもいいが、もう少し横幅が長い「長椅子」、この島国で「ソファー」と呼ばれる椅子にも、興味がある。 

フロイトの弟子と旅する長椅子 (BOOK PLANET)

フロイトの弟子と旅する長椅子 (BOOK PLANET)

 

 フランス語で書かれているこの小説の長椅子とは「カウチ・ソファー」のこと。単なる家具ではなく、そこに患者を横たわらせてするカウンセリング行為の象徴になっている。 

というわけで、「心の解きほぐし」と「ソファー」が結びついたところで、今晩はずっと前から読みたかったパートナーシップ本に目を通すことにした。数か月前に、リスペクトしている或るスピリチュアル・リーダーに勧めてもらったことが(ありがとうございます!)、気に懸かっていたのだ。著者名は忘れてしまったものの、二人掛けのラブ・ソファーの表紙が記憶に残っていた。 

ベストフレンドベストカップル (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)

ベストフレンドベストカップル (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)

 

恋愛指南本は恋愛小説の下地作りだと思って、かなりの数を読みこなしてきた。パートナーシップ本はまだ読み始めたばかりだ。この著者も含めて、どの「流派school」が良いのか悪いのかのジャッジなしで、とりあえずいろいろな school を覗いてみようという程度の学童的好奇心で読んでいる。誤解が生まれませんように、神様。

書名に惑わされずに、赤のソファーの続編が紺のソファーだと思って読むといいと思う。といいつつ、自分がすっかり惑わされてしまったのは、訳者の名前。てっきり同姓同名だと思っていた。

つい先日、『戦場のメリークリスマス』に言及したばかりだと思っていたら、監督ご本人だったのですか! こんなお仕事もなさっていたのですか! と驚きの声をあげたものの、今や赤と紺のラブ・ソファーとなった監督のディレクターズ・チェアは無人のまま。渚から吹き上げてくる浜風が過ぎていくばかりだ。R.I.P.

そのように書かなければ話題にならないのかもしれないが、1992年に書かれた割には、「男はこう違う」「女はこう違う」のジェンダー・バイアスが強めの印象だ。しかし、背骨はしっかりと垂直に立っているので、まずそこから、時折り自分の言葉に直しながら、拾ってみたい。 

内なる異性―アニムスとアニマ

内なる異性―アニムスとアニマ

 

ジョン・グレイがわかっているなと感じさせる点は、男性の中の女性(アニマ)、女性の中の男性(アニムス)にも、章を割いてきちんと説明しているところだ。単なるユングの受け売りに見えるかもしれないが、なにしろ最新の脳科学がそれを実証してしまったのだから、これが正道というほかない。

今日は大雨のせいで軒並み図書館が臨時休館。唯一開館していた地元私大の図書館で「日経サイエンス」を引っくり返していたら、半年前に「モザイク脳」が特集されていた。このブログでは先月記事にした。

このあたりの「性モザイク脳」の事情を、自分の言葉で例え直すとこうなる。

 

奇数(=男性)

偶数(=女性)

小数点以下あり(=LGBT

 

上のようなごくシンプルな認識が、性指向の一般的なイメージだと思う。ところが、実際は計算式の右辺にある数値だけでなく、多くの未知数を含む複雑な左辺を伴っている。

 

a×b×c×d×…=奇数(=男性)

a×b×c×d×…=偶数(=女性)

a×b×c×d×…=小数点以下あり(=LGBT

 

多項式の一角が変わると、計算結果も変わってしまう。計算結果を決めるのは遺伝子情報だけではない。特に胎児期の環境的要因も大きく影響する。同じ人間の中でも、20歳、40歳、60歳ではホルモンバランスが変わるので、セクシュアリティは変わる。例えれば、同じ偶数でも12から14へ変わってしまう。

私たちがしばしば絶対視しがちなセクシュアリティーは、脆弱で移ろいやすいものだというのが、最新の脳科学からの答えなのだ。

[引用者註:誰もに備わる] 男らしさと女らしさの両面を同時に発達させるには、第一に思いやりを受け、信頼されること理解されること受け入れられること尊重されること、そして評価されることを必要とする。この豊かな愛情と支えがない場合は、幼いうちから、さまざまな度合いで自分を抑圧するクセがついてしまうものだ。 

ジョン・グレイが推奨するのは、男なら男らしさだけでなくアニマ(内なる女らしさ)も、女なら女らしさだけでなくアニムス(内なる男らしさ)も、人生を通じて同時に発達させることだ。

その同時発達に不可欠なのが、グレイの七つの虹要素。上の引用でゴチック化した6つに、愛を加えたものが、その7つの虹要素となる。もちろん男女ともまったく同じだ。

  1. 愛情
  2. 思いやり
  3. 理解
  4. 尊重
  5. 評価
  6. 受け入れ
  7. 信頼

では、ここまでまったく同じなのに、どうして男女間ではあんなにも行き違いや摩擦が起こるのだろう。グレイの説明では、7つの虹要素におけるランキングが男女で違うのだという。

女性が求める価値のベスト4は、こんなランキングになっている。

  1. 愛情
  2. 思いやり
  3. 理解
  4. 尊重

男性が求める価値のベスト4は、こんなランキングになっている。

  1. 愛情
  2. 信頼
  3. 受け入れ
  4. 評価

 自分の言葉で言うと、というか世間一般で言われている言葉に置き換えると、

  • 女性は(与えられる)愛情で生きていく。
  • 男性は(与えられる)プライドで生きていく。

ということになりそうだ。

女性の愛情希求、男性のプライド希求のコントラストをくっきりと示しているのが、男女が相手にしてほしいことリストだ。

これも社会勉強だと思って読み通したが、女性が男性にしてもらいたい愛情表現は、98項目(!)もリストアップされている。自分がおかしくてくすくす笑ってしまったのは、以下の三つ。

25:もし、彼女が靴下を洗おうとしているなら、彼女の手に渡る前に裏返しに脱ぎ捨てた物を元の状態にヒックリ返して戻しておき、彼女がそうする必要のないようにしておく。

61:壊れたものを修理する強力接着剤を買ってくる

89:ピクニックを計画する 

25の靴下問題は、1992年の時点でこの「法」を確立した早さに注目したい。日本でソックス法が施行されたのは、2002年のこと。そんなに早くから脱いだ靴下を裏返していたとは。グレイの先見の明に唸ってしまった。

61については「修理しなくていいのか?」、89については「実施しなくていいのか?」 という問いが、どうしても頭から離れない。きっと「97:この『98のリスト』に加える項目が無いか彼女に聞く」と、まず間違いなく「ピクニックに行く」がリスト・インすることだろう。

一方、男性が女性に求める愛情表現リストは23項目しかない。同じブログ記事の「こんな時あなたの愛は試されている」という項目を見ると、呆れ果ててしまう女性も多いのではないだろうか。自分のカウントでは、23項目中17項目が「ぼくの失敗や無能を責めないでね」のリストで埋まっている。本当に世の男性の実態ってこうなのかな?(微苦笑)

ともあれ、結論として、女性が(与えられる)愛情で生きており、男性が(与えられる)プライドで生きていることは間違いなさそうだ。

この二つを直結させて、「愛情の循環モデル」を確立したのが、グレイの主張の中で最も美味しく賞味できるところだと思う。

グレイの主張を自分の言葉で言い換えると、女性の男性採点テストと男性の女性採点テストとは正反対だということだ。

女性は「男性が自分にしてくれた愛情表現」を採点する。一方、男性は「女性にしてあげた愛情表現に対して女性がどう愛のある反応をしたか」で採点するのだ。

したがって、男女間の愛情はうまく好循環を作ることができるとグレイは言う。

男性の思いやりが深いほど、女性は彼を信頼する。そして女性が信頼すれば信頼するほど、相手の男性はますます思いやりが深くなる。

これがグレイ流の「愛情の好循環」なら、逆の男女間の悪循環は以下のような「地雷踏み」で引き起こされる。

(…)男性は、自分の決定や行動を自分自身と同一視している。だれかが彼の行動を訂正したりコントロールしようしたりすれば、それは彼自身が間違っているとかおかしいとか言われたも同然なのだ。

 彼は自分の痛みを避けようとして、攻撃的なまでに自分の行動を弁護したり、コントロールされることに抵抗したりする。(…)

 他方、女性は自分の感情に感じて、これと同じ敏感さを持つ傾向がある。行動を訂正されるのが男性にとって苦痛なように、感情を訂正されることが女性にとっては辛いことだ。 感情は人との関わりの本質部分なので、男性が女性の感情をないがしろにする時、彼女はもっとも感じやすいところで傷つく。 

互いのギブ&テイクで循環させるのではなく、男→女へのギブとその反応で回していくグレイ流「愛情好循環モデル」を、読者はどう感じただろうか。

ジェンダー・バイアスが強めなので、自分としては味付けが濃すぎる気もするが、この循環を回して幸福に生きていくカップルも少なくないような気がする。どんな信条の共有によるのであれ、二人が幸せなら、それはそれでいいのではないだろうか。

90年代に台頭してきたグレイのパートナーシップ論は、10年代が終わりつつある今も、まだ人気は衰えていないようだ。

ただ、グレイに限らず、自分のパートナーシップ論への不満は、しばしば男女のワンペアのみで語られるがちなこと。出産というライフステージを経験すると、女性が大きく変わって、異様に強くなるとは、巷間よく言われる俗説だ。その俗説を脳科学から補強して、女脳からマミー脳に変わるときに何が起こるのかを書いたのが、この本。これもかなり面白い。 

 出産後、母親の頭は「マミーブレイン」という独特の状態で、働きが鈍ると一般的にはいわれている。しかし真実は、脳にとって障害となるどころか、出産は母親の脳に大きなメリットをもたらす! 本書では科学者たちへの豊富な取材を基に、新たな科学物語の世界を解き明かしていく。

なぜ女は出産すると賢くなるのか 女脳と母性の科学

なぜ女は出産すると賢くなるのか 女脳と母性の科学

 

どこにでも偏見ははびこっているものだ。エリソンは、出産でポンコツになるとされてきたマミー脳が、5つの点で進化していることを脳科学の最新知識で説明していく。

  1. 知覚(食べ物への嗅覚が鋭くなり、物音への聴覚が鋭敏になる)
  2. 能率(子育ては最強の脳トレ。子育ての煩雑さがマルチタスク処理を可能にする)
  3. 回復力(出産と授乳がストレス耐性を高め、子育てがストレス解消になり、社会関係が拡大する)
  4. 意欲(子供とともに生きていく目的意識と母性愛で、生きる意欲だけでなく社会参加意欲も最大に)
  5. EQ(母子間の子育てが母親の共感能力を高める)

環境の変化だけでなく、ホルモン分泌が大きく変わるため、出産によって(子供も含めた)パートナーシップ論が大きく変容するのは間違いない。そのような核家族のライフステージの遷移を包含した視点から、もう一度自分なりにパートナーシップ論を学んでみたいと感じた。そのときエリソンの「マミー脳」本は、外すことのできない参照項になるだろう。

ん? 今晩も話がとめどもなく逸れるス、まったく栗鼠ってば。何の話をしていたのだっただろうか。そうだった。ゴルフの話から、椅子を探す話に移ったのだった。

インテリア雑誌を流し読みしていると、北欧デザインの椅子の人気が沸騰しているのがわかる。ジャポニスムの影響もあるデンマークの椅子も、引き合いが強いようだ。

そのような北欧デザインの魅力の本質を、洒落たひとことで言ってのけたデザイナーがいた。

デンマークのデザイナーであるカイ・ボイスンは、猿の人形について「動物のデザイン上の線は笑みにならなければならない」と発言したそうだ。

それだけでなく、北欧モダニズムのデザインの特質についても、お洒落にこうまとめてみせた。

しかし、線は微笑を帯びるべきだ。

デンマークのデザイナーがどうしてそこまで微笑しているのか、どうしてデザインを微笑させたがるのか。北欧デザインの界隈では、その源流はデンマークという国の幸福度にあるとされているらしい。

というわけで、「世界一椅子に座っている時間が長い日本人のひとりとして、せめてどの椅子に座るかくらいはしっかり選びたい。どんな椅子にしようかな」という自問への答えはあっけなく出てしまった。

(デザイン線が微笑している)スマイリーな椅子しようっと! 

 そう声に出して決意した瞬間、どこかで「ナイス・ショット!」の掛け声が聞こえたような気がした。もう外は真っ暗な夜になっている。誰かが闇ゴルフをしているわけでもなさそうだ。ということは、聞こえてきた shot の掛け声は shooting star の暗号だったのかもしれない。急がなきゃ!

息せき切って窓を開けると、どこを流れているともわからない流れ星に向かって、ぼくは大急ぎで願い事を三回唱えたのだった。

流れ星はきっと so far と叫びたくなるほど、とても遠くを流れているにちがいない。So far, so good, so what.  それがどうした。 So far =「今までのところ」まだ希望は完全には消えちゃいないぜ。流れ星にお祈りしたあと、ぼくはそう自分に言い聞かせて、夜空に煌めく星々の瞬きを、じっと見つめていたのだった。